さて今年は、日本中でロメールの映画が再公開されていますので、またロメールについての話題がそれなりに飛び交っていると思います。最近アマンダ・ラングレについての新作など見る機会もありませんが、IMDbその他によると、彼女の最後の女優としての活動は、2008年のようですね。1967年生まれとのことですので、彼女もちょっとなかなか活躍は難しい年齢というところでしょうが、上の特集に合わせて発売された雑誌に、彼女の2016年のインタビューが収録されていました。これをちょっと紹介したいのですが、その前ふりとして、ロメールが亡くなった2010年に行われたインタビューをご紹介します。Virginie Ledoyen et le cinéma françaisさんの下の記事です。
AL 俳優としては多くの役柄に挑戦できなかったことは残念だけど、映画史に名を遺す作品に出演できて誇りに思うわ。最近、友人に「国際的なスターになってみたかったわ」と言って天を仰いだら、彼は「ポーリーヌは国際的に知られたスターだよ」というのよ(笑)。ロメールは、ただ単純に”女優を撮る”のではなく、生身の人間として私たちをよく知ったうえでシナリオを練り上げていった。私は『海辺のポーリーヌ』と『夏物語』という素晴らしい2本に巡り合えたの。
AL マリー・リヴィエールも同じことを言っているわ。ロメール女優とはいっても、私たちは全く違う。私たちを結び付けているのはロメールという人物で、彼は私たちの中に共通点を見いだしているのかもしれないけれど、私には全く分からないわ。それよりも、マリー(リヴィエール)、アリエル(ドンバール)、ロゼット、ベアトリス(ロマン)達と個々の人間関係を紡ぎ、長年にわたって友好関係を築いてきたと思っているわ。そして何年後か、時には十数年ぶりに、また彼の映画に出演する。私たちは、ロメールがなくなってからも、交流を持ち続けているの。
AL 実際はそうだったのかもしれないけど、私には何も言わなかったのよ。役が私に決まるまで何カ月も待ったの。
―ロメールの第一印象を教えてください。あなたより40歳以上も年上の方です。
AL 初めてのランデヴーの時、私は時間より30分も早く着いてしまったの。約束よりも早く到着してしまうのは失礼だから、最寄りのバス停で時間を潰していたの。そうしたらロメールが買い物をするために降りてきて、通りの向かいから私を何度もみてきたんです。内心「いったい、このムッシューは何者!?」と思っていたわ。ロメールは私を写真で見ているから知っているけど、私は彼に気付かなかったの。その後、彼が私の所にやってきて、お互い自己紹介をしたの。16区ピエール・プルミエ・ドゥ・セルビ通りにある彼の事務所では、その後、いつも際限なくお喋りに高じたわ。ロメールは私よりもずっと年上だというのに、私を一人前の人間として接し、同じ目線で話を聞いてくれる。14歳の中学生だった私は、それが何よりも誇らしかったわ。
AL どちらとも言えるわ。まず、あのシナリオは70年代に書かれていたの。ポーリーヌの従姉のマリオン役はブリジット・バルドーが演じる予定で執筆されたと聞いたわ(実際にはアリエル・ドンバールが演じた)。シナリオの本水は残したままで、彼は私たちと会話する中で肉づけしていったの。『夏物語』の場合は、私が配役された時、既にシナリオは準備されていた。たった一つ、私がシニシアティヴを撮ったのは、演じる役の名前をつけることだったわ。マルゴという名前を選んだのは私なのよ。
―マルゴはあなたのように民俗学を研究する学生でしたね。
AL ロメールが私のことを念頭において、あのシナリオを書いたのかは分からないけれど、あの登場人物が民俗学を専攻していることは、シナリオにあったわ。この役をオファーされた時は、ちょうどレ・フィルム・デュ・ロザンジュ(1962年、ロメールとバーベット・シュローダーによって創立された映画製作・配給会社)の30周年のパーティがあったの。仲良しのロゼットに「絶対いらっしゃい! きっとあなたにとっていいことがあるから」と誘われて。そうしたらロメールに「また私の作品に出ることに興味はありますか?」と聞かれたの。彼は私が民俗学を勉強していたことは知っていいたけど、私を念頭においてシナリオを書いたのかはさっぱり分からないわ。
AL そう。とても楽しい学生生活を送ったわ。女優としての道を模索する人生とは違う、人生の楽しみに方ね。当時はTVに出演したり、メディアに顔を出す必要はなかったですから騒がれたことはない。でも、一度だけ仰天したことがあるの。当時、パリの西郊外ナンテールという町に住んでいて、パリから自宅に戻るときはいつもシャンゼリゼ通りを通っていた。ある日、シャンゼリゼ通りの全てのキオスクに『海辺のポーリーヌ』のポスターが貼られていたのよ。その衝撃といったら! 今でも瞼に焼き付いている光景だわ。
―その後、93年の『夏物語』までの10年間は何をされていましたか?
