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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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いったいどれだけ頭が時代錯誤なのか(そんなん日本の安全保障と何の関係もないじゃん。また秦郁彦と田村秀男の堕落ぶりもすさまじい)

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bogus-simotukareさんの記事を読んでいて、またまた「おいおい」と感じました。

国家基本問題研究所のバカさに呆れる(2023年8月9日記載)

それで「講話」(講話ねえ)をしたのが、江崎道朗で、これはほんとの極右です。商売右翼とかでないガチの人間です。

で、その内容がこのようなもの。抜粋してご紹介。オリジナルはこちら。

「皇室を支える仕組みの再建を」江崎道朗 評論家・麗澤大学客員教授 « ニュース « 公益財団法人 国家基本問題研究所


【講話の概要】
明治新政府は近代国家建設に際して、皇室を支え、お守りする仕組みを整備したが、その仕組みは戦後、占領軍によって解体されてしまった。

●皇室を支える仕組みを構築した明治新政府
明治新政府は近代国家を建設するに際して、政治権力を行使する政府と、国家の永続性を表示する君主とを分ける国家体制を志向し、「宮中・府中(行政府)の別」を徹底した。その意図は皇室を政治権力の闘争に巻き込まないようにすることであった。

(中略)

1889年に大日本帝国憲法と皇室典範が制定されるが、典範と憲法は同等の法体系とされた。これを「典憲体制」という。皇位継承などは憲法に位置づけず皇室典範において定められ、政府や議会の介入を避けた。(皇室自律主義)


●戦後体制下の皇室制度「改悪」
ところが、こうした皇室に関する仕組みは日本敗戦後、占領軍によって解体された。

占領軍の上部組織である極東委員会は1946年7月2日、「日本の新憲法についての基本原則」を決定、皇室民主化の方針が打ち出された。その結果、①国政についての発言権が剝奪され、②新皇室典範は憲法の下位に置かれ、③「宮中・府中の別」は否定され、④皇室自律主義も否定された。

これに伴い、明治時代から整備されてきた皇室関係法令、具体的には皇室令80件、付属法令38件が廃止された。当時の政府は独立回復後、関連法令を再整備するつもりであったが、結局は政府や議会の怠慢で再整備されずに今日に至っている。

いや・・・そんなの当然の成り行きだと思いますけど。まさか戦争であそこまでこっぴどく負けて、それで戦前通りの天皇制なんか維持することをGHQをはじめとする連合国が許すわけないでしょう。

ていうか、本来なら昭和天皇は戦犯となって死刑になっても文句の言える立場ではない。昭和天皇が東京裁判への訴追どころか退位さえしないですんだのは、つまりは政治取引ですが、それは天皇の政治特権のはく奪と不可分でした。さすがにいくらなんだって天皇を戦前戦中と同じ立場にしてそれで天皇万歳国家を続けるなんてことは、ありえない。江崎は、


①国政についての発言権が剝奪され、②新皇室典範は憲法の下位に置かれ、③「宮中・府中の別」は否定され、④皇室自律主義も否定された。

と主張しますが、そんなことは当たり前の話であって、そうでない昔ながらのやり方を今日の日本で維持できるのか、維持すべきなのか、議論するだけ馬鹿でしょう。だいたい江崎自身


当時の政府は独立回復後、関連法令を再整備するつもりであったが、結局は政府や議会の怠慢で再整備されずに今日に至っている。

と指摘するわけで、つまりはそんなものは、役人にとっても政治家にとっても、「二の次三の次」「後回し」「不要不急」「優先度が低い」というようなものだったわけです。つまりは戦後ほぼ一貫して保守政党が政権を握っていた状況ですら、そんなことはどうだっていいこと、後回しでぜんぜん構わないことだったわけです。とくに、戦後初期の特に自民党(の前の政党もふくむ)議員たちは、現在よりはるかに皇室に対する思いは深いはず。ある時期までは役人も戦前教育を受けていたわけで、そんな連中ですらその程度の扱いだったのだから、ましてや現在ではでしょう。それで江崎はまとめとして


