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本日の証人喚問は必見だ!

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森友学園の関係で、籠池泰典理事長の証人喚問が行われます。記事を。

><森友学園>発言曲折、真相迫れるか 籠池氏23日証人喚問

毎日新聞 3/22(水) 6:30配信

 大阪市の学校法人「森友学園」の小学校開校計画を巡り、学園理事長の籠池泰典氏(辞意表明)への証人喚問が23日に迫った。籠池氏は一連の疑惑を否定する一方、4月開校を断念した後は政界を揺さぶる発言を続けている。安倍晋三首相から昭恵夫人を介して100万円の寄付金を受け取ったとの主張は、首相側が全面否定。国会で籠池氏は何を語るのだろうか。【服部陽】

 非公開だった学園への国有地売却額。金額の開示を求めて大阪府豊中市議が提訴したことを受け、財務省近畿財務局は2月10日、一転して公開した。本来は9億円を上回る地価だったが、地中のごみの撤去費約8億円が差し引かれ、1億3400万円で売却されていた。籠池氏は取材に「ごみの撤去費が8億円なんて知らなかった。後から聞いた」と語った。

 一時は安倍晋三首相の昭恵夫人が「名誉校長」に名を連ねた小学校計画。政治家の便宜について籠池氏は「一切ない」と説明したが、自民党参院議員の鴻池祥肇(よしただ)元防災担当相の事務所に再三陳情し、国有地取得に助力を求めていたことが分かった。

 その後、小学校設置の認可を決める大阪府、校舎建設の補助金を交付する国などに、額の異なる3通の工事契約書を示していたことが判明。他にも疑義が相次ぎ発覚し、小学校設置は不認可となる見通しとなった3月9日。府が小学校計画用地を視察した際、久々に報道陣の取材に応じ「学校を開校させてほしい」と声を張り上げた。工事契約書を作り分けた疑惑も否定した。

 ところが翌10日、認可申請の取り下げを唐突に表明した。政治家への口利きの要請を否定し、国会での参考人招致には「応じる気はない」と述べた。

 その後も学園を巡る問題は広がっていく。ノンフィクション作家のインタビューで籠池氏は「稲田朋美防衛相は旧知の仲。衆院議員になる前は顧問弁護士だった」と明かした。稲田氏は国会答弁などで“疎遠さ”を強調したが、学園の代理人として訴訟に出廷していたことが判明し、野党は「虚偽答弁だ」として辞職を要求した。

 参院予算委員会の視察団が建設現場を訪ねた16日、籠池氏は「皆さん方のご意思があってこその学園。その中には安倍総理の寄付金が入っております」と明かした。籠池氏は昭恵夫人を通じて100万円の寄付を受けたと言うが、安倍首相は直ちに否定。籠池氏は「国会で全てを話す」と表明し、証人喚問への流れが固まった。

 ◇「小学校は神様が運営している」独特の教育内容

 「小学校の創設は天からのミッション。神様が運営している。私はその番頭だ」。森友学園の籠池泰典氏は2月中旬、毎日新聞の取材に語っていた。

 籠池氏は元奈良県職員。1984年に退職し、妻の父・森友寛氏が創設した「塚本幼稚園」(大阪市淀川区)で幼児教育に携わる。95年に森友氏が死去すると、理事長に就任。「高等森友学園保育園」(同区)を運営する社会福祉法人「肇國(ちょうこく)舎」では「総裁」を名乗った。

 園児に戦時歌謡曲を歌わせ、教育勅語を暗唱させる。独特の教育内容が批判されたが、「夫婦仲良く、人のために頑張れ、と促す教育勅語のどこが悪いのか」と反論した。

 運動会で園児に「安倍首相がんばれ」「安保法制、国会通過、よかったです」と言わせ、政治的中立性が疑われた。「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」とヘイトスピーチまがいの文書を保護者に配っていたことも分かった。

 小学校開設は籠池氏の悲願だが、古くからの知人によると、資金調達に苦労していた様子だったという。知人は「ずいぶん冒険するなと思っていた。幼稚園で頑張っていれば良かったのに」と話す。

議院証言法(議院ににおける証人の宣誓及び証言等に関する法律)は、その第六条~第九条に罰則およびその告発の規定がありまして、

>第六条  この法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する。

○2  前項の罪を犯した者が当該議院若しくは委員会又は両議院の合同審査会の審査又は調査の終る前であつて、且つ犯罪の発覚する前に自白したときは、その刑を減軽又は免除することができる。