AL 高校を終えてバカレロア(大学入学資格)に受かって大学に進学したの。ロメールにとって最も大切なのは、ちゃんと教育を受けることでもある。私が絶対落ちこぼれないようにと、『海辺のポーリーヌ』は夏のヴァカンスの時期に合わせて撮影が行われたわ。ヴァカンス映画といっても、時期をずらして撮影することもできたはず。だけど、何があっても私の成績が下がらないことを優先して考えてくれた。私は大学で民俗学の学士号を習得(採録者注・「取得」のほうが妥当ですかね?)した後、演劇のクラスに通ったの。その後、小さな仕事を続けた後、『夏物語』い出演したわ。その直後、妊娠して出産したのよ。『三重スパイ』で小さな女の子が登場するけど、彼女は私の実の娘なのよ。私は30年間の間に10年の時間を置いて、3本のロメール映画に出演できた。とても幸運なことだと思っているわ。
―『海辺のポーリーヌ』のポーリーヌと『夏物語』のマルゴは、とても似たキャラクターのように感じます。
AL 時々、言われるわ。ポーリーヌの成長した姿がマルゴだって。二つの役はまったく異なるけれど、私が演じるということだけに共通点がある。二つの役には、私のクセや特徴、パーソナリティーが入っているから、確かに役も私も成長したのかもしれません。
―ブルターニュ地方やノルマンディー地方の青い海…。あなたはこれらの地方をよくご存じなのですか?
AL いいえ。私は南部の出身で、休み後にヴァカンスを過ごしたのは、ミディ・ピレネーなど南仏ばかり。ロメールのおかげで、ブルターニュやノルマンディーを知ったわ。
AL 本当にそうね。私の友人でも、ロメールのヴァカンス映画を参考に旅をした人がいるわ。『海辺のポーリーヌ』のロケ地ジュルヴィル(Jullouville)の海岸も家も、今でも同じたたずまいで残っているのよ。あの家は海岸から歩いて数分の処にあるの。海岸には、同じ目印の看板があるから、そこを曲がれば一寸先に家があるの。あの家はロメールのアシスタントの家族の持ち家で、撮影のために貸してくれたの。
―ロメールで巡るフランス旅行といえば、『夏物語』のクレープ屋さんは見つけられませんでした。
AL それは当然よ! アパートをクレープリーに改造したのだから! でも私たち3人の女性とメルヴィル・プポーが歩いた道は残っているわ。ロメール映画にまつわる”野外での宝探しゲーム”を考案しなきゃね(笑)。
―ロメールのご家族は生前からご存知でしたか?
AL いいえ。初めてお会いしたのはお葬式の日でした。その後、オマージュがある度に、彼の息子さんや義理のお嫁さん、お孫さんや奥様にお会いする機会があったわ。数年前、ロメールの生まれ故郷コレール県チュールでメディアテークの開幕式があったの。そこでロメールの実のご家族や映画のファミリーと、時をあらたに過ごしたの。不思議なことに、彼の生前は家族と彼の映画は断絶されていたけれど、いまは結びつきが生まれている。二人の息子さんの長男ドニ・シェレールはジャーナリストで、次男ローラン・シェレールは父のように教員でもあり、ロメール作品の権利を扱うエリック・ロメール・カンパニー(CER)を引き継いだの。
―それではあなたの近況を教えてください。
AL 残念ながら演劇や映画はしていないけれど、定期的に朗読会を行っています。ずっと役者を続けたかったら、あるグループに所属しなければいけないでしょう。私は田舎に住んでいるから、隔離されているのは事実だけど、でも、これは私の選択よ。二人の子供がいて、長女は20歳、下の息子は10歳。子供を持ったのも私の選択なのよ。息子の学校では紙芝居をしたり、影絵をしたり、校内行事に積極的に携わっているの。ある日息子に「ママは何の仕事をしているの?」と聞かれて「何だと思う?」と問い返したら、「物語を語る人だよ」という言葉が返ってきたわ(笑)「物語人」、素敵な言葉でしょう?