今回は「映画」のタグでよいか微妙ですが、声優さんについての記事を書く際はこのタグですので、これを使わせていただきます。
俳優、演出家、声優の熊倉一雄氏がお亡くなりになりましたね。記事を。
>「ポワロ」の声・熊倉一雄さん死去 「鬼太郎」主題歌も大ヒット
デイリースポーツ 10月16日(金)21時12分配信
俳優・演出家で、イギリスの人気ドラマ「名探偵ポワロ」の声や人気アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の歌で知られる熊倉一雄(くまくら・かずお)さんが12日午後3時24分、直腸癌のため都内の病院で亡くなった。88歳。16日、テアトルエコーが公表した。
東京・麻布出身。旧制都立高校(現都立大)在学中の20歳の時に初めて舞台に立ち、芝居と音楽に魅せられ、1956年(昭和31年)に劇団テアトル・エコーに参加。独特の鼻にかかった声質や表現力が評価され、57年(昭和32年)から放送された日本テレビ「ヒッチコック劇場」でヒッチコックの声を担当。これが当たり役となり、64年(昭和39年)にはNHK「ひょっこりひょうたん島」で海賊トラヒゲの声優を務めた。
89年(平成元年)からスタートした人気シリーズ「名探偵ポワロ」では主人公エルキュール・ポワロの吹き替えを担当していた。
歌手として、69年に発売された「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌も歌唱し、大ヒットとなった。公式ホームページには「役者に定年なし」という言葉が残されている。
テアトル・エコー代表。葬儀は親族のみで執り行われた。12月1日午後2時から恵比寿・エコー劇場でお別れの会が催される。
記事にもあるように、最近の熊倉の声というと、やはり『名探偵ポワロ』でのデヴィッド・スーシェが演じたエルキュール・ポワロの吹き替えの印象が強いと思います。熊倉自身、氏のWikipediaのページから引用すれば、
>『名探偵ポワロ』の新シリーズの吹き替え収録でのプレマップのインタビューの際には「ポワロにはまだまだドラマ化されていない作品が残っておりますので。私もこれからも頑張ってやっていきます。」とこれからもポワロの吹き替えを続けていく意気込みを語った。
>そして2014年の最終シリーズ放送に際して行われたインタビューで、この吹き替えの仕事だけは誰にも渡したくないと思っていたが生きているうちに最後まで吹き替えられるか心配だったため、無事に完遂して仕事を果たした気持ちになったと語った。
とあるくらいです(上の引用では、注釈の番号は削除しました)。
で・・・これは趣味の問題ですので、私の意見を不快に思われる方がいらっしゃとしてもそれは仕方ないのですが、正直に書きますと、熊倉一雄の吹き替えは、デヴィッド・スーシェ演じるポワロの声にはそぐわなかったと思います。だって、スーシェと熊倉って、声も話し方も全然違うんだもん(苦笑)。
もちろんたとえば「刑事コロンボ」などでのピーター・フォークと小池朝雄では声も話し方も全然違いますから、それが違えばダメなんてことはありませんが、小池朝雄の吹き替えは、フォークの実際の台詞を流したらお茶の間が違和感を感じたくらい(当時はビデオソフトがまだ流通していない時代で、俳優の声も今ほど知られていないという事情はあったとはいえ)でしたが、熊倉の話し方って失礼ですが、スーシェの優雅な話し方とは大差があります。そして残念ながらスーシェの声と話し方の方がずっといい。これは熊倉自身の問題というより、熊倉を起用して使い続けた側の問題でしょう。本来声と話し方がそぐわない人を起用すれば、あまりいい結果は出ません。
実際のスーシェの声というのは次のようなものです。
David Suchet Interview
Being Poirot
残念ながら、この方の声と雰囲気に、熊倉の声はそぐいません。これは、私にとっては、クリント・イーストウッドの声と山田康雄の声がそぐわないのと同じようなものです。『ルパン三世』での山田の声は最高だと思いますが、イーストウッドの声は、山田では軽すぎて好きでありません。山田のWikipediaでは、
>『ローハイド』以降、クリント・イーストウッドの吹き替えは山田がほとんどの作品を担当していた。しかし、山田本人は「イーストウッドの吹き替えに自分はベストではない」とたびたび語っていた。山田本人の言葉を借りれば「『ローハイド』の頃のイーストウッドはナイーヴな青年といった感じだったけど、その後彼はどんどん男臭い俳優になったので、軽い僕には合わない」とのことである。なお、山田とイーストウッドは『ローハイド』のキャストが来日した1962年に一度だけ対面している。
とあり、またイーストウッドのWikipediaには、
>日本語吹き替え版ではローハイド出演以降からは山田康雄が専任で担当しており、イーストウッド来日時には本人からフィックスとして公認されており、VHSの吹替も初期から担当していた、これはイーストウッド主演映画の多くを配給するワーナーの吹替制作に山田の所属するテアトル・エコーが関与していたこともあると思われる。
と書かれています。山田さんも、銭形警部の声を長きにわたって担当した納谷悟朗さんもテアトル・エコー所属です。熊倉さんともいろいろ親しい間柄です。
それにしても、またテレビ創生期から活動している方がお亡くなりになりました。それだけの時代が立ったわけですが、やはり残念です。熊倉一雄さんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。なおこの記事は、17日発表ですが、19日の記事として発表します。