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大平透が亡くなって、「スパイ大作戦」でいつも感じる疑問を思い出した

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声優の大平透が亡くなりました。記事を。

>「ハクション大魔王」「喪黒福造」声優、大平透さん死去

朝日新聞デジタル 4月14日(木)18時55分配信

「ハクション大魔王」「喪黒福造」声優、大平透さん死去
大平透さん
 テレビアニメ「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造などの声優を務めた俳優の大平透(おおひら・とおる)さんが12日、肺炎のため死去した。86歳だった。葬儀は近親者で営まれた。後日、お別れの会を開く予定。

 東京都出身。アナウンサーを経て1955年に米アニメ「スーパーマン」のスーパーマン役に起用され、実写版でも吹き替えを担当した。重厚な低音の声がキャスティングの理由だったという。

 89年に始まった藤子不二雄(A)原作の「笑ゥせぇるすまん」は、ブラックユーモアを交えたストーリーに加え、喪黒の不気味な高笑いで人気を集めた。ほかにもテレビアニメ「ハクション大魔王」の魔王や、米アニメ「ザ・シンプソンズ」のシンプソン一家の父・ホーマーなどの声も担当した。

大平の声で有名なのは、「ハクション大魔王」の主人公の声と、「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造、あとは「スパイ大作戦」の最初に登場する指令の声あたりですかね。私はアニメの方は苦手なので、今日は「スパイ大作戦」の話を書きます。

「スパイ大作戦」は、80年代に続編(「新スパイ大作戦」)が制作されたり、映画で「ミッション:インポッシブル」シリーズが制作されて世界的に人気を得るなど、ドラマとしても世界テレビ史上に残る傑作でしょうが、私がいつもこのドラマの最初の方で「?」と思うところがあります。

それは、

「スパイって、ほんと面白い仕事なんだろうなあ」

ということです。

つまりこのドラマは、最初に指令が、「おはよう、フェルプス君」とかいって、どこをどうみても、「うーん、これは成功させるのがものすごく難しそうだな」と思わざるを得ない困難極まりない任務を与えますが、ドラマだからですから何とか成功させちゃうじゃないですか。しかし、いつも、指令は、(お約束で)言います。

スパイ大作戦~焼土作戦・冒頭

「例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられあるいは殺されても、当局は一切関知しないから、そのつもりで」

上の動画では、2分35秒くらいのところで、お約束の発言があります。

でもこれ、ひどいですよねえ(苦笑)。こんな優秀な人たちを使っているんだから、助けてあげたっていいじゃんねえ(笑)。よほど人でなしの冷酷な組織なのか、主人公たちがよほど決定的な弱みを握られているのか、それとも成功報酬が抜群にいいのか(笑)。たぶんそのすべてなのでしょうけど、仕事自体もよほどやりがいがなければ馬鹿らしくてやっていられないですよね、きっと。

 当ブログがお世話になっているogatさんのブログの記事で、

>荒唐無稽なスパイ映画が昔から大好きです。娯楽映画に登場するスパイ(笑)は、何かにつけては銃をぶっ放して雑魚を叩きまくり、人目に付く市街地でカーチェイスを展開してオープンカフェのテーブルをなぎ倒し、わざわざヘンテコなガジェットを使い、オレは諜報員だと方々で吹聴し、あまつさえ絶世の美女をやたらめったら一緒に連れ回す。

 とあり、いやまさに仰せの通りと大笑いしてしまいました。現実はともかく、フィクションのスパイは、やはり徹底的に面白くなければいけません。見ている私たちも、そちらの方が面白い。まあもちろん実録もののスパイ映画も私は大好きですけどね。

それはともかくとして、「スパイ大作戦」の声優たちが、またすごいですね。大平以外にも、若山弦蔵納谷悟朗山東昭子田中信夫小林修平井道子広川太一郎池田昌子鈴木弘子此島愛子といった面々です。時代が違うから、こんなすごい人たちが映画とかでないレギュラーのドラマで大集合するなんていまではあり得ません。考えてみれば、これも贅沢な時代だったと思います。

あんまり大平透とは関係ない記事ですが、大平透さんのご冥福を祈って、この記事を終えます。


京都市美術館で、ルノワール展とモネ展を同時に見る

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大阪・京都に桜を見に行く(2016年)(京都編)という記事で、岡崎公園の桜を見たという話を書きましたが、これは、桜を見に行ったというより、京都市美術館で展覧会を見るほうが第一目的でした。というわけで、その記事を書きます。同時に2つの展覧会をしていました。

モネ展

ルノワール展

同時に2つの高名な画家の展覧会を見られるのだから、こんな都合のいい話はないわけです。うーん、京都市民、京都府民は幸せです。

京都市美術館は何回も行っていますが、拙ブログでも、ここでフェルメールを見た記事を書いています。

フェルメールとオランダ絵画づくし(1)

ついでに、同じときに行ったフェルメールの展覧会の記事はこちら。

フェルメールとオランダ絵画づくし(2)

最初にルノワールを見ました。このルノワール展は、ほかではやらない京都単独の展覧会なんですかね。自宅にあるルノワールの画集でも見たことのある絵がけっこうたくさんあり、なかなかいい展覧会でした。ただ絵の数は少ない。少数精鋭というべきかもしれません。

だいたい印象派というのは、日本ではものすごく人気がありますから、もしかしたらけっこう込んでいるかもと多少覚悟しましたが、私が行った際はそれほどの込み方ではありませんでした。ただゴールデンウィークなどはやはり込むかも。6月5日までです。

この日の京都は、このような集団が大勢たむろっていました。何者かというと、「京都さくらよさこい」の参加グループです。桜の季節の土日に岡崎公園ほかで行われます。私は1回だけ2012年に見たことがあり、記事にはしませんでしたが、写真を1枚だけ紹介したことがあります。下の記事を参照してください。

週末京都に桜を見に行くつもり

1度美術館の外を出て、近隣の桜をちょっと見学。気分転換して、今度はモネ展を見ます。

モネ展のほうが作品はたくさんありました。あいにく都内での展示を見損なってしまったのですが、見られたのは幸いです。ちなみにモネ展も、5月8日までやっていますから、今からでも間に合います。この後は新潟へ行きますので、近くの方はお楽しみに。

あんまり意味のないイラストがありました。

あらためてですが、同時に見られるのは運がいですね。

桜もいい感じで咲いています。

美術館をあとにします。ところでルノワールは、こんど国立新美術館でかなり大規模な展覧会がありますね。オルセーとオランジュリーから作品を持ってくるので、なかなかすごい展覧会になりそうです。4月27日から。

ルノワール展 オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵

友人Nと行く弾丸韓国旅行(LCC利用)(2016年2月)(12)

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ともかく中華街に行きます。といっても駅至近ですから、すぐ行けるわけです。拙ブログでも、何回か仁川の中華街は紹介しています。

駅から坂道を歩きます。高台になっているわけです。みぞれが降っているので、慎重に歩きます。

韓国出漢字を見ると、ちょっとほっとしてしまう私。Nも同じかな?

