F:私たちは大の映画好きです。私は毎日映画を見に行っています。あらゆる映画を見ます。面白いものと同様につまらないものも。
C:私は違うな。率先してよい映画、あるいは自分でそうだと思った映画を見ます。完全に観客としてです。女優が大好きなんです。特に、洗練された女優さんたち、エヴァ・ガードナー、ローレン・バコール、2人のヘプバーンです。マリリン・モンローやケイ・ケンドールも大好きです。姉の演技は、他の女優さんよりも私の心を動かしたわけではないのです。
F:私はというと反対で、誰の演技よりも妹のそれにものすごく心を動かされるんです。ほかのコメディエンヌであれば、これは映画なんだと思うわけです。妹だと、私にはこれが実際のものののように感じられるんです。彼女が泣くと、私もすすり泣きます。たとえば、「悪徳の栄え」に出てくるような彼女の役柄を好きになれないから、そういった映画を見ることができない理由なんです。
C:私たちの各々は、お互いが出演する映画をすべて見に行くわけではありません。私たちはそれを知っています。お互いがお互いのこれこれの役についてどう考えているかを知っているのと同様です。私たちは、自分に嘘を言うことはできません。
F:私たちにとって最高の観客は父ね。
C:父は、私たちを美しいと思ってくれたし、かわいいと思ってくれた。すてきだとも感じてくれた。私たちのなすことすべてがよかったわ。
F:お父さんが「レクスプレス」の売り場へ駆けつけて、同じものを10部買ったことを覚えているよね。両親が大好きです。離れたくなかったな。親から離れて生活するようになってまだたった1年です。いや、どうかな。ママは通りの向こうのアパートにいて私を見ていて、自分の目の前に娘がいるようにしているわ。
C:全部動物のせいよ。もう無理だわ。
F:私の夢は、結婚のために両親の家を出て愛する人と結ばれることでした。けっきょく私はひとりものです。あんたは、ほんと男が多いわね。
C:けっきょく夫をもって息子を授かったわ。クリスチャンよ。
クリスチャンはいま3歳で、ヴァディムの息子だ。カトリーヌ・ドヌーヴは、正式な結婚を断った。結婚には嫌悪感を持っていると思われていたが、急に1年前彼女は英国人のファッション写真家である28歳のデヴィッド・ベイリーと結婚した。ベイリーは映画監督になることを夢みている。ジャン=ピエール・カッセルと長きにわたって婚約していたフランソワーズ・ドルレアックはいまだ独身である。カッセルは2か月前結婚した。
F:たしかにあんたは私の前に何もかもはじめて、何もかも手に入れているわよね。あたしは、あんたを追うのに疲れていたんだわ!
C:それはそうね。バランスというものがどういうものかはわかっているわ。私はいまだバランスを得るに至っていなかったけど、それがどういうものかはわかっていたわ。バランスからそんなにかけ離れているわけでもないわね。
F:え、そんなことぜんぜん聞いていないわよ。私はいまだとても若いのよ。
C:実際のところ、私たちは全然お互い似ていません。見た目すらもです。
F:それでもやはり家族の雰囲気は共有しているわね。カトリーヌ、ほっそりしていて、きれいなのは私よ。
C:ほっそりもしていないし、太ってもいないわよ。
F:あんたはとても穏やかな顔をしているわよね。
C:全然そんなことはないわ。私はきつい人間よ。穏やかな顔をしているのはお姉さんだわ。私たちって、完全に反対ね。
F:それはそうね。「ロシュフォールの恋人たち」で、私たちは一緒にバレエを踊ります。それはひどかったんです、というのは私は体が柔らかいのに妹は硬いんです。妹は、すばらしい平衡感覚はあるのですが、ターンができません。一方私はというと、コマのように回転はするのですが、脚を上げることができなかったんです。
C:体が硬いだけじゃなくて、演技の最中身体がこわばってしまうんです。もっと動けるようにならないといけません。
F:私はというと、より神経質でないようにしなければいけないわね。髪の毛や手で自分を隠すことをしないように。
C:実は、映画はすばらしい経験でした。並んで演じることで、私たちの欠点が是正されます。
F:撮影の最後には、ドルレアックがドヌーヴのように演じ、ドヌーヴがドルレアックのように演じたわ!
