それで、犯人が最後に電話をかけた公衆電話にも行ってみることにしました。しかし国立福山病院(当時)近辺の電話ボックスということと、あとは当時の資料にある数枚の写真くらいしか調べる当てがないし、また時代が違いますから公衆電話なんかとっくに撤去されているでしょうから、見つけるのは非常に難しいだろうなと考えました。
が、近くをくまなく(と書いたら大げさかも)歩いたら、電話ボックスはありました。しかし写真その他から判断して、犯人がかけたボックスは、ここではありません。
で、当時の写真と照合すると、この自動販売機のあたりに1984年当時は電話ボックスがあったことがわかりました。上のボックスは、移転したものだと思われます。
この建物は、1984年当時もありました。
正直電話ボックス跡地を発見した時は、自分の物好きぶりにかなり驚きました。私もいろいろものを調べるのが得意な人間です。
以上で今日の調査の予定は終了しましたが、まだ昼飯も食べていないので、ほっともっとの弁当を買いました。それを図書館の前のベンチでいただき(鳩が寄ってきました)、さらにガソリンスタンドの場所を確認したり(明日レンタカーに乗るためです)しました。それで、もう1度被害者が通っていた小学校近辺に行ってみることにしました。
学校近くの理髪店です。1,000円床屋全盛の昨今ではまた違っているかもですが、床屋というのはだいたいにおいて驚かんばかりにたくさんの地元の情報が集まるところですから、ここの経営者氏も、84年ごろのことをご存知でしたら実にいろいろなことを知っているはずです。今回はインタビュー系の取材はしない、現場に行くだけと決めていますが、いろいろ話を聞けそうなところもありそうです。
見てお分かりの通り、古い家のある地域です。
なお被害者宅ももう1度行ってみましたところ、車がありましたので、たぶんその時は誰かがいたのでしょう。被害者に手を合わせて帰りました。
翌日、レンタカーを借りて、被害者が殺害された現場に行くことにします。「福山グリーンライン」を通ります。
途中にあった車を停めるスペースで景色を見ます。土曜の朝のせいか、まあまあ眺めは良かったかな。
なかなか美しい景色です。
展望台があるので、ちょっと上がってみることにします。
上2つは北側(?)の写真。
展望台を去って、被害者が殺害された駐車スペースへ向かいます。正直地図その他で確認してもよくわからないところがあったのですが、行ったらすぐわかりました。
同じような写真が、この事件のWikipedia記事にも載っています。写真はこちらより。
上の写真は、Wikipediaの写真です。2013年撮影とのこと。
おそらく犠牲者は、このあたりに駐車された車の中で絞殺されたと思われます。
石碑の写真の後ろの方にかろうじて写っている、慰霊のためにつくられた母子観音像です。Wikipediaの写真の解説に、
>現在は石碑の脇に慰霊のための母子観音像が安置されている。
とあります。ご遺族によるものでしょうか、花が手向けられています。あらためて合掌しました。
駐車スペースからの眺めです。
道路側から見た駐車スペースです。この写真を撮った際は私ちょっと勘違いしていたのですが(当時の写真を見比べればそんな勘違いはありませんでした)、犯人は道路を挟んだ側でなくたぶん観音像があるあたりから被害者を捨てたようです。ちょうど2キロという表示がありました。
どのような心境で、この花が手向けられたのでしょうか・・・。
レンタカーでその場を去りました。今回は現場を確認しただけですが、いろいろ私なりに考えるところがありました。あらためて、被害者の方のご冥福を祈って、この記事を終えます。