3人の女の子が一緒の傘に入っているのも韓国らしいというべきなんですかね。いや、単なる緊急事態か。

このようにけっこう雪が降っていました。この時間はすでにみぞれでしたが。

途中行列ができている店があったので、その中にはいって、商品を買う気はしなかったので、雨宿りをしながら地図を確認したら、店の人が大声をあげました。私たちが注意されたのかなと思ったのですが(Nもそう思ったといいました)、そうではなく別件だったようです。いずれにせよ私たちも怒鳴られる可能性もあるので、また路上に出ます。

雪であっても、中華街では食の欲望はつきません。私たちも、韓国最後の晩餐は、ここで済ます所存です。

傘さしている女の子、いかにも韓国のかわいい女の子という雰囲気です。

 

こういうパステル系の建物は好みです。

中心部を離れて、旧租界を離れて、日本の建物がまだ残っているエリアに向かいます。

坂道に車を止めるのは苦手です。私は絶対嫌だな。

そんなことを考えていると、あ、ライオンがいました。

華僑の学校ですね。やはり学校は大事です(ね、浅田真央さん!!!)。

掲示スペースがありました。

一瞬どこの指名手配犯だよと思いましたが、外国人登録の際の写真の説明だったようですね。あまり指名手配犯らしい顔の女性ではありません(というのは私の偏見かもですが、そんなにものすごく実態と違うというものでもないと思います)。

(つづく)

友人Nと行く弾丸韓国旅行(LCC利用)(2016年2月)(13)

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日本植民地時代の建物が(ある程度)残るエリアに入りました。疲れたのでちょっと休むことにします。

やや「日本風」であって、ちょっと日本の建物とは違うんじゃないのという気はします。

植民地時代の建物を改装したカフェへ行きます。大賑わいです。

最近は、ハートにするのが多いですね。昔からかな?

なかなかいいので、仁川に行かれる方にはすすめます。

日本風といえば日本風ですが、どんなもんですかね。

そんなことを考えていると、あ、大きな招き猫がありました。

日本人の私からすれば、何をいまさらかもしれませんが、記念写真を撮ってしまいます。

この建物のような明るいブルーは、私の好きな色です。ネクタイなども、こういう色が好きです。

韓国では、漢字の看板というのは、もったいぶったものとして使います(というような気がします)。

 もう少しこのあたりを散策することとします。

(つづく)

人間というのも、知能が衰えるといろいろ問題が生じる

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私はそんなことを知らなかったのですが、母が私に過日こんなことを話しました。父は、私と同じく旅行好きでしたので(といいますか、私が映画好きで旅行好きなのは父の影響です。もっとも野球が好きということは影響がありませんでした)、晩年イタリアにひとり旅で出かけました。何回も行っている国です。それで帰国したあと、理由はわかりませんが、ついに死ぬまでひとりで国外に行くことはなくなったというのです。で、母曰く。

「なにがあったかは本人話さなかったけど、たぶん嫌なことがあったんじゃないかな」

詳細はもちろんわかりませんが、それ以降は、飛行機に乗る際のチェックインその他母にやってもらうようになったといっていました(ちなみに両親は、父のほうがだいぶ年上です)。

なるほどねえと私は思いました。その件は知りませんでしたが、私も父のことで思い当たることがあったのです。

父がどこかへ観光に行ったのですが、日帰りで帰宅すると言ったのです。そこは、家から日帰りができなくはないが、それではあまり観光の時間がとれない、くらいの場所でした。父が金がないわけがないし、時間だってすでに仕事を引退していたわけですから、宿泊することになんら問題はない。それでその話を聞いた私は、確か「泊まればいいじゃん」と言ったのですが、「いや、いいんだよ」くらいのことを話した記憶があります。で、私の知る限りそこへ父が行ったのはそれが最後だったと思いますが、日帰りしたのはその時だけのはずです。高齢で体力的にきついのにそんなことをしたのは、すでに1人で宿に宿泊するというのが精神的にきつかったのだろうなと思います。その心境がどのようなものかはわかりませんが。

そういえば、父が死んだあとに母が語ったところによりますと、父とスーパーマーケットだかに行った際、父が不自然に母に身体をくっつけてきて、万引きに間違えられそうになったというのです。もう精神的に、ひとりでは不安で仕方ないという状況だったのかもです。四六時中とまでは言わずとも、そういう瞬間があったのでしょう。

きりがないからこの辺でやめますが、母が車を運転していて父が助手席に座っていた際(父は自動車を運転できませんでした)、昔は非常に優秀なナビゲーターだった父が、どうも方向感覚が悪くなっていたなんて話もしていました。

そんなことは私は何も知りませんでしたが、「なるほどねえ」と妙に納得してしまいました。それにしても、体力的に衰えてそれで旅行とかができないというのは仕方ありませんが、認知症その他の関係で、体力はあるのに旅行に行くのが困難になるというのは願い下げですね。しかしもちろん私もそうなる可能性があるし、事実そのような事態になる人はすくなくないわけです。

実際認知症の人が行方不明になったり事故にあって死亡したりするのは、つまりは徘徊する体力はあるということです。寝たきりになれば動けませんが、体力のある人は、「え!」と思うような遠いところへ行くこともできます。ましてや車の運転ができて運転すれば、行動範囲ははるかに広がります。

ところで認知症になると料理が苦手になるとされます。料理をするというのは、膨大な情報を脳内で処理しないとできません。材料をそろえることから調理の手順、盛り付け、後片付けにいたるまで、脳がじゅうぶんに働かないとうまく作業ができません。

それでそれは、個人で旅行するというのも同じです。公共交通機関を予約したり、宿泊施設を予約したり目星をつける。現地での公共交通機関、時にはレンタカーなどの利用、観光地や食事を取る場所の事前確認、あるいは現地での出たとこ勝負での観光など、これも実に膨大な情報を頭で処理するわけです。海外ですと、パスポートや時にビザの手配、日本語が通じないストレスなども重なります。

いまの私は、そういったことを難なくこなします。それは、いままでにそれなりの経験をしていることと(当たり前の話ですが、経験があれば、どのように行動すればいいかというのは過去の事例からだいたい判断がつきます)、あとは私がそういったことを順序だてて行うだけの頭があるからです。いくら経験があっても、頭がなければできません。で、私もそれができなくなる日が来て、そのような行動ができるようにならない保証は当然ない。

旅行は趣味ですが、趣味じゃなくても日々の日常生活にも人間の頭脳はフル回転しています。頭の働きが悪くなると、上の父の事例でわかるように、いろいろ不都合が生じます。アル・ゴアじゃないですが、不都合な真実です。

近場でのショートトリップの面白そうな場所を考える

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前に近場でのショートトリップの話を記事にしたことがあります。

近場の世界遺産を見学する(ついでにリトル・ブラジルも見学)

この時は富岡製糸場、ブラジルタウンの大泉町、あと埼玉と群馬の県境を見学しました。その時の埼玉と群馬の県境を表す小さな標識には「へえ」と思いました。

それで、そこからそんなに遠くないところに面白そうな県境があります。埼玉県と栃木県と群馬県の県境というのがありまして、ここは3県がぶつかっています。山ならともかく、平地で3つの県がぶつかる県境というのはめずらしいとのこと。たしかに、東京都と埼玉県と山梨県の県境なんてのは、完全な山です。それでだいぶ前ですが、こんな記事(魚拓)を。

>3県境
群馬、栃木、埼玉…境界線確認、新観光スポットに

毎日新聞2016年2月9日 20時35分(最終更新 2月10日 01時25分)

馬県板倉町、栃木市、埼玉県加須市の3市町が合同で

 あいまいだった群馬、栃木、埼玉の3県境を画定しようと、群馬県板倉町、栃木市、埼玉県加須市の3市町が9日、合同で境界線を確認した。地権者が立ち会ったが争いもなく、各県に報告し3月上旬にも手続きを終えて固定される見通し。平野部の地面上で3県境が接するのは全国的にも珍しく、近くの渡良瀬遊水地や各市町の観光スポットをつなぐ地域振興の結節点として活用するという。【阿相久志】

 3県境は、渡良瀬第一貯水池(谷中湖)の南西側にあり、板倉町海老瀬、栃木市藤岡町下宮、加須市小野袋で接している。もともと県境をなしていた渡良瀬川が明治時代の足尾銅山による鉱毒被害を受けて流路変更され、沼地になった県境地域が埋め立てられて陸地となったという。一帯はその後、水田として利用され、Y字型に走る用水路が県境とみなされてきた。