「シェルブールの雨傘」の監督で、「ロシュフォールの恋人たち」の監督のジャック・ドゥミは撮影のために努力をする。前3作品のように、海沿いで撮影された。何よりも、「イエールの恋人たち」の撮影を考えた。しかし彼は青い海よりも灰色の海の方を好むので、ロシュフォールが最終的なロケ地となった。
F:私たちが一緒に映画に出演しようとしなかったとはね!
C:それは私たちに何ももたらさなかったわ。
F:親しさを台無しにする恐れがあったわね。
C:それから、1本の映画の中で女性の主要な役が2つあるってのは、どうかと思うところがあるわね。
F:ドゥミはすべてを計画したのよ。
C:今、私たちは同じくらいの気持ちでいます。
F:私が撮影している11本目の映画でも、以前の生活には戻らないわね。私は1文なしです。窓からあらゆるものを捨て去るように金を使いました。どれくらいお金を稼いだかは言いたくないわね。この浪費は常軌を逸したものだったから! その金額全部で私がなにができたかすらわかりません。
C:私も同じようなもので、1文なしよ。でもそれでなにをしたかはわかっているわ。楽しむことに使ったんだわ。
F:私の場合はもっと悪いわね。あんたより出演している作品は4本少ないけど、米国人といっしょに仕事をしたからお金はもっと稼いだわよ。
C:重要なことなんかほとんどないわね。本当に計算できる唯一のことは、美しさね。私の最大の願いは美しくあること。私はかわいいし、愛らしいけど、美人ではありません。また、私は老いることがすごく恐ろしいんです。自分が傷つきやすく弱いと感じています。病弱な子ども時代でした。7歳まで哺乳瓶で育っていたんです。子どもたちは公園で私を馬鹿にしました。
F:それが、私があんたが早く家を出ればいいなって思った理由ね。ママはあんたと一緒に暮らすことを本当に気に病んでいたのよ。
C:それはへんね。老いる恐れがあるとはいえ、若さゆえの感動はないわ。若いってことはとてもつらいことです。年上の人のほうが好きです。寛大だわ。
F:いまどき年齢に違いなんかないわよね。
C:目を覚ましたら。背後を振り返って、やってくる20歳の小娘たちをごらんなさいよ。
F:私はたったの24歳よ。で、私も同じく老いる覚悟をしたくないわ。強迫観念の持ち主で、死への恐怖感があります。
C:そうです。それが私たちの秘密です。フランソワーズと私の、死への恐れです。
こうして、ロシュフォールで雨が降っている間、かわいいドルレアックたちは、姉妹として、友人として、ライバルとして、好みより強さをもって対話する。やがて天気は回復するだろう。街の通りで、2人は歌い、踊り、撮影をやりなおすだろう。1967年のイースターは、まだどんな天気かはわからないが、雨が降ろうが、風が吹こうが、映画「ロシュフォールの恋人たち」はパリとニューヨークで同時に公開される。
観客の増加の奇跡により、かわいいドルレアックたちが大スターになる素質があることを私たちは知ることとなるだろう。というのは、もし栄光が彼女らをいきなりつかむとしたら、それは一緒あるいはすべてではないだろう。別々に、彼女らは単なるフランスの若い女優としてだけでなく、愛らしくて情熱的であることを…。同時に、彼女らはまたとない女優だ。
本当は、もっと早く翻訳を発表しなければならなかったのですが、翻訳が難しかったので遅くなったことをお詫びします。しかし最後の、姉妹が老いと死を恐れる、というくだりは、この対談からまもなくフランソワーズが不慮の事故で亡くなったことを知っている私たちには、胸がいっぱいになります・・・。