5月1日、都内の邦画専門の名画座であるラピュタ阿佐ヶ谷で、国際放映のドラマやウルトラシリーズの演出でも知られる映画やテレビドラマの監督である山際永三氏のトークショーがあったので、ちょっと顔を出してみました。
この映画館は、会員になると900円で入場でき、また10回目が無料というわけで、私のように昔の日本映画を観るのが大好きな人間(に最近なりました。この映画館のおかげです)には、大変ありがたいところです。ここで、はじめの第一歩 -映画監督50人の劇場デビュー作集という特集が行われており、山際監督が1962年に発表したデビュー作にして現在最終の劇映画監督作品である『狂熱の果て』の上映があり、上映後に山際監督と、新東宝映画に詳しい映画研究家の下村健氏によるトークショーがあったわけです。
それで、これは私も顔を出さないわけにはいかないなと思い、映画の上映後のトークショーを聞くことができました。
映画館ロビーでの山際監督です。
トークショーの写真です。写真撮影不可とは言われませんでした。
話は、(当然ながら)この映画の関係で、ウルトラシリーズの話などはありませんでしたが、私が興味を感じたのが、この映画のプリント自体、長きにわたって所在が不明だったとのことです。
プロデューサー氏が借金を抱えていて、この映画のフィルムもどうもそのかたにとられていたらしい。この映画の換価価値がどれくらいなのか定かでありませんが、当時は、現像所がフィルムを抑えるということもあったというのです。つまり現像代の踏み倒し(苦笑)もあったとか。だからその担保の意味合いがあったといいます。そんなん現像前に保証金でも収めてくれればいいじゃんと思いますが、そういうこともできなかったということなんですかね。そのあたりわかりませんが、ともかく映画の世界なんてのは、1960年前後ですら、そんなでたらめな側面があったということでしょう。
プロデューサー氏もお亡くなりになり(Wikipediaによると、生没年不明とのこと)、山際監督もフィルムの所在を探しましたが、東洋現像所(現・IMAGICA Lab.)などありそうなところに問い合わせてもないので、あきらめていたとのことですが、廃業(だか業務中止だか)する某現像所が、フィルムセンター(現・国立フィルムアーカイブ)に提供された社内にあった様々なフィルム(寄贈でなくて、「預ける」という形式だったといいます。フィルムセンターは、そういう形式では扱っていないというのですが)を引き渡し、チェックしていたら、この映画があったというのです。山際監督に、その報告がありました。
ところが、まずネガから上映用のポジにプリントするのも、予算の関係でなかなか実現しない。ようやく実現しても、この映画の著作権者と連絡がつかないのです。プロデューサー氏はすでに故人、この映画は、新東宝が活動停止をしたあとほんのわずかな期間しか活動しなかった「大宝」という会社の製作・配給でした。
>大宝株式会社(たいほう)は、かつて存在した日本の映画配給会社である。1961年(昭和36年)8月31日の新東宝株式会社の倒産後、同年9月1日に配給部門を分社化して設立したが、わずか4か月後の翌年1962年(昭和37年)1月10日には業務停止となった。
とWikipediaにはあります。
新東宝という会社の作品の権利自体は、国際放映株式会社が持っているのですが、国際放映は、この映画の権利を持っていないとしています。つまりこの映画の著作権者は、不在あるいは不明のわけです。本来監督の山際氏は著作権者たりえませんが、特例(?)で著作権者であることを認めてもらい、この映画のプリントや商業化もできたわけです。パチパチ、めでたしめでたしです。映画業界でも、山際監督ができたのだから、自分もできるのではないかという声も出たそうです。個人的には、著作権者が不明な場合は、著作権料を供託するような形にして商業化などを可能とすることをよりスムーズにできるようなシステムを構築できればです。ソフトの二次使用ということも今後どんどん盛んになるはず。所在不明の俳優・スタッフらへの対価というものも、今後ますます必要になっていくでしょう。
いずれにせよ監督が著作権者でないから、前に書いた大金持ちのプロデューサーの製作した映画がそのご意思で一向に上映されないという事態にもなるわけです。大金持ち氏が亡くなったらどうなるかですが、ともかく現状その映画を観るチャンスはなかなかない。こういったこともなかなか打開の方法がない。困ったものです。
それはともかくこの映画は、現在DVD発売もされているし、Amazon Primeで鑑賞することも可能なのです。
ほかにも、夜のシーン(いわゆる「アメリカの夜」の形式で昼に撮影したもの)が、うまくプリントできていなかったのであらためて自費で山際監督が該当の部分をプリントしなおしたとか、おもしろいはなしがいろいろありました。山際監督ご自身は、上にも書いたようにこの映画が最初で最後の劇映画の監督作品となり、国際放映の作品や、ウルトラシリーズの監督をしました。第2期ウルトラシリーズの最終作である『ウルトラマンレオ』の最終第51話の「恐怖の円盤生物シリーズ!さようならレオ!太陽への出発」は、山際監督の演出です。これは、ウルトラシリーズも終わりなので、『レオ』ではそれまで担当していなかった山際監督があえて起用されたとのこと。山際監督は、『レオ』で、この51話とその前話の第50話を担当しています。ウルトラシリーズに限りませんが、監督は原則2話カップリングで担当するシステムでした。
山際監督は、ほかにもデジタル撮影の時代、映画の編集者が映画監督以上に力を持つシステムとなってしまっていて、監督たるものこれでいいのかという気概を持たねばという趣旨のことも語っておられました。質問タイムはなかったので、それはできませんでしたが、やはりこういうイベントは、可能なら足を運ぶに限ります。山際永三監督のますますのご健勝を祈念してこの記事を終えます。