第七条  正当の理由がなくて、証人が出頭せず、現在場所において証言すべきことの要求を拒み、若しくは要求された書類を提出しないとき、又は証人が宣誓若しくは証言を拒んだときは、一年以下の禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
○2  前項の罪を犯した者には、情状により、禁錮及び罰金を併科することができる。

第八条  各議院若しくは委員会又は両議院の合同審査会は、証人が前二条の罪を犯したものと認めたときは、告発しなければならない。但し、虚偽の証言をした者が当該議院若しくは委員会又は合同審査会の審査又は調査の終る前であつて、且つ犯罪の発覚する前に自白したときは、当該議院は、告発しないことを議決することができる。合同審査会における事件は、両議院の議決を要する。
○2  委員会又は両議院の合同審査会が前項の規定により告発するには、出席委員の三分の二以上の多数による議決を要する。

第九条  証人又はその親族に対し、当該証人の出頭、証言又は書類の提出に関し、正当の理由がなくて、面会を強要し、又は威迫する言動をした者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

あります。 この偽証罪で、最近では例えば山田洋行事件での守屋武昌前防衛事務次官(当時)が、収賄罪とともにこの偽証罪でも訴追されて実刑判決が確定しています。あとかのロッキード事件でも、複数の人間がこれで起訴されています。

いずれにせよ、理事長がどういう証言をするか、それがどのような結果になるかはわかりませんが、与党側は参考人招致すら渋っていたのにいろいろあってここまで来たというのも、私も期せずしてこの件の森友学園・塚本幼稚園批判の先駆者(?)になったので、少々感慨深いですね。いや、これは単なる偶然ですけどね。私がやったことは、最初は産経新聞のパブ記事単に批判しただけ(しかもbogus-simotukareさんの批判のほうが私より先です)なんですけどね。が、私以外にこの件で塚本幼稚園を批判する人たちが少なかったというのもどうかですよね。産経のパブ記事、bogus-simotukareさんの記事、私の記事、あるいは産経の記事へのはてなブックマークなどで、この幼稚園(学校法人)の問題点はあらかたでていますし、そのきわめてよろしくない実態は明白じゃないですか。たとえば次のような産経パブ記事へのブックマークはいかがでしょうか。これは、産経パブ記事発表時のブックマークです。後付けのものではありません。

festerfester 戸塚ヨットスクールとおんなじで、いつか必ず事件を起こすと思う。ここまできたらカルトの領域。ここら辺の戦前回帰思想の人間が今後どれくらい影響力を持ってくるのか強く警戒しないといけないと思う

ちゃんと見る方が見れば、その危険さは明々白々だったでしょう。この件は、見て見ぬふりをしてきた人間も、とても罪深いと私は思います。その後生じためちゃくちゃな不祥事はまだ明らかでなかったとしても、やっぱり「かかわりあいたくない」ということが大きかったんですかね。そういう心理を理解しないではないですが、あるていどまともな批判がされていれば、あそこまでの暴走はなく、たぶん今日の証人喚問なんて事態はなかったんじゃないんですかね。上の引用記事にもあるように、小学校の開設は明らかにこの学校法人の能力を超えていました。だから本来なら、土地の購入も建物の建設もできるものではなかったのですが、それがさまざまな偶然とかなにかでここまでの事態になったわけです。それは理事長その他の不徳の致すところというものでしょうが、私もこの証人喚問は録画して、仕事から帰宅したあとじっくり見たいと思います。「ライプツィヒの夏」の常連読者の皆さまも、何の因果かこのブログとなにがしかの関係をもったわけですから、ぜひこの証人喚問をご覧になってください。ニュースだけで済ませるのはもったいない。

なお明日の証人喚問の予定は、こちらの記事を引用しますと、

> 証人喚問は午前10時に参院でスタート。冒頭10分間で籠池氏から意見を聴取した後、山本一太委員長が総括質問を行い、その後、各党・会派の質問に入る。午後2時50分からは衆院に移り、浜田靖一委員長と各党が順次質問を行う。首相は自身の寄付について「あり得ない」と強く否定している。昭恵夫人による寄付も「なかった」と断言している。籠池氏が「寄付」証言を貫く場合、与党は確証の有無をただす方針だ。

