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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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1928年生まれの男性(故人)が、1937年ごろに考えていたこと(けっきょく日本人全般が、中国のことなど何もわかっていなかった)

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毎年8月15日(の前後)には戦争関係の話をするようにしておりますので、今年もその記事を。

ずいぶん以前に、1928年生まれの男性とちょっと話をしまして、いくつか前々から疑問に思っていたことを聞いてみたことがあります。この男性はすでにこの世の人ではないので、聞き直しや確認はもはやできませんが、私の知っていることではありましたが、当時のことを知っている人からあらためて聞くのはやはり興味深いにもほどがあるというものです。

で、その男性に、1937年の南京陥落時のことを聞いてみました。その男性も、その時のことはよく覚えていて、当時は、それで日本では、戦争が終わるという認識でいたという話をしてくれました。だから、南京陥落後、日本中でちょうちん行列があったわけです。つまり日本は、これで中国側は降伏する、そうでなくても講和を求めて休戦するという認識でいました。実際には蒋介石は、南京から最終的に重慶に首都を移して徹底抗戦をしたわけで、当時の日本人は「話が違う」と思ったでしょうが、ともかく持久戦に入ったわけです。実際には、南京を攻め落とす以前に蒋介石は首都を移動させていたのでそうなることはわかっていたのですが、つまりは都合の悪いことを見たがらなかったということなのでしょう。

で、これも最初から答えはわかっている話ですが、その男性は、毛沢東や中国共産党軍(八路軍)のことなど何も知らなかったと私に言いました。当時日本中が、蒋介石の中国国民党軍と日本軍は戦っている、と考えていたわけで、毛や八路軍のことなど当時、知識がなかったということです。

これはあくまで一無名少年だった人物の話でしかありませんが、当時の日本人一般の認識は、だいたいこのようなものだったと思われます。そして庶民は無知だが、知識人(?)や専門家(?)は中国のことを良く知っていたかというと、どうもぜんぜんそうでなかったのが、中国はもちろんですが、日本にとっても大変な悲劇だったと私は思います。

たとえば中国側の抗戦・抗日意欲、蒋介石の能力、中国国民党軍の実力、諸外国の中国支援、あるいは日本のやり方が諸外国からどう見られているかといった基本的な問題にいたるまで、当時の日本人は、幹部の軍人や官僚、政治家、実業家、その他その他その他、日本中実に何もわかっていませんでしたね。わかっていたら、あそこまで中国(人)を馬鹿にする態度はおそらくしなかったはず。そして、あそこまで無謀な戦争もしなかったでしょう。中国との戦争が、あそこまで泥沼にならなければ、日本は米国と戦争をするにいたらなかったはず。

なんでもそうでしょうが、たとえば独ソ戦なども、その開戦にはもちろんいろいろな理由がありますが、けっきょく当時のドイツ(ヒトラーほか)が、ソ連(スターリンほか)らを徹底的に甘く見たから、あのような無謀な戦争をしでかしたということでしょう。そして日本は、中国に対してついに損切をできませんでした。あてにならない投資をずるずる続けて破産してしまった素人投資家みたいなものです。けっきょく「靖国の英霊に申し訳ない」とかいうような話をしだして、無意味に戦争を続けてしまったわけです。日本にとって、中国への戦争というのがそこまで国家の存続をかける一大事だったわけですが、その無謀なやり方が敗戦、原爆投下その他の結末となってしまったわけです。なんとも無様で無残な話です。

なおこの記事について、日中戦争の過程を簡潔にまとめてくださっているinti-solさんの記事が参考になりますのでお読みになってください。

踏みにじられた大地 日中戦争 inti-sol/RYOのホームページ転載 

また笠原十九司氏のこちらの本はたいへん勉強になりますのでおすすめします。

日中戦争全史 上巻

日中戦争全史 下巻


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