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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(7)

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また行きと同じ道を歩いて、旧フランス租界の雰囲気を楽しみます。

このような塀が、一つのスタンダードなんですかね。

このように、女性が仲よく手をつなぐ、あるいは腕を組んでいます。

花嫁花婿が記念写真を撮っています。このあたりなら、このような写真を撮るのに最適です。

日立の系統の店なんですかね。

大変込んでいる店です。

列ができるくらい有名なカフェなんですかね。

わりといい写真でしょう。

人気のある店なのでしょうね。次に上海に行く際には、寄ってみてもよさそうです。

写真を撮っている人がいました。私と違って本格的なカメラですが、やはり昨今、本格的なカメラを持って撮影をしている人は、お年を召した方が多いですね。

木の枝の影もきれいです。

右の男性、インド系ですかね。

親子かもですが、日本以外のアジアの国の人たちは、手をつなぐことに日本人ほど抵抗がないようですね。

これもなかなかいい建物です。

 

ね、こういう中年以上の方も、堂々と腕を組んでいるわけです。

英国のバレエですかね。

中国でこのような街並みは、やはり上海ならではですかね。

学校の建物もなかなかです。

高級ホテルも、雰囲気を壊さない建物です。

(つづく)


産経新聞は、拉致被害者の自衛隊による救出はできないと書いていたじゃないか

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昨年の8月に、次のような社説を産経新聞は発表しました(魚拓)。そしてそれに乗っかって、私も記事を書いています。

祝! 産経新聞も、ついに自衛隊によって拉致被害者を救出するという話の非現実性を認める

>2015.8.8 05:01

【主張】日朝外相会談 政府の「本気」が問われる

(前略)

安全保障関連法案をめぐる国会審議で、朝鮮半島有事の際の拉致被害者について問われた安倍晋三首相は、「米国が拉致被害者を救出することが可能な状況が生じた場合も想定しながら、被害者の情報を提供し、安全確保をお願いしている」と答弁した。

 悲しいかな、これが現実である。自衛隊は拉致被害者を救出することはできない。交渉による奪還を急ぐしかないのだ。

(後略)

まあ当然な話ですよね。拉致被害者の所在の確認ができないし(生存すら確認できていません)、万万が一所在を確認しても、記事のコメント欄でねこ一世さんがご指摘になったように、

>まあどこかにいるとわかったとして、
②自衛隊機(複数の大型ヘリ?)がピョンヤンにどうやって無事着陸するの?※当然攻撃されるでしょう。

③着陸できたとして機体を守備する部隊と救出部隊に分かれて、北朝鮮側の攻撃をかわしながら被害者を救出して無事ヘリまで戻れるの?※高齢者が多いし、日本の同世代よりも体力とかないでしょう。

④無事に離陸しなおかつ北朝鮮の追尾を振り切れるの?

ということでしょう。空想次元でばかげています。なお上の引用は、一部タイポを訂正させていただきました。

ところがというべきか、正直言いますと「やっぱり」というところですが、性懲りもなく産経新聞は、この件を蒸し返しています。下の記事を。

>2016.3.31 11:57

【直球&曲球】葛城奈海 自衛隊による拉致被害者救出を議論せよ

 桜の季節を迎えた。しかし、何十年もの間、祖国の桜をめでることのかなわない同胞たちがいる。現憲法下で、拉致被害者救出に自衛隊を使うなどありえないと考える国民は多い。しかし、そうやって思考を停止する前に、考えてみてほしい。

 クーデターなどで北朝鮮が騒乱状態に陥った場合、各国政府は自国民救出に動く。そのとき、日本はみすみすチャンスを逃すのだろうか。邦人救出には「当該国の同意」が必要とされるが、無政府状態になった場合はどうか。現に、フセイン政権崩壊後のイラクでは、国連の承認を得た代表部を「代行政府」と見なし、その同意を得て自衛隊は邦人10人の輸送を行っている。北朝鮮でも同様のケースに備えておくべきではないか。

 折しも、今般の平和安全法制改正で、在外邦人等の保護措置が新設され、任務遂行型の武器使用も可能になった。救出へのハードルが下がったわけだが、いかに自衛隊が優秀でも情報や事前準備なしに任務遂行はありえない。法律上、自衛隊は外務大臣からの要請があって初めて救出に取りかかることができる。備えるとは具体的に、外務省が被害者の所在情報を収集し、その情報を元に自衛隊が救出に向けて訓練することだ。

 5日、予備役ブルーリボンの会が開催したシンポジウムで元陸自特殊作戦群長が世界各国の自国民救出の事例を紹介した。多くの国々が自国民とともに他国民も救出しており、日本人もそこに含まれていたのは意外だった。情けないことに、これまで日本は助けられる一方だったのだ。

 同じ敗戦国ドイツは、1997年アルバニア暴動で、戦後初めてNATO(北大西洋条約機構)域外へ軍を単独派兵し、自国民とともに他国民も救出したことがきっかけで、軍事・安全保障でも独立した意思を持つ政治大国として国際社会に是認され、以後、国際政治の重要なプレーヤーになった。

 「自衛隊も自国民保護という目的で世界の国々の人を救出する実績を重ね、北朝鮮での拉致被害者救出に備えるべきだ」。元群長の言葉が現実になったとき、日本は国家の尊厳を取り戻せるのではないか。

                  ◇

【プロフィル】葛城奈海

 かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。

>クーデターなどで北朝鮮が騒乱状態に陥った場合、各国政府は自国民救出に動く。そのとき、日本はみすみすチャンスを逃すのだろうか。邦人救出には「当該国の同意」が必要とされるが、無政府状態になった場合はどうか。現に、フセイン政権崩壊後のイラクでは、国連の承認を得た代表部を「代行政府」と見なし、その同意を得て自衛隊は邦人10人の輸送を行っている。北朝鮮でも同様のケースに備えておくべきではないか。

ね、ね、ね、ね、ね。北朝鮮の政権崩壊のその時、そのような行為の同意を可能とする「代行政府」なんてものが存在しているの? しているのなら、その代行政府に、日本人拉致被害者を日本側に引き渡すよう要求すればいいじゃん。わざわざ自衛隊が強行突入する意味がない。拉致被害者が仮に現政権あるいは日本側に拉致被害者を引き渡すことをよしとしない何らかの武装勢力の支配下にある地域にいるとしたら、やっぱり自衛隊による奪還なんて出来そうにないですよね。最悪皆殺しにあいそうだし、日本側(自衛隊側)も、拉致被害者の所在を把握できないでしょう。

>同じ敗戦国ドイツは、1997年アルバニア暴動で、戦後初めてNATO(北大西洋条約機構)域外へ軍を単独派兵し、自国民とともに他国民も救出したことがきっかけで、軍事・安全保障でも独立した意思を持つ政治大国として国際社会に是認され、以後、国際政治の重要なプレーヤーになった。

ね、ね、ね、ね、ね。その時のアルバニアって、無政府状態、内戦状態だったんですか? そんなわけないじゃん。

で、上の記事にある

>予備役ブルーリボンの会が開催したシンポジウム

というのも、産経は記事にしています。さすがに全国紙でこんなものを記事にするのは、産経以外ないんじゃないんですかね。こちらのほうは長いので、一部をご紹介。魚拓は取っておきます。

>シンポジウムで荒谷氏は、世界各国による在外国民救出の事例を説明。その中でも、1997年に東ヨーロッパのアルバニア共和国で発生した動乱での、ドイツの活躍を紹介した。

 アルバニアでは国民の間で流行していたネズミ講が破綻。財産を失った国民が暴徒化するという事態に発展。このときドイツはアルバニア在住の自国民保護のため、国防軍を派遣。ドイツ人だけでなく、日本を含む他国民も救出した。

それってアルバニア政府が作戦に協力してくれたんでしょ。北朝鮮の際には、北朝鮮政府は協力してくれないんじゃないんですか? 安倍晋三は、荒木和博が紹介したところによると、

>拉致被害者を救出することはわが国はできない。特に相手国の同意が必要であり北朝鮮がそれをするとは考えられない。

と言ったそうですが、同意がないまま作戦を強行して成功する可能性なんかありますかね。ないと思いますけど。

ところでこの記事には、こんな話まであります。

>実現しなかった拉致被害者救出作戦

 シンポジウムでは、民間による拉致被害者救出が過去に検討されたことがあったことも明かされた。

 昭和53年8月に北朝鮮に連れ去られた増元るみ子さん(62)=拉致当時(24)=の弟、照明さん(60)は平成14年終わりごろ、るみ子さんと、るみ子さんと一緒に拉致された市川修一さん(61)=拉致当時(23)=救出作戦の実施を提案されたという。

 照明さんによると、作戦を提案したのは、元北朝鮮工作員の安明進(アンミョンジン)氏。「現在でも増元るみ子さんと市川修一さんの所在地がある程度わかる。連れ出せるはずだという相談があった」という。

 しかし、るみ子さんと市川さんの2人を同時に救出するのは困難だという見通しを伝えられ、「どちらか一人残されたほうはどうなるのだろうという危惧があったのでプロジェクトを断らざるをえなかった」と振り返った。

 こんなの単なる与太にしか私には思えませんけどね。そもそも論として、そんな話、増元氏や荒木なんかに相談して何がどうなるというのか。だいたい

>安明進

みたいなシャブで逮捕されたような人物や、

>民間軍事セキュリティー会社の関係者

に何ができるというのか。馬鹿も休み休み言えとはこのことです。

余談ですが、この記事中

>北朝鮮が日本人拉致を初めて認め、その後の拉致被害者5人の帰国につながった2002年の日朝首脳会談が実現した背景には、米による圧力強化があったことが知られている。同年1月の一般教書演説でブッシュ米大統領は「悪の枢軸」と北朝鮮を名指しして批判、北朝鮮が日本に接近し、首脳会談へとつながった。

