inti-solさんのブログの過去記事(トムラウシ山遭難事故 (2002年)に関する記事)
で、最近投稿されたコメント(ゲストさんとinti-solさんとのやりとり)を読んでいて、「あ、これは金言だな」と思った言葉がありました。inti-solさんの投稿です。
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単独行は問題視されることもありますが、ただ私の感覚としては、人と一緒に行くときも、一人で行けるだけの準備と心構えはしておけ」と思うのです。
やっぱり、他人任せは事故の元と思うのです。
ほんとそうだよなと私は思うわけです。登山ばかりでなく、砂漠や極地、アマゾンのジャングルなどに行くときもそうでしょうし、都市観光などでも同じでしょう。まずは深刻な事例をみていきましょう。愛知大学山岳部薬師岳遭難事故です。
詳細はWikipediaを確認していただくとして、愛知大学山岳部の13人のパーティーは、1963年1月1日に登頂を目指しますが、非常に天候が悪くて断念、下山しますがコースを間違えてしまい、おそらく1月4日ごろ亡くなったとされます。Wikipediaから引用すれば(注釈の番号は削除)
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報告書では遭難の原因は断定していないものの、遭難に結びついたであろう幾つかの素因(メンバー構成、判断ミス、準備・装備の欠如等々)を挙げ、相互作用によって遭難に至ったものであろうと推測している。少なくとも、メンバーの中で地図とコンパスを持っている者は誰ひとりいなかった。
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そもそも厳冬期の山岳地帯の好天はもって半日と言われており、二つ玉低気圧による異常荒天が予想できなかったとしても、途中で吹雪に襲われることを前提とした装備をせずに先に進んだことが悲劇につながったと考えられている。
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メンバーは4年生2名と2年生5名・1年生6名
といった状況であり、メンバーの技量も足りず、また装備の不備もはなはだしいとしか言いようのないものでした。そもそも地図とコンパスすら持っていないのだから、コースを間違えても修正もできません。
それで、本多勝一氏(この件の報道でスクープをものにしました)も指摘されていたかと思いますが、装備の不備がひどいうえ、おそらく1~2年生ともども4年生についていくだけだったかと思われます。4年生たちは、このような状況に対応できるだけの実力がなかったのだから、これではお話にもなりません。inti-solさんは
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当時の大学山岳部は、おそらく上下関係が厳しく、下級生が主体的に、なんてことは一切できなかったのではないかと思います。
とおっしゃっています。おそらくそうなのでしょうが、いずれにせよ下級生はたいへん気の毒です。これもおそらくですが、逗子開成高校八方尾根遭難事故なども同じようなことが指摘されるはずです。顧問と山岳部員5名が亡くなっていまして、やはり顧問は実力不足だったようでらり、生徒はたぶん顧問についていくばかりだったのではないか。
特に高校生にそこまで要求するのは酷でしょうが、トムラウシなどでも、さすがにこのケースでは、客の中には、山小屋を出発する際「大丈夫か」「まずくないか」という趣旨のことをガイドに話した人たちがいたようですが、理由はともかくリーダーのガイドは出発を強行、そして当のリーダーガイドをふくめた8名もの命が奪われてしまったわけです。
トムラウシの場合、同じ主催会社(のち廃業)のツアー登山客が入れ替わりで山小屋に入るので、そのために無理に出発したのだということが指摘されまして、どうもそれが正しいようですが、ともかく最悪1人になっても命だけは助かるように行動しないといけませんね。上の記事でに引用されているように、生還したサブガイドが、聞き手とのやりとりで、
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-引き返そうと思えば引き返せましたよね。
引き返せたと思います。でも、先行している人たちはとっとと行っちゃうし、追っかけるしかないですよね。
ということになってしまったわけです。愛知大学や逗子開成高校は、リーダーがそもそもそんな登山をする実力ではなかったのでしょうが、この件では、それ相応の実力がある人間の判断ミスでこうなったのだからお話にもならない。つまりはリーダーが、天候を読む力が欠如していたということですが、ともかくいざとなったら個々の人間は、最悪の事態でも可能な限り自分の命を長らえることができるスキルを身につける、保持するということが必要です。
