ブログがめでたく復活した高世仁が、こんな記事を発表していました。
樋田毅『彼は早稲田で死んだ』が大宅壮一賞を受賞>樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
1972年11月、早稲田大学で革マル派が文学部2年生の川口大三郎君を自治会室で殺害した事件とその後の闘いを描いている。
(中略)
当時、同じキャンパスで革マル派と闘った「戦友」として、受賞はとても喜ばしい。おめでとうございます。
(後略)
いや、高世って、客観的現状はともかく、主観的には現段階ジャーナリストをやめたわけではないのでしょうから、他人様の著作の受賞なんか喜んでいる場合かよと思うんですが、どうなんですかね(苦笑)。なお、復活後の高世のブログはタイトルを改名し、「高世仁のジャーナルな日々」となっています。
それはさておき、その受賞作の内容が、1970年代の早稲田大学における革マル派の関係っていうのもねえ(これも苦笑)。
立花隆の『中核 vs 革マル』の時代ならともかく(あれは同時代1975年の著作です)、いまどきそんな半世紀前の話に世間一般の注目が集まるのかなあですね。本の内容については未読ですので何も言えませんが、出来がいい本だとして、「大宅壮一ノンフィクション賞」を出すほどのものなのか。私見では、優れたノンフィクション(ルポルタージュ、記録文学ほかいろいろな呼称があります)というのは、当たり前ですが、現代の世情を鋭く切り取る内容であるはずだし、過去のことを題材にするとしても、それはまさに現代につながるものである必要があるでしょう。それでどうなんですかね、約半世紀前の、早稲田大学での革マル派との問題とかが、そんなに現代社会のさまざまな問題に対峙する際のヒントになりうるのか。そんなこともないと思いますけどね。その時代の新左翼が暴れたエピソードなんて、まさに時代のあだ花でしょう。
ところで樋田毅氏の著書ですが、これは賞を主宰する文藝春秋社からの発売です。もう1冊の同時受賞の本も同じく文藝春秋からの発売です。
そこからうかがえるように「大宅壮一ノンフィクション賞」というのは、かなり露骨に、文藝春秋社から発売された本を受賞させていると思います。この賞は、Wikipediaから引用すれば
>2017年より「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」に改称し、一般読者からの投票を受け付ける形式に変更してノンフィクション作品の支持拡大を図ったが、「思うように成果が上がらなかった」として、通算第50回の2019年から元の名称と選考方法に戻した。
とあります(太字は原文のまま。注釈の番号は削除)。それで2019年からの受賞作を見ますと、2022年までに計6冊の本が受賞していますが(19年と22年は2冊ずつ、20年と21年は1冊)、そのうち4冊が文藝春秋の本です。いくらなんでも露骨すぎないかいという気がします。
というわけで、1970年から2016年まで数えてみましたら、75冊の書籍が賞を受賞していますが(14年~16年には、「雑誌部門」というのがありましたが、これは除きます)、41冊が文藝春秋の本です。ちょっとねえ、これはどうしたものか。ちなみに講談社ノンフィクション賞(現・講談社本田靖春ノンフィクション賞)は,1979年から今日まで74冊の本が受賞していて、30冊が講談社の本となっています。新潮ドキュメント賞は、2002年から開始で、21冊の受賞本のうち10冊が新潮社の本となっています。小学館ノンフィクション大賞と開高健ノンフィクション賞は、未発表の作品の募集ですので、ここでは扱いません。たしかに他社の賞も、自社の本を受賞させたいという姿勢は強いですが、文藝春秋は、講談社や新潮社より、自社の本を受賞させるという方針がかなり強いと感じます。
さてさて、bogus-simotukareさんが、面白いことを指摘していました。これもやはり文藝春秋社からの本ですが、同じく大宅壮一ノンフィクション賞を1994年(第25回)に受賞した小林峻一、加藤昭 共著の『闇の男 野坂参三の百年』という本のことです。小林と加藤の本では、この本だけ、Amazonにリンクをつけます。出版は、1993年です。
この本の写真は、Amazonからいただいたのですが、実物を映した写真であるということは、それなりに注目に値すると思います。それでこの本は、前出の立花隆が解説を書いていますね。解説者の名前が、こんなに大きく出ている本というのも、わりと珍しいかも。どうも著者の小林と加藤という人物が、立花のスタッフライター(弟子?側近?リサーチャー?)だったみたいですね。その関係で解説を引き受けたのでしょう。たぶん立花が、かつて『日本共産党の研究 』を発表したことも絡んでいるはず。なおこの本は、前出の講談社ノンフィクション賞の第1回目の受賞作です(苦笑)。講談社も、こんな本受賞させるなよと思います。が、それはともかく。ちょっとbogus-simotukareさんのご指摘を引用します。小林と加藤の現状についてです。
>ググっても最近の本がまるでヒットしません。加藤(アマゾンの著者紹介に寄れば1944年生まれ、存命ならば今年で78歳、ちなみに1944年 - Wikipediaによれば1944年生まれのライターとしては例えば辺見庸(元共同通信記者、芥川賞受賞者)がいる)の最新刊は『鈴木宗男研究』(2002年、新潮社)、小林(アマゾンの著者紹介に寄れば1941年生まれ、存命ならば今年で81歳)の最新刊は『ソニーを創った男・井深大』(2002年、ワック)でいずれも20年も昔の本です(小林には『昭和史最大のスパイ・M:日本共産党を壊滅させた男』(2006年、ワック文庫)があるが、これは『スパイM』(1994年、文春文庫)の復刻に過ぎないので事実上の最新刊は『ソニーを創った男』です。まあワック文庫を最新刊と見なしても今から16年も昔ですが)。つまり小林も加藤も「一発屋」にすぎなかったのでしょう。例の「野坂批判」も高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の高世仁と同じで「連中に実力があった」というよりは「運良くソ連流出資料が手に入った」程度の話でしかなかったのでしょう。
余談ですが、加藤の著作である『鈴木宗男研究』というのは、当然立花の『田中角栄研究』を意識しているのでしょう。なおこの本も、第1回の新潮ドキュメント賞の候補作品でした(受賞はせず)。もちろん立花本とは、社会へのインパクトほか比較の対象にもなりません(当たり前)。
それでこの野坂参三についての本は、文藝春秋のサイトにも記載されていますが、本の表紙も掲載されていませんね。また著者として、立花が、小林と加藤と同格で記されている(さすがに3番目の位置づけですが)というのがなんとも(苦笑)。下のほうでは(さすがに)
>立花 隆解説
とはありますが。
それでこの本は、現在品切れ重版未定という状況で、文庫化すらされていませんね。売れ行きが良ければ当然文春文庫で収録されていたでしょうし、でなくても違う会社からの文庫で出版される可能性もあったでしょうが、発売30年近くなってそうなっていないのだから、たぶん売れ行きも良くなく、あんまり読者からの評判もいいとは言えなかったんじゃないんですかね。この本の文庫化に、まさか日本共産党が文句を言ってきたということもないでしょうし(言ってきたところで文藝春秋は突っぱねたでしょう)、野坂参三の遺族(野坂には実子はいませんが、養子はいます)から苦情が来るということもないでしょう。つまりは、売れ行き、評価ともあまり芳しいものではないのでしょう。要は、高世仁が、友人(後輩)のつてで光文社から本を出版したはいいが、売れ行きも評価もよろしくなく、その後今日までメジャー出版社から単著を出すに至っていないのと同じです。詳細は、下の記事を参照してください。
北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話ただ1992年にそういう話を雑誌に書いて、93年に本に出したところで、そんなに社会的にインパクトがあるのかなあという気はしますね。野坂参三も、1977年に参議院議員を引退しており、当時すでに100歳近い過去の人間であり、野坂除名が、共産党の支持を増やしたとか減らしたとかいうこともないでしょうし。連中に大宅壮一ノンフィクション賞が受賞となったのも、おそらく反共運動の一環の意味合いがあったのでしょうが(のちに小林の本が、WACから出版されているのも、つまりは彼の反共活動への功績という側面があったはず)、そんなに効果があったということもないのではないか。小林のその後の著作のスパイMとか井深大の本、あるいは、松崎明について書かれた本も、同時代でそんなに影響力があったわけでもありませんしね。
いずれにせよbogus-simotukareさんがご指摘のように、小林も加藤も、立花の弟子、側近、スタッフライター、リサーチャーだとしても、つまりは旧ソ連からの資料を早い段階で入手したから記事を書けたということに尽きますからね。大宅壮一ノンフィクション賞受賞という栄誉をもらったのに、その後2人ともろくに本も出せていないし話題にもならないのは、その程度の実力だったということでしょう。立花が解説を記しているのも、2人の実力をよくわかっているので、そういう意味合いでサポートした部分もあるのではないか(苦笑)。
そう考えてみると、この本については未読ですので、ここで内容についての論評を私はできませんが、賞をあげたのが相当無理筋な本のように感じますね。つまりは、自社で出した本なのに、文庫化すらできなかったのだから。ほかの文藝春秋の本の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品の文庫化について確認はしていませんが、けっきょく野坂除名という際物的な興味以上の本ではなかったようですからね。立花隆自身戦前の日本共産党については本を書いても、戦後の共産党についてはまとまったものは残していないはず。まあ失礼ながら、あの師匠にしてあの弟子というレベルなような気がします。
bogus-simotukareさんに感謝して、この記事を終えます。