 荒木氏は一般教書演説を受け、「これで爆弾を落とされると本気で北朝鮮の中は思った」と説明。当時は中国との関係も悪化したため、北朝鮮には日本に近づく選択肢しかなかったと分析した。

 こうした経緯から、今後北朝鮮との間で被害者帰国に向けた交渉を実現するため、荒木氏は「北朝鮮にいうことをきかせるには、力でやるしか方法はない。北朝鮮の中で金正恩が『このままいくと爆弾を落とされる』『日本がキレたら何をするかわからないと』いうふうに思えば、交渉に乗ってくる可能性はある」と話した。

とありますが、いずれにせよ北朝鮮側を交渉のテーブルに着かせるためには、圧力でなく対価のほうがはるかに効果があったということは、過日の記事でも指摘しました。

米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる

またbogus-simotukareさんは、私への返答コメントで、

>百歩ゆずって「金正日が日朝交渉に応じたのが巣くう会の言うように悪の枢軸論に怯えたからだとしても」、そのときの首相が小泉氏でなければ日朝交渉は行われず、今も蓮池夫妻らは北朝鮮にいるんじゃないですかね。

ご指摘になっています。私もその可能性が高いように思いますね。たとえばその時の首相が安倍晋三でしたら、たぶん拉致被害者の帰国は実現していないでしょう。

いずれにせよ、産経新聞にとっての、

>悲しいかな、これが現実である。自衛隊は拉致被害者を救出することはできない。交渉による奪還を急ぐしかないのだ。

という主張は、安倍の発言に調子を合わせただけの、全く本心ではないものだったという可能性が高そうですね。だいたいそんなことだろうと思っていましたが、やっぱりそうでした。何をいまさらながら、うそつきのデタラメな新聞です。私は前の記事で、

>いずれにせよ、こういう社説を発表したんだから、産経新聞は今後「自衛隊による拉致被害者救出」なんて話はしないんでしょうねえ。いや、安倍が首相を辞任したらまた話は変わるんでしょうか。

と書きましたが、上の記事は今年3月の記事です。半年強でこのざまですか(笑)。せめて安倍政権が続くまではそのような話を記事にしないなんてことすらなかったわけですね。ひどいものです。

そもそも現段階北朝鮮の体制は安定しているようですから、北朝鮮の体制崩壊なんて、蒋介石の大陸反攻なみに実現の見通しが立たないんじゃないんですかね。また本当に北朝鮮の体制が崩壊したら、そしてその時もし日本人拉致被害者が北朝鮮に生存しているとしたら、気の毒ですが、その人たちを救出することは出来ませんね。運命は神のみぞ知るです。たぶんあまり前向きな運命は期待できないでしょう。

それでこれも同じことを何回でも書きますと、拉致被害者家族たちは、なぜこういう与太に対して「もう少し現実性のある話をしよう」というようなことを言わないのか。発言しているが無視されているのか。だとしたらひどい話ですが、そうとも思えませんけどね。だいたいinti-solさんが私の記事のコメントでおっしゃったように

>現実問題として、帰国した拉致被害者以外は、すでに亡くなっているのは、まず間違いないでしょう。

ということになってしまうのではないですかね。そういってしまうとみもふたもないですから、私もあまりそういうことは書きたくないですが、その可能性が非常に高いと私も思います。

本日の記事は、bogus-simotukareさんの記事(こちらこちら)、私のコメントへのコメント返し、ねこ一世さんのコメント、inti-solさんの拙ブログへのコメントを参考にしました。感謝を申し上げます。

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(8)

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昨日の記事の最後の写真のあたりのレストランで食事をしようと思ったのですが、あいにく店が閉店したのかどうか見つけることができなかったので、仕方ないので南京東路あたりまでタクシーで行って、同系列のレストランで食事をすることとします。

こういう建物私好き。

軽便トラムが走ります。外国人も多い。

 

上海の昔からのシンボルのようなものですかね。

 

東京でいえば、銀座みたいなところですかね。新宿や渋谷というよりは銀座だと思います。

中国中からお上りさんも来ているのでしょう。

 

以上数枚、がっちり腕を組んでいる女性たちの写真を特集しました。でもやはり、ソウルのカロスキルの女性たちの方がいいかな・・・。韓国の女性は、顔を直していますから、実際の顔は詳らかでありません。

こちらの店です。参考までに、こちらさまをリンクしておきます。

おいしくいただきます。

店の雰囲気です。写真には写っていませんが、左の1番奥のテーブルには、外国人が座っていました。

店を出ると、なにやら並んでいる店がありました。

どうでもいい話ですが、この緑のコートを着ている女性、存在感があるな。

こちらの店です。中では、ソーセージが印象に残りました。

左側の女性、なかなかきれいでしょう。

 

お前しつこいって? しつこいの私大好き!

(つづく)

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(9)

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だいぶ疲れたので、カフェで休むことにしますが、どこもにぎわっていてなかなか席を確保できません。

ちょっと路地に入ったとある店が空いていたので席につきます。

やはりクリームがハート形ですね。過日入った仁川のカフェと同じです。

店を出ます。

それで、孫文の旧宅を訪れます。孫文は、台湾でもですが、中国本土でも別格の尊敬のされ方をされています。つまりは、共産党からすれば、孫文の精神をもっとも受け継いでいるのは我々だということなのでしょう。一応リンクを張っておきます。

中の写真はありません。ごめんなさい。

白人の親子(フランス語を話していました)も来ていました。なかなか勉強になるスポットですから、読者の方もぜひどうぞ。

さらにタクシーに乗って、次るなる目的地に向かいます。

だいぶ陽が落ちてきました。なかなかきれいです。

タクシーが行き過ぎたので停めます。この建物は、このあたりのランドマークです。

重厚でいい建物でしょう。

孫文の奥さんである宋慶齢の旧宅です。こちらの方が、見物人は多かったな。こちらもリンクを。

別に説明する必要もないかもですが、右の子どもの母親が、像の左側に座っている女性です。

中の写真は撮りませんでしたが、かなり面白い展示でした。こちらも読者におすすめです。庭を見学します。

変てこな日本語の表記です。まあ日本も、こんな表記続出なのでしょうから特に驚くに値しないのでしょうが、日本人にチェックしてもらえばいいじゃないですかね。

「愛国主義教育基地」ですって。

いい建物は、やはり写真を撮りたくなります。

緑色のポストです。そういえば、台湾のポストも、赤と緑だったな。

うーん、バランスを取るのが難しそうです。

ホテルの近くで、右の老女と、犬を見ました。

上の写真の犬です。この後写真の老女の後を追っていきました。たぶん餌がもらえるのでしょう。

ホテルでちょっと休んで、最後の晩餐をいただきます。

 上海老飯店です。紹介するサイトにリンクをしておきます。

 味はさすがのレベルでした。ただかなり味付けが甘いので、甘すぎると感じる人はいるかもです。

(つづく)

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(10)(完)

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せっかくなので、新天地の駅まで歩いていくことにします。

靴屋もありました。

高層ビルも、上海の一つの姿です。

歩道橋がありましたので、写真を撮ることにします。

なかなかいいでしょう。

まだ再開発されていない地区に遊びに行くことにします。

いわゆるチェーンのコンビニでなく、こういう万屋風の店もいいですが、でも時代にそぐうものではないですよね、残念ながら。

中国も、テニスは盛んなんですかね。

だいぶ裏道に入ってきました。

マッサージ屋だったかな?

食堂です。

果物屋ですね。

ここもマッサージ屋ですね。地元の人むけでしょうが、一応日本語の案内もあります。入ってみてもよかったかな。

さらに奥に入ります。

このような店があるんですね。

 

写真が手振れをしていて申し訳ございません。でもいい雰囲気でしょ。近日中に再開発されちゃいますよ、きっと。

理髪店です。どういうわけか、このそんなに広くないエリアに、3軒くらいだったかな、理髪店を見かけました。この店が、一番にぎわっていましたね。ほかはちょっと入るには勇気のいるような店でした。

店番の女性が、なかなか鋭い目つきです。何か買っても良かったな。

ガラクタじゃないかもしれませんが、家具が置いてありました。

そうこうしているうちに大通りに戻ります。もっとまともなカメラを買って、再開発される前に写真を撮りに行くことを決意しました。

だいぶ人通り、車の往来もなくなりました。

バス停の広告を張り替えている人がいました。

これが張り替えた広告です。スマートフォンで写真を撮っていました。仕事をしたという証拠にするわけですね。

新天地駅から地下鉄に乗ります。

さすがに乗客も、夜遅い生活枯れている様子ですね。

翌朝、タクシーで空港につきます。

この日は、少なくとも朝はきれいな快晴とはいきませんでした。

イスラム系の店で朝食をいただきます。

鶏の麺です。本当は、ハイナンチキンを食べようと思ったのですが、まだできないといわれてしまいました。味は、まあ空港のレストランだから許せるという印象です。

私の乗る飛行機です。

機内食です。海老の入ったライスは割といけました。

なかなか面白い旅でしたが、蘇州で体調を崩したのがまずかったかな。

(終わり)

基本的に、理数系の学問振興と政治体制・民主主義の程度は関係ないと思う

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中国共産党の幹部であった故プンツォク・ワンギャル(プンワン 本名については、いろいろな表記があります)についてすごい伝記を書いた阿部治平氏という方がいます。

もうひとつのチベット現代史

余談ですが、このプンワンという人がどれだけすごい人かと言えば、かのペマ・ギャルポ氏ですら

>…私は八〇年代に本当の意味でのチベット自治が実現する兆しが見えたとき、プンツォク・ワンゲルが初代首相にもっともふさわしいと思ったほどです。

とまで評価しているということからもうかがえるでしょう。

もっとも世の中、チベットサボーターを自称しているくせに、このプンワンを知らなかったと堂々とブログで語る手合いがいたことがあります。私なら、知らなかったら絶対そんな話は他人にしません。他人から馬鹿にされます。で、ご当人bogus-simotukareさんと私からやっぱり徹底的に馬鹿にされたのだから、お粗末にもほどがある、どうしようもないとはこのことです。

そんな話はどうでもいいですが、そのすごい伝記を書いた阿部氏のブログ記事に、「おや」というものがありました。つまり、中国では密告が横行しているという話の中ですが・・・。

>権力維持のために言論統制を強化すれば、密告の土壌は深まり拡大する。だが大学や研究所で、講義や研究さらには人格問題などで密告が行われれば、教育・研究の創造的発展はない。社会科学だけではない。科学・技術の分野でもこれでは定説を越えた新学説が生れにくい。伝統的芸術の革新もできない。実に中国にとって不幸な時代がやってきたといわなければならない。

そうですかねえ。文科系は、たしかに政治体制や民主主義の程度によって学問研究の自由が阻害されることはありますよ。戦前の滝川事件なんかはまさにそうでしょう。天皇機関説事件などもしかり。あるいは歴史研究なども、神話などの関係から研究の自由が阻害されることもあったわけです。しかし理数系の学問や科学技術などの問題は、直接はそういうこととはかかわらないんじゃないんですかね。いいとか悪いとかはともかく。

例えば旧ソ連は、米国に先駆けて宇宙ロケットや有人飛行を実現しましたよねえ。また、ナチス・ドイツが兵器とかの関係で、非常に優秀だったのも、私が書くまでもないでしょう。

それで、我が日本はどうですかね。戦前の日本にまともな民主主義なんかがあったわけではありませんが、しかしゼロ戦とか戦艦大和とか、すごいものをつくりましたし、また湯川秀樹中間子論を発表するなど、優れた自然科学者も輩出したわけです。繰り返しますが、いいとか悪いとかの問題ではなく、特に民主主義や政治体制などは関係ないでしょう。きっちりした教育システムがあり、研究者を養成するそれなりのシステムが確立してて、予算をつぎこめば、こと理数系に関してはそれなりの実績は出せるということです。ルイセンコ学説のようなものは、まさにきわめて例外じゃないですかね。あとにも先にも、現段階あれだけの出来事はないでしょう。

>実に中国にとって不幸な時代がやってきたといわなければならない。

そうなんですか? 失礼ながら、文革時代もそうですが、小平の時代などもふくめて、中国の研究環境は、少なくとも理系に関してははるかにめぐまれてきているんじゃないんですかね。留学した優秀な研究者も帰国しているし(もちろん帰ってこない人も大勢ですが)、大学のポストや政府の援助も今のほうが手厚いんじゃないんですかね。すくなくとも文化大革命の時代と比較して、今日のほうが研究について「不幸」なんて言っていたら、それは全くといっていいほど実態にそぐわないんじゃないんですかね。たとえば下のような記事はどうでしょうか。

>日本を抜いた中国の科学技術力~その知られざる実像

中国の科学技術力が日本を抜いたといっていいのかどうかは、私は論じるための知識がないので滅多なことをいえませんが、たとえば昨年話題になったインドネシアでの新幹線の導入で、中国が日本に勝ったなんてのは、まさに中国の鉄道技術が日本と勝負できるところに来ている、ということではないですかね。あれはダンピングがひどいとか、あんな契約は日本側が取らなくて良かったとかいう話もありますし、またそれは正しいのかもしれませんが、決してそんなにはるか以前というわけでもない時期でさえ、中国の鉄道が日本と張り合うなんてことはまず考えにくかったわけです。先日も記事にしましたように、今年の3月、中国の新幹線に乗りましたが、なかなか快適でした。下の記事をご覧になってください。

上海(あとちょっぴり蘇州)紀行(2016年3月)(4)

上で紹介した読売新聞の記事では、

>日中科学技術政策の決定的な違い 

 中国の科学技術の水準と研究現場のレベルが急速に上がってきた理由はどこにあるのか。ここで紹介したことからも、中国は常に世界一を目指し、大胆な国家目標を掲げることで現場の士気があがっていることが見て取れる。 

 中国は一貫して科学技術を最重要政策と位置付けてきた。沖村氏は「共産党・国務院・行政各部が一体となって政策立案し、実行する体制が出来上がっている」とし、「国務院直属のトップダウンで横断的政策を実行する組織、シンクタンクが充実している」と語っている。

 さらに沖村氏は「研究現場がチャレンジ精神で取り組むように、国家が指揮しているように見える。科学研究にはイデオロギー色がないので国際的にも公正に評価を受けられることが研究者にとっては最大の魅力であり、研究者の士気を高めている」と語っている。 

 科学技術創造立国を国是として掲げている日本において、国家としての科学技術政策と目標と将来戦略が、国民や研究現場にまで明確に伝わってこないことは政治、行政、学術現場の最大の課題である。

とあります。私が注目したいのが、

>科学研究にはイデオロギー色がないので国際的にも公正に評価を受けられることが研究者にとっては最大の魅力であり、研究者の士気を高めている

という指摘です。文科系の研究というのは、その時代の政治や国家体制の在り方と無関係ではあり得ませんが、理科系はそういうものでもないということです。たとえばナチス・ドイツの時代に優秀なユダヤ人の学者(アインシュタインとか)が国を去りましたが、あれはユダヤ人を弾圧したからであって、上にも書いたように、ナチス・ドイツは科学技術で極めて優秀だったわけです。

なんでそんなわかりきったことについて阿部氏が変な主張をするのか理解に苦しみますが、このような態度では、中国の本質には全然近づけないんじゃないんですかね。プンワンについてあんなすごい伝記を書いた優秀な方が、なぜこんな世迷言を書くのか、ちょっと信じられない気分です。

なおこの記事は、例によってbogus-simotukareさんの記事からヒントを得ました。感謝を申し上げます。

産経新聞からすると、自分の嘘は「正義の嘘」、自分への援助は「正しい援助」なのだろう

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産経新聞の記事を読んでいると、「お前が言うか」と思いっきり笑ってしまうことがあります。

>2016.4.22 05:02

【主張】三菱自の燃費偽装 嘘つき企業に未来あるか魚拓

 三菱自動車が軽自動車の燃費データを偽装していたことが発覚した。

 同社は過去に大規模なクレーム隠し事件を引き起こすなどで経営不振に陥り、三菱グループの支援を受けての再建途上だった。残念ながら事件の反省は、全く生かされなかったことになる。

 今回のデータ偽装は、提携先の日産自動車による指摘でみつかった。それがなければ、偽装は隠蔽(いんぺい)されたままだった可能性が高い。三菱自は一連のクレーム隠しを受けて社内の法令順守体制を強化したというが、自浄作用がどれだけ働いたのか。経営に深刻な打撃を与えることは避けられず、嘘をつく企業が生き残ることはできまい。

(後略)

産経ほど嘘をついている新聞社がいまだに経営を続けているじゃないですかねえ(笑)。まあ現実には、産経なんてとっくに自分たちだけで経営できる状態ではなく、このブログでも繰り返し書いているように、フジテレビから多額の援助をもらっているわけですが(この件は後でまた書きます)、お前らみたいに公然と嘘をつき続けている企業が何を言ってんだかという気はします。

私は以前このような記事を書きました。

産経新聞よりは、こちらのほうがよっぽどまともな対応だと思う

この記事で紹介した事例を繰り返せば、産経は、中国の南京大虐殺祈念館、東京都特別区の複数の自治体、辻元清美に対して公然と嘘をついているじゃないですか。中国の記事については、反論も謝罪・訂正もなく逃げてしまったし、自治体については即刻撤回、辻元のデマ記事については、1審敗訴で控訴すらせず判決が確定しています。それですごいのが、産経の場合、中国の記事と自治体についてのデマ記事を書いた記者に対して懲戒処分などはしていないし、辻元に対するデマ記事を書いた記者に至っては出世させているということです。これはどういうことかというと、つまりはこれ完全に会社ぐるみのデマ記事、嘘つき記事だということです。そんなのは当たり前で、あんな幼稚なデマ記事を本気にするほど、産経のデスクその他だって馬鹿じゃないでしょう。

で、産経がなぜ自分たちのデマ記事、嘘記事を棚にあげて、堂々と三菱自動車を

>嘘をつく企業

なんて居丈高に批判するかというと、けっきょく産経は、自分たちの嘘を「悪い」と思っていないということでしょうね(笑&呆れ)。連中にとっては、中国や自治体、辻元清美、あるいは、民主党(民進党)でも共産党でも左翼でも、あるいはそのほかでも、自分がきらいなものに対する嘘は、「正義の嘘」「許される嘘」と本気で考えているのでしょう。だから、幼稚で愚劣なデマ記事を書いた記者に懲戒処分を科したりクビにしたりせず(産経が謝罪していないらしい南京の記事はまだしも、自治体と辻元についての記事は、常識的に考えて懲戒解雇処分が当然でしょう)、出世までさせるわけです。裁判で負けたって、それは反日裁判所(裁判官)が悪いと考えるし、自治体から抗議が殺到して謝罪に追い込まれても、自治体を批判(いまどきたいていの自治体の首長は保守系でしょうが、革新自治体の亡霊でも見ているのでしょう。まともじゃない時代錯誤です)することは正しい、中国に対してデマ記事を書いて何が悪い、くらいの考えなのでしょう。ひどいものです。

で、こちらの記事はどうでしょうか。

>2016.4.30 05:00

 【主張】三菱自の燃費不正 これで「存続」できるのか魚拓

 四半世紀にわたりデータを捏造(ねつぞう)してきた。そう聞けば、いったいこの会社は不正なしに、ものづくりができるのだろうか、と疑問を抱く。

 (略)

  これらも経営への打撃となるが、自ら不正をただす取り組みをみせない限り、これまでのようなグループ支援は見込めない。各社の株主にも説明がつくまい。

 (後略)

ねねねねね、産経新聞がフジテレビから受けている支援て、フジテレビの株主は、本当に納得しているんですか? フジテレビは、自分たちの産経への援助について、株主の理解が得られていると本当に考えているですかね。フジテレビだって、そんなこと考えちゃいないし、産経だってそう考えるほど馬鹿じゃないでしょ(笑)。だいたい産経は自分たちの不正な記事(嘘記事、デマ記事)を正そうなんてかけらも考えちゃいないじゃないですか。何をいまさらの記事ですが、下の記事を参照してください。

赤字の会社がそのような資金援助を行うのってのは、完全な背任じゃないのという気がする

別にこの社説を書いた筆者の書いていることが「間違っている」とは思いませんが、それって産経へのフジテレビからの援助の話をされたらどうするのよという気はします。これも上と同じでしょうね。三菱自動車への三菱グループからの援助と比較しても、フジテレビからの産経新聞への援助は正しいと考えているんでしょう。当然の権利とか。フジテレビからしてもいい迷惑です。フジの株主だって、フジの産経新聞の援助を見て見ぬふりをする人、支持する人たちばかりでもないですんけどねえ。

いずれにせよ、図々しいにもほどがあるというものです。こういう態度だから、産経新聞のような新聞が、いまだに存続しているのでしょう。それもひどい話です。

なお本日の記事は、例によってbogus-simotukareさんの記事を参考にしました(こちらこちら)。感謝を申し上げます。

ドルレアック姉妹が共演する「ロシュフォールの恋人たち」を日本中で見ることができる

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しばらくぶりにドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックカトリーヌ・ドヌーヴ)関係の記事を。新・午前十時の映画祭で、14日土曜日から6月10日金曜日まで、「ロシュフォールの恋人たち」が全国の映画館で上映されます。2週間交代です。上映スケジュールや映画館についてはこちらから確認してください。

昨年「シェルブールの雨傘」が上映されたので、うまくいけばこの映画を今年上映してくれるかも、とかおよそ理由のない期待をしていましたら、うまく上映してくれることとなりました。たぶん昨年「シェルブールの雨傘」を上映した時点で、あるいていどこの映画の上映も視野にはいっていたのでしょう。


この「ロシュフォール・・・」は、ドルレアック姉妹以外にも、ジーン・ケリージョージ・チャキリスジャック・ペランダニエル・ダリューミシェル・ピコリらの米国とフランスの名の通った俳優たちが共演しており、そう考えるとなかなか貴重です。そして言うまでもなく、この映画の公開(1967年3月8日にフランスで公開)から間もない1967年6月26日、不慮の事故でフランソワーズは亡くなってしまいました。もう49年も前です。彼女は25歳の若さでした。

そうすると、不慮の死の直前に、この美しい姉妹の共演が実現したのは、まさに神の思し召しかもしれませんね。まさに1年遅かったら、この映画での共演は実現しなかったのですから。

私もこの映画とそれに関係する記事を、このブログでいくつも書いています。

祝!フランソワーズ・ドルレアックの映画が公開される! フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの対談(?)を見つけた フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの対談(1966年)(1) フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの対談(1966年)(2)

ほかに写真などをご紹介している記事もありますので、適宜検索していただければ幸いです。また、上で紹介した対談は、「ロシュフォールの恋人たち」の宣伝のものと思われます。かなり貴重な対談かと思いますので、興味のある方は是非お読みになってください。

では下の撮影スナップを見てください。

ドヌーヴは、

>GA:「ロシュフォールの恋人たち」までお姉さんと共演されることはありませんでした。それが、この作品をとても貴重なものにしているに違いありません。

CD:そうね。またあの映画は、とても難しいものでもあったのよ。フランス映画にしてはとても規模が大きく製作費もかかっていたから。英国人振付師に米国の俳優、ジョージ・チャキリスジーン・ケリーだわ。実際の建物での撮影だったからとても大変だったわね。おまけに8月に撮影したから、1年でいちばん暑い月でしょ。だからダンサーのリハーサルもとてもきつかったわ。「シェルブールの雨傘」とは違って、全部歌っているわけではないし、でもほんと信じられない経験だったわね。

語っています

それにしても「ロシュフォール・・・」はカラーが強烈ですね・・・。当時ゴダールも「気狂いピエロ 」ほかで強烈な原色を強調していましたから、フランス映画にそのような強烈なカラーを志向する何かがあったのでしょう。

いずれにせよ、大きな画面でドルレアック姉妹の美しさを堪能しましょう。ね、これを読んでいるあなた、ぜひ見に行ってくださいよ。


これでは大山のぶ代の人権が保障されない

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大山のぶ代の夫である砂川啓介が、奥さんの認知症を公表したのは、ちょうど去年の今日、2015年5月13日です。私もこの件で記事を書いています。

大山のぶ代が認知症になったという報道を聞いて感じたこと

それで、これが世間で大きな反響をよんだこともあり、砂川の本が昨年出版されています。

娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記

で、本を読んでいて「どうもなあ」と思ったところを。

大山を介護施設に入れたくないというのは、まあ仕方ないかもしれませんが(本を読んだ限りでは、彼女はすでに排泄行為も満足にできないようですので、施設に入居させても全然問題ないと思いますが、これは他人がどうこう言ってもしょうがない部分がありますので)、私が気になったのがこちら。

>介護保険のサービスを活用することも考えなかったわけじゃない。だが、サービス利用の前には、「認定調査」といって自宅でカミさんの状態を見せる必要があるという。

 調査とはいえ、見ず知らずの人が突然家に来たら、ペコはパニックを起こしてしまわないだろうか。調査を無事に終えられたとしても、派遣してもらうヘルパーさんとそりが合わない可能性だってある。

 彼女を取り巻く環境を急に変えることで、認知症がもっと進んでしまったら・・・・・。そう思うと、最後は介護保険サービス活用にも踏み切れなかった。(p.130)(段落の間にスペースを入れました。下の引用も同じ)

えー、介護保険使っていないのー、っていうところです。なおこれは、現在はまた違うのかもということはお断りしておきます。

介護保険を使わないで、大山のぶ代にきっちり介護ができるんですかね。砂川家(本名は山下家)は裕福な家庭なのかもしれませんが、かといって無尽蔵に金があるわけではないでしょうし、砂川だって、大山の夫なのだから当然80近い年齢です(1937年生まれ)。実際、大山は糞尿に汚れた服を着たまま寝てしまったりと、いろいろちょっと手に負えないことも多かったようです。砂川らには子どもがいないから、お手伝いさんと大山のマネージャーが一緒になって世話をしているとのことですが、それにしたって介護保険を利用すれば、よりスムーズに、かつ充実した介護ができるでしょう。自宅で彼女を介護するのなら、介護保険の利用は必須でしょうに。

で、砂川はいろいろ書いていますが、けっきょくは、こういうことにつきるんでしょうね。

>もともと僕は人に相談すること自体が苦手で、半世紀以上の付き合いがあるマムシ(引用者注・毒蝮三太夫)にも、カミさんが認知症であることは明かしていなかった。いや、親友のマムシにさえ、別人のようになってしまった彼女の姿を知られたくなかったのかもしれない。

 認知症のことを知っていたのは、家政婦の野沢さん、マネージャーの小林、そして、ごく限られた仕事関係者だけだった。(p.124~125)

他人がどう彼女を見るか、ということはもちろん重要でしょうが、最終的には、認知症になった彼女を、砂川自身が他人に見せたくない、ということに話はつきるのだと思います。

そういう心理を私も理解しないわけではもちろんないですが、しかしこれでは大山のぶ代の介護が保障されませんよね。砂川が、介護保険を使わなくても済む完璧(ということが介護にあるわけもありませんが、一応そういう表現をします)な介護をできればいいですが、本を読んだ限りでは(当然)そういうわけではない。大変苦労をしています。世の中自分の責任や能力だけはどうにもならないこともたくさんあります。介護なんてまさにその最たるものではないですか。

それで問題なのは、大山のぶ代は現在自分がどうしてほしいかということを的確に他人に訴えることができない状態だということです。これが問題です。本の中で、大山がこの家にいたいということを話したということが書いてあります。それが本当にそうなのか、今も大山がそう考えているのか、ということ自体疑えば怪しいにもほどがあるというものですが、それはここで論じてもしょうがないのでおいておくとして、大山に限らず介護保険の対象となる人間は、すでに自分の意志を他人に伝えるのが不可能、または伝えられてもそれが妥当な判断とは言いかねる、ということもあるわけです。で、そうなると、けっきょく第三者が最終的な判断をしないわけにはいかない。大山が単身者あるいは夫その他の家族と死別ほか縁が切れているのならともかく、そうでないのなら夫である砂川が大山の処遇を決定する責任者になります。それは当然ですが、それは他人(奥さんだろうと、この場合「他人」です)の人権についての責任をもつということです。それで、介護保険も(砂川の判断で)受けさせないというのでは、大山の人権が確保されないではないですか。そしてそれに対して大山は、何も苦情ほか意見を訴えることもできないわけです。

同じような話を、前にこのブログでもしたことがあります。大家族で有名だった、福岡の江口家というところの話です。

いくらなんでも そういう話じゃないだろ

江口家では、おかずの取り合いで、兄弟の一人が刃物で傷つけられたり、高校も行かずに重労働の職に就いた子どもが、本当は高校に行きたかった、と嘆くわけです。食べ物もなく、学校に行くのも支障をきたすのであれば、子どもたちの人権が保障されませんが、江口家は生活保護も受給しませんでした。そのしわ寄せが、子どもたちに行ったわけです。

砂川家(山下家)と江口家では、時代も状況も事情も異なりますが、大山のぶ代と江口家の子どもたちが人権の保障が不十分であることは共通しているのではないですかね。いずれにせよ、利用可能な制度を利用しないで不十分な介護の状態であれば、それは一種の人権侵害というものでしょう。大山も江口家の子ども(当時)も、自分で自分の人権を保障する能力がないかもしくは不十分なのだから、保護すべき人間がその役割を果たしてくれないのでは、それではどうしようもないということになるわけです。

残念ですが、人間の人権を守るためには、例えば他人のプライバシーや過去の業績などにもある程度干渉あるいは傷をつける(いまどき認知症になったからと言って、他人を誹謗中傷する手合いも昔と比べれば多くはないとは思いますが)ということも仕方ない時もあります。そういうところはわりきらなければいけないなと思います。そう考えると、砂川啓介が大山のぶ代の認知症を公表したということはいろいろな意味で良かったと思います。他人の監視の目が入るということは、それは良いことです。現実に、大山が不十分な介護しか受けられなかったことがあったということをかんがみれば、それは仕方ないことです。

大山のぶ代さんが、ストレスのない余生を送られることを祈念してこの記事を終えます。

お断り:いままで「書評」というカテゴリーを設置していましたが、書評というよりも本からヒントを得た記事というのが多いように思うので、「書評ほか書籍関係」というカテゴリー名に改めました。もちろん書評もいたしますので、、乞うご期待。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(21)

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またアイルランド紀行を再開します。前回の記事はこちら。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(20)

駅からゴールウェイ市街を散策します。

雨が上がったばかりのせいか、空気が澄んでいます。

市街地中心にあるホテル・メリックです。「地球の歩き方 アイルランド 2015~2016」によると、シングル€95からだそうですから、このホテルに泊まっても良かったかもです。

こういう建物は、やはり好きです。

日差しが強くて、日なたと日蔭のコントラストが強烈です。

欧州の公園というのはやはり充実しています。

こちらのような市の中心部に位置するこじんまりとしたホテルも悪くありません。

観光案内所へ向かいます。これは近くにあった教会。

こちらがゴールウェイの観光案内所です。グリーンなのはいかにもアイルランドです。

こちらが観光案内所の中です。今日予約しているホテルの場所その他を確認し、地図も入手します。

こちらの旅行会社で、アラン諸島のイニシュモア島への往復のバスとフェリーのチケットを買います。€32です。

このような像は思わず写真を撮ってしまいます。

右の建物は、ホステルです。上の「地球の歩き方」にも載っています。

これはバスステーションです。旅行をしていればお世話になります。

私のホテルは街はずれにあるので、地図を見ながらてくてく歩きます。チェックインにはまだ早いですが、荷物を預けておこうと考えたわけです。

こういうのってアイルランドらしい建物っていうんですかね。詳しくありませんが、イングランドとは確かに違うような気がします。

快晴だと思ったら雲が出てきます。アイルランドの天気は油断がなりません。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(22)

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ホテルまでの道で、B&Bが固まっているエリアがあります。ガイドブックにも注記されているくらいです。ゴールウェイでは宿が決まっていますので、特に宿を確認する必要もありませんが、それでもいろいろ参考になることも多いはずなので見ていきます。「VACANCIES」とあれば、空き室ありということです。ずいぶん以前にロンドンのヴィクトリア駅周辺を歩いた際、やはりこの看板に注目した記憶あり。

なおアイルランドのB&Bというのは本家本元の英国より充実しているという話もあります。ずいぶん以前の1997年には、こんな本まで出版されたくらいです。いま読んでみると(本自体はすでに読んでいました)、ネットが普及する以前の時代だったようで、HPやメルアドなども紹介されていないのが残念なところ。廃業、あるいはネットで確認できないところもありましたが、今なお営業しているところもありました。

アイルランドB&B紀行

道路のの両側に、B&Bが固まっています。

ラグビー関係の旗がある理由は不明。ただ近くにラグビーグラウンドがあります。あとでご紹介します。

このあたりのB&Bは、だいたいこんな感じの建物です。ハイシーズンでなければ、観光案内所などで予約してもいいでしょうし、自分で中を見せてもらって代金を確認したうえで泊まってもよさそうです。ネットで予約するというのも、事情がいま一つ詳らかでない街では、やや場所などで支障をきたすことがありますって、実はこの時のゴールウェイでの宿は、少し遠すぎました(笑)。まあ散歩にはいい、くらいの考えでいるしかないのですかね。

この時は気づきませんでしたが、左側はラグビーのスタジアムでした。

十字路に来て、案内所でもらった地図もそのあたりがよくわからなかったので、まっすぐか右(東)へ曲がるのかよくわからなかったのですが、最初ちょっとまっすぐ行った後どうも違うらしいということになり、右に曲がります。大きなショッピングモール(センターだったかな)がありましたが、「TO LET」の看板があるあたり、完全に経営がうまくいっているわけでもないのかもです。どうでもいい話ですが、この「TO LET」の看板をみて、なーんで英国(ここはアイルランドですけど)ってお手洗いの表示がこんなにたくさんあるのと勘違いする日本人もいるとかいないとかという話を聞いたことがあります。これは空き家、空き部屋、空きスペースあり、くらいの意味です。こちらに、そのネタがありました。

そこからさらにてくてく歩くと、ようやく我が宿を見つけました。

おや、ラグビー選手らしき(体格からして、サッカーではなさそうだということはわかります)写真がありますね。

なるほど、地元のラグビーチームのスポンサーさんであるわけですね。「コナハト」は、ゴールウェイを本拠地としています。

だだっ広い敷地に低層の建物がいくつもあるという構造のホテルです。

ここでチェックインだけして、荷物を預かってもらいます。

それで、私がしてしまったつまらん会話。

McCreary「数か月前、チャールズ皇太子とジェリー・アダムズ(IRAの政治部門ともされたシン・フェイン党のトップ)が面談したじゃないですか、ゴールウェイで」

ホテルの女性「はい、そうですね」

McCreary「双方ともども憎しみ合っていると思ったので、あれはすごい驚きました」

ホテルの女性「ええ、そうですよね」

このようなところで政治の話はするなというのは世の鉄則ですが、アダムズの場合すでにアイルランドの国会議員でもあるので、まあいいかなと思ったわけです。やっぱりよくなかったかな。

下に引用した記事にもありますように、チャールズ皇太子は、身内のマウントバッテン卿をIRAによって暗殺されていますし、アダムズだってたくさんの同志、尊敬する先人その他を、最終的には英国王室の下にある英軍、英国政府等によって殺害されているわけです。本当に双方が先方を好きなわけもありませんが、そこは双方我慢というものなのでしょう。ついでに写真と動画もはりつけておきます。

参考記事

>チャールズ皇太子、北アイルランド反英指導者と握手 英王族初

2015年05月20日 07:10 発信地:ゴールウェー/アイルランド

【5月20日 AFP】英国のチャールズ皇太子(Prince Charles、66)は19日、アイルランドを訪問し、英王族として初めてシン・フェイン党(Sinn Fein)のジェリー・アダムズ(Gerry Adams)党首(66)と面会し、握手を交わした。

 同党は英国の北アイルランド(Northen Ireland)のカトリック過激派で、現在は活動していないアイルランド共和軍(Irish Republican Army、IRA)の政治組織。チャールズ皇太子の大叔父マウントバッテン卿(Earl Mountbatten)は1979年、IRAに暗殺されている。

 チャールズ皇太子は同日から2日間の日程でアイルランドを訪問。同国西部のゴールウェー(Galway)のアイルランド国立大学(National University of Ireland)を訪れ、大学構内でアダムズ党首と会った。

 両者は公の場で握手し、その後アダムズ党首の求めに応じる形で15分間の非公開の会談を行った。会談後に同党首は、30年に及び約3500人の犠牲者を出した流血の北アイルランド紛争について両者が「遺憾の意」を表したと述べた。

 アダムズ氏は「(和解)プロセス全体を前進させる必要性、そして癒やしの必要性についてについて話し合った」と明かすとともに、この会談について「間違いなく彼(皇太子)にとっては大きなことであり、またわれわれにとっても大きなことだった」と語った。

 IRAは1979年、チャールズ皇太子が敬愛していた大叔父でゴッドファーザー(教父)、また相談相手でもあったマウントバッテン卿を暗殺。アダムズ党首は、当時自身がIRAの指導的地位にいたとする見方については一貫して否定している。

 チャールズ皇太子は今回のアイルランド訪問中に、マウントバッテン卿の暗殺場所も訪問することになっている。(c)AFP/Paul FAITH with Conor BARRINS in Dublin

チャールズ皇太子、北アイルランド反英指導者と握手 英王族初 Britain's Prince Charles meets Sinn Fein leader Gerry Adams

また街の中心部へ戻ります。天気が怪しくなっています。

ホテルの道路を挟んだ正面にある「スパー」で買い物をします。この時の旅では、アイルランドのさまざまなところでここには世話になりました。店をでたあたりから雨が降ってきました。まったくアイルランドの天気というのは油断がなりません。

「Lakeview School」とはなかなかいいですね。HPを見てみますと、養護学校のようです。

で、これがその湖なんですかね。学校から見たらなかなかいい眺めなのかもですが、道路から見た限りではいまいちな気がします。

1つの看板は、上がアイルランド語(ゲール語)、下が英語です。私は今回の旅で、アイルランド語らしき言語を話されている場に遭遇しませんでしたが、アイルランドでは、アイルランド語のほうが英語より格の高い言語ということになっているようですね。

このような緑の芝を見ると、アイルランドだなという気がします。

バリケードがありました。

私の泊まるホテルがスポンサーのラグビーチームのグラウンドです。観客席は、7,500人、増やして9,500人とのこと。

しかしこのペースで旅行記を書き続けたら、いったいいつ終わるか見当もつきません。だからといって短くする気もありませんので(このブログの旅行記は、自分の記録用というのが最大の役目です)、というわけで、かなり長くこの旅行記は続くと思いますから、読者の皆さまにおかれましてはそのあたりご了解を願います。原則週末と祝日、あと私が旅行とかに出かけて更新不可の時は旅行記の記事になります。しかしちょいちょい行く近場の旅の記事で更新が中断することもありますから、あるいは2017年までこの旅行記は続くかもですね。

(つづく)

秩父宮ラグビー場へ、サンウルブズの試合を見に行った

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若干旧聞ですが、5月7日土曜日に、秩父宮ラグビー場へ、スーパーラグビーサンウルブズフォースの試合を見に行きました。写真も撮りましたので記事にします。フォースは、オーストラリアのチームです。

外苑前の駅から秩父宮ラグビー場へ向かいます。妙に大勢の人が駅へ向かうので、なんだと思ったら、この日は東京六大学野球の試合があって、明治大学と法政大学の試合があったんですね。法政の名の入ったシャツを着た体格のいい体育会系とすぐわかる男子学生が複数いたので、サンウルブズの試合のスタッフの応援に動員された法政大学のラグビー部の学生かなと思ったのですが、そうでなくて野球部の学生だったわけです。どうでもいい話ですが、この後の第二試合で、立教大学と東京大学の試合がありまして、東京大学が勝ちました。いいピッチャーがいれば、東京大学だって勝てるということです。

チケットをもぎってもらいます。私の席は、バックスタンドです。

おお、ラグビー界の聖地に来たな、という気がしました。

サンウルブズのジャージを着ている人もちらほら。バックスタンドでは、もっと大勢のファンが着ています。

写真からでも想像がつくでしょうが、この日は暑かったので、かき氷に人気がありました。私はいただきませんでした。

指定席につきます。ちょうど選手が入場して、キックオフ直前です。

この日は日差しが強く、私の肌も紫外線で強いダメージを受けてしまいました。

あにはからんや、予想に反して、サンウルブズが先制(トライ、ゴールは決まらず)しましたが、地力は敵のほうがあるので、やはり攻め込まれます。

すぐトライを奪われます。インターセプトされてのお見事トライでした。

ゴールも決まります。左上のほうにボールが写っていますのでご確認ください。

ラインアウトの際は、静止しているので、私のようなろくな機材を持っていない素人写真家でも落ち着いて写真が撮れます。なお観客席では、三脚の持ち込みは禁止です。

またトライを取られてしまったので、選手も円陣を組んで、立て直しを図ります。

手当を受けている相手選手のすぐ近くでトライ後のコンヴァージョンのキックをけるというのも、ラグビーならではの光景です。

相手側のスクラムやラインアウトの際は、「NOISE」を出して、相手を動揺させます。サンウルブズですから、狼の遠吠えらしき声を出します。しかし私の後ろに座っていた女性は、「なーんか、物悲しいよね」と言っていました。

至近距離でのモールやラックはさすがに迫力があります。

試合全体を把握するには、当然ながらもっと高い位置の席のほうがいいに決まっていますが、雰囲気を楽しむという点では、このようなフィールドに近い席も悪くありません。

トライが決まりました。その瞬間の写真も撮影したのですが、あいにくよく撮れていませんでした。

コンヴァージョンキックの瞬間が撮れるのもうれしいものです。なおこの試合は、PG、DGによる得点はありませんでした。サンウルブズはPGを狙うような試合展開ではないし、相手もPGよりトライをサンウルブズからは狙いたいわけです。

このような瞬間も間近で見ると迫力があります。

スクラムを近くで見られるのはいいですよね。

さすがの迫力でした。

前半が終わります。やはりサンウルブズはリードされています。26-5と苦しい点差です。

お手洗いに行ったりしてごった返します。

後半になると、だいぶ私も慣れてきて、まともな写真が撮れるようになってきました。ラインアウトの際は、意外と高くボールを投げるんだなと思いました。

サンウルブズがトライを決めました。相手チームも円陣を組んで、今後の対応を協議します。

ゴールも蹴ります。

相手陣を攻めます。80分近くになってからも1つトライを奪えました。

40-22で試合終了、サンウルブズの負けですが、意外とこの試合は、特に後半は健闘したので、観客も喜びます。

コンデジの望遠ですから、あまりいい写真でないのはご了承ください。

予想通り負けましたが、試合内容はまあまあの健闘でしたから、観客も温かくサンウルブズのメンバーを迎えます。前に陣取っている人たちは、サインをもらうつもりです。私は、サインペンは持っていましたが、サインしてもらうものがないので、今日のサインは断念します。

しかしやはりサンウルブズのメンバーは元気はありません。

選手は去っていきます。あれ、ってことは、サインはもらえないってことですかね。私も引き上げます。

一部の観客は、このようにまだフィールドを眺めます。この子どもたちも、今後ラグビーファンになりつづけるかもです。

相手チームの選手がサインに応じていました。私はサインしてもらうものがないので、手のひらを合わせました。こういうのも、ハイタッチっていうんですかね。彼は、6番の背番号をつけていたので、フランカーのスタンダー( Brynard Stander )かと思われます。彼は、南アフリカの選手です。刺青が迫力がありました。それにしても、南アフリカの白人(アフリカーンスかな?)と試合後に日本人の観客がサインをもらったりハイタッチをできるというのも、すごい時代だなという気もします。スカルク・バーガーみたいな超大物が日本でもプレーしたくらいだしね。しかしそのありがたみを、たいていの人間は理解していないわけです。これはこれで、もったいない話です。

この後会場を後にする際、おそろいのジャージを着た(たぶん)スタッフが手のひらを出していたので、皆さんとハイタッチさせていただきました。まあこうやって、次の試合にも来てくださいよ、ということでしょう。スタッフの方々の努力には敬服します。

次に日本で試合をするのは7月2日とのことで、その日は見るのは私は難しいかもですが、私は5月5日の夜にチケットを取ったくらいで、たぶんそんなに込むことはないでしょうから、興味のある方はぜひ試合を見に行ってください。

清原和博は1日にしてならず、あと佐々木主浩はえらい

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本日清原和博の覚せい剤関係の事件の初公判が開かれます。記事を。

>清原和博容疑者、5月17日に初公判 東京地裁

[2016年3月8日23時4分]

 東京地裁(吉戒純一裁判官)は8日、覚せい剤取締法違反(所持)の罪で起訴され、使用容疑で再逮捕された元プロ野球選手清原和博容疑者(48)の初公判を5月17日に開くと決めた。

 起訴状によると、2月2日、東京都港区の自宅マンションで覚せい剤を所持したとしている。

 警視庁は、都内などで覚せい剤を使用した疑いで2月23日に再逮捕。東京地検は勾留期限の3月15日までに追起訴する見通し。

 警視庁によると、清原容疑者は逮捕後の調べに所持と使用を認めている。

古い記事ですので、清原の肩書が「容疑者」であることは、ご了承ください。

清原和博の覚せい剤所持・使用の件で、私は内柴正人の事件を思い出しました。

つまりオリンピック2連覇した柔道選手である内柴が、指導者となった大学の女子選手に「準強姦」をはたらいてしまい、逮捕、起訴、実刑が確定した事件です。で、この事件について私は記事を書き、拙記事のなかでこのように書きました。

>内柴正人は1日にしてならず、だと思いますので、このような記事を書きました。

そしてそれは、清原も同じだと思うわけです。単純に、清原だけを非難して済むことでもないでしょう。

記事でもご紹介したように、北京オリンピック直前に内柴は酔って俳優渡瀬恒彦の運転手に暴行を働き、後遺症を残す大怪我をさせましたが、オリンピック選手で金メダル有力候補であるということで、内密に示談してもらったということがありました。なにがどうしてそんな馬鹿なことをしでかしたのか見当もつきませんが、さすがに普通このようなことをしたら、その後はおとなしくしているでしょうが、内柴はむしろ自分は治外法権の人間である、自分はたいていのことをしても許される、くらいの勘違いをしたのではありませんかね。本人に聞いても「そんなことはない」というでしょうが、しかし結果として彼は実刑を受けるだけの犯罪をしてしまったわけです。

内柴がなぜこれだけのひどい不祥事を犯したかというと、つまりはもともとやや素質が悪い人間が、柔道界で理不尽にしごかれたりあるいは他人を過酷にしごいたりしてさらに人格が破壊され、それで上の渡瀬氏の運転手氏への暴行事件のような論外な事件ですら許された(「示談」で刑事事件にならなかったというだけで、許されたわけじゃないんですけどね)のが、さらに彼の勘違いと人格破壊を悪化させたのだと思います。

で、これは内柴本人の問題ですが、柔道界も明らかに内柴に対してするべき注意を怠っていたし、また彼がかなりやばい人間であることは重々承知にもかかわらず彼にするべき指導その他をしなかったことがまさに内柴の不祥事の仕上げになったんじゃないんですかね。内柴が女子柔道の指導者になるという話を聞いた時、出身大学の国士舘や所属していた旭化成の関係者は「それはやばい」と考えた人がいたはず。それ以外の人たちだって、内柴が危険人物であるなんてことは、柔道界では公知だったんじゃないんですかね。しかし内柴は、女子柔道の指導者になり、そして不祥事を起こしてしまったわけです。

たとえば、内柴の師匠であり、全日本の監督であった故斉藤仁は、内柴にちゃんと注意なり何なりをしたんですかね。したのかもしれませんが、けっきょく内柴は、あのような論外の不祥事を起こしてしまったのだから、斉藤も内柴に対してよろしからぬ対応をしてしまったということでしょう。

で、柔道界は、けっきょくのところ内柴があまりに偉大な実績を上げたために、内柴を注意するなり、彼の素質の悪さを改善することができませんでした。前の記事でいただいたコメントを引用させていただきます。

>結局、彼の事を本当に心から心配したり慕っていた人なんて誰もいなかったんでしょうね。
自業自得とはいえ、人に恵まれなかったのは彼にとっては不幸ですね。

私もこのように書きました。

>同感です。競技者としてはともかく、人間としては内柴のことをみんな好きではなかったのでしょう。そして、これはもう遅い話ですが、女子柔道チームのコーチになるという話があったとき、とくに旭化成の関係者と国士舘の人は、ほかはともかくそれは絶対ヤバイと思った人もいたと思うんですよ。でも阻止するにいたらなかった。そのおかげで、内柴は論外として、複数の柔道選手、柔道全体のイメージまでとんでもなく傷ついてしまいました。それもどうかです。

そう考えると、清原も同じじゃないですかね。清原も明らかにやや性格や人間性の素質に問題がある部分があった。そしてPL学園というところで理不尽な扱いをされたり何でもありに振舞ったりしたことが、明らかにその悪い部分を増幅させた。プロになってからも、球団もあまり彼に注意をしなかったし、ある程度の年齢になったら、もう球界の大御所もふくめて彼に注意をできなくなった。薬物疑惑を報じられたら関係者も近づけなくなり、刺青まで入れてしまい、暴力団関係者との付き合いなども公言するまでになった・・・。

桑田真澄が清原に意見を言ったら、清原からもう近づかないでくれといわれたので関係を絶ったという話が報じられましたが、本来なら清原の目上の人がそういう話をしなければいけないのですが、したんですかね? 内芝も清原も大人なんだし、いまさら他人が注意するような次元じゃないかもですが、薬物は論外として刺青とか反社会的勢力との付き合いの誇示なんてのは、ひどすぎるんじゃないんですかね。マスコミも、特にテレビ局は、事務所の押しとかいろいろあったにしても、バラエティ番組に彼をちょいちょい出して、それで他方報道セクションは彼の動向をいろいろ探っていたわけで、テレビ局なんてそんなもんだかもですが、しかしあそこまで薬物疑惑もやばい人間をバラエティ番組に出すというのは、テレビ局もさすがに控えるんじゃないんですかね、清原以外の人間だったら。スポーツ選手とロックミュージシャンではまた次元が違いますが、ASKAなんてさすがに逮捕前はテレビ出演なんかする状況じゃなかったんじゃないんですかね。こういう扱いも、清原をじゅうぶん勘違いさせたと思います。

柔道界も野球界も、第二の内柴、清原を出さないためにどうすればいいかということを考えなければいけませんよね。彼らのように、極端に才能があり、実績も極端に優れている人間がお話にならない不祥事を犯したのは、柔道界にも野球界にも大きなマイナスです。野球に関しては、キャンプの話題などより清原の話のほうがはるかに大きく報道されましたし(野球賭博もあったのは、まさにダブルパンチです)、柔道界だって、内柴の事件で競技をやめた選手はいるはずだし、保護者その他で子どもにやめさせた人もいるでしょう。あんなひどい事件を、金メダルを2つも取った人がやったのだからそれも仕方ありません。

大人だから注意できないという次元では済まされんでしょう、2人とも。清原の薬物は公知だったし、内柴に関しても、前に書いたことを繰り返せば「あいつがあそこまで馬鹿だとは思わなかった」のかもですが、ご本人らが懲役なりまともな世界から追い出されるのは不徳のいたすところとしても、清原や内柴レベルの人間の不祥事は、個人の問題ではすみません。それが問題なのです。

さてさて、その清原の裁判に、元横浜ベイスターズ、さらにはMLBでも活躍した佐々木主浩が、情状証人として出廷するとのこと。記事を。

>清原被告

野球評論家の佐々木主浩氏、初公判に出廷へ

毎日新聞2016年5月13日 18時59分(最終更新 5月13日 20時40分)

東京地裁で17日に開かれる覚せい剤取締法違反(使用など)に問われた元プロ野球選手、清原和博被告(48)の初公判に、横浜(現DeNA)や米大リーグのマリナーズで活躍した野球評論家の佐々木主浩氏(48)が弁護側証人として出廷することが関係者への取材で分かった。清原被告と長年親交があり、清原被告が更生できるかなどの情状面について証言するとみられる。

 「ハマの大魔神」の愛称で親しまれた佐々木氏は清原被告と同学年で、別の高校で甲子園に出場した高校時代から清原被告を「親友でライバル」と語っていた。プロ入り後も親交は深く、逮捕時には、薬物使用疑惑を本人から否定されていたことをメディアに明かし、「裏切られた気持ちで悲しい」とコメントしていた。

 清原被告は、今年2月1日ごろ東京都港区のホテルで覚醒剤を使用したなどとして起訴されている。3月の保釈時には「一から出直し、必ず更生することを決意しています」とのコメントを出している。【近松仁太郎】

佐々木はえらいですね。だって昨今、NPBの関係者で清原とかかわりあいたがる人間なんかいないじゃないですか。薬物仲間とかは論外としてもいずれにせよ、清原とかかわっても、何の得もしないというのが実情です。それは当然であって、別にかかわりあいたがらない連中を批判するには及びませんが、佐々木もあえて火中の栗を拾うみたいなところもあるのかもですね。

いずれにせよ、佐々木も清原の更生を願って情状証人になるのでしょう。前に小向美奈子の覚せい剤関係の事件で私は、

更生してね

という記事を書きましたが、遺憾ながら(予想通り)再犯をしてしまい、いま服役中です(まだ仮釈放にはなっていないと思います)。たぶん清原は執行猶予判決になるでしょうが、後どうなるかはご当人次第ですので、ぜひ更生していただきたいと思い記事を終えます。

(海外)旅行で何を持っていくか

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5月16日のこのブログのアクセスは、妙に高い数字でした。

IP数などは、普段の2倍をはるかに超えるくらいです。何があったのかなと思ったら、こちらの記事のアクセス数が多かったということです。

世の中ここまでひどい迷惑をうける人がいる(北原遥子のこと)

16日に、彼女についてのテレビ番組でもあったのですかね。そのあたり詳らかでありませんが、年に何回か、日航機事故の日などにこの記事は多くの方から読んでいただいています。

それでは本題に入ります。前にも同じような記事を書きましたが、また時代が変わったのでちょっと考えてみました。

旅行にもって行くものは、着替え(下着、シャツ、靴下、ハンカチなど)が、3日以上の旅なら2セット(着ている自分の服を入れれば実質3セット)です。4日以降は、適宜洗濯すればいいわけです。

昨今の必需品は、コンセントのアダプター、延長コード、タコ足配線用の機器です。最近は、ネットをつなぐためのiPhoneなども充電しなければですから、充電関係の器具がますます必要となっています。

あとはクリアファイル(紙類を持っていったり持ち帰ったりするのに便利です)、歯磨きとボディソープ、シャンプー類、筆記用具、メモ帳(かさばってよくないのですが、ハードカバーのノートを持って行っています。香港の天地書店というところで買いました。シンガポール製のノートです)、ガイドブック、暇つぶし用の本、タオルです。

本は、かつては海外文学(「マノン・レスコー」とか「赤と黒」とか「怒りの葡萄」とか)をもって行きましたが、最近はチョムスキーとか中国の古典などをもって行きます。あんまり暇つぶしになりませんが、読むのに時間がかかり、普段はあまり読む気のしない本をもって行くわけです。哲学書などもいいですね。数学の本などももっていったことがあります。また語学の本などもよさそうだし(ミャンマー語とか勉強しなければな)、原書もよさそうです。

ほかに数独などのパズル系もいいかもだし、詰碁や詰将棋も悪くないかもですね。私はあんまりパズルが得意でないので、最近はもっていきませんが、ひところはもっていった記憶があります。

それでその程度の量ですと、けっきょくのところ肩からのバッグで入っちゃうわけです。機内にも容易に持ち込めます。

過日LCCでこの荷物の重さを測ったら、5.9kgでした。重さもも問題はありません。

そのほかはデジカメとか、ごく基本的なものばかりです。タブレットはもって行きません(もっていません)。iPhoneで間に合わせます。

ビジネス渡航とかならいろいろな荷物を必要とする場合もありますから、荷物が多いのが仕方ない場合もあるでしょうが、観光なら少なくていいわけです。

なお、最近の私は、ほとんど土産を買うことがなくなりました。買う場合は職場関係のものです。自分のものもふくめて、ショッピングなどをしていたら金がかかって仕方ないからです。円安で海外のショッピングが有利でなくなったせいもあります。これは、今後また変わるかもしれません。

いずれにせよ、金と時間があれば、旅行に行っておいて悪くありません。年齢その他で行きたくったって行けなくなる日がくるのですから、行けるうちに行っておいたほうが得だと思います。

紀伊国屋書店新宿南店が(ほぼ)撤退するという報道を聞いて感じたこと

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旧聞で申し訳ないですが、過日の報道を。

>紀伊国屋新宿南店、事実上の撤退へ 売り場を大幅に縮小

朝日新聞デジタル 5月13日(金)5時22分配信

 大型書店「紀伊国屋書店新宿南店」(東京都渋谷区)が7月下旬をめどに、売り場を大幅に縮小させ、事実上撤退する方針であることがわかった。計6フロア(約4千平方メートル)ある売り場のうち、6階のみを洋書専門店として残す。紀伊国屋は「ビルの所有者側と賃料交渉がまとまらなかった」としている。

 紀伊国屋によると、新宿南店は、JR新宿駅新南口に近いタカシマヤタイムズスクエア南館に1996年10月オープン。当時、全国最大規模の大型書店として話題になった。現在は若者を主なターゲットにコミックを幅広く扱うなど、同駅東口に近い新宿本店との差別化を図ってきたが、客足が伸びなかった。オープンから20年を迎え、9月の契約満了を控えて交渉が続いていた。

うーん、紀伊国屋書店新宿南店(行政区画上は渋谷区)が実質閉店ですか。賃貸交渉が決裂したとのことですが、つまりは客足が伸びなかったということですかね。私は、最近はそうでもないですが、ひところはやたらこの書店に通っていたので(逆に新宿本店にはあまり足を運びませんでした)、やはり時代の変化や書籍の販売不振などいろいろあるのでしょうが、感慨深いものがあります。ここで幾人かのタレントのイベントに行ったりもしましたしね。長きにわたって熱望していた道端ジェシカと握手して話ができたのもここだったし、川原亜矢子のイベントに行ったこともあります。ずいぶん以前の話です。

ただ正直残念という気持ちはありますが、驚きはないですね。池袋などでも、西武池袋店のリブロとか、会社自体が倒産しちゃいましたけど、芳林堂とか、地域の文化を表象するような有名書店が閉店したりしていますからね。逆にジュンク堂のような大規模書店も出店しているわけで、代替機能はそれなりにまかなわれているわけですが、なかなか個々の書店そのものが醸し出す歴史や存在感は容易に置き換えられませんしね。

渋谷なんかでも、ブックファーストがわりとあっけなく閉店したりしたときは、あらためて書店というものの収益性の悪さを感じないでもありませんでしたが(閉店した理由は存じ上げませんけど)、私にとってはホームグラウンドと言って過言でない新宿南店の閉店はやはり私自身の人生にもひとつの節目のような気もしますね。HMVの渋谷店が閉店したときも似たようなことを考えましたが、本とCDなどソフトは、ネット配信などもあるし、著作権切れのテキストは無料でアップロードもされているし、またネットで容易に購入できるのも、小売店の厳しさを深めていますね。仕方ないことですが、大規模小売店にはいろいろ都合のいいところも多いので、残るべきところは残ってほしいのですがね。

新宿駅から向かうほかに、代々木駅からこの書店に足を向けたこともずいぶんありまして、NTTドコモのビルの横を通ってこの書店に行くというのは私の楽しみの一つでしたがね。次にどのようなテナントが入るのか、いろいろ興味がありますが、新宿南店に通った時ほどの楽しみはもうないでしょうね。

やや感傷的な記事になりました。たまにはこのような記事を書いてしまいます。ごめんなさい。


海外旅行の今後の予定

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昨年の9月から、わりとしょっちゅう海外に渡航していました。

9月:アイルランド、英国、韓国(韓国は、英国からの帰りのトランジットで正式に入国はしたものの数時間の滞在)

11月:韓国

12月から1月:台湾

1月:ミャンマー

2月:韓国

3月:中国

10月をのぞくとこの半年はほぼ1か月に1回海外に渡航していますが、金のかかりすぎという問題もあるので、4月~6月は渡航を控えました。で、7月からまた考えたいと思います。以下は机上の空論ですので、実際に行くかどうかは未定です。たぶんミャンマーとシンガポールと年末年始の旅行には行くと思いますが、まだ予約その他をしているわけではない。

7月:ミャンマー

8月:韓国

9月あるいは10月:シンガポール、マレーシア、インドネシア(マレーシアとインドネシアに行くかどうかは未定)

10月あるいは11月:香港か台湾

11月あるいは12月:香港か台湾(11月に行かなかった方)

12月~1月:コルカタかウガンダ

ほかに国内で、関西と九州に行きたいのですが、関西はともかく九州は行けるかどうか。

ウガンダ以外は、そんなに遠いわけではありませんが、香港や台湾、韓国はLCCで行ければ安く上がるので、たぶんそれで行くことになろうかと思います。現段階では、シンガポールにLCCで行く気はありません。

シンガポール、マレーシア、インドネシア、インド、ウガンダは、もし行けば初めての入国です(マレーシアは、トランジットで降りたことはあります)。いろいろ楽しみです。

女子バレーの選手をご紹介(イタリア編)

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 バレーボールの五輪予選が開催されていますが、当方としてはやはり美女選手に注目したいと思います。それでは、本日日本と戦う美女選手をご紹介。写真の大きさに他意はなしということでご了解願います。

アレッシア・ジェンナーリ( Alessia Gennari)。

アレッシア・オッロ(Alessia Orro)。1998年7月生まれだから、まだ17歳です。

クリスティーナ・キリケッラ(Cristina Chirichella)。

 彼女はおなじみ、フランチェスカ・ピッチニーニ(Francesca Piccinini)。

彼女については、お約束でヌードを。

彼女も1979年生まれで、現在37歳です。上の写真は24歳の時のもですかね。さすがに東京には出場しないでしょうね。

モニカ・デジェンナーロ(Monica De Gennaro)。

ナディア・チェントーニ(Nadia Centoni)。彼女もなかなかの美女です。

オフェリア・マリノヴ(Ofelia Malinov)。名前からするとロシア系? わかりませんけど。

なかなかイタリアのバレーボール代表も美人が多いじゃないですか。というわけで皆さん、応援しましょう(どっちを?)。なお私は、美女の味方です。

女子バレーの選手をご紹介(オランダ編)

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昨日イタリア編をご紹介しましたが、今日はオランダと日本は戦います。さあ、私はどちらを応援すべきでしょうか。この写真を見れば、すでに回答は出ています。昨日同様写真の大きさに他意はありません。余談ですが、オランダ人は背が高いので、バレーボールは割と向いているスポーツなのかもです。 なお人名表記はWikipediaのバレーボールオランダ女子代表にのっとっていますので、テレビとは違うかもというのはご容赦ください。

ブリット・ボンハールトス(Britt Bongaerts)。

デビー・スタム=ピロン(Debby Stam-Pilon)。これは、テレビ出演か何かの写真ですかね。

ユーディット・ピーテルセン(Judith Pietersen)。

キルステン・クニップ(Kirsten Knip)。リベロですので、オランダでは一番の低身長ですが、それでも176cmです。


クラスケ・シケス(Klaske Sikkes)。

ラウラ・ダイケマ(Laura Dijkema)。

マレト・フロットヒュース(Maret Grothues)。180cmというのは、オランダの選手としては小柄です。主将でもあります。

ミルテ・スホート(Myrthe Schoot)。彼女もリベロですが、184cmあります。


ニコレ・アウデルティカウス(Nicole Oude Luttikhuis)。18歳ですが、191cmという長身です。これからどんどんすごい選手になるかもです。

ニカ・ダールデロップ(Nika Daalderop)。ほかとどうも写真の系統が違いますが、童顔ですけど、身長188cmとかなりの大女です。

キンタ・ステーンベルヘン(Quinta Steenbergen)。彼女も190cm近い大女です。

ロビン・デクライフ( Robin de Kruijf)。彼女は、上のキンタ嬢同様、やや顔が巨人系ですかね。きれいですけど。193cmとのこと。

 以上、レベルが高いですね。これはぜひリオでも彼女らを拝見したいものだと思います。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(23)

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バレー美女を週末にご紹介したので遅くなりましたが、旅行の記事です。街の中心部に向かって歩きます。

なかなかきれいな建物です。

このように、現段階では日が出ていないわけです。めちゃくちゃ不安定な天気です。

観光案内所のわきを通ります。

この近辺は、滞在中何回となく通りました。ホテルへ徒歩で移動するとなるとそうなります。

ツアーバスも走りますが、雨がいつ降るかわかったものじゃないので、特に露天はあまりお勧めしかねます。

中心部に入ります。

ゴールウェイは大学の街ということもあり、若者の姿が多いように思います。こちらの記事でご紹介したチャールズ皇太子とジェリー・アダムズの面談も、ゴールウェイの大学で行われました。

日が出ると、雨上がりなので空気が澄みます。

こうやって見知らぬ街を歩くのは、旅の最高の楽しみです。

AIB銀行の看板がある建物が、リンチ家の城です。もともとは14世紀にたてられた由緒ある建物です。リンチ(Lynch)とは、アイルランド系の姓です。私刑の意味の「リンチ」というのは、アイルランド系米国人のチャールズ・リンチ判事から呼ばれたとする説もあります。かのチェ・ゲバラもアイルランド系であり、Ernesto Guevara Lynchというのが本名です。アイルランドに由来する固有名詞が一般名詞と化した例としては、「ボイコット」なんてのもあります。

てくてく街を歩きます。

壁画もあります。

路上ミュージシャンが演奏していました。アイルランドでは、パブなどで普通に演奏がされています。写真は、後でごってりお見せします。

また雲行きが怪しくなりました。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(24)

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腹が減ったので、何かを食べることとします。

ちょうど学校の生徒も帰る時間なのかな。まだ早いので、この日は何かの行事があったのかもです。

ゴールウェイの名物パブ「キングズ・ヘッド」です。なにか不吉な店名ですが、チャールズ1世の処刑にちなんだ店名です。彼は斬首されました。

こんな感じの店内です。まだ昼間ですので、雰囲気はおとなしい感じです。

まずはギネスをいただきます。これから先、アイルランドでギネス以外のビールをいただくことはありませんでした。

ハンバーガーをいただきます。けっこうなお値段でした。

さて、この店で、店の中の最初の写真に男性が写っています。この方が、私の方をちらちらと注目しているのです。当たり前ですが、私は男性から注目されたことなんかありません。女性からはもっと注目されないかもですが、いずれにせよ、非常に強い違和感を感じました。いったい何がどうしたというのでしょうか。

で、この男性が、私のほうへ来て言いました。

男性「日本人か」

私「はい、そうです」

男性「そうか! おめでとう!!!」

いきなり握手を求められました。何が何だかよくわかりませんでしたが、ラグビーの南アフリカ対日本の試合のことだと気付きました。

私「いやあ、ありがとうございます!!!」

私のこの試合の予想はというと、前に記事で書いたように、

>もちろん日本が南アフリカ(スプリングボクス)にかなうわけもありません

でした。チェスターのホテルで、日本が勝ったという報道を知ったとき、私が最初に思ったのが、「なにを嘘ばっか」でした。あとで、せっかくイングランドにいたのに、この試合を見ようなどとかけらも考えなかった自分の不明を大変後悔しました。

ギネスだけでない理由でいい気分になったので、また街を歩きます。雨が降ったりして、まったくアイルランドの天気は油断がなりません。

だんだんい青い空が見え始めて・・・

だいぶ太陽の光も強くなってくるわけです。

このような路上ミュージシャンがたくさんいます。

このようなパブがたくさんあるわけです。

写真を見て思ったんですけど、左側の自転車の女性、男性に道でも聞いているんですかね。

 

まだまだ歩くところはたくさんあります。

(つづく)

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