以上のように、明治の先達が苦労を重ねて築いてきた、皇室を支え、お守りする仕組みが、戦後の占領政策により解体され、再構築されずに現在に至っている。その歴史的経緯を踏まえ、われわれは戦後の宿題、つまり126代にわたって続く皇室を支えお守りする仕組みを再構築する議論を始めたい。

なんていったって、連中の希望するようなものができる可能性は皆無でしょうに。どんだけ時代錯誤なのか(呆れ)。「126代」って、まさか神武実在論ではないだろうなですが、どうなんですかね(苦笑)。それ以前にこんなの日本の安全保障に何の関係もないことであり、何をこんな馬鹿な右翼話をほざいるんだか。単なる江崎の極右イデオロギーの発露じゃないですか。

だいたい江崎の話は、いずれも明治時代からのものであって、そんなものは、明治新政府の都合と恣意で作り上げたものでしかありません。つまりはそんなものは、1868年から1945年までの77年のものでしかなく(制度が整うまでの期間を抜けばもっと短い)、すでにそれから78年と敗戦後の方が長くなっています。

ちょうど思い出しましたが、安倍晋三は当時首相だった2018年に明治150年記念式典なるものを催行しましたが、毎日新聞の記事を引用すれば


明治150年記念式典縮小 首相こだわり/反発に配慮

明治改元から150年の節目を迎えた23日、政府は憲政記念館(東京都千代田区)で「明治150年記念式典」を開いた。50年前の100年式典は約1万人が出席して大々的に開かれたが、戦前の歴史も踏まえて明治維新の「全面称賛」には批判も根強く、今回の出席者は約300人に縮小。皇族の出席も見送られた。安倍晋三首相は式辞で「平成の先の時代に向け、明治の人々に倣い、未来を切り開く」と訴えた。

というようにほぼ「やりました」という規模なものでしかなく、また天皇(現上皇)の出席もありませんでした。公式には、宮内庁は天皇への出席依頼はなかったとしています。天皇が出席を拒否したら、それ自体一種の政治意見の表明になりかねませんから、実際に出席を依頼しなかったということでしょう。もししていたとしたら当然天皇が拒否したということになるし、依頼を(理由はともかくとしても)見送ったというのなら、つまりは天皇をそういうことに巻き込みたくないという安倍政権の配慮ということになるでしょう。そんな状況であるのに、連中の希望するような天皇制の仕組みの再構築などできるわけもないでしょう。いずれにせよこんなことは、「皇室の伝統」ですらない。国家神道と神道くらい違うでしょう。さらに


皇室を支える藩塀たる華族制度も解体され、十一あった宮家も臣籍降下を余儀なくされた。同様に「皇室と国民の絆」を支える仕組みも解体された。例えば、神道指令により学校及び公的機関から皇室と神道が排除された。紀元節や明治節など皇室祭祀と関連する祝祭日は名称を変更、年中行事で皇室を意識する機会が失われることになった。

ていうのもねえ。正月や天皇誕生日における一般参賀はあるし、また「学校及び公的機関から皇室と神道が排除された」て、まさか奉安殿と御真影の復活とか、国家神道の国教化復活でも期待しているんですかね。話の内容はそういうことでしょう。どんだけ時代錯誤というか、狂信右翼なんですかね。自民党支持者もふくめて、たいていの日本人は、そんなことに賛同しないでしょう。皇室だって、昭和天皇はどうだかですが、上皇以降の世代で、そんなことを希望する人がいるのか。彼(女)らからしてもこんな話されたら迷惑でしょう。まったく馬鹿も休み休み言えのレベルです。

こっから先は、話の次元が違いますが、そもそも御真影って、朝鮮学校の金親子の肖像とどこが違うんですかね。あれももう掲げるのはやめたというはなしもありますが、そのあたりの真偽は追及しないとして、少なくとも1970年代くらいまでは、たとえば台湾系の中華学校なら孫文や蒋介石の写真を、大陸系なら毛沢東の肖像を掲げるくらいのことはしていたんじゃないんですかね。日本にはそういう学校はないのかもしれませんが、ベトナムならホー・チ・ミンの、トルコなら、ケマル・アタテュルクの肖像くらいは掲げている(いた)のではないか。韓国系の学校だって、70年代くらいまでは、朴正煕、それ以前なら李承晩の肖像を掲げていたのではないか。で、過去そういうことって、どれくらい日本では非難されていたのかなあって思いますね。金日成と金正日、金正恩らは、人権弾圧者であり、他とは違うのだって主張があるのかもしれませんが、そんなん単なるダブスタじゃん。

