小津安二郎は、1903年12月12日に、東京で生まれ三重県で育ち、63年12月12日に、東京医科歯科大学病院で亡くなっています。ちょうどきっちり60歳の人生でした。彼の映画は、基本的にパンや移動撮影を排した端整なフレーミングの作品であり、偶然ながら彼の人生が60年きっちりの期間であったことも、結果としては奇妙な符合というものなのかもしれません。そして彼が亡くなってから、ちょうど今日は、60年目ということになります。つまり120年目です。
当然といえば当然ですが、小津映画に出演していた俳優たちも、その多くは故人です。現在でもご存命な人はというと、主演級の有名どころの人たちでは、有馬稲子 (『東京暮色』『彼岸花』)、司葉子〈『小早川家の秋』)、岩下志麻(『秋刀魚の味』、『秋日和』にもちょびっと出演)といったところかなあ。香川京子は、『東京物語』に出演しています。実は彼女は、溝口健二と黒澤明の作品にも出演していて、日本三大監督(と、私が勝手に命名)の作品に出演しています。大映の女優である山本富士子(『彼岸花』)や『浮草』での若尾文子も生きていらっしゃいます。あ、岸恵子もご存命ですね。『早春』に出演されています。やはり小津映画の性質上、若い女性が出演するので、女性のほうが現在まで生きていらっしゃいます。
それで、いま上げた方々を見ると、有馬、司、香川、山本、若尾、岸といった人たちはすでに90歳を超えているし、小津の遺作である『秋刀魚の味』でのヒロイン岩下志麻も、すでに80歳過ぎですからね。それは、1962年製作の映画ですから、岩下が80越えなのも当然ですが、まさにそういうはるか昔の時代になったということです。
小津映画の永遠のヒロイン原節子は、62年製作の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』で芸能活動を退いていますので(ご当人が引退宣言をしたわけではありませんが、たぶん彼女はこの時点で引退をしたのでしょう)、その後小津映画への出演は考えにくかったので、おそらく松竹は、岩下志麻を、次の小津作品のヒロイン(の少なくとも1人)と目論んでいたと考えられますが、遺作での出演ということになりました。ただこの映画の出演は、彼女にとってとてつもない財産にはなったはず。
幸い小津作品は、ソフト化、配信のもとでの鑑賞も容易ですので、これからもいろいろな人たちから小津映画が語られるし、また語られなければいけないものなのでしょう。私も、これからも小津映画を鑑賞し、またいろいろな本やサイトほかで彼について勉強していきたいと思います。
ところで山田洋次は、松竹の助監督出身ですので、小津の直系ということになりますが、彼自身は、小津に助監督としてはつきませんでした。山田がついたのは、もっぱら野村芳太郎です。で、山田は、2013年に『東京家族』という映画を監督しています。これはいうまでもなく『東京物語』のリメイクで、あえて山田が小津映画をリメイクしたというのも、いまさら山田が小津映画でなくてもリメイク映画なんか作る必要はないわけで、それについて山田も(彼は、インタビュー取材などにも積極的に応じていると思うし、また書き手でもあるので)なにか表明しているのでしょうが、本日はそれは確認しないとして、つまりは山田ですらそこまでするくらい小津ってのはすごい映画監督なのでしょうね。日本映画界での功績という点では、すでに山田洋次は小津を超えているでしょう。たとえば『男はつらいよ』シリーズを制作していなければ、松竹は倒産していた可能性もある。でなくても映画製作の体制の大幅縮小は余儀なくされたのではないか。大船撮影所を松竹は2000年に閉鎖・跡地売却という事態になりました、これも『男はつらいよ』シリーズの続行不可能による経営悪化が原因だったし(なお、この撮影所で最後に撮影された映画も、山田監督の『十五才 学校IV』です)、むしろ『男はつらいよ』がなければもっと早く閉鎖されていた可能性が高いでしょう。大船撮影所の閉鎖は、まさに松竹と日本映画の時代の1つの終わりを象徴していたわけで、それから13年後に山田がその大船撮影所で活躍した小津没後50年を経てその代表作のリメイクを制作したというのも、「大船調」とまで言われた映画スタイルへの挽歌でもあったのでしょう。
なおこのブログは、原則として午前0時00分00秒に更新する設定ですが、本日は、あえて午後12時12分12秒に更新するという設定としておきました。