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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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この日がそんなに遠いとは思っていなかったが、ついに来てしまった(ジャン=リュック・ゴダールの死)

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タイトルにもしたように、この日が来ることがそんなに遠くでないことは覚悟していましたが、ついに来てしまいましたね。記事を。

>仏映画の巨匠 ゴダール監督死去 91歳
2022年9月13日 20時14分 

フランスの主要メディアは、13日、フランス映画界の巨匠、ジャンリュック・ゴダール監督が死去したと一斉に伝えました。91歳でした。

ゴダール監督は、1950年代から60年代にかけてフランスの映画界に新風を吹き込んだ「ヌーベルバーグ」の旗手として知られています。

1960年に公開した、映画「勝手にしやがれ」のほか、「気狂いピエロ」など数々の作品を手がけ、その作風は世界の映画人に大きな影響を与えました。

そして、1965年のベルリン国際映画祭では「アルファヴィル」が最高賞の金熊賞を受賞したほか、1983年にはベネチア国際映画祭で「カルメンという名の女」が最優秀賞の金獅子賞を受賞するなど国際的にも高い評価を受けてきました。

一方で、1960年代後半から一時期、商業的な映画からの決別を宣言し、政治的な映画の製作に取り組んだこともあります。

ゴダール監督は近年も映画製作に携わり、2014年には「さらば、愛の言葉よ」でカンヌ映画際の審査員賞を受賞しました。

フランスの大手紙ルモンドは、「ゴダール監督はフランス映画界に長く影響を与え続けた。その作品と人生は革命以外の何ものでもなかった」と功績をたたえています。

フランスの主要メディアによりますと、ゴダール監督は13日に亡くなったということです。

91歳でした。

うーん、残念ですね。繰り返しますが、ジャン=リュック・ゴダールもさすがに90歳を超えたご年齢ですので、いつお亡くなりになっても不思議ではないと思っていましたが、やはりその日が来るといろいろな想いが私の頭の中を交錯します。

ところで自殺ほう助で亡くなったという報道もありますね。記事を。

>ゴダール監督は「自殺ほう助」で死去と仏紙 
 【パリ共同】フランス紙リベラシオンは13日、映画監督ジャンリュック・ゴダールさんは、スイスで認められている「自殺ほう助」により亡くなったと報じた。

たしかにスイスでは、自殺ほう助は認められてはいます。それが事実なら、相当具合が悪かったのか、それともそうでもないのか。この辺りは、今後より詳しい報道があるかもです。微妙な問題ですので、第3者が踏み込むのはまずい部分もあるでしょうから、あるいはあまり突っ込むべきではないかもしれません。ただこの報道が事実なら、正直残念な気はします。

では本題に。私は小学生のころから、やれゴダールだ、トリュフォーだ、ジェーン(バーキン)だ、カトリーヌ・ドヌーヴだとわめきちらしていたようなおませな少年でした。そういう私からすると、わが映画人生のごく初期から本当に大きな影響を受けた監督さんということになり、ほんと心に一つ穴が開いたような気分です。

さてさて、前にも指摘したことがありますが、私にとってゴダールという人は、女性の好みの一貫性に頭が下がる方です。まず最初の奥さんであるアンナ・カリーナです。彼女も2019年に亡くなっています。

2番目の奥さんのアンヌ・ヴィアゼムスキーです。母方の祖父がフランソワ・モーリアックであり、ロシア貴族の系統の名家の生まれです。

結婚したわけではありませんが、80年代のゴダール映画のミューズであるミリアム・ルーセルです。露骨に上の2人と顔が似ています。ゴダールは、彼女を容赦なくヌードにし、その美しい裸身を世界中の人たちに見せつけました。

が、彼の最高のパートナーは、彼の死までよりそったアンヌ=マリー・ミエヴィルです。

正面からの写真をもう1枚。

彼女だけ、ぜんぜん顔が違いますね。素人さんだから、もちろん上の3人ほどの美貌はありませんが、でも彼女を上回るパートナーは、ゴダールにはいませんでした。まさに運命的な出会いだったということでしょう。なおこの件は、かつてこちらで取り上げていることをお断りしておきます。

好みの一貫性に頭が下がる

それはともかくとしても、この数年で、ゴダールの代表作である『気狂いピエロ』の主演俳優であるジャン=ポール・ベルモンドが2021年に、前出のカリーナが2019年(なお、この映画とは関係ないですが、前出のヴィアゼムスキーも2017年に亡くなっています)にそれぞれ亡くなっています。そしてゴダールが亡くなりました。実は私、この3人で、ゴダールが最後に亡くなるなんて想像もしていませんでした。彼は、自分よりずっと若い2人の元配偶者の女性を先に亡くしたことになります。ゴダール、ベルモンド、カリーナは、60年代半ば過ぎで仕事の面では袂を分かちましたが、しかし3人とも、残り2人がいなければ、これだけの実績を残すことはできなかったはずです。

それで、ここでちょっと私の極論を申し上げてしまいますと、私は、ノーベル文学賞というのを、狭義の文学、つまりはテキストによる表現活動に限る必然性は全くないと考えています。できた時代は映像がなかったのだからそれは仕方ありませんが、今日はそうではない。いや、当時からすでにある音楽や絵画彫刻などをもふくめてもよいのではないかと考えます。むろん写真でもよい。そしてそうであるなら、当然映画監督というのも、対象になります。そして映画界でその対象とすべき最もふさわしい人物は、私はゴダール監督だと思います。イングマール・ベルイマンとかが存命だったら、彼でもありでしょうが、現状ゴダールほど映画界に強い足跡を残した映画監督は、存命人物ではいなかったでしょう。そして彼は、残念ながら存命ではなくなりました。

ジャン=リュック・ゴダール氏のご冥福を祈って、この記事を終えます。


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