旧聞ですが、ドイツの格安航空会社の飛行機が、副操縦士によって墜落させられた(と、ここでは巷で報道されているように書いておきます)というニュースは、いろいろな意味で考えさせられました。
この件で私が考えたことは、次のようなことです。
「自分の考え」で実行されちゃったんだから、これはどうしようもないな、ということです。
報道されたところによれば、副操縦士は、機長がお手洗いでコクピットをはずした段階で鍵をかけてそして墜落させたとのことで、それでコクピットには必ず複数の人間がいるようにするということをルール化するともいいますが、そして私はその措置には賛成ですが、したら事件が防げるものでもないでしょう。極端な話、クロロフォルムでも持ち込んで、意識を失わせたら次は縛り上げて外に追い出すこともできる。
普通なら、いくら自殺するったってそこまでしなくったっていいだろと思うし、実際たいていの人はそこまではしませんが、しかしする人もいつかどこかに必ず出てきます。たとえば次のような事件はどうでしょうか。
どちらも有名な事件ですから、いまさら私が解説する必要もないものですが、つまりは暴漢が小学校を襲って多数の子どもを殺傷した事件と、トラックで歩行者をはねとばした後刃物で殺傷した事件です。もちろんこんな事件誰も犯人たちに「やれ」なんて指示していませんし、されても誰もしないでしょうが、しかし犯人はまさに自分の考えでこれを実行したのです。SFとかマンガに、自分の頭の中の考えが他人にわかっちゃうというのがありますが、とりあえずそうでもして事前に防止しない限りこのような事件は最終的には防止できないし、実行して成功しちゃったらどうにもなりません。
このような事件を起こせば法律では非常に厳しい罰が課せられますし、事実前者の事件は1審死刑で、控訴を本人が取り下げたあと1年強で執行、秋葉原の事件も、今年死刑が確定しています。死刑ですら、自分の犯罪を思いとどまるきっかけにはならなかったわけですから、これまたどうしようもありません。
これらは単独犯ですが、しかし集団で行った事件だって似たようなものがあります。連合赤軍のリンチ殺人やあさま山荘事件、あるいはオウム真理教の坂本弁護士一家殺人事件や松本や都内の地下鉄のサリン事件などだって、実行犯らは、自分の考え、あるいはトップや幹部、上司の指示のもとにやったわけです。つまりは、法律とか道議よりも、自分(たち)の考えや、組織の論理の方を優先させたわけで、法律や最低レベルの道義よりも自分たちの考えを優先させてしまったわけで、そうなれば怖いものはない。どうしようもないとはこのことです。
物事の次元は全く違いますが、私が何回もこのブログで書いている山本弘の災難だってそうじゃないですか。つまり、ある馬鹿な「と学会」会員が、「山本弘」と名乗って副島隆彦に非常識な態度を取って迷惑をかけて、それをと学会内部や山本本人に自慢したり吹聴したという話です。それでそれを副島が本に書いたので、山本とこの会員は、副島に謝罪文を出しています。詳細は、下の記事を。
これも阻止の方法がありませんね。自分のあずかり知らないところで行われているんだから。ただ本来だったら、副島が本でそのことを書いた時点で山本は「それは自分ではない」といえたはずですが、馬鹿な人間がそれを周囲に吹聴したことで、それすらできなくなったのです。これもお話になりませんね。それでこの馬鹿を会から追い出さない(と書いています)山本弘というのも、なんとも変わったお人です。私だったら、こんなやつ即刻会から追い出して絶交します。当たり前でしょう。
飛行機事故と山本弘のこうむったトラブルでは、重大さの次元は違いますが、他人の考えで実行されてひどい目にあったということでは共通しています。こういうことは、せめて自分には迷惑が及ぶことはないように祈るしかないと思います。だって阻止の方法がないんだから。飛行機事故や殺人となると、さすがにそのようなことに遭遇することは多くはないでしょうが、しかし山本弘の件ほど非常識でなくても、仕事で部下その他が勝手に暴走して迷惑がかかるということはありますしね。それで責のない人間までとばっちりを食うことも世の中あります。それまた困ったものです。
いずれにせよ、何かが起きたらそれなりに対応する、それしかできることはありませんし、飛行機事故のようにできなければどうにもならないと思います。