そしてこれは、私の好きな旅行でも言えます。海外旅行などは特にそうでしょうが、途中でツアーとはぐれる、あるはバディ、仲間を見失うということもある。あるいは、仲間があてにならないこともあります。そうした場合、自分なりに何とかしないといけません。
以前私が何かで読んだ話(出典不明ですので、フィクションかもしれません。そうであれば申し訳ありませんが、同じような事例はあるはず)によると、カリフォルニアに旅行に行った日本人が迷子になってしまい、英語がからきしだめで大変なことになったという話がありました。路上で泣き叫ぶというレベルだったらしい。しかし仮に英語がだめでも、「ヘルプ・ミー」とか「ジャパン」とかわめきちらすとか、それなりの方法はあるはず。そうすれば何とかなったでしょう。これは携帯電話を誰もが持っている時代の話ではないので、現在ではもう少し事態は改善されているでしょうが、いずれにせよ機転を利かせることは大事です。
ここで卑近な実例を。私の母の事例です。母が、妹(私の叔母)とソウルに行きまして、ソウルから仁川国際空港へ向かうこととなりました。ところが母が、勘違いをし仁川国際空港鉄道でなく地下鉄の1号線で仁川駅まで行ってしまい、それでご丁寧に終点まで行ってようやく間違えたことに気づく始末。そこからタクシーで空港に急行し、なんとか航空券の買い直しをすることなく帰国できたわけです。
で、母は完全に勘違いしていたので正直しょうがないのですが、叔母も駅などに目を光らせて、「姉さん、これおかしいよ」と言わないといけなかったですね。駅を常に参照して、自分の乗っている路線が正しいかを確認しないといけません。母の件などは、最悪の事態でも、航空券の買い直し程度で話が済むかもですが、上のカリフォルニアの日本人のようになってしまっては、やはりよろしくない。
が、たぶん叔母にはそういう能力はないのでしょう。私のように日々いかにして公共交通による旅をするかというようなことを考えている人間でなくてもいいですが、「この路線は自分の目的地へ行くものかどうか」程度のことは、常に確認しないといけないし、特に冬山への登山やそこまでいかなくても広大過ぎてトラブルがあったらやばいトムラウシ(大雪山系)のようなところでの登山とちがい、その程度のことであればそんなにスキルを必要としませんので大丈夫だと思います。
もっとも世の中山本弘が書く方向音痴の話にあるような山本の奥さんなどのように、極端に能力の低い人もいますので、そういう人たちは、また話が違うのかもしれません。以前ご紹介した記事を再掲すれば、
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妻の場合、方向オンチは母親ゆずり。母親と梅田に出かけ、阪急百貨店梅田店からアクティ大阪に行こうとして、どうしてもたどり着けなかったという逸話がある。どちらも大阪駅前にあり、100メートルほどしか離れておらず、肉眼で見えているのに、どうやって迷えるのかが不思議だ。
という始末にもかかわらず
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「適当に歩いてればそのうち着くやん」「迷うのも楽しいよ」
などとほざいているくらいです(苦笑)。これでは私だって、
「『そのうち』着いていねえじゃねえかよ」「あんた馬鹿か」と怒鳴りたくもなります。私の叔母は、さすがにそこまでひどい人間ではないと思うし、山本の奥さんは、たぶんそのような旅行にはいかないのかもですから、心配するには及ばないのかもしれませんが、いずれせよあてにならない人たちです。ほかにも
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私が、「曲がるときに何を見て覚えますか?」とたずねたときのお答えが、
「そうね~空の雲の形かな~」
なんていうほぼマンガかギャグのような会話すらもされたりします。以上の詳細は、下の記事を参照してください。
方向音痴の人の話を見聞すると、ほとんどギャグのような気がする話が変な方向に飛びましたが、海外でなくても、国内でもどうにかできる知識と冷静さは必要です。自分の所在をスマートフォンで常に確認できるなど、いろいろ自分を守るグッズも整備されています。いざという時にタクシーを呼ぶとかいろいろできることもあります。認知症の人が徘徊で行方不明になるとかは、正直対応できない部分も多々ですが’(GPS機能のある機器をつけるとかいろいろ方法はありますが、必ずしもそれを身につけてくれるわけでもなく、なかなか大変です)、認知症でなければいろいろ本人による対応もできるわけで、やはり私たちとしては、そういう姿でありたいものです。inti-solさんに感謝して、この記事を終えます。