 この日の作業では、用水路の接点で、積み重なった泥を取り除いて目印の標柱をあらわにし、3県の接点と確認した。この標柱は、1980年に群馬県が終えた区画整理事業に際し、県境の確認用に据えた。その後、泥に埋まっていたという。新たな標柱に交換し、確認しやすくする。

 今回の3県境確認を受け、板倉町産業振興課の遠藤進課長補佐は「2市と提携して周辺を整備し、集客の拠点として観光客の周遊を促したい」と波及効果に期待を寄せる。加須市もすぐ近くの「道の駅きたかわべ」とつないだ観光資源としての活用を検討。栃木市も、茨城を含め4県を短距離でまたぐ県道9号線と合わせた「パワースポット」として売り出したい考えだ。

 「ググっとぐんま観光宣伝推進協議会東部地域部会」が2月上旬から配布する群馬県東部地域の観光ガイドブック「味旅(みたび)」でも、板倉町の提案で「日本でここだけ! 奇跡の“3県境”」と銘打ち、新たな観光スポットとして紹介している。

 3県境目当てに訪れる人たちのため約20年前から手製の案内板を設置している栃木市藤岡町側の地権者、古沢満明さん(82)は「魅力度ランキングでいつも低位にある北関東が有名になるきっかけになればいい。もっと人がたくさん来て、にぎわってほしい」と笑顔を見せる。

 一方で戸惑う地権者もいる。板倉町側の水田でコシヒカリを栽培する男性(61)=加須市在住=は、親の代に沼を埋め立てて区画整理した際、たまたま割り当てられた土地だという。3県境が話題を集めることに「にぎやかにならない方がいいのだが……。もの好きがいるもんだな」と苦笑いしていた。

ここで突然馬鹿な話を思い出しました。実話かどうかの責任は持てません。

3人くらいで山に登って東京、埼玉、山梨あたりで、1人が足をくじいたかどうかしてしまいました。それで、1人が(携帯電話とかはない時代でしたから)、いちばん近くの家だか施設だかの電話があるところに行き、119番をかけました。そうしたらこのようにいわれたというのです。

「で、そこは確かに××(東京か埼玉か山梨かは不明)なんですね?」

え! たぶん××だと思いますが、しかし確信はない。でも「いやわからない」ともいえないしねえ。仕方ないから、「はいそうです。間違いありません」と言って、すぐ遭難現場に戻って、ここならぜったい「××」であると断言できるところまで運んで、それで救助を待ったというのです。

このような真偽不明の話はともかく、行ったって単に畑があるだけの面白いわけでもない風景があるだけですが、社会勉強で行ってみたいと思います。

そしてもうひとつ、けっこう面白そうなのが、こちら(魚拓)です。

>休止扱い半世紀…安比奈線、ついに廃止へ 西武HD発表
戸谷明裕2016年2月10日21時33分

 西武ホールディングス(HD)は10日、西武新宿線南大塚駅から延びる貨物専用の安比奈(あひな)線(南大塚―安比奈、3・2キロ)を廃止する、と発表した。バブル期に計画された安比奈車両基地の廃止が決まったため。半世紀以上休止された路線に、ついに終止符が打たれる。

特集:テツの広場
 安比奈線は運行を休止しているが、西武鉄道の会社概要にも掲載されている「営業路線」。南大塚駅から西の入間川に向けて延び、途中に新駅の計画もあった。入間川河川敷からとった砂利の輸送線として1925(大正14)年に開通。関東大震災や戦後の復興需要で活躍したが、砂利の需要減や採取規制強化により、63年以降、「休止」扱いとなったままだ。

 87年になって、安比奈駅の跡地周辺に約300両をとめられる安比奈車両基地の計画が浮上。川越市など関係自治体にも説明していたが、車両増強計画の見直しもあって実現しなかった。南大塚駅からは単線の線路が現在も延びるが、休止期間が切れる今年11月末に廃止され、線路は撤去される見通しだ。

 10日に発表された決算で、西武鉄道は投資した用地費など約126億円を特別損失として計上した。西武HDの担当者は「廃線は残念だが、土地利用計画を川越市などと協議して地域貢献したい」と説明した。

 昭和の名残を残し、ドラマのロケ地にも使われた風景。同市政策企画課の永堀孝明課長は「今後については西武鉄道や市役所内の関係部署と確認していきたい」と話した。(戸谷明裕)

廃線沿いに散歩してみても面白そうですね。川越ですから、3県の県境より容易に行けます。ついでに、bogus-simotukareさんから教えていただいた元巨人のピッチャー條部うどん屋で食事をしてもよさそうです。

そういえば、これは近場ではありませんが、ずいぶん以前、京都の山城から山を越えて南禅寺まで歩いたことがあります(こちらからご覧になってください)。あれもいい経験だったな。

いずれにせよ遠くに行くことばかりが旅ではありません。東京湾をフェリーで渡ったり、青梅線沿線や秩父電鉄、あるいは神奈川県でJR東海エリアに踏み入れたり、いろいろ充実したショートトリップができるというものです。あなたの地元あるいは近隣にも、「お!」というすばらしいところがあるはずです。ぜひお時間をつくってあなただけの楽しいショートトリップをしてください。

はたしてそれだけの価値があったかどうかを考えてしまった

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某日、某地方都市のショッピングモール、といっても、大規模ドラッグストア、ホームセンターと大規模スーパーが同じ建物に入っている商業エリア、あと食堂などいくつか店舗が入っているという、地方にありがちなタイプのエリアを車で通りかかり、ちょっと思い立つことがあり、スパムミートを買ってみることにしました。

スパム」とは、ランチョンミートの食品の登録商標であり、「ランチョンミート」のWikipediaの説明を引用すれば、

香辛料などを加えた挽肉を金型に入れて固めたものを、オーブンで加熱後に冷却して保存性を高めたホームメイドソーセージの一種である。

というものであり、日本ではもっぱら缶詰にされて売られています。

で、前にこれを買って、チャーハンの具にしてみたら(といっても、御飯に、卵とチーズを入れて、それに切ったスパムを入れてしょうゆをかけただけの、凄まじいものでしかありませんが)わりとおいしかった(あくまで私の趣味ではです。念のため)ので、ではまた買ってみようかなと思ったわけです。

それで某チェーンドラッグストアにも缶詰が売られていたので確認したところ、税込537円でした。

340gの缶詰に、500円以上の価値があるかどうかは不明ですが、しかし近くに大きなスーパーがあったので、そこでも商品を確認してみようかと考えて、往復2百数十メートルくらい歩いて某スーパーの缶詰売り場へ行きました。そうしたら、価格は、

「527円(税込)」

とありましたので、お、さっきの店より10円安いじゃんと考えて、その店で買いました。それで歩いて車に戻り、それで考えました。

はたして、わざわざ何百メートルか歩いて10円安い缶詰を買って、それだけの価値があったのだろうか・・・。

他人が迷惑するわけじゃないし、知らなかったのだから仕方ありませんが、いずれにせよ10円なら最初の店で買ってもそんなに惜しくはないなと考えます。

過日、いわゆる「トラベルセット」とよばれる携帯用歯磨きセットを数軒ドラッグストアやスーパーを見て、わりと安い店で買うことができましたが、しかし缶詰の10円には、あまり意味はなかったかなと考えます。折に触れて、どれくらいの値段なのかを適宜確認すればじゅうぶんかなというところです。

ただし人間の金銭感覚というのは大にして狂っていますよね。ガソリンで、1ℓ1円の安さを求めている人が、ミネラルウォーターをがぶ飲みするわけです。ガソリンにかかる間接税の高さを考えれば、ミネラルウォーターの高さなんてひどいものです。といいつつ、私も日々ミネラルウォーターやサントリーのウーロン茶などをがぶ飲みしています。これではやはりいけませんね。

鉄道運賃とか航空券の値段なら、いかに安く買うかというのを日々研究し、映画の安いチケットを買うために、チケットショップ、会員、労働組合や職場の安いチケット、映画の安い日などを日々追い求めますが、しかし本当に金を使いたくなければ、旅行に行かず映画も観にいかなければいいわけです。しかしそれでは生きている甲斐がありません。展覧会だって行きたいし、そんなに金がかかるわけではないけど、フランス語の勉強だってしなければいけません。

そう考えれば、こんなブログで日々遊んでいる話を書いていられる私は幸せな人間なのかもと考えます。別に遊んでいる記事ばかり書いているつもりもありませんが、そういうわけでまたこのブログをよろしくお願いします。

米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる

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私が上海から帰国した3月21日、NHKの午後9時のニュースで、オバマ大統領のキューバ訪問についてのニュースが流れました。それに関して、男性キャスターが次のような解説をしました。たまたま録画していたので、私の責任でその解説を文字起こしします。動画をサイトで流せばいいのですが、それは著作権法違反になりますので、ご面倒ですが文字起こしにて解説をご確認ください。「えー」とか「あのー」などは省略します。

>(前略)これまでの、その、政権は、とにかく封じ込めといいうか、圧力一辺倒でキューバに対してきたわけですけど、けっきょく人権問題なんかはあまり成果がなかったということで、それよりも経済制裁を緩和して、キューバの経済が良くなればね、人権状況も改善するだろう、というのがこの考え方なわけですねえ。で実際アメリカ企業が進出をすれば、それによってアメリカの国益につながる、というもちろん計算もあるんですけどね。(後略)

ここでの解説は、オバマ政権のキューバ訪問のねらいや意図を正確に説明していると思います。それで私が思いついたことがあります。すなわち、

「これって、日本と北朝鮮の関係も同じだよなあ」

ということです。

よく反北朝鮮を訴える組織、あるいは個人が、北朝鮮へ経済制裁ほかの圧力をかけることにより(屈服させることで)、北朝鮮から譲歩を勝ち取り、拉致被害者帰国を実現したしこれからも実現することを可能とする、みたいな主張をしています。しかし私は、そのような主張を立証する第三者の発言その他を読んだり見たりした記憶がないですね。

私はいままで、拉致問題に関してさまざまな本を読みましたし、新聞、雑誌、ネットなどのさまざまな記事を読みました。また拉致について特集したテレビ番組などもたくさん見ています。それで、それらの中で、上に書いたように、圧力によって北朝鮮側の譲歩を勝ち取れたということを具体的な証拠をもって説明した記述や報道は、私は知らないですね。巣食う会や家族会、その関係者や支持者(櫻井よしことか)がそのような主張をしているのは数限りなく読んだり見たりしていますが、その主張を立証するものは知りません。もちろん私の記憶から抜け落ちているということはありえるし、知らないところにはそのようなことを書いてある本や証言している人のインタビューを収録した番組などもあるのかもですから、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄などでご教示いただけませんかね。よろしくお願いします。

いずれにせよ、そのようなことを書いてある本や記事、あるいはそのような証言を取り上げた番組があったとしても、北朝鮮指導部に拉致被害者を日本に返すという決断をさせるにいたったのは、圧力よりも何らかの見返り、対価であるということは、実にたくさんの人間が語っているし、また新聞、雑誌その他でも報道されていますよね。対価と圧力のどちらが北朝鮮側を動かしたかというのは明らかでしょう。たとえば大した対価ではありませんが、次のような記事はどうでしょうか。常に北朝鮮への強硬姿勢を唱える産経新聞の記事です。

>林東源は、小泉からのメッセージも金正日に伝える。「拉致問題に進展があれば、国民を説得して関係改善を進める意思がある」との趣旨だったという。

 林は「日本人拉致は『過去に過激な盲動分子がやったことだ』という程度に認め、遺憾の意を表し、早期の帰還措置を取るのがよい」という「金大中の考え」を伝えて説得したとも回顧録で主張している。

林氏なる人物は、韓国の元統一相で、金大中元大統領の側近です。記事に出てくる回顧録とは、下の本ですかね。読んでないので、確認はしていません。

南北首脳会談への道―林東源回顧録

この記事が強調したいことは、ほれみろ、金大中なんて金正日と癒着しているとんでもないやつだ、みたいなものなのでしょうが、いずれにせよつまりはそのように北朝鮮側へ配慮することが拉致被害者帰国につながる一助になったということです。産経新聞の報道も、このようにとらえるとなかなか役に立ちます(笑)。

で、産経新聞の考えはまた違うのでしょうが、このような記事を読めば読むほど、強硬策じゃぜんぜんダメじゃんという結論に立たざるをえないと思いますけどね。外務省とか自民党とかの本音はまた違うかもですが、こういった明々白々な現実を完全なまでに無視する巣食う会とか家族会ってなんなんですかね(呆れ)。現実問題として、強硬策は全然うまくいってないじゃないですか。それで、朝鮮総連を総連会館から追い出すとか、そんなどうでもいい話に目の色を変えているんだから、こいつらの馬鹿さぶりとクズぶりというのもすさまじいものがあります。

いや、巣食う会の連中らは、拉致被害者(家族)たちを自分たちの政治運動の道具として利用する以外のことは考えていないので、そのような非常識かつ馬鹿きわまりない態度を取るわけですが、拉致被害者家族たちは何を考えているんですかね。この人たちが拉致被害者のことをまじめに考えているとは、私には全く思えませんね。いままでこの人たちのことを私はくりかえし批判していますが、私が批判してきた程度のことをこの人たちが理解できないほど頭が悪いなんてこともないでしょう。少なくとも全員が全員理解できないなんてことはない。

けっきょくこの人たちは、inti-solさんが私へのコメント返しでご指摘になったように、北朝鮮の現政権を武力で撃滅したいとしか考えていないんでしょうね。そういう考えこそが、現実性がないというものだと私は思いますが、この人たちは死ぬまでそのような非現実的なことをほざき続けるのでしょう。まったくもってどうしようもありません。

それにしても、NHKも、上のように米国とキューバについては正鵠を得た解説をするのに、日本の対北朝鮮対応については、そんな解説絶対(笑)しませんよね。それもどうかです。あ、これはもちろんNHKだけの話じゃありませんよ。他の放送局も、絶対そんな解説をしはしません。

余談ではありますが、上の金大中氏のアドバイスや具体的に動いてくれた林東源氏については、私は拉致被害者(家族)の直接の関係者ではもちろんありませんが、本当に感謝したいですね。彼らの助言や行動が、日本人拉致被害者の帰国に何らかの形で寄与したのですから、拉致被害者の日本帰国を「よかった」と思うのであれば、金大中氏のほかの政治姿勢に批判的であるとしても、少なくともこの件では、金大中氏らに感謝をすべきだと思います。ところが荒木和博などは

>「金大中事件のときに殺しておけばよかったんだ」

 数年前、私がお世話になった韓国のある大学教授のこの言葉を聞いたときはさすがにどきりとしました。

とまで書く始末。さすがに他人が語ったという形式にしていますが、荒木本人がそう考えているということでしょう。でなければこんな記事書くわけがない。こういうことを書く人間を、私は「人間のクズ」と評してなんら躊躇しませんね。世の中広いとはいえ、ここまで世話になった人にここまでの暴言で報いるクズがいる界隈は、そうはないでしょう。それでこのようなクズに拉致被害者家族は依存しているのだから、その馬鹿でどうしようもなさというのはひどいにもほどがあるというものです。