話を戻します。それにしても江崎個人の意見ならそれはそれでかまいませんが、江崎って、


国基研の企画委員

ですからねえ。そしてそのような人物にこのような話をさせること自体、国家基本問題研究所なるところもこのような意見を支持しているということでしょう。どんだけ時代錯誤な極右組織なんですかね。呆れ返るにもほどがあるというところです。繰り返せば、こんなこと国家基本問題研究所が興味のある安全保障の問題となんら関係ないじゃないですか。「日本会議」みたいな完全な右翼組織やイデオロギー組織なら、もちろん賛成はしませんが、勝手にどんな意見でも言っていれば(最低レベルの常識の範疇で)いいですが、ここは自称シンクタンクであり、そんな政治家も役人も当事者の皇室も一般国民もとても支持しかねるようなことを主張してどうしようというのか。狂信者としかいいようがない。

さて私あらためて国家基本問題研究所の「役員紹介」なるものを閲覧してみまして、いくつかの発見がありました。


研究顧問 秦 郁彦 現代史家


企画委員 田村 秀男 産経新聞 特別記者

あのー、秦郁彦って、真珠湾攻撃陰謀説を主張したデマ本をこっぴどく批判していたんですが。

陰謀論もこじらせるとあまりに荒唐無稽な話になり始末に負えない(ルーズヴェルトはそんなすごい戦略家でもないし、米国だってそこまでひどい国ではないだろう) この人たち(本多勝一氏と進藤栄一氏)大丈夫かと本気で思った(デマ本を真に受けて、ルーズヴェルト陰謀論を本気で信じている馬鹿な人たち)

で、国基研の理事長と副理事長である櫻井よしこ田久保忠衛って、真珠湾陰謀論を唱える本(真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々」)を強く支持していたわけです。現在は、支持を引っ込めているのかもしれませんが、櫻井はWikipediaの「日本の陰謀論者」に名を連ねています。で、そんな陰謀論者をトップとする組織に所属している人物が、

陰謀史観 (新潮新書) 

なんて本を出版しているなんて、ほぼ「悪い冗談」「マンガ」「馬鹿もいいかげんにしろ」「デタラメがひどすぎる」というレベルの不始末じゃないですかね。秦の非常識ぶりもひどいですが、そもそもそういうことを櫻井よしこや田久保忠衛はどう考えているのか(苦笑)。お話にもなりません。

田村秀男だってそうじゃないですか。彼は、日本文化チャンネル桜にも出演しているし、また反中国の人物ではあるでしょう。しかしだからといって私も、こんな狂信組織にかかわるほどの非常識な人物だとは、考えていませんでした。こんな連中とかかわって、まともな日本経済や国際経済の見通しが立てられるのか(苦笑)。とてもできない相談でしょうに。この組織とかかわることで何らかのプラスがあるのかもですが、そういったことを加味してもまあまともじゃなりませんね。お話にもならないし、あまりに非常識すぎて絶句ものです。秦も田村も、さすがに江崎の「講話」を聞いて「それは正しい考えだ」とか「現実性がある」なんて考えるほどの馬鹿でもないでしょうにね。

正直これは、この連中を私が(もう少しまともだろうと)過大評価していた、この連中を誤解していたということに尽きるのでしょうね。bogus-simotukareさんは、私のコメントに対する返しとして、


 そもそも秦の慰安婦認識自体が陰謀論ですし、あの男は「慰安婦研究を理由に西岡力と産経・正論大賞を同時受賞してます」からね。まともな人間なら拒否するでしょう。正直、ご指摘の件は「秦ならそうだろう、予想の範囲内だ(呆)」と俺は思っています。

とされています。これくらいシビアに評価していなければいけなかったのでしょう。いずれにせよまったくもってひどいものです。

bogus-simotukareさんに感謝してこの記事を終えます。


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