となります。NHKの中継はこちらの解説では、

>NHK 籠池氏優先し総合で放送 センバツはEテレ、大相撲はBSでスタート

記者会見する森友学園・籠池泰典氏=大阪市内(撮影・北村雅宏) 1枚
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 NHKが22日、大阪市の学校法人「森友学園」の小学校開校計画を巡る籠池泰典氏の証人喚問が23日に行われることについて、放送予定を発表した。 参議院予算委員会での証人喚問を午前9時55分から11時54分まで総合テレビで。衆議院予算委員会でのものは午後2時30分から後5時5分まで総合テレビでの放送を予定している。
 選抜高校野球については、証人喚問と重なる時間帯はEテレで放送する。大相撲春場所は証人喚問の放送が終わり次第、総合テレビで放送し、それまではBSで中継するとした。
 籠池氏の証人喚問が17日に決まり、高校野球と大相撲中継と重なることから、番組編成がどうなるのか、注目されていた。籠池氏の証人喚問を中継する理由について、本会議や予算委員会などで通例放送している内容に加え「集中審議がある場合や、特別に国民・視聴者の関心が高いもの」について放送していると説明。個別の事案について中継する、しないの理由は原則的に回答していないとしたが、今回も「そういう内容(関心が高いもの)」と判断した。(後略)

とのこと。上には、この喚問の焦点をまとめた表をはっておきます。NHKの番組表をこの記事執筆時点(22日午後11時ごろ)のものをスクリーンショットでご紹介すると、

 

ということになります。たぶんこのような形で放送されるのでしょう。国会議事録なども後日参照したいと思います。


海外での旅で撮影した人物写真を壁紙にする

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旅行の際、私は膨大な枚数の写真を撮ります。2015年9月のアイルランド・英国紀行の際は、12日間という長い日程だったのは確かですが、7,700枚くらいの写真を撮りました。実際には間違えてシャッターが切れてしまった写真も多く、自分の意思で撮った写真はこれより100枚単位で少ないのですが、ともかくたくさんの枚数の写真を撮りました。

それで拙宅のPCは、旅先で撮影した写真を壁紙に使っています。ただ壁紙の写真に選択するについては、いくつかの私なりの基準があります。すなわち

1.人物をとらえた写真である

2.自分の写った写真は不可

3.海外での写真である

ということです。

壁紙に使用する写真を「壁紙用写真(人物編)」と名づけたフォルダーに入れているのですが、「壁紙用写真(風景編)」というような他のフォルダーはありません。ひところは、アニセー・アルヴィナ(こちらの最後の写真)や、浅野ゆう子(こちらのプレートのビキニの写真)、ケイト・モス、白人美女のきわどいセミヌードの写真などを壁紙にしていたのですが、今は海外旅行の写真を壁紙にしています。

「(人物編)」と名づけたのは、いずれは風景写真を集めたフォルダーも作って、気分に応じて適宜壁紙用フォルダーを変えるつもりだったのですが、人物が入った写真のほうが個人的には面白いので他のフォルダーを作成するにいたらなかったわけです。

すると読者は、じゃあこいつが選ぶ写真は美女の写真ばかりに違いないと思うかもしれませんが、そういうわけでもありません。美女の写真が多いのは確かですが、男性の写真もたくさんありますし、老女や子ども、美人じゃない女性の写真も多いわけです。

必ずしも上手な写真ばかりでなく、とても下手な写真もあるのですが、壁紙使用中の写真の中で私が好きな写真をご紹介します。順番は撮影の時系列ということで。その多くはこのブログでご紹介していますが、未発表の写真もご紹介。既発表の写真は、初出の記事にリンクさせておきます。また、下の記事で登場した人たちは重複を避けるために省略します。

旅先で出会った(あるいはすれちがった)女性(少女)たち

2009年9月ロンドンにて。逆光で女の子の顔が隠れているのがいいところです。正直この女の子あんまりかわいくないので、って私もひどいこと書くな。

同上

2011年9月ヤンゴンにて。フェリーにいた少年。なんでそんなところにいたのかは不明。彼は拙ブログによく登場する女の子の友達でした。

2011年12月アモイにて

2012年1月上海にて

2012年7月ヤンゴンにて。この女性も、2011年から定期的に写真を撮らせていただき、写真を渡しています。私の顔も覚えてくれました。写真をもらってはずかしいのでしょう。

2012年11月台北にