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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(24)

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起床します。起きたとき、この部屋は、天井も赤く塗られていることに気づきました。

朝食を。ちょっと印象に残ったのが、こちらのオレンジジュース作成用搾汁機です。豪快にオレンジジュースがグラスに注がれます。






こちらは部屋の窓から。



チェックアウトします。ホテルのお姉さまと記念写真。私の姿はお見せするに値しないので、画像処理をかけることをご了解ください。



ホテルに荷物を預け、ルクセンブルク観光に出発します。



なにもこんな銀世界で裸にならなくてもいいと思いますけどね。



私の解説はしばらくお休みして、ルクセンブルクの街の風景をお楽しみください。





「L」はルクセンブルクの車という意味です。

















なかなかいいでしょ。ルクセンブルクは初めての国ですが、いやあ来て良かったと思いました。
























(つづく)


世の中ここまでひどい迷惑をうける人がいる(北原遥子のこと)

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過日、坂本九についての記事をwikipediaで読んでいまして、そのつながりで(JAL123便犠牲者つながり)で、北原遥子という人の記事を読みました。彼女は、宝塚歌劇団出身の女優です。坂本九と同じ日航機に搭乗していて、不慮の死を遂げました。

彼女の名前とかは私は知っていましたが、wikipediaの記事を読んだのはそのときが初めてだったかもしれません。彼女がどんなお顔をしていたかというと、下のような風貌です。











すごい美人ですね。ここまでの美女はそんなにいないと思います。1961年生まれの彼女は、1979年に宝塚入団、宝塚を去った翌年に24歳の若さでこの世を去りました。

宝塚に挑戦する前は、彼女はちょっと名の知れた体操選手でした。高校の神奈川県大会で優勝したとかいう成績でしたから、オリンピックとまではいわずとも、全日本選手権で活躍するくらいなら全く現実的でない目標ではなかったかもしれません。日本はモスクワ大会をボイコットしましたから、どっちみち彼女はオリンピックにはいけなかったでしょうが。また、時代はチャスラフスカ(前記事を書きました)のような女性らしい肉体の選手より、コマネチのような骨と皮のような選手が主流の時代になり、小学校6年生当時身長158cm、体重48Kgという彼女は、体操選手としての自分の将来にやや限界を感じていたのでしょう。

で、その記事を読んでいて「おや」と思う記述がありました。宝塚の女役として将来を嘱望されていた1983年の話です。

>しかし、あるテレビドラマのカメラテストを受けるよう依頼されて出かけた先で、本番の撮影の被写体になることを頼まれ、顔を映さない条件で応じたもののその約束は守られず、結果的に出演と言うことになってしまった。劇団を通して事前の出演依頼がなかったことで歌劇団の規定に明らかに違反する事態であり、歌劇団とTV側の意見の食い違いの責任を北原が取らされる形で退団が決定(事実上の懲戒免職である)。病気と言う名目で(同年の『風と共に去りぬ』)謹慎休演後の退団で、最後の舞台を踏むことも、袴姿でのファンへの挨拶もできず、本人は大変悔やんでいたという。

けっきょく彼女は、宝塚に在籍していたのは5年、実際に舞台で活躍したのは3年でしかありませんでした。

で、このwikipediaの記事はいろいろぼかされている部分もありますが、実態は下のようなものだったようですね。彼女について取材したより。なお引用文中、漢数字は算用数字に、年号の元号は西暦に変えさせていただきました。また、段落にはスペースを入れました。

>一枚の新聞記事を母は見せてくれた。

この記事が由美子(引用者注:北原の本名)から聞いた事実をかなり正確に伝えていると思います」

*「サンケイスポーツ」1984年5月2日付

 宝塚歌劇団雪組のホープ、北原遥子(きたはらようこ)=本名・吉田由美子(23)=が退団する。北原は、体調不良を理由に、現在大劇  場で公演中の『風と共に去りぬ』(5月8日まで)を休んでおり、17日、歌劇団に退団 届を提出、受理された。歌劇団では、退団は「あくまでも本人の意思です」といっているが、北原が歌劇団に無断でテレビドラマ出演したのが、原因と見られている。

 北原は81年4月に初舞台。翌年1月には早くも、朝日テレビ系「おはよう朝日・土曜日です」のアシスタントに起用されたホープ。清楚な美人で、将来の娘役トップスターと目されていた。3月23日から始まった『風と共に去りぬ』でも、準主役のファニー・エルシング役に抜擢されていたが、3月9日放送の読売テレビ系ゴールデンドラマ「密会」に、歌劇団に無断で出演していたことから急きょ役を降ろされた。

 宝塚歌劇団では生徒(劇団員)が外部出演するときはすべて宝塚企画を通し、ここでとりしきることになっている。北原は、その許可とらずに、日頃親しくしている東京のプロダクション「愛企画」の吉川愛美社長のマネジメントで、「密会」に出演。役は宅間伸のお見合い相手として2,3シーン。セリフはなかった。

 歌劇団では、北原遥子の退団について”本人の意思”を主張。「(北原は)歌がうまくないし、貧血気味で体調も不十分なので、やめさせてほしいといってきた」と、いってある(引用者注:原文のまま)。しかし、北原は「密会」の放送直後、『風と共に去りぬ』のケイコ中に呼び出されて休演を通告されており、”テレビ出演”が原因との見方が広まっている。

 

 無断テレビ出演事件は、前年の9月にさかのぼる。

 後日、母が娘から聞いた事実関係はこうである。

 「その頃、知人を通して知り合いになったあるプロダクションの女性プロデューサーから、テレビドラマのカメラテストを受けてみないかと言われ、由美子は、あまり深く考えず出かけていったそうです」

 カメラテストのつもりで行ったところが、現場では本番を収録していて、プロデューサーから、ほかの人は用意していなかったからと、無理やり出演を頼まれる。それでも断ろうとする彼女を、「セリフはないし、顔は花瓶の花で隠れるように撮ってもらうから、大丈夫」とプロデューサーが説得、押し切られる形で撮影されてしまった。だが、画面には花とともに若い女性の姿がくっきりと映り込み、彼女を知る者ならだれでもそれと分かる形で編集されてしまう。(p.135〜p.137)


このときに彼女のマネージャーみたいな人(つまり、宝塚歌劇団の立場を代理できる人)もいなかったようですね。そしてあるいは勘違いその他があったのかもしれませんが、けっきょく彼女が懲戒解雇に近い状態で宝塚歌劇団を追い出されたとなると、それはどうもなあです。撮影の時点で、宝塚側に連絡を取って事情を説明すれば、またちがった展開になったのでしょうが。

しかしこの撮影の話はひどいですね(呆れ)。関係者に話を聞けば「いや、それは違う」ということになるかもしれませんが、北原の立場からすれば、これはこのプロダクションのプロデューサーその他に損害賠償請求ものじゃないんですか? 裁判で勝てるかどうかは分かりませんが、どうみてもこのプロデューサーの責任は甚大です。宝塚が、その団員の芸能活動にはかならず歌劇団に事前に話を通すなんてことは、宝塚になんの知識のない私だって知っている程度の話ですし(いまもそうなのかな?)、まさか芸能関係者が知らないなんてことはありえません。このプロデューサーが彼女をはめようとしてここまでやったのかどうかはわかりませんが、それにしてもどこまで他人に迷惑をかけるんだか。非常識にもほどがあるというものです。

ちなみに、ドラマで彼女の相手役だった宅間伸は、現在も件の「愛企画」所属のタレントです。やっぱり北原ははめられたんですかね。

真相はタイムマシンにのってその現場に行かなければ分かりはしないでしょうが、すくなくとも彼女が好きで宝塚を出て行ったわけではありません。もちろん私は、この件で北原側に問題がなかったとは思いませんよ。むしろ彼女の対応に相当な不備はあったと思います。

本の中で著者も指摘(p.137)しているように、最悪でも撮影があった後早急に宝塚歌劇団側に報告していれば、退団は免れない事態になったとしても、ある程度円満な退団という形でおさめることができたのではと思います。報告が遅くなって決まっていた役を降ろされるという最悪の形になり、彼女は金融機関のイメージキャラクターをつとめるくらい期待されていた立場でもあり、クライアントにも迷惑がかかったので、宝塚側も厳しい対応になったのであろうかと思います。

ただ、彼女は知的能力は高い女性だったと思いますが、高校を2年で中退して、その後宝塚に入った当時22歳の女性ですからねえ…。つまりは一般の大学4年生の女性より、たぶんはるかに世間にうといわけで、しかも宝塚という特殊な世界での生活でしたから、まずい事態になった場合に自分が損をしないためには(そして宝塚にも迷惑をかけないためには)どう行動をすればいいかといったことにもなかなか知恵がまわらなかったのでしょう。

私は小物ですから、さいわいこんなひどい目にあったことはいまのところありません。しかし世の中ですから、「なんでまた」というふうにそんな状況に放りなげられることもあるでしょう。そうなったら…。それにしても同じことをくりかえしますと、彼女の行動に問題があったのは確かにしても、ここまでひどい迷惑をなんで彼女は受けなければいけなかったんですかね。彼女も周囲も身内も「なぜ…」とさすがに絶句したんじゃないのかな。世の中ここまで他人に迷惑をかけるクズがいるということです。

けっきょく彼女は、宝塚側があるていど頭を下げてまで守ってくれる対象ではなかったのでしょう。本の中でも、宝塚の関係者が何とか円満解決できないかと動いたり(しかし適いませんでした)、彼女をモデルにした金融機関に謝罪に行ったりしたことが紹介されていました(p.139〜p.140)。確かにこのようなことがあれば、宝塚としても厳しい態度になるのは仕方ないのでしょう。それはともかくとしてやはり彼女は気の毒です。巨人の原監督など、暴力団関係者との関係が報道されたりと非常に重大な事態になりながらも(wikipediaを参照してください)なにはともあれ守ってもらっています。

原と北原を比較しても仕方ありませんが、北原遥子はいろいろな点で気の毒だったと思います。そして、何をいまさらながら、北原遥子さんこと吉田由美子さんのご冥福をお祈りいたします。

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(21)

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ホテルで朝食を取ります。本日は、昨日ほどは日本人はいませんでした。





ホテルをチェックアウトします。





メトロでブリュッセル中央駅へ。ここで荷物を預けて、友人Nの希望の場所「楽器博物館」へ行きます。Nは音楽好きなのです。





昨日と同じところを歩いて・・・。





ブリュッセルでキャサリン・ジェンキンスのポスターを見るのも、「おや」です。ジェンキンスとは、ウェールズ人に多い名前で、彼女もウェールズ出身です。









楽器博物館の前にたむろっていると、私たち以外にも客が集まり始めました。ドアが開いて私が最初に入ります。いちおう2013年最初に足を踏み入れた客は私です。ただし私がチケットを買っていたら、チケットをあらかじめ持っている客が中に入ったので、最初の入場者が私とは言いかねます。



中には、いろいろな楽器がありました。番号のふってある楽器に近づいて機械をかざすと、その楽器による音色が聞こえるというすぐれものの博物館です。

20131-2 ブリュッセル楽器博物館1


20131-2 ブリュッセル楽器博物館2












まわった限りでは、日本の楽器は見当たりませんでした。私が見つけられなかっただけかも。



みやげ物屋に行きますが、ここならでは、というものはありません。楽器でも買うのでない限りそのようなものはないのでしょうが。そして楽器は、私が見た限りではありませんでした。

仕方ないので、絵本を買いました。本文朗読CDがついているので、フランス語の勉強に役立つと考えたわけです。モーリス・ラヴェル関係の本で、音楽つながりではあっても、あんまり楽器とは関係ないような気がします。





こちらが「楽器博物館」の外観です。







イザベル・ユペールの公演があるんですね。それは行きたいなあ。



正面の看板は、いちおうオランダ語とフランス語で説明がありますね。





駅へ向かいます。とちゅう普通のコークのつもりでチェリーコークを買ってしまい、飲んでみるとドクターペッパーのような独特の味わいでした。私の趣味ではなかったな。



ルクセンブルク行きの切符を買います。私の前に並んでいたなかなかきれいな女性です。ごめんね、写真撮ってブログにまで載せちゃって。



ルクセンブルク行きの切符を買えました。









ルクセンブルク行きの列車の出発時間までそんなに時間がないので、近場の店で済ませます。いくつかのぞいてみて、こちらの店にしました。この店を選んだ理由は、数件の店の中でいちばんこんでいたからです。このような場合、地元で人気のある店に行くにかぎります。

パンを選んで、ローストビーフ、チーズその他を注文してはさんでもらいます。

お昼はこのようなところで済ませるのがいいですね。金もかからない。旅行者だから思い切って金も使いますが、やはりこういった地元あるいは準地元の人が食べるところで食事ができるといいなと思います。

(つづく)

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(22)

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ホームで列車を待ちます。



この機関車は、回送列車もしくは貨物列車をけん引しているものです。



ルクセンブルク行きが入線しました。







鉄道に乗ります。とくに意識したわけではないのですが、私は先頭の車両に座りました(自由席です)。これで思わぬ得をすることを私はもちろん気づきませんでした。私の隣と前にベルギー人(だと思う)男女が座りました。フランス語で会話しています。

男性が先に降りたので、夫婦ではないことに気づきました。ちょっと女性と話をします。

といっても私のフランス語能力ではたいした話はできませんが、たとえば日本人が知っているベルギー人はサッカー選手が多いとか、毎度おなじみの話をしました。昔の選手ですが、2000年ごろにオーストリアやクロアチアで地元の人に、ポルスターシュケルの話をすれば、先方も悪い顔はしません。クロアチア(ザグレブ)では、「ミウラを見たよ」といわれました。三浦知良は、ザグレブでプレーしていたのですね。

でも私最近のベルギーのサッカー選手のことよく知らないんだよね(苦笑)。80年代は欧州選手権で2位(80年)になったり、ワールドカップで4位(86年)になったり強かったんですが、最近は往年の強さはありません。

で、名前を出したのは、クーレマンスとかゲレツプロドームなど、昔の人ばっか。女性のほうからジャン=マリー・パフの名前も出ました。やっぱり黄金時代は、記憶が鮮明なのかな。私は言いました。

私「シーフォはイタリア人なんですよね?」

女性「ええ、そうよ・・・(以下理解不能)」

やはりもう少しフランス語を勉強しなければいかんなと決意を固めます。それにしても今回は、関係代名詞を使ったフランス文を話して相手にちゃんと通じたのがうれしいですね。ずいぶん昔サンフランシスコで過去完了進行形で話をしてちゃんと通じたときのうれしさにつながるものがあります。

イタリア人といえば、かつてブリュッセルの安ホテルでレセプションのイタリア人とフランス語で話をして、いつのまにか英語で話をしている自分にがっかりしたことがあります。ホテルの人だから英語も当然話せますが、一般の人の英語の理解力は、ベルギー人だからたいていの方は話せるのかなと勝手なことを考えていましたが、実際はどんなもんですかね。この女性は、あるいは英語は話せないのかも。たぶんオランダ系ベルギー人のほうが英語は話せるでしょう。

さらに私はよせばいいものを、かなり失礼な質問をしてしまいました。

私「あなたは、オランダの言語は話しますか」

女性「いえ、話せないわ」

非常にそっけない口調でした。あるいは彼女「私がオランダ語なんか話すわけないでしょ」くらいの気持ちだったかも。

ちなみにオランダ系ベルギー人はフランス語を話せる人が多いそうです。フランス系ベルギー人は、やはりオランダ系より外国語とかは苦手なようです。というかする意思に欠ける部分もあるのでしょう。

なお、私「オランダ語(le néerlandais)」 という単語を知らなかったので、「オランダの言語(la langue des Pays-Bas)」というまだるっこしい言い方をしました。ちゃんと通じましたが。

彼女は列車を降りました。「Au revoir.」で別れました。あとでNが、いっしょの写真撮ったのにといいました。そういわれてみれば撮ってもらえばよかったかな。損をした。













列車はえんえんすすみます。事情は不明ですが、ベルギー国鉄の制服を着た人が、運転席に入り込みました。いわゆる当局の監視なのか労働組合などの関係か、それとも私的なものかは分かりません。





























ルクセンブルク国境手前の駅に到着します。すると、ベルギーの運転士からルクセンブルクの運転士に交代します。運転士の交代ははじめてみましたが、運転席までしっかり見えました。お、私は運がいい、とばかりに写真を撮ったところ、ルクセンブルクの運転士が私に中に入って撮れ、とすすめます。

いいの!? そこまでしてくれて。



中に入って写真を撮ります。これは運がいい。日本では、そもそも客室から乗務員が運転席に座るなどということはないでしょうが、私のような一般の人が運転席の中に入れる(運転中ではないとはいえ)なんてこれは運がいい。日ごろの正しい生活態度の故でしょう。

画像処理をかけているのでお分かりにならないでしょうが、私かなりのドヤ顔です。

20131-2 ルクセンブルクの車窓










ルクセンブルクの駅に着きました。運転手の人が降りたので、礼を言います。が、いっしょに写真を撮ればよかったと後悔しました。こういうのもタイミングで、逃してしまうとなかなか声がかけられません。断られてもいいのだから、頼めばよかった。

(つづく)

片山さつきの壊れかたがひどい

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片山さつきについては、このブログでもそのひどい行動を2回ほど紹介したことがあります(こちらこちら)。どちらも正直まともとは思えません。彼女の支援者らも、ちょっと彼女の行動にはあきれているというか、手に負えないものを感じている人が少なくないんじゃないかな。

今回は、他ブログさんの記事を紹介した他ブログさんの記事をさらに紹介した他ブログさんの記事を私が紹介するというもので、あんまり気がすすまないところもあるのですが、しかし片山の非常識きわまりない行動についてぜひ私のブログの読者の皆さんにも知っていただきたいので記事にします。今回は、ものの考え方とかイデオロギーとかの話ではないので、彼女をかばう人はあまり多くないでしょう(笑)。なお、引用した元のブログの管理人さんは、自民党(保守系無所属とかではない)の埼玉県会議員の方です。

>2013/5/20 月曜日「片山さつき」を糾弾する!
カテゴリー: 全般 ? admin @ 20:22:41
先に行われました「さいたま市議会議員補欠選挙(見沼区)」において、たかこ景さんの事務所での出来事であります!
選挙戦某日。。。応援弁士を頼んでもいないのに「応援に行ってやる!」との突然の電話から、たかこ事務所に訪れた「片山さつき」参議院議員。事務所に入るなり、事務所内を一望すると見る見る顔色が変化し「何で私の為書きが貼ってないの!」と激怒!「私の為書きを貼っていない候補者なんて応援できないわ!」と狂ったように怒鳴りちらし、事務所内はパニック状態に陥らせた。ちなみに、為書きとは「必勝祈願ポスター」のことで、「○○候補の為に、必勝を祈ります」的な意味合いで送るポスターであります。
事務所的には、送って頂いた為書きを忘れている可能性があったので、たかこ候補の事務所やら自宅やらを選挙中にも関わらず大忙しで探すことに・・・。このドタバタ騒ぎの途中、私が事務所に入ったところ事務所内は異様な空気でありました。
1時間半もの間探したのですが、その間「片山さつき」女史は「見つけるまで帰らない」と事務所内に居座り、「ド素人集団が・・・」「なんなのこの地域は・・・、だから長沼候補(市長候補)も苦戦するのよ!」などと暴言を吐く始末。たかこ選対の選対本部長である私は、「責任者として申し訳ない」旨謝ると、「あんたがだらしないから、見沼区は惨敗なのよ!」と市長選に絡み因縁を付けられたのであります。
その後、事務所スタッフで謝罪すると「では、帰る!」と言い出し見送る体制をとろうとしたとき、「せっかく来たから、選挙カーに30分だけ乗ってやるわ!」と言い出し、選挙カーに乗ることに・・・。慌てて選挙カーを準備し、運転手とウグイスのご協力のもと30分をやり過ごして頂き、見送ったという出来事がありました。
その後、ウグイスに聞いた話では、ベテラン運転手に向かって「あんた、道知ってるの!?大丈夫!?」「(東新井団地を指し)何この団地。人が住んるの!?」とマイクが入っている中暴言を連発するなど、散々だったとの報告を受けました。また、ボランティア中心で運営していた事務所は、片山さつきの散々の暴言のおかげで、お手伝いが減少するという異常事態を招いたのであります。
長々と記載しましたが、「応援」に来ているのか「邪魔」に来ているのか分からない始末であります。感情の赴くままに、怒鳴りちらし、暴言を連発する国会議員に、国民の生命と財産を預ける分けにはいきません。謙虚さの「け」の字も感じられない輩であります。また、地域には地域の特色がありますし、選挙もそれぞれの事務所や戦法で体制は違うものであり、一概に自分の価値観のみを押し付けるこのような輩に政治家を務める資格は無いと感じます。
また、そもそも、問題の根本的原因であった「為書き」でありますが、翌日の調査で「片山事務所」の配送ミスであったことが判明する始末。片山さつきの秘書に議員自身からの謝罪を要求しましたが、未だに連絡すらないところであります。更に後日聞いた話では、たかこ候補が村井ひでき衆議院議員の秘書であったことから、片山事務所から村井議員に連絡が入り「今回の一件について、片山議員に謝ってほしい」旨の連絡があり、財務省、そして、国会議員の先輩である片山女史に村井議員は謝罪を余儀なくされたと言います。
一連の出来事から、感じたのは『「片山さつき」に議員としての資格なし!』の一言であります。こういう輩が、大げさに言えば「国を滅ぼす」のであり、国会議員を即時辞職して頂きたいと思います。また、自民党も勘違いされないように、除名処分を行ってほしいと思います。今後も、片山さつきを糾弾して参りたいと思います!

どうでしょうか。そうとう常軌を逸しているように私には思えます。

想像ですが、やはり09年の総選挙での小選挙区惨敗が、彼女を狂わせたというか、人間としてまともでなくなった最大の理由なのだと推測します。すくなくとも役人だった時や、05年〜09年の衆議院議員だったときの彼女は、ここまでひどい人間ではなかったでしょう。

しかし上の話、迷惑ですよね(笑)。いや、私は部外者だから笑っていられますが、当事者からすれば「迷惑にもほどがある」「どれだけ勘違いしているんだか」「馬鹿、クズ、カス」「非常識もいい加減にしろ」っていうものでしょう。困ったものです。

で、この件にかぎらず、たぶん片山に注意する人間なんかいないだろうしね(笑)。こんな馬鹿に注意したって不愉快になるだけです。安倍晋三あたりが注意するべきでしょうが、片山は変にプライドが高いから安倍なんか徹底的に馬鹿にしているだろうし、安倍も片山なんかに注意するような火中の栗を拾うことはしないでしょう(笑)。

いずれにせよ、この女のクズぶりがどれだけ悪化しつづけるか、今後も興味深く観察していきたいと思います。また、田村たくみさんと秋原葉月さん、村野瀬玲奈さんにお礼を申し上げます。

ロミー・シュナイダーの美しい写真(2)

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お約束どおり、ロミー・シュナイダーの美しい写真をご紹介します。ほんと彼女は、稀有の美しさを持つ女性だったと思います。

同じフォト・セッション時の写真ですかね。せっかくですから、ロミーのヌードを。

白人女性にしてはペチャです。


 

すいません、当ブログは大きい写真は縮小せず収録する方針です。

アラン・ドロンとロミーは、結ばれることはありませんでした。

美女は眼鏡をかけてもさすがです。

1963年の写真。25歳のころ。

次に彼女の特集は、彼女の誕生日(9月23日)にしたいと思います。また、いずれは、彼女についての本格的な記事を書きたいと考えています。

尖閣問題で日中間で棚上げ合意があったなんてことは、国会でも答弁されている

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野中広務が、尖閣諸島問題で、1972年に棚上げで日中が合意していたということを田中角栄氏(いうまでもなく、日中国交回復時の日本の首相)から聞いたという発言をしました。それに対しての産経新聞の対応です(こちらこちら魚拓1魚拓2)。

>【主張】

尖閣棚上げ論 中国の宣伝戦に手貸すな

2013.6.5 03:29 (1/2ページ)[尖閣諸島問題

 野中広務元官房長官が北京で中国共産党の劉雲山政治局常務委員ら要人と会談し、「尖閣諸島の棚上げは日中共通認識だった」と伝えたことを、会談後の記者会見で明らかにした。

 1972(昭和47)年の日中国交正常化交渉の際、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相との間で合意があったという趣旨の話を、田中氏から後に聞いたという内容だ。しかし、伝聞に基づく発言で、確たる証拠はない。

 岸田文雄外相は「外交記録を見る限り、そうした事実はない」と否定し、「尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本固有の領土だ。棚上げすべき領土問題は存在しない」と述べた。当然である。

 尖閣棚上げ論は、中国の最高実力者だったトウ小平副首相が持ち出したものだ。日中平和友好条約調印から2カ月後の78(昭和53)年10月に来日したトウ氏は「10年棚上げしても構わない。次の世代の人間は、皆が受け入れる方法を見つけるだろう」と述べた。

 その年の4月、中国の100隻を超える武装漁船群が尖閣諸島周辺で領海侵犯による威嚇を繰り返した事件から半年後のことだ。当時の福田赳夫内閣はトウ氏の発言に同意しなかったものの、反論しなかった。不十分な対応だった。

 しかも、中国はトウ氏の「棚上げ」発言から14年後の92(平成4)年、尖閣を自国領とする領海法を一方的に制定した。そもそも、中国に「尖閣棚上げ」を語る資格はない。

 野中氏の発言に先立ち、シンガポールのアジア安全保障会議で、中国人民解放軍幹部が「(尖閣の領有権)問題を棚上げすべきだ」と蒸し返した。これに対し、菅義偉官房長官が「尖閣に関し、解決すべき領有権問題は存在しない」と反論したのも当たり前だ。

 尖閣棚上げ論には、1月下旬に訪中した公明党の山口那津男代表も「容易に解決できないとすれば、将来の知恵に任せることは一つの賢明な判断だ」と述べた。同じ時期、鳩山由紀夫元首相は中国要人に、尖閣は「係争地」との認識を伝えた。

 今回の野中氏の発言も含め、中国メディアは大きく報じた。中国の真の狙いは尖閣奪取だ。訪中する日本の政治家は、自身の国益を損ないかねない発言が、中国の反日宣伝に利用される恐れがあることを自覚すべきである。

産経新聞らしい対応ですが(「中国の真の狙いは尖閣奪取だ。」とか、誇大妄想ぶりにもうんざりします)、「棚上げすべきだったかどうか」という話と、「棚上げがあったかどうか」という話は、違う次元のことじゃないですかね。そういうことをいっしょくたに議論しても仕方ないでしょう。

どっちみちこの時点で日本側に棚上げ以外の選択肢があったとは思いませんが、産経新聞あたりは「だから日中は国交回復をするべきでなかったんだ」くらいのことを(そこまであからさまにはいわずとも)考えていそうですが、どちらにせよ無責任なことを主張する人たちです。

この件で日中双方が「棚上げ」で合意していたなんて、ほとんど社会常識のたぐいだと思いますが、世の中そういうことを認めたがらない産経新聞のような人たちもいます。しかし国会答弁においてすら外務大臣がそれを認める趣旨のことを述べています。1979年5月30日の衆議院外務委員会より。園田直外相の発言です。なお中国副主席の名字は、漢字からカタカナに変更させていただいたことをご了解ください。

>○井上(一)委員 大臣がお見えになりましたので、尖閣列島のことについてのみ午前中に大臣に対する質問をいたしたいと思います。
 外務大臣は今回の尖閣諸島に対するわが国のとった行動を事前に承知なさっていらっしゃったのでしょうか。まずお伺いをいたしたいと思います。
○園田国務大臣 中国の今回の申し入れを従前に知ってはおりませんでしたが、きのう内閣委員会で答弁したとおり、尖閣列島の調査開発その他のことは慎重にやらなければ不測の事態が起きるという心配をしておるという意思表明はいたしましたが、向こうから申し入れがあるということは事前には存じませんでした。
○井上(一)委員 大臣、私の質問は、わが国がとった尖閣諸島に対する調査に踏み切った行動を事前に御承知だったでしょうかということです。
○園田国務大臣 勘違いをしておわびをいたします。
 この問題は、御承知のとおり予算に計上してございます。したがいまして、当初から私は知っておりましたが、これに対しては絶えず次のような議論をしてきました。
 少し長くなりますけれども、尖閣列島は御承知のとおりに中国とわが方は立場が違っております。わが方は歴史的、伝統的に日本固有の領土である、こういうことで、これは係争の事件ではない、こういう態度、中国の方は、いやそれは歴史的に見て中国の領土である、日本と中国の間の係争中の問題であるという差があるわけであります。そこで北京の友好条約締結のときに、トウ小平副主席と私との間で、私の方から話をしまして、尖閣列島に対するわが国の主張、立場を申し述べ、この前の漁船のような事件があっては困る、こういうことを言ったところ、向こうからは私の主張に反論なしに、この前のような事件は起こさない、何十年でもいまのままの状態でよろしい、こういうことで終わったわけです。
 その後中国のトウ小平副主席が日本に来られたときに、共同会見のときにたな上げだという言葉を初めて使われ、わが方は依然としてわが方の領土であることは明白であるといういきさつがあるわけでありますけれども、少なくとも日本と中国の友好関係の現状からしまして、この前のような、漁船団のような事件は起こさない、二十年でも三十年でもいまのままでよろしいということは、わが方から言えば現在有効支配しているわけでありますから、ことさらに中国を刺激するような行動、これ見よがしに有効支配を誇示するようなことをやれば、やはり中国は国でありますから、自分の国であると言っているわけでありますから、これに対して異論を出さざるを得ないであろう。そうでない状態が続くことを私は念願しております。
 したがって尖閣列島についてはわが国の領土ではあるけれども、こういういきさつがあるから刺激しないように、付近の漁民または住民の避難のため、安全のためにやむを得ざるものをつくるならば構わぬけれども、やれ灯台をつくるとか何をつくるとか、これ見よがしに、これは日本のものだ、これでも中国は文句を言わぬか、これでも文句はないかというような態度は慎むべきであるということを終始一貫議論をしてきた経緯があるわけであります。


国交樹立の時の話ではないとはいえ、中国とこの件で合意している旨が堂々と陳述されているじゃないですか(笑)。棚上げ合意があったのは明々白々でしょう。inti-solさんのブログ経由で知ったその翌日5月31日の読売新聞の社説は、たぶんこの国会答弁をも念頭に入れているのでしょう。そちらの社説も。

>尖閣諸島の領有権問題は、1972年の日中国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題となったが、いわゆる「触れないでおこう」方式で処理されてきた。つまり、日中両国とも領土主権を主張し、現実には論争が"存在"することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。
それは共同声明や条約上の文書にはなっていないが、政府対政府のれっきとした"約束ごと"であることは間違いない。約束した以上は、これを遵守することが筋道である。

それにしても、当時の自民党政府の認識といい、読売新聞の社説とともに、まともだよね(笑)。園田の息子は現在日本維新の会所属の議員であって、彼の認識はいかに? 

inti-solさんにお礼を申し上げます。

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(23)

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ルクセンブルク駅というのは、いかにも欧州の鉄道の駅っていう感じです。非白人(黒人ら)も予想以上にたくさん街を歩いています。



この光景、私大好き。



ルクセンブルクは、基本的にフランス語が第一言語です。よってしばらくフランス語の世界がつづきます。



















駅近くのホテルを選んだので、ホテルまでは徒歩で向かいます。レセプションのお姉さん(このホテルは、スタッフは女性中心でした)とフランス語で話をしてチェックインをします。ホテルの人だからとうぜん英語は話せるわけで、そんなに見栄をはらなくったっていいんだけどね。



すこし疲れたのでうとうととしてしまいました。今日は観光は省略して夕食だけいただくことにしましょう。Nには悪かったかな。



歩きます。夜の欧州の街を歩くのもけっこう怖いところもありますが、ともかく歩きます。

























ガイドブックにあるレストランへ。ルクセンブルクというのは案外グルメな国です。







私はアラカルト、Nは定食でした。Nのほうが得だったかな。

よせばいいものを、レストランの女性と会話を。

私「ルクセンブルクの方は、英語は話せるんでしょ?」

女性「いえ、そうでもありませんよ」

そういうもんなんですかね。

















帰りはバスに乗って駅に向かいます。めでたくホテルにもどれました。今日はこれでおしまい。おやすみなさい。

(つづく)


土日はテストマッチ三昧

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土曜日は、ラグビーのテストマッチ、日本対ウェールズ戦があり、日曜日早朝にサッカーのコンフェデレーションカップのブラジル対日本戦がありました。

ラグビーのウェールズも、サッカーのブラジルも、日本とはずいぶん格がちがいますが(もちろんウェールズやブラジルの方が上)、サッカーは(予想通り)だめでしたが、ラグビーは勝っちゃいましたね。しかも23-8の15点差で。

もちろんこれには理由があるわけで、今回のウェールズ代表は、主力選手を15人(!)ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズのメンバーに拠出しているので、フル代表というわけではありません。フル代表だったら、日本が勝てる可能性はぜったいありません。サッカーでは「ぜったい」という表現は使えませんが、ラグビーなら使っちゃいます。

また、日本の蒸し暑い気候がウェールズ代表の体力を大幅に奪い、彼らのフィットネス能力がひどく落ちていたことも否めません。そういう意味では日本は地の利も大いに利用したわけです。

しかしそれにしても15点差の勝利はすごいですね。トライとゴールを2回成功してもまだ勝っているんですから、これはちょっと信じられない気がします。正直1戦目よりウェールズはきっちり調整と対策を整えてきているので、私はとても勝てっこないと考えていましたが、そして最初の反則できっちりPGをねらうなど、勝ちにきている(本来だったら、ウェールズは日本相手だったらPGでなくトライをねらいたいはず)なと思いましたが、どうもウェールズは前半に攻め続けたあとは、いまひとつ切れ味がなかったように思います。やはり想像以上に暑さで動きが鈍くなったんですかね。

もちろんラグビーですので、下剋上は難しいのでこれからですが、私も(前々っからこんなことは何回も書いていますが)テストマッチが都内で行われる時くらいは応援に行こうかなという気はします。

しかしこの試合の地上波放送は、2時キックオフなんだけど番組は3時開始だったんですよね(苦笑)。つまりは生放送するほどの価値はないとテレビ局(日本テレビ)は認識していたわけです。で、正直「地上波で放送してくれるだけでもありがたい」と考えちゃう私。現在のラグビー人気は大したことはありませんから、すこしでも地上波で放送してくれればそれに越したことはありません。深夜の録画放送でも仕方ないというのが実情でしょう。これは徐々にでも人気を高めていかなければなりません。

そう考えると、今年行われるスコットランドとのテストマッチは、スコットランド側がいい選手を用意してくるかなと思います。日本がどう戦うか見ものです。

一方、サッカーの方はやはり予想通りというか、きっちり負かされました。こちらの記事より。

>長友佑都「W杯優勝なんて腹を抱えて笑われる」=サッカー日本代表

スポーツナビ 6月16日(日)9時48分配信

 サッカー日本代表は現地時間15日(日本時間16日)、ブラジルのブラジリアでコンフェデレーションズカップ開幕戦となるブラジル代表戦に臨み、0−3で敗れた。日本は3分に先制されると、その後も48分、93分に追加点を許すなど力の差を見せつけられた。

 以下は、試合後の長友佑都(インテル/イタリア)のコメント。

「レベルが違いました。すべてにおいてのレベルが違ったかなと。悔しい気持ちです。(前回対戦と比べて)むしろ差が開いているかなというレベルだと思います。向こうも本気を出してきていた。気持ちが入っていたし、これが本当の世界トップのレベルなんだなと感じました。僕は、ワールドカップで優勝を目指すと言ってきましたけど、腹を抱えて笑われるくらいのレベルだなと思います。

(ダニエウ・アウベスについて)言ってみれば、中学生とプロのレベルですよね。僕が中学生レベルで、向こうはプロレベル。ただ、レベルの差は感じつつも、自分のなかで1対1を仕掛ければやれるなという自信はあったし、もちろん素晴らしい選手ですけど、越えられない壁ではないと思いました。僕の努力次第だと思います。

 あと2戦は勝つしかないです。引き分けでも厳しいし、やっぱり勝ちにいく。正直、今日のようなサッカーをしていたんでは、次の試合も勝てないと思うし、割り切って前から行くサッカーもしていかないと、厳しいかなって思います。

 終わってから(本田)圭佑とも話しましたけど、やっぱり個のレベルが違い過ぎるんで、僕もそうですけど、今の日本代表の選手がブラジル代表に入れるかといったら、誰ひとり入れないと思います。本当に1人ひとりがトップを目指して、向上心や貪欲な気持ちを持っていかないと、この1年で差が埋まらないと思います」

私も見ていて、やっぱり格がちがうなと(いまさらながら)感じました。力の違いは仕方ありませんが、チームとしての組織力もいまひとつでしたね。これではどうしようもありません。

というわけで、次のイタリア戦は、どう調整して訂正していくかを見て行きたいと思います。

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(24)

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起床します。起きたとき、この部屋は、天井も赤く塗られていることに気づきました。

朝食を。ちょっと印象に残ったのが、こちらのオレンジジュース作成用搾汁機です。豪快にオレンジジュースがグラスに注がれます。






こちらは部屋の窓から。



チェックアウトします。ホテルのお姉さまと記念写真。私の姿はお見せするに値しないので、画像処理をかけることをご了解ください。



ホテルに荷物を預け、ルクセンブルク観光に出発します。



なにもこんな銀世界で裸にならなくてもいいと思いますけどね。



私の解説はしばらくお休みして、ルクセンブルクの街の風景をお楽しみください。





「L」はルクセンブルクの車という意味です。

















なかなかいいでしょ。ルクセンブルクは初めての国ですが、いやあ来て良かったと思いました。
























(つづく)

別にこのブログ「日記」じゃないよねえ

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何年か前ですが、私が仕事の関係の人(女性)に、「ブログをやっている」という話をしたら(もちろん「ライプツィヒの夏」とか「Bill McCreary」の名前は出しませんでしたが)、その女性が私に言いました。

「信じられない! 自分の日記を世間に出すなんて!」

いや、このブログべつに日記じゃないからねえ。映画や旅、社会に関する話、身辺雑記、美女、さまざまな内容が雑然と書かれているもので、まったく日記の要素がないわけではありませんが(個人的な日記は、昨年4月から付け始めました(笑))、世間で言う「日記」じゃありませんよね。

左にブックマークさせていただいているブログさんのなかで、「日記」といって過言でないブログはshizukataさんのブログくらいかなあ。ブログというのは内容は何でもありですから、それこそ私のブログのように昨日美女のヌードがでてきたら、今日は北朝鮮関係の記事がのり、はたまた明日はスポーツの記事がでるブログもあります。

ブログというのは思ったことを書くもの、というのが私の個人的な意見です。ツィッターみたいに140字に制限されているわけでなし、画像や動画もはりつけられる。内容も大幅に自分の自由裁量がある(まずいのは、プライバシーの侵害と名誉毀損でしょう)。だから私はブログが好きです。更新も容易だし、特にこのブログは書きたいことは何でも書くブログですから、内容の自由度も高い。

実はツィッターもしようかどうか迷っているんですが、するときはまたこのブログで報告します。

そうこう考えていくと、このブログも書く材料には困らないので当分続きそうです。というわけで、読者の皆さまも末永くこのブログをお願いします。右翼の方だって、美女の記事だけよむとかもありです(笑)。

宮部昭夫と内海賢二、どちらがスティーヴ・マックイーンの声に合うか

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声優の内海賢二さんがお亡くなりになりました。旧聞ですが、ちょっと記事を。

>「北斗の拳」ラオウ、サリーちゃんのパパ 声優内海賢二さん逝く
スポニチアネックス 6月13日(木)19時48分配信

アニメ「北斗の拳」のラオウ役や「魔法使いサリー」のパパ役の声として知られる声優の内海賢二(うつみ・けんじ、本名健司=けんじ)さんが13日午後3時1分、がん性腹膜炎のため東京都新宿区の病院で死去した。75歳。

葬儀・告別式は未定。喪主は妻で声優の野村道子(のむら・みちこ、本名内海道子=うつみ・みちこ)さん。

 1937年(昭12)福岡県北九州市生まれ。高校3年時に、NHK小倉の専属劇団に合格し、ラジオドラマや朗読の仕事を始める。その後上京し、63年「狼少年ケン」に出演、アニメ声優の草分け的存在となる。

 「魔法使いサリー」のパパや「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛、「新造人間キャシャーン」のブライキングボスなど、張りのある低音を生かしてコミカルな役から悪役まで幅広い役をこなし、多くのアニメファンに親しまれた。そのほか「黄金バット」「マッハGoGoGo」「ベルサイユのばら」などにも出演した。

 外国映画の吹き替えでは俳優スティーブ・マックイーンやジャック・ニコルソン、映画「ロッキー」シリーズでロッキーの好敵手アポロの声を担当。テレビ番組のナレーターとしても活躍した。


がんだったということですね。ご冥福をお祈りいたします。それで今回は、彼が担当したスティーヴ・マックイーンの声について考えてみたいと思います。

内海のwikipediaの記事に

>スティーヴ・マックィーンは声を演じてきた中で唯一の二枚目であり、自身のアテレコ史の頂点であると語った

という記述がありました。私なんかちょっとこのくだりを読んで苦笑しちゃったのですが、マックイーンの声というと、ほかに宮部昭夫が担当していました。宮部氏もすでに06年にお亡くなりになっています。

日本語吹替の声にはほとんど興味がないという方はともかく、ここで読者の方々に質問を。宮部と内海、どちらのマックイーンの声があなたは好みでしょうか。

これは趣味の問題ですが、私は宮部マックイーンのほうに軍配を上げたく思います。ちょっと内海さんの声は、マックイーンの印象と異なる気がします。

具体的に言うと、内海の声と話し方がすこし癖があって、宮部のほうがクールでマックイーンの(私にとっての)イメージに合うんです。あえて言えば、内海マックイーンはすこし個性がマックイーンと合わないように感じます。

繰り返しますが、これについては善悪の問題ではありませんので、内海マックイーンのほうが好きだといわれればそれについて私はもちろん何も言いません。言えるわけもありません。だから「こいつの意見は賛同できん」と思われても、それはそれということでご了解願います。

ピーター・フォークの声を完璧にあてたといっていい小池朝雄が亡くなった後、それを石田太郎がひきつぎました。これは小池氏が亡くなったので新たに製作されるコロンボその他の作品のフォークの声を小池が担当できない事情があったわけですが、「新作」が80年までで製作されなくなったマックイーンの場合、もちろん吹替再録はありえるにしても、宮部と内海が2人して担当し続けたというのは、やはり双方意識することもあったかと思います。マックイーンの遺作「ハンター」では、最初のテレビ放送版を宮部が担当し、他局での再録版を内海が担当しました。現在発売されているDVDには、内海版が収録されていますが、やはり宮部版を聞きたいなと強く思います。wikipediaによると、DVDに収録されているのは内海版が多いようですね。あるいは、収録時期の関係かな?

同じようなことは、ジョン・ウェインもいえます。ウェインの声は、小林昭二納谷悟朗が担当しました。これもたとえば「ラストシューティスト」などは小林版と納谷版があります。実は私、小林氏のウェインの声ってあんまり印象に残らないんですが、納谷さん(すいません、これは記事の趣旨と何の関係もありませんが、いまこれを書いていて実に自然に「小林氏」「納谷さん」と書き分けました。もちろんどちらの方とも面識はありませんが、私にとっては「納谷悟朗」という方は「納谷さん」と表記する方なのでしょう)のウェインはわりと好きです。たぶん声優としての好みの部分が大きいのだと思います。

俳優の声も、、ほぼ声が固定している人、固定していない人、2人ほどの少数の声優で分け合っている人、いろいろです。そう考えるとNHKというのは、NHKだからできるのでしょうが、世間をあっといわせる人を吹替で起用します。森光子山岡久乃(彼女はキャサリン・へプバーンも担当していますが)、あるいは最近では八千草薫里見浩太朗など、およそ声優などしそうにない人たちが外国ドラマ、アニメなどで声を担当しました。たぶん彼(女)らは、NHKからのオファーだからこの仕事を受けたし、他の民放はそもそもこの人たちに吹替の仕事は依頼しないでしょう。

そういえば「刑事コロンボ」でも、平田昭彦が声を担当していましたね(「攻撃命令」での二コール・ウイリアムソン)。平田氏って、あんまり声優みたいな仕事はしていなかったんじゃないんですかね? wikipadiaには、声優の仕事はこれしか記載はありません。それからウィリアムソンも2011年に亡くなっていたんですね。この記事を書いていて初めて知りました。コロンボの犯人役の役者たちもどんどん亡くなっています。

それにしても、こういった人たちの吹替がまたうまいんですよね。聞いていて、さすがの水準です。昔ながらの声優(新劇出身の人たち)は、だいたいにおいて演技ができなければだめだといっているみたいですけど、なるほどなと思います。

話は飛びましたが、映画の洋画番組や外国テレビドラマなどに往年の影響力がなく、さらに時代の変化もあるので、上であげたような話は「過去の話」の部分が大きいかと思いますが、私なりにこれからもいろいろと洋画吹替の世界を探求したいと思います(アニメはいまひとつ興味がないので、申し訳ございません)。

1983年収録の日本語版「スーパーマン」を楽しみたい

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昨日に続いて、今回も洋画の日本語吹替と声優の話を。

1978年のリチャード・ドナー監督による「スーパーマン」は、wikipediaによると2種類の日本語版が存在します。1983年放送分と2006年放送分です。翻訳は同じ人の担当ですね(木原たけし)。ただ、同じ翻訳かどうかはわかりませんが。あるいはどこかを手直ししているのかもしれません。

このうち、2006年版は見てないので論評できないのですが、しかし個人的には、見るまでもなくこれは1983年版のほうが出来がいいと思います。それはお前の偏見だといわれたら甘んじて批判を受けます(見ていないんだからね)。でも1983年版の出来がいいのは事実でしょう。

そしてこの1983年版の日本語吹替えは、一部のソフトに収録されています。

スーパーマン アンソロジー(8枚組)コレクション ブルーレイBOX (日本語字幕/一部吹替あり) [Blu-ray] [Import]

これは、日本語吹替版も入っていて、価格も高くない、優れ物のセットです。

1983年版では、ジーン・ハックマンを担当した小池朝雄ネッド・ビーティを担当した神山卓三の吹替えが抜群に面白いですね。このあたりは小池と神山の芸達者ぶりというものでしょう。このことは前にも記事に書きました。小池は1985年3月に亡くなっているので、たぶん声優としてはこれ以降たくさんの仕事はしていないのじゃないですかね。wikipediaによると、84年や85年発表の仕事もありますが、84年10月にテレビ放映された「スーパーマン?」の声は石田太郎が担当しているので、すでにこの時期小池は仕事を受けられる状態ではなかったのでしょう。昨日も記事に書きましたように、石田は後に「刑事コロンボ」の新シリーズでピーター・フォークの声を担当しました。小池が担当することの多かったジーン・ハックマンの声を引き継いだこともあり、小池の死後は、わりと早い段階で石田はコロンボの声の担当候補ではなかったかと思います。

ところで小池の死因は「肺不全」と発表されていますが、亡くなったのが国立がんセンターなので、たぶん肺がんなどのがんに由来するものと考えられます。早すぎる死でした。もっと氏の声を聞きたかった。

レックス・ルーサー(ハックマン)の恋人(愛人? 情婦? 同居人?)であるイヴ・ティッシュマーカーを演じたヴァレリー・ペリンの声を担当した小原乃梨子の声もいいし、細かいことを言い出すときりがありませんが、ささきいさお(佐々木功)のスーパーマン(クラーク・ケント)は、やっぱりスーパーマンは佐々木さんの声じゃなければ・・・という気がします。マーロン・ブランドを担当した大平透もいい。

ほかにもジャッキー・クーパー(主人公の上司役。クーパーさんも亡くなったんだね。彼も刑事コロンボの犯人役です。「野望の果て」)の声をあてた近石真介もうまいし、これも吹替え黄金時代の最後の時代なのかなと思います。この映画がテレビ放映された83年は、そろそろレンタルビデオが社会に広がり始めている時代ですから、まさにテレビの洋画劇場、日本語吹替の黄金時代の最後だったのでしょう。

それにしても、やはり80年代初めごろまでの声優たちというのは綺羅星のようなすごい人たちがいますね。他ブログ様でのコメントを再録するのも気が引けますが、ogatさんのブログにさせていただいたコメントより。「ふしぎなメルモ」についての記事です。


>このマンガは題名しか知りませんが(私マンガには詳しくないんです)、面白そうですね。で、これははじめからアニメ制作が前提の作品だそうです。「ジャングル黒べえ」に近いかも。あちらのほうはアニメ企画先行です。

で、wikipediaを確認したら、アニメは主人公の声を武藤礼子がやっているのがびっくり。武藤さんてこういう仕事していたんだ・・・ていうところです。ゲストの声を見ても、綺羅星のようなすごい人たちばかり。新録の人たちとくらべても、ちょっと格がちがう・・・というのは、年をへた人間である私の偏見でしょうが、この旧録の声をソフトで復活させてほしいですね。武藤さんもずいぶん以前にお亡くなりになりました。ずっと後になって知って、武藤さんも亡くなったかとずいぶんがっかりしたものです。

ところで過日テレビ東京で放送された、午前十時の映画祭でも上映された「大いなる西部」の声優陣がすごい。主演4人が

>>ジェームズ(ジム)・マッケイ  グレゴリー・ペック 城達也
ジュリー・マラゴン  ジーン・シモンズ 武藤礼子 学校教師。
パトリシア(パット)・テリル  キャロル・ベイカー 鈴木弘子 ジムの婚約者。
スティーブ・リーチ  チャールトン・ヘストン 納谷悟朗

鈴木さん以外は、皆故人です。 

すいません、ogatさん、自分のブログで書くべきことを、貴ブログでコメントしてしまいました。


ogatさんの記事は、別にアニメの話をしているのではないのですが、私の趣味で自分の興味のある話を書いてしまっています。ogatさんには申し訳ないのですが、せっかく

>確かにブログのコメントにしては内容が濃過ぎてもったいないので、ぜひそのまま転載してご自身でご利用ください笑 

とまでおっしゃっていただけましたので、再録いたしました。

で、「ふしぎなメルモ」のゲスト声優をご紹介しましょう。wikipediaより。

渡メルモ - 武藤礼子 渡トトオ - 松島みのり ママ(渡ひろみ) - 北浜晴子 タッチ - 沢田和子(第1〜7話)→吉見佑子(第8〜26話) ワレガラス - 北村弘一 手塚先生 - 富山敬(第5話)→伊藤克(第11・12・16・19話)→大竹宏(第17話) ゲスト出演[編集] メルモのおばさん - 麻生美代子(第1・11・21話) 神様 - 青野武北村弘一肝付兼太(第1話)→野本礼三原田一夫江角英明(第15話)→青野武、原田一夫、本多晋(第18・26話) 若者 - 竹尾智晴(現・中尾隆聖)(第1話) 老人(ゼンゾウ) - 八奈見乗児(第2話) 大臣 - 梶哲也(第3話) 大使 - 納谷悟朗(第3話) 大統領 - 田の中勇(第3話) 女将校 - 小原乃梨子(第3話) パイロット - 山田康雄(第4話) オスウサギ - 小宮山清(第4話) ナナメ - 堀絢子(第5話)→杉山佳寿子(第8・13話) シカク - 富山敬(第5話) イケハラ - 沢田和子(第5話)→野沢雅子(11・19話) ヒトミ - 松尾佳子(第5話) ニタ子 - 太田淑子(第6話) 古池教授 - 大塚周夫(第7話) - モチーフキャラは天馬博士 デーモン - 納谷悟朗(第8話) ビリ犬 - 山本嘉子(第9話) 変身後のビリ犬 - 富山敬(第9話) 母犬 - 増山江威子(第9話) 社長(ひき逃げ男) - 小林修(第11話) ハヤト - 野沢雅子(第12話) 片やん - 矢田耕司(第12話) 紫 - 伊藤克(第12話) 小森コン太郎 - 丸山裕子(第12話) 校長 - 水島晋(第12話)→原田一夫(第16・19話) 少年(タダオ) - 山本嘉子(第13話) 社長 - 永井一郎(第13話) 秘書 - 増山江威子(第13話) 出来底 - 矢田耕司(第13話) 出来底の妻 - 野沢雅子(第13話) ヨシヒコ - 永井一郎(第14話) マル子 - 小原乃梨子(第14話) チャ子 - 山本嘉子(第14話) シンキチ - 山下啓介(第14話) 刑事凸・凹 - 矢田耕司、永井一郎(第14話) 手品師 - 大塚周夫(第15話) 校長の妻 - 沼波輝枝(第16話) 五平 - 田村錦人(第17話) 五平の甥 - 田の中勇(第17話) ギャング(小西) - 辻村真人(第18話) 大造 - 小林恭治(第18話) 警部 - 槍田藤吉(第18話) 千恵子 - 吉見佑子(第18話) 野沢先生 - 江角英明(第19話) 鉄腕大五郎 - 田の中勇(第19話) ター子 - 山本嘉子(第19話) 社長 - 木村幌(第20話) 社長の秘書 - 作間功(第20話) 記憶喪失の男 - 加藤治(第21話) 近石昭吾 - 竹尾智晴(現・中尾隆聖)(第22話) 昭吾の父 - 雨森雅司(第22話) 昭吾の母 - 牧野和子(第22話) 津村実 - 八代駿(第23話) 矢部千代子 - 吉田理保子(第23話) 矢部社長 - 大塚周夫(第23話) 加藤太郎 - 神谷明(第24・26話) 加藤二郎 - 山下啓介(第24・25・26話) 加藤三郎 - 山本嘉子(第24・26話) 二郎の母 - 平井道子(第24・26話) 柳田豪十郎 - 木村幌(第25話) 豪十郎の母 - 堀絢子(第25話) 豪十郎の妻 - 山本嘉子(第25話)  

どうです。ほんとすごいでしょ。私が「すごい」なんて書いても仕方ないかもしれませんが、やっぱりすごい人たちです。時代がちがうので、これだけすごい声優たちがひとつのアニメに参集するのって、これからは難しいでしょうね。「スーパーマン」でとりあげた声優さんたちも、存命中の方も70歳を軽く超えているし、故人もいらっしゃいます。すでに30年前の収録ですからそれもいたしかたないところです。

昨日書いたことを繰り返すと、テレビの洋画番組に往年の影響力がなく、海外テレビドラマの位置づけが低くなり、アニメもかつてほどには国民的な人気番組が出にくくなっているわけで、個々の声優の実力はともかくとして、昔ほど老若男女に知名度のある声優が出てきにくいのは当然といえば当然です。それは仕方ありませんが、やはり声優も新しい時代と新しい姿になっていくんだろうなと思います。*

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(25)

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煙突のある家が少ないから、サンタクロースも窓から入ることになるんですかね。











ここはルクセンブルクの有名な日本料理屋とのこと。ルクセンブルク大公もくるとか(ガイドブックより)。















この女性は、とある家に入ろうとしてなかなか入ることができずたいへん困っていました。英語で話をしていたから、たぶんルクセンブルク人ではないのでしょう。

































ケーキ屋(?)で水を買いました。

(つづく)

2012-13 ベネルックス(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)紀行(26)

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エレベーターにのります。









こちらのカフェでちょい休み。






お母さんに抱きかかえられるには、ちょっと大きいんじゃないのという気もします。過保護です。

歩きます。









ノートルダム寺院。うーん、今回の旅で何回ノートルダムという名前の教会関係に行ったかな。4回目ですかね。

ノートルダムとは、フランス語で私たちの貴婦人という意味です(Notre-Dame)。聖母マリアのことですね。




中国人がいました。大陸の碑とかどうかは確認しませんでした。

20131-3 ルクセンブルク ノートルダム教会の鐘




















第一次世界大戦と第二次世界大戦関係の碑です。

ノートルダム寺院に入ってみます。











(つづく)


映画の出演者が「あの人だったら・・・」と想像するのは、最高の楽しみかも

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以前、ブルック・シールズの『青い珊瑚礁』のことで興味深い情報があるという話を書きました。今日はそのネタ。

ブルック・シールズ主演の映画『青い珊瑚礁』は、主演の2人にはいろいろな俳優・女優がオファーされました。その中には、その後も大いに活躍している人たちもいます。出演した2人(俳優は、クリストファー・アトキンズ)がその後どちらも役者として伸びなかった感があるのはどんなもんかいなという気がしないでもないのですが、実は女の子の役には、ジョディ・フォスターなども候補に挙がっていまして、ほかにこのブログでも写真を特集したダリル・ハンナも候補の1人でした。

それを知った際、私「そうだったのか!」と思いました。

おなじランダル・クレイザー監督の『青い恋人たち』という映画に彼女は主演しているわけです。詳細は知りませんが、たぶんクレイザーがダリルに未練があり、それで彼女を起用したのではないかと思います。

『青い恋人たち』ではダリル・ハンナはふんだんにヌードになっていましたが、ここで私は『青い珊瑚礁』に彼女が出演したらどんな映画になったかなあと想像をたくましくしてしまいます(ジョディ・フォスターの『青い珊瑚礁』にはあまり興味がわきません)。1965年生まれのブルックと1961年生まれのダリルでは、撮影がだいたい同じ時期であれば、肉体というかヒロインの雰囲気もだいぶ違ったはずで、ダリルの主演する『青い珊瑚礁』もかなりアダルトな雰囲気の映画になったかと思います。ダリルその他の女優を押しのけて最終的にブルック・シールズの起用にいたったのは、そのあたりが大きなポイントだったのかもしれません。IMDbによると、この時オーディションに参加した人たちは

Kelly Preston, Linda Blair, Jodie Foster, Tatum O'Neal, Michelle Pfeiffer, Daryl Hannah, and Rosanna Arquette all auditioned for the role of Emmeline

だそうです。

ちなみにダリル・ハンナは無名時代にはモデルもやっていて、ヌードモデルなどもしていたようですね。その時代の写真を私知っているんですが、今日はちょっと紹介できません。見つけたら、このブログで発表します。

さて、当時はダリル・ハンナは無名でしたし、ブルック・シールズもこれからの存在でしたが、有名俳優が有名な映画に出演する場合、どんな役者が候補だったかと考えるのは興味深いかなと思います。



前にもこのブログで紹介したサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』での出演候補、あるいはオファーを受けた俳優たちを調べると、彼らが出演したらどんな作品になったかと想像をたくましくします。

まず、主人公のパイク・ビショップ(ウィリアム・ホールデン)は、ほかに候補となった俳優として、リー・マーヴィンバート・ランカスタージェームズ・ステュアートチャールトン・ヘストングレゴリー・ペックスターリング・ヘイドンリチャード・ブーンロバート・ミッチャムらがいました。ほとんどリー・マーヴィンに決定していたのですが、けっきょく彼は、違う作品に参加しています。

もとパイクの仲間で、パイクを追っかけるという因果な役柄のディーク・ソートン(ロバート・ライアン)は、リチャード・ハリスブライアン・キースグレン・フォードアーサー・ケネディヘンリー・フォンダベン・ジョンソンヴァン・へフリンが候補になりました。ベン・ジョンソンはパイクの仲間であるテクター・ゴーチをけっきょく演じています。ヘンリー・フォンダのソートンて面白そうだな。

パイクの片腕、絶対の信頼を得ている相棒ダッチ・エングストローム(アーネスト・ボーグナイン)は、ほかにスティーヴ・マックイーンジョージ・ペパードアレックス・コードロバート・カルプサミー・デイヴィスJr.、チャールズ・ブロンソンリチャード・ジャッケルが候補でした。

正直グレゴリー・ペックのパイク・ビショップなんて面白そうだとか、スティーヴ・マックイーンやロバート・カルプのダッチってどうよと思いますが、そう考えるとホールデンにライアン、ボーグナインと、妥当な線でキャスティングされたのかなと思います。

他の有名な映画を例にしますと、「ダーティハリー」のハリー・キャラハンは、もともとフランク・シナトラを意識していましたが、彼が降りたあと、スティーヴ・マックイーンやポール・ニューマンマーロン・ブランドらがオファーされています。ちなみにアンディ・ロビンソンが演じた犯人役は、ジェームズ・カーンが念頭にあったとか。

こういったような話はすればするほど面白いですが、また次の記事のネタにしましょう。それにしても面白いですね。キャスティングというのは、ギャラの問題もあれば、俳優の趣向に合うか合わないかも問題だし、いろいろです。何が成功するかは、映画が完成して観客が見てくれなければわかりません。このブログでもおなじみの「愛のコリーダ」の阿部定役には、かのひし美ゆり子も候補でした(彼女は、当時成人映画に出演していました)。彼女が定を演じて本番シーンをやっていれば面白かったかもしれませんが、「幸か不幸か」(?)彼女は起用にいたりませんでした。大島映画では、「戦場のメリークリスマス」のセリアズ役は、ロバート・レッドフォードも候補でした。レッドフォードは受けませんでしたが、しかし彼が演じたらどんな映画になったか個人的には興味があります。ビートたけしが演じたハラは、勝新太郎緒形拳が最初の候補でした。また、ヨノイ役は、沢田研二がオファーされていました。はてはて、彼らの方がやっぱりいい演技をしたんでしょうかね? たぶんしたのでしょう。勝といえば、「影武者」での降板騒動も有名です。

このネタは面白いので、また記事にします。なお、上の情報の出典は、主に英語版・日本語版wikipedia、IMDbからいただきました。「ワイルドバンチ」の写真も英語版からです。

どんな極悪人であろうと、善意の第三者がそこまで罵倒することはない

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私がちょいちょいこのブログで記事にしている「名古屋闇サイト事件」関係の記事に、ある方が

>このままで行くと本当に死刑になると言われて慌てて謝罪の言葉を 口にしたと考えるのは自然です。

とコメントされたことがあり、で、私はそれにたいして次のようにコメント返しをしました。

>まあ、これは仕方ないでしょう。人間ですから、仮にそうであっても非難してもしょうがないでしょう。

この方は、さいしょから反省していなければだめで、死刑になるかもと考えてあわてて反省したのでは意味がないとお考えなのかもしれません。確かに私もそう考えないでもないですが、でも仕方ないですよね。そういった行動を批判したり非難したところで何がどうなるわけでもないし。被告人が反省しないよりは反省した(態度を示す)ほうがずっといい。どうせこんな極悪人は、反省しなければ態度が悪いと非難されるし反省すれば「心からのものでない」と非難されます。それはある程度は仕方ないことでしょうが、でも

>このままで行くと本当に死刑になると言われて慌てて謝罪の言葉を 口にしたと考えるのは自然です。

とまで非難したってしょうがないですよね。検察官や裁判官、被害者遺族の人たちが非難するのなら「仕方ない」とは思いますが、善意の第三者である他人が被告人をそのように罵倒したってしょうがない。どんな極悪人だって人間なんですから、それは死刑になる危険性を知ってあわてて謝罪したところで非難するには値しないでしょう。ていいますか、この事件の場合判決は死刑か無期懲役のどちらかであり、無期懲役の可能性もじゅうぶんにある(大阪教育大学付属池田小学校や秋葉原の事件のような、ぜったい死刑確実の事件ではありません)。被告人が謝罪すれば刑が軽くなる可能性がそれなりにあるわけで、減刑をねらうのは刑事被告人として当然の権利ですし、そういった行動は(不愉快ではあっても)批判したり非難したりするのは検察官や遺族、裁判官にまかせればいい。

基本的にどんな極悪人だろうと、裁判で可能な限り自分の刑を軽くしようと努力するのは当然の権利だし、それを批判するのは極悪人にだってあまりに気の毒です。別に私は彼(女)らを許せとか主張しているわけじゃないですよ。そんなこと私は考えていないし、仮にそんな主張したところで誰も許してはくれないでしょう。しかし憲法や刑事訴訟法その他で認められている被告人の権利やそれ以前の自分を守る権利の行使すら批判したり非難するのはどうかと思います。よく「被告人の権利ばっかり・・・」とか主張する人がいますが、べつに刑事被告人に特別の権利を与えろとかは言わない(ていいますか、特別の権利を与えられている被告人なんているんですかね? 田中角栄氏については、ずいぶん裁判所も遠慮したなんて話もありますけど)。ただ、法律で認められている権利の行使程度のことを罵ってもばかばかしいと思うだけです。

どんな極悪人にも弁護士くらいはつけてあげる権利、法廷で嘘をついても許される権利(偽証罪は、被告人には適用されません)、判決が不服であれば上級裁判所に上訴するくらいの権利、再審を申し立てることができる権利、ほかにも書けばきりはありませんが、それくらいは人間として当然の権利だし、保証してあげなければいけないことだと思います。

フランソワーズ・ドルレアックが亡くなってから今日で46年

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このブログでなにかと記事にするフランソワーズ・ドルレアックカトリーヌ・ドヌーヴの姉)が不慮の事故で亡くなってから、本日で46年目です。彼女はニース近郊で25歳の若さでこの世を去ってしまいました。本日は彼女の死を悼んで、また彼女の写真をご覧になっていただきます。


成人してからも、カトリーヌと一緒の写真はわりとあります。

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でもほんとフランソワーズって、ドルレアック家の人たちにとっては、自慢の娘、自慢の姉だったんでしょうね。やはり彼女も稀有の美女だったと思います。そういえばカトリーヌ・ドヌーヴも今年で70歳です。カトリーヌの誕生日(10月22日)には、彼女の写真を特集しますのでお楽しみに。

話が違う

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すいません、今日はほとんど記事の紹介のみです。

日本のレース鳩が太平洋横断、7000キロ離れたカナダで保護
2013年06月25日 11:25 発信地:オタワ/カナダ

【6月25日 AFP】日本から太平洋(Pacific Ocean)を横断した勇敢なレース鳩がカナダ西岸沖バンクーバー島(Vancouver Island)で保護され、地元のハト愛好団体に引き取られることになった。カナダの鳥類保護団体「Mountainaire Avian Rescue Society」が24日、明らかにした。

 バンクーバー島のカナダ空軍基地で保護されたハトは雄で、発見時は消耗しやせ細っていた。その後、ブリティッシュコロンビア(British Columbia)州コモックス(Comox)近くにある保護センターで寄生虫処置などの手当てを受け、健康を回復させた。

「Mountainaire Avian Rescue Society」のレグ・ウエストコット(Reg Westcott)氏はAFPに、このハトは日本を飛び立った後、嵐に巻き込まれるなど何らかの理由で方向を見失ったまま飛び続け、最終的に太平洋の反対側にあるカナダに降り立ったのだろうと話した。太平洋上を飛行している間、このハトは貨物船などに降り立って羽を休めていたのではないかと、ウエストコット氏は考えている。ハトの移動距離は一般的に最大650キロ程度だが、このハトの飛行距離は7000キロにも及んだ。

 脚環に電話番号が記載されていたため日本の飼い主に連絡をとったが、飼い主はハトを日本まで輸送する航空機代の支払いに難色を示したという。

 このため地元の鳩レース協会がハトの引き取りを申し出た。協会ではこのハトを雌と交尾させる考えで、ウエストコット氏も子孫が長距離レースに適したハトとなることは間違いないと話している。傷ついた野生動物を保護してきて17年になるウエストコット氏だが、2〜3週間かけて太平洋を横断したハトに遭遇したのは、今回のハトの他には1羽だけだという。(c)AFP

カナダで保護された日本のレース鳩、「新生活を見つけてくれれば嬉しい」と所有者
AFP=時事 6月26日(水)10時37分配信

【AFP=時事】日本のレース鳩が太平洋(Pacific Ocean)を横断してカナダ西岸沖のバンクーバー島(Vancouver Island)で保護されたことについて、このハトの所有者は25日、ハトがカナダまで飛んでいったという話は聞いたことがなく信じられなかったと話すとともに、カナダ国内で世話をしてくれたら嬉しいと語った。

 このハトは、バンクーバー島のカナダ空軍基地で、消耗し、やせ細っていたところを発見された。鳥類保護団体「Mountainaire Avian Rescue Society」によって寄生虫処置などの手当てを受け、現在は健康を回復している。同団体のレグ・ウエストコット(Reg Westcott)氏は、太平洋上の貨物船などに降り立って羽を休めつつカナダにたどり着いたのではないかと考えている。

 ハトの所有者である茨城県石岡市の男性(73)によると、このハトは1歳で、先月9日、1000キロメートルのレースに出場し、北海道羽幌(Haboro)町から約8000羽のハトと共に空に放たれた。引退したビジネスマンで熱心な愛好家である男性は、このハトを含めて10羽のレース鳩を所有していたという。

 ハトの脚環に記載されていた電話番号を基に男性に連絡したウエストコット氏らに対しては、民間機で日本まで輸送すれば、餌や水を与えるなどの適切な世話を受けられずに死んでしまうかもしれないとして、送り返してもらうことは断念すると伝えたという。

 カナダの鳩レース協会がこのハトを雌と交尾させることにしており、長距離レースに適した子孫を残すだろうと期待されている。カナダ側にハトの血統書を送付することに同意したという男性は、ハトが太平洋の向こう側で新たな生活を見つけてくれれば嬉しいと語った。【翻訳編集】 AFPBB News

>脚環に電話番号が記載されていたため日本の飼い主に連絡をとったが、飼い主はハトを日本まで輸送する航空機代の支払いに難色を示したという。

>ハトの脚環に記載されていた電話番号を基に男性に連絡したウエストコット氏らに対しては、民間機で日本まで輸送すれば、餌や水を与えるなどの適切な世話を受けられずに死んでしまうかもしれないとして、送り返してもらうことは断念すると伝えたという。

ぜんぜん話が違うじゃん(笑)。

まあ両方が理由である可能性はありますが。

残念ながら、フランス映画祭 2013 に行けなかった

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このブログで数回記事を書き、ナタリー・バイリュディヴィーヌ・サニエルー・ドワイヨンらにあえると楽しみだった「フランス映画祭 2013」ですが、残念ながら今回は行くことができませんでした。

つまりは私が、関心のある映画のチケットを購入しなかったということですが、やはり父の死のために精神もだいぶ鬱の状態になって、そのような華やかな場に行く元気がなかったということだと思います。仕事ではないのですから、もちろん行こうがなんだろうが他人様が迷惑するような話ではありませんが、親の死というのはやはりそれなりの心理的な負担なのだと思います。

そういうわけで残念ながら、この件のレポート記事を書くことができません。あるいは私の記事を楽しみにしていた方もいらっしゃるかもしれません。いらっしゃったら申し訳ありませんとここで謝罪します。来年以降にご期待ください。

2010年にこのフランス映画祭で、ジェーン・バーキンからサインをもらったときの話はこちらに記事を書きました。サニエやルーあたりは、また(続いていれば)映画祭あるいはその他でサインをもらえるチャンスがあるでしょう。ナタリー・バイはどうかな。

趣味も、やはり元気がないとなかなか充実しないなというのが正直なところです。肉親の死というのは、生きていれば避けられませんが当然ながら精神に負担がかかります。

チャンスがあるのですから、このようなイベントなどに行かないのはもったいないわけで、もうすこし元気になったらまた積極的に顔をだしてこのブログで活動報告します。よろしくお願いします。

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