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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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勝鬨橋が最後に上がった日

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過日門司港を観光した際、観光用の跳ね橋(ブルーウィングもじ)がありました。

で、これを見て、私「たしか勝鬨橋ってのも上がる橋だよなあ」と思いました。もちろん私は、勝鬨橋が上がっているところなど見たことはないし、今後見る機会もなかなかなさそうですが、そう考えて私は、

「で、勝鬨橋ってのが最後に上がったのっていつだったんだい?」

という疑問を持ちました。あいにくスマートフォンやタブレットを持っていないので、自宅にもどって検索してみました。するとその年月日は、1970年11月29日であることがわかりました。この日は日曜日です。この時点では船の運航のために橋を上げることはなくなっていたので、これは作動確認、メンテナンスのための可動です。そしてそれ以降、橋が上がることはありませんし、橋をあげるための施設もすでにありません。

「1970年か」と私は思いました。それでは、私が橋の上がっているところを見られるわけもありません。

勝鬨橋が上がることがなくなった理由は、そもそも橋を上げる必要のある大型船の運航が減少して上がる必要性がなくなったことが1つ、そして交通量が激増して、交通止め(だいたい20分ほど橋が上がっていたとのこと)をすることによる弊害が非常に大きくなったことです。必要性がなくなり、おまけに交通止めをするための社会コストが大きくなれば、まさに必然として上がらなくなったと言わざるをえないでしょう。

勝鬨橋が船の運行のために上がったのが、1967年が最後です。勝鬨橋の竣工は1940年ですので、橋が実用として上がったのが27年、実際に上がったのが30年ですので、つまりは上がらなくなってからのほうがずっと長くなっているということです。上げるための変電所も1980年に撤去されていますので、もし勝鬨橋を上げるとなると都の算定によると10億円かかるとのこと。上げて何か実用的なプラスがあるわけでもないので、上がるのは現実性はなさそうです。あるいは2040年に「勝鬨橋完成100周年」とかで、誰かが突然馬鹿になって上げるなんてことがあるかも…たぶんないでしょう。

前に読んだ和田誠著「新人監督日記」という本の中に、著者が「麻雀放浪記」を映画化するに当たって、勝鬨橋を上げることができないか、と考えて調べてもらったというくだりがありました。それを読んだ時「そりゃ無理でしょ」とすぐ思ってしまった記憶がありますが、一応は調べてみるということも必要なことかもしれません。それで結果は、物理的に(つまり交通止めとかの話以前に)制作費以上の金がかかる、ということが分かって、(やっぱり)断念します。

本によると、1984年当時で2億円かかるとのこと(p.55)。いまならむしろCGで再現、ということになるかと思いますが、確かに壮大な計画ではあります。なお、映画ではけっきょくミニチュアを使って撮影をしています。

それで、勝鬨橋が上がっているところの写真というのを探してみましたが、あまり多く見つかりません。何とか1970年の最後の時の写真を、こちらのサイトで見つけることができました。

 

完全に上がっている写真は、こちら。橋に大勢見物人がいることがわかります。

見物人には、子どもたちの姿が目立ちます。つまり親が、このようなものを見る機会も今後難しいのではないかと考えて、子どもを連れてい行ったのかもしれません。また、この時の跳開は朝だったようですね。11月29日の日曜日の朝、つまり一番交通に障害がない時間に橋をあげたわけです。

それで、この日の様子が新聞記事になっていないかと、「朝日新聞」の縮刷版を確認してみましたが、探した限りでは「勝鬨橋」の関係の記事などは発見できませんでした。いまの時点のニュースヴァリューなら当然それなりの大きさで報じられるのではないかと考えられますが、都内版にも報じられていませんから、つまりはこの時の橋の上がりはさほど話題になることはなかったと推測できます。

NHKとか民放その他で記録映像として残っていないかは分かりませんが、この後勝鬨橋が上がる予定がない、と分かっていればともかくとして、この時点では特に決まっておらず、上がった後に決まった、となると、確かにこれといって報道されなかったというのもわかる気はします。そのあたりの事情は不明です。

全くの余談ですが、縮刷版を調べていて、三島由紀夫の自殺のニュースが大々的に報じられていまして、そういえば11月29日だから11月25日の直後だったんだなと思い当たりました。そして、三島由紀夫があの事件を起こしたのが水曜日であったことを知りました。事件の性質上、平日の事件であることは当然ですが(平日でなければ東部方面総監はいない)、何曜日だなんてことは(当然といえば当然ながら)とくに関心がなかったもので、調べもしなかったのです。

この事件の余波で、益田兼利東部方面総監は、事件翌月の12月22日に辞任を余儀なくされています。益田氏は、旧陸軍大学校を首席で卒業しているくらいですから、陸上幕僚長も狙える優秀な人物だったのですが、ご本人は当然として、自衛隊にとっても迷惑な話です。本来なら、氏は三島の遺族に、何らかの損害賠償請求でもするべきでしょう。Wikipediaの「三島事件」の記事によれば、さすがに自衛隊に対しては

>このときに総監室での被害額は、金額で数百万円相当(当時)であったとされる。後に平岡家(三島の本名)は全額弁償した。

とのことですが、益田氏その他に対してはどうだったんですかね? まあ益田氏は純粋な刑法犯罪の被害者なので、その後の出世うんぬん以前に迷惑にもほどがあるというものです。お気の毒です。氏は事件から3年もたたない1973年7月に亡くなっています。

それはともかくとして、勝鬨橋が上がっているところをとらえた動画というのもあまり見当たらないのですが、いいものを見つけました。つい最近(2013年!)に発見された1940年の竣工当時の動画です。

写真は動画より。うーん、豪快に上がっていますねえ。やっぱりいいですね、こういう瞬間は。

突然思い出しましたが、映画「ブルース・ブラザーズ」にも、上がる橋を車で飛び越えるシーンがありました。East 95th Street Bridgeとのこと。銘板はしっかり映画にも写っていますね。

The Blues Brothers - Bridge Jump Scene

1970年の時の動画があるかどうかは知りませんが、1970年のニュースフィルムでも調べればあるかもという気はします。もし確認できたら、このブログで紹介します。


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