まったく拉致界隈というのは、この種の木が沈み石が浮くようなお粗末な光景に事欠きませんね。安倍晋三とか荒木や西岡力その他のような役にも立たんクズ連中がでかい顔をして(内輪の話ですが、荒木あたりは、明らかに安倍には愛想が尽きているでしょうが)、本当に動いてくれた小泉純一郎氏や田中均氏や金大中氏その他が罵倒される。なんとも無様で無残な光景です。

なおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事と私へのコメント返し、inti-solさんの私へのコメント返しを参考にしました。感謝を申し上げます。


プリンスの死に「おいおい」と思った(4/22更新)

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この記事は、私にとって「おいおい」です。

>プリンスが急死 先週インフルエンザで緊急搬送
bmr.jp 4月22日(金)2時50分配信

80年代を中心に数々の名作を世に発表、世界で1億枚以上のセールスを誇り、現在も第一線で活躍している音楽界の伝説、プリンスが57歳で亡くなった。先週、病院に緊急搬送されたことが報じられたばかりだった。

ここ最近も、弾き語り形式でのコンサートとなる〈Piano & A Microphone〉というツアーを断続的に行うなどライブを中心に活動しながら、昨年も『HITNRUN Phase One』、『HITNRUN Phase Two』と新作を2作リリースするなど精力的に活動していたプリンス。だが、先週15日、アトランタでの公演後に乗ったプライベート・ジェットの中で体調が悪化し、イリノイ州モリーンの空港に緊急着陸、病院に搬送された。代理人によるとインフルエンザにかかって数週間前から体調を崩しており、飛行機内で悪化したと説明され、一度アトランタの公演を延期していたのも、体調不良によるものだったと発表された。

そして米時間で4月21日の朝、ミネアポリスの自身のスタジオ[Paisley Park Studios]で誰かが亡くなったようだと米ゴシップ・サイトのTMZが第一報で報じ、その後、発見された遺体がプリンスのものであると報じられた。詳細は不明だが、AP通信など複数のメディアが報じており、地元ミネアポリスのKSTP TVは警察関係者の情報筋により事実であると発表。その後、プリンスの広報が事実であることを認めた。CNNによれば、[Paisley Park Studios]内で何が起こったか現在警察が調べているとのこと。プリンスは先週15日に病院に搬送された後の翌日16日には、[Paisley Park Studios]で開催されたダンス・パーティでファンの前に姿を現し、パフォーマンスこそ行わなかったものの、新しいピアノやギターを見せ、ライブ・アルバムを発表したいと話していたという。

プリンスは先月、米出版社のランダムハウスと契約し、初の回顧録を執筆中であることを明かしたばかり。また昨年12月にデジタル限定配信だった最新作『HITNRUN Phase Two』のCD盤が4月29日から一般発売され、日本盤が5月27日に発売されることも決まったところだった。

最近はそんなに聴くこともありませんでしたが、私もひところはやたらプリンスにはまっていた時代があり、彼の死は驚きです。そうなると、やっぱり彼のライヴを1度は見ておくべきだったとかいろいろ後悔もします。

私が彼の歌で、(一番とまでは言えませんが、なぜなら知らない歌もあるから)好きなのがこの曲です。

Prince:The Beautiful ones

ところで、プリンスといえば、エホバの証人の信者であることも知られていました。こちらの記事を読んでください。こちらの本では、著者がプリンスとエホバの証人の関係で顔を合わせた話があるくらいです(p.241)。また、こちらでは、プリンスとの写真はありませんが、関連する写真があります。

ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

それにしても、やはり身体の酷使とかあったんですかねえ・・・。いずれにせよご冥福をお祈りいたします。なお、現在は、4月22日の午前6時過ぎですが、至急更新したかったので、23日の記事として更新します。

友人Nと行く弾丸韓国旅行(LCC利用)(2016年2月)(14)

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これは、旧朝鮮銀行の建物です。現在は博物館ですので、見学します。有料だがいいか、とNがきいたので、普段「有料」というのが苦手な私も、さすがに「入ろう」と答えます。

中です。写真にはありませんが、受付の女の子、なかなかの美人でした。

遠近感がよく出ていました。

そんなに展示スペースが広いわけでもないですが、なかなかいい資料館でした。

一応記念写真を撮ります。

向かって右側が、日本植民地時代の建物が残るあたり、左側が旧租界です。

また中華街に戻ります。

「地球の歩き方」にものっている店で夕食を食べることにしますが、この行列です。昔は韓国人は、食事で行列は作らなかったそうですが、最近は時代も変わったようで並ぶことを厭わなくなったようです。

座敷に通されます。

ジャージャー麺などをいただきます。肉みそが大変おいしく、並んだ甲斐がありました。正直このあたり、やや韓国人の味覚と日本人の味覚が異なるところがあり、必ずしも日本人の口に合うわけでもないのですが、この店のはあたりでした。

だいぶ外も暗くなりました。そろそろ空港へ向かいます。

どうです。なかなかきれいでしょう。

有名なシェフなんですかね。

仁川駅でNと記念写真を撮ります。私は右です。

電車に乗り、仁川国際空港へ向かいます。

地下鉄に乗り換えます。

空港鉄道に乗り換え、仁川国際空港につきます。

だいぶ出発が遅れてしまいました。

羽田に到着します。Nとはここで別れます。

LCCで行く韓国旅行もなかなか楽しいものがありました(だから記事が長くなりました)。

(完)

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(1)

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3月の春分の日の連休を利用して、上海と蘇州に3泊4日の旅をしました。この旅行の記事を書いて、(ようやく)アイルランドにもどります。

行きの飛行機の機内食です。まあまあでした。

機内です。客室乗務員は、わりと美人でした。

上海浦東国際空港に到着します。

入国して、中国元に両替します。ちょうど円高になったので、私のようにビジネスで出入国するわけでない人間にはありがたくなりました。

リニアモーターカーに乗ります。

あっという間に到着します。しかしリニアの全面についている汚れは、やはり鳥か何かの衝突なんですかね。どう見ても血に思えます。

2011-12年の旅の際に買っておいた交通カードをチャージして地下鉄に乗りホテルへ向かいます。実は今回は、私の旅にしてはめずらしくツアーですが、ホテルはついているが、送迎はなしというものです。つまりは私みたいな人間には、一番都合がいいわけです。

ホテル最寄りの交通大学駅で降ります。

旧フランス租界のせいか、瀟洒な雰囲気です。

現在となっては利用価値の低くなった公衆電話ですが、電話のWiFiというのは、中はWiFiでつながっているという意味なんですかね?

今回泊まるのは、こちらのホテルです。私が泊まるホテルとしては、わりといいホテルです。ちなみに上海で、クラシックホテル以外にとまったのは、今回が初めてです。

ホテルの窓からの景色です。

ホテルの廊下には、こんな写真が飾ってありました。

ホテルのロビーです。吹き抜けですね。

地下鉄に乗り、上海駅に向かいます。

駅に降りますが、目的のレストランの閉店時間を間違えてしまい、本日は食事するのを断念、別の店に行きます。

また地下鉄に乗ります。

なぜか、イエイツモハーの断崖の写真が、地下鉄の車内にあります。この関係は、アイルランド紀行の記事でごってり登場しますので、乞うご期待。

いろいろなヴァージョンがあります。イェイツも、自分の写真や詩が、遠く上海の地下鉄で大々的に取り上げられているなんてことを知ったら驚くでしょうね。

けっきょくとある四川料理屋に行きます。ここには以前いったことがあります。こちらの記事参照。

ビールをいただきます。やはり地元のビールをいただくと、うまいなと感じます。

おいしくいただきます。今夜はこれでお休みなさい。

(つづく)

やはりニューヨークがいちばん好きな街かもしれない

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過日、「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」という映画を見ました。題名どおりニューヨークが舞台ですが、ブルックリン、あるいはマンハッタンでロケーションが行われています。

映画自体は、残念ながら私の好みではなかったのですが(出来が悪いというより、私の好みとちがったという感じです)、ニューヨークの街の風景はよかったと思います。

私は米国には、ハワイやグアムといった本土以外には行ったことがなく、計3回入国しています。最初と最後の3回目がニューヨーク、2回目がサンフランシスコです。

で、私の旅行好きというのは、ニューヨークにはまったからだといえます。当時はまだ旅なれていない時代だったので、今にしてみればいろいろ「どうもなあ」と思う部分もありますが、しかしやはりこの旅行がつまらなかったら、たぶん今ほど旅行が好きでないと思います。

今まで、大都市だけに話を限りましても、ソウル、北京、上海、広州、香港、バンコク、ヤンゴン、モスクワ、キエフ、ウィーン、ブダペスト、ミュンヘン、ベルリン、パリ、ロンドン、ダブリン、アムステルダム、ブリュッセルその他いろいろな街に行きました。どの街も行ってよかったと思いますが、どこの街がいちばん好きかと考えると、やはりニューヨークかなと思います(ライプツィヒはというと、あれは中規模都市ですので、魅力が違います)。ニューヨークは、見るところいっぱい、美術館や博物館は超充実、食事もよりどりみどりです。いい街です。

もっともそういうことを言い出せば、ロンドンだってパリだって、見るところもミュージアムも、食事も(ロンドンも、昔はともかく今はそんなに食い物のまずい街ではありません)いいから、たぶんニューヨークという街の雰囲気が私の好みに合致するのでしょう。

そうなると、私も長きにわたってニューヨークに行っていないので、米国の指紋認証システムに屈してそろそろ入国しようかと考えますが、来年ラテンアメリカに行く際に、ニューヨーク経由で行ってみても面白そうだなあと考えます。17年の段階では、キューバ行きの便は就航していないかもしれませんが、本来ならニューヨークからハバナへ向かう便に乗れればなと思います。

実際には、カナダ経由で行く可能性のほうが大きそうですが、余談ですが、「完全なるチェックメイト」という映画で、1950年代あたりのブルックリンのシーンを、モントリオールでロケーションしたそうです。トロント経由の便でラテンアメリカに行くのなら、ラテンアメリカでの滞在日数を削ってでも、モントリオールへ行って、怪しいフランス語で話をしてみたいと思います。

モントリオールはともかく、ニューヨークに最初に行った時、観測史上なんとか番目の大雪が降り、数日足止めになったことがあります。その時は本当に途方にくれましたが、しかしそれもいまにしてみればいい想い出です。もちろんそんな程度で話が済んでよかったということですが。いずれにせよそのおかげで冬のニューヨークはトラウマ(笑)です。本当は、ニューヨークのニューイヤーズイヴなんてのも経験したいんですけどね。

2度目のニューヨークでは、ブルックリンのウィリアムスバーグへ行きまして、そこは正統派のユダヤ人の人が多い町ですので、黒い服に黒い帽子、ひげをはやしている男性が街を歩いていました。ブロンクスに行くつもりはありませんが、クイーンズあたりのいろいろな国の人々が混在している地域を歩いても面白いかもしれません。いずれにせよニューヨークも面白い街です。

まだその時期でありませんが、行く際はブログのカテゴリーに「北米」「ラテンアメリカ」というものが付け加えられると思います。その日を乞うご期待。

韓国系のエアは、(いまだ)客室乗務員の(容姿の)レベルが高い(と思う)

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過日ちょっとネットをさまよっていましたら(ネットサーフィンという言葉がありましたが、ネットの上に乗るというより、さまようというのが正直なイメージです)、ちょっと面白い記事を読みました。

筆者は野球(特にMLB)に詳しいライターですが、これは野球とは無関係な記事です。筆者の方は、

>それがここ10年くらいで、日本のCAもビッグママとまでは言わないが、容姿の点では別に傑出した人達ではなく、一般女性と変わることがない水準に落ち着いてきたように感じられる。

とした上で、

>これは完全に男性視点での話だが、21世紀に入ったあたりから海外旅行が極めて一般的になったために、前世紀というか昭和の時代においてわれわれ男性陣があれほど焦がれた「スッチー」(敢えて、その時代の俗称を用いる)も、やっていることは乗客から見える範囲においてはファミレスのお姉さんと同じであることに気付いたからだと思う(CAは保安要員だ、という意見もあるかもしれない。しかし、幸いにしてわれわれの99.999%は航空機事故に遭遇したことはない訳で)。 

国際線では英語力が必要と言われているが、ぼくが以前勤めていた会社で同僚だった元CAの女性などは、「しょせん、Beef or chicken?が言えればOKなのよ」と言っていた。

言い換えれば、もはや女性にとってある意味では究極の職業(これも男性による偏見かもしれない)ではなくなってきた。その結果、昔ほど才色兼備の若い女性がこぞって志望する職種では無くなったというのがぼくの仮説だ。

という指摘をされています。

私は、今も昔も、日系のフルサービス提供のエアに乗る機会は多くありませんが、確かに昔と比べると普通の容姿というか、雰囲気もそんなに華やかというわけではない女性が客室乗務員に増えてきたなという気はします。

上の筆者の方のご指摘はほぼ正鵠を得ていると思いますが、筆者はほかに

>いや、ひょっとすると、今も昔もCAの美的偏差値に大きな変動がなく、昔ほど男性がこの職業の女性に強い執着をを持たなくなったため、その偏差値が下がったように見えているだけかもしれない。

とも書いています。それは確かにそうである部分もあろうと思います。そのような心理的な部分もあるでしょう。

ほかに、たとえば客室乗務員に、非常勤職の人も出てきたとか、あるいはJALが倒産したとか、労働条件が昔ほど良くなくなったということもあります。当たり前ですが、時代の花形職業で、いいお金をくれて経営もしっかりしていて、容姿を重視する職場でしたら、優秀で容姿にもめぐまれた女性が集まります。そのあたりも時代の変化でしょう。

また格安航空会社(LCC)は、基本的にそんなに客室乗務員の容姿なんてものに頓着しないでしょうから、これもわりと普通の女性が集まるということになります。給料もそんなにいいわけではない。

「スチュワーデス」という呼び方から、キャビンアテンダント(CA)あるいは客室乗務員といった名称に変わっていく過程は、やはり客室乗務員(という表記に私はしています。理由は特になし)という職業が、待遇面、注目面もふくめて地味な存在になっていく過程でもあったのでもあろうなと思います。

そういえば、昔はプロ野球の選手とか有名なタレントなどが、客室乗務員(当時は「スチュワーデス」か)と結婚するというのがわりとあったじゃないですか。でも今は、昔ほどはそういう話は聞かないような気がします。すみません。あくまで「気がします」です。いいとかわるいとかの話ではありませんが、そういう時代なのでしょう(これは、引用した記事の筆者も指摘しています)。

さてさて、そう考えると、コリアンエア(大韓航空)は最近乗っていないので知りませんが、私が愛用しているアシアナ航空なんかは、たしかにいまだに客室乗務員のレベルが高いですね。韓国人は整形手術をするので本来の容姿はどうかは分からんとはいえますが、美人ばっかだし、スタイルも抜群です。どの女性も、見とれちゃうくらいの美女です。たいしたものです。

そうすると、やはり韓国ではいまだ飛行機に乗る、海外に行く(韓国では、KTXが発達しましたので、昔ほどは国内線の飛行機は乗られなくなっているはずです)というのは、日本以上に非日常的な経験、晴れやかな時間なのかもしれませんね。文化的な違いもあるかもです。韓国のLCCは、他国のLCCほどは機内サービスをばっさりカットしているわけではないという話を聞いたことがあります。すみません、これも「聞いたことがあります」です。「機内サービス」のうちには、きれいな若い女性から機内サービスを受ける、ということ自体もふくまれているはず。

いずれにせよこれから、韓国系のエアといってよくなければアシアナ航空だけに話を限ってもいいですけど、現在の客室乗務員のレベルがどれくらい維持されるかというのは興味深いですね。さらに上昇するか、そうでもないか、現状維持か。それらがどういう理由でそのように変化するのか(あるいはしないのか)いろいろ面白そうです。韓国での整形手術をうける女性の現状を考えれば、案外容姿のレベルは維持されるのかもです。わかりませんけど。

というわけで、これからもアシアナ航空というのは私の御用達エアになると思いますので、乗るたびに確認そして、折にふれてこのブログでも報告していこうと思います。また、この記事の元ネタを提供してくださった豊浦影太郎さんに感謝を申し上げます。

(我らが)キム・ヨナの近影

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昨日韓国系エアの客室乗務員の話を書いたので、世界でも最も知名度の高い韓国人女性(の少なくとも1人)であるお方のことをしばらくぶりに記事にしようと思い、最近のキム・ヨナの写真をいろいろ集めてみました。

後輩であるユ・ヨンと。

 

つい先日(4月20日)の写真のようですね。

今年の2月24日の写真とのこと。

始球式に参加したようですが、彼女でもやっぱり緊張するんですかね?

これは、2015年5月の雑誌より。

これも2015年の写真のようですね。

サムスンの宣伝での彼女。さすがにスタイルのいい女性です。

これは、アイスランドで撮影されたという写真。

ラスト2枚は、4月26日だから、火曜日に発表されたばかりの写真です。美しい写真です。

こうやって写真を見ていると、やはり世の中、選ばれた女性っているんだなと思います。美人で、すごいアスリートで、各方面で活躍している。いまだ現役に固執する某スケート選手とはえらい違いです。やはりヨナさんに勝るものはありません。

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(2)

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翌朝、今日は蘇州に行くことにします。ホテルを出て通りを歩くと、配電盤(?)がなぜか開いていました。

上海虹橋駅から蘇州に向かうこととします。この駅は、上海虹橋国際空港に隣接した駅です。2010年開業ですから、まだ新しい駅です。

それで中国の鉄道の切符の購入は、IDの提示を必要とします。外国人は、パスポートを見せるわけです。中国の駅ですから込んでいますが、なんとか切符を買えました。

まだ記事にしていないのですが、2014年12月~15年1月に北京と天津を旅しまして、この時も駅でいろいろな経験をしました。また記事にしますので、お楽しみに。しかしアイルランド紀行のあとは、たぶん夏と16~17年の旅行の記事を書く可能性がありそうですから、記事にできるのはいつのことか・・・。

真功夫という、中国ではわりとポピュラーなチェーンの食堂で朝食をいただきます。ブルース・リーのイラストを看板に使っているので、知っている方も多いでしょう。まあまあ食える味なので、私も実は中国に行くとよくいただきます(笑)。

電車が出るまで時間があるので、駅の中を歩きます。

出発ロビー、待合室です。中国の駅は、このように切符を持っている人間を待合室に通し、さらに各ホームで誘導するという2重のチェック体制をしいています。荷物チェックもあり、治安には気をつけています。

ホームに降ります。

車両です。私は座ることができず、立っています。

新幹線ですので速い速い。

JR東日本のグリーン車のアテンダントもこんな格好していますね。でもこの車両ではいたっけ。少なくともこんなすらっとした女性はいなかったように感じます。

途中の駅です。

蘇州につきます。駅の仕様はだいたい同じなので、面白くありません。まあ日本や台湾の新幹線の駅も同じようなものなので、仕方ないといえば仕方ないのでしょうが。

私の好きそうな車両が見えます。

一度駅の外に出て、どこへ行こうか考えます。

地下鉄に乗って移動します。中国で地下鉄に乗ったのは、上海、深セン、広州、北京、天津(乗った順番)で、これが6番目ですかね。蘇州に地下鉄があるというのは、初めて知ったときはちょっと驚きでした。もっともWikipediaによると2011年で市区人口が538万人だそうですから、あって当然の規模ではあります。

山塘街を見学するために、最寄りの同名の駅で降ります。

中国も、このような安いホテルが増えてきました。私のような旅行者には心強い限りです。

駅至近に位置します。

この運河を旅しようと考えたわけです。しかし左側のマスコットはどう考えても風景にそぐわないように感じます。趣味の問題でしょうけど。

すらりとしたこのような女性は、私の好みです。

ところで過日、ある女性から言われました。

女性「McCrearyさんほっそりした女の人好きでしょ」

私「なぜそう思います?」

女性「体格のいい人は、だいたいそうよ」

私の知る限りでも、そうである気がします。

この日は土曜日でしたので、大変な人込みです。

こういうご老人、いかにも中国という印象があります。でもこの人煙草を吸っているのかな? 人込みではあぶないよ。

地球の歩き方」にものっている「松鶴楼」というレストランで食事をします。

この海老はおいしかったです。

魚もうまい。これは蘇州名物とのこと。

(つづく)


上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(3)

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なにか出しものをやっていました。

運河を走る遊覧船に乗ります。親子連れ、家族連ればかりです。

運河の岸に建つ建物は、年季の入ったものばかりです。

洗濯ものが豪快に干してあるのも中国らしいところです。

 

なかなかすごい干し方でしょう。

時に奥さんらの姿も見ることがあります。

こういう光景も悪くありません。

我が人生で、水辺に住んだことはありませんが、このようなところに住んだらどのように感じるか、興味はあります。

丸い通り道(とでも言うんでしょうか)は、中国らしいという気がします。

子どもたちも元気です。

こういう服装を見ると、やはり日本の子どもの方がいい服を着ているなという気はします。

この女性も、日々運河をゆく遊覧船を眺めているんでしょうね。

この女性も、実に長きにわたって、運河の推移を見ているのかもです。

そろそろ遊覧も終わりです。

船頭さんです。

長い棒で巧みに舟を回転させます。

 お見事というところです。

(つづく)

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(4)

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船着き場の近くに、このようなQRコードのあるメッセージがありました。趣旨はわかりません。

お疲れですかね。

老女が自撮り棒を売っていましたが、パトロールしている人がやめさせます。すぐまた売るのでしょう。

そんなことを言いつつ、私もどうもこの時軽い熱中症にかかってしまったようで、体調を崩しました。静養するため、すぐ上海に戻ることとします。

というわけですぐ駅に向かいます。

この窓口で切符を買いました。なんとか座れる切符を手に入れます。

駅の周辺は、中国らしいというか、広大な広場がありました。

駅の待合スペースに行きます。椅子に寝転がって身体を休めます。

それにしても中国の駅の待合室というのは、そのあまりの人の多さに驚きます。日本の鉄道の駅を知っていれば、どんだけ人がいても驚きませんが、中国ではやはり鉄道の駅の人の多さは驚異です。

ホームに降ります。

新幹線が入選します。

並行して新幹線が走ります。

私が乗った新幹線は、上海駅に着きます。

駅近くの有名な北京ダックの店へ行きます。全聚徳です。前に友人Nと行ったことがあります。

2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(16)

近代的なビルばかりでなく、真ん中の建物のようなクラシックなものもいいものです。

こういうものは、日本ではあまり見かけないですね。

当然北京ダックをいただきます。

北京ダックをさばきます。

クレープを温めます(駅弁なんかについているものです)。

小籠包や

スープなどをいただきますが、この店では北京ダックに特化したほうがよさそうです。タクシーでホテルに戻り、すぐ寝ます。

(つづく)

鈴木瑞穂、野沢那智が声を担当する「ゴッドファーザー」を見ることができる

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すみません、これ2月にも放送されていたのですが、その時は記事にし損ねたので、今日記事にします。

CSチャンネルの「ザ・シネマ」で、明日5月3日に、「ゴッドファーザー」シリーズの、かつて日本テレビで放送された吹き替えバージョン(1作目と2作目)、フジテレビのバージョン(3作目)が放送されます。現在ソフトは、1作目と2作目は、野沢那智以外の人が担当しているバージョンが収録されています。3作目は、ソフトは野沢ですが、放送されるのは別録のバージョンですから、これはなかなか貴重です。

で、そういうことを言うのもちょっと気が引けますが、やはりアル・パチーノの声は、野沢那智に限りますね。野沢さんが亡くなったので、もう今後野沢のパチーノの声を聞くことは出来ませんが、そしてパチーノの声が野沢みたいな声のわけでもないのですが、そういったことを超越して野沢のアル・パチーノははまっています。実際、私もちょっと出典はいま示せないのですが、野沢那智に、どの映画の吹替えが一番思い出にあるかという(かなりすごい)質問をされた際、野沢氏は、いろいろあるが、やはり「ゴッドファーザー」シリーズの吹替えは、すごい経験だった、というような趣旨のことを語っていました。私も、やはりこの時の野沢の声はすごかったと思います。

それで、マーロン・ブランドの声を担当しているのが、鈴木瑞穂です。鈴木氏は、前にも記事にした「ペーパー・チェイス」で、その名もいかめしいキングスフィールド教授(ジョン・ハウスマン)の声をあてました。それで、鈴木、野沢両氏は、これまたきわめて知名度の高い映画でも、親子の声を担当していました。その映画は、「エデンの東」です。野沢さんのジェームズ・ディーンも良かったですね。ちなみに、ディーンと双子の兄弟役のリチャード・ダヴァロスの声は、 富山敬が担当しています。関係ない話ですが、ダヴァロスは、「暴力脱獄 」にも出演していまして、その映画でアカデミー助演男優賞を受賞した(過日記事を書きました)ジョージ・ケネディがお亡くなりになった直後の3月8日に亡くなっています。この映画のスタッフや俳優も、多くはすでにこの世の人ではありません。

以下だんだん話が違ってきますが、「暴力脱獄」には、わりとディーンと関係のある俳優たちが出演しています。前述のダヴァロス以外にも、「エデンの東」で母親を演じたジョー・ヴァン・フリートポール・ニューマンの母親役で出演していますし、ニューマン自身ディーンと親交があり、また「エデンの東」に出演するためにオーディションでもいいところまで行っていたくらいです。「理由なき反抗」で不良少年を演じ、「ジャイアンツ」でも出演していたデニス・ホッパーもこの作品に出演しています。つまりは、1950年代半ばくらいにデビューした俳優たちが60年代半ば過ぎに中年の役を演じるようになったということですが、これはこれでなかなか興味深いところがあります。


話が脱線しましたが、いずれにせよ鈴木、野沢のほかにも、森川公也ロバート・デュヴァルなんかも最高にいいし、鈴木弘子ダイアン・キートンも最高です。鈴木さんは、野沢同様3作とも担当しています。また、ジェームズ・カーンを担当した穂積隆信も、よく声がはまっていました。また麻薬取引を持ちかけるソロッツォ( アル・レッティエリ)の声を演じた小林清志も、さすがの鋭い吹き替えです。

長くなるのでこのあたりでやめますが、そういうわけでこれはなかなかいいと思いますので、せっかっくの連休ですから、ぜひご覧になるか録画しておくことをお勧めします。やはり吹き替え黄金時代だったのだなと思います。

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(5)

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今日は3日目ですが、翌日は朝早いので、実質最終日です。まずは朝食を食べに行くことにします。

日曜のせいもあってか、映画ソフトを売っている自転車がありました。

ホテル近くの路上ですが、なかなかいいでしょう。

トラックの荷台の上で、野菜を売るというのもなかなかいい光景です。

奥でご老人が休んでいるのも、中国らしいいい光景だと思います。

祖母と孫ですかね・・・。

全身黒づくめですか。

やはりイェーツには注目してしまいます。

今日の朝食は麺をいただきます。

こういうふうに路上に女性用の下着を干すという光景は、日本ではわざとしているのでなければまずお目にかかりませんので、最初見たときは(ずいぶん以前ですが)けっこう驚きました。最近は、もうなくなってもいいいいのに、まだこれやっているなあという気がします。

シーツとかも大胆に干します。

こちらの店です。「大腸麺」という店名は、日本人の感覚からすれば「どうもなあ」ですが、つまりはモツ系を具にしている麺を出しているわけです。参考までに、こちらのサイトをリンクいたします。

店の人に、ノートに自分の食べたいものを書いて注文すると、中は満員だから、庭へ行ってくれと言われました。朝の早い時間から満員ということは、味もかなりのレベルであろうと期待が持てます。

一瞬イタリアでこんな風景があるかもなんてつまらんことを考えました。光線は、3月の上海ですから強くはありませんが。

上海というと、干されている洗濯もののイメージが強くなってしまいます。

たれをかけて味を調整します。これがなかなかのレベルです。

牛肉麺です。

モツの麺です。これを私はいただきました。スープは薄いので、たれで整えてくれという感じです。うまい。来てよかったと思いました。金は、キャッシュオンデリバリーです。読者の方にもおすすめです。

(つづく)

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(6)

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さらに旅を続けます。上海図書館駅で降ります。これは、外国人向けの病院です。日本では、このようなパステル系の色の病院というのはめずらしいかもです。

なかなかきれいな女性です。

旧フランス租界を歩きます。女性同士で手をつないでいる(腕を組んでいる)というのは、アジアでは日本以外広く見られます。日本でも、外国人観光客急増により、見ることが増えました。

外国人居住者も多いエリアのようです。

日本語で看板が出ています。ここはわりと有名な店みたいですね。遺憾ながら今回は、寄ることができませんでしたが、次回以降考えます。

ね、こういうふうに女性同士で腕を組んでいるわけです。

これも歴史的に由緒がある建物のようです。

それでこのように洗濯ものが干してあるわけです。

黄色いザックを背負た人、写真を撮っていますね。私も旅行中写真は手放せませんので、このような人には親近感を持っちゃいます。

なかなかおしゃれなカフェがありました。

ね、なかなかいい建物でしょ。

学校ですかね。何の建物かは確認しませんでしたが、なかなかいい建物です。

並木がきれいです。

 

あまり庶民的とは言いかねる八百屋(?)です。

 こういう建物があるエリアに住んでみてもいいかもしれません。

 

いよいよ目的地です。以前プロパガンダアートのマグカップを買ったところです。

中国でプロパガンダアートのマグカップを買ってきた

入口でプロパガンダアートのギャラリーへの道を聞くと、地図を記した名刺をくれました。

中に入ります。黒人の美しい女性が迎えてくれました。中の写真はありません。ごめんなさい。今回は、絵葉書のみ購入しました。しかし金を多少持っていって、まとめて面白そうなものを買いたいものです。

ギャラリーを出ます。外にある消火栓の写真を撮ってしまいます。前に漏れていた消火栓とは違うものだと思います。

2011-2012 アモイ(コロンス島)・上海の旅(33)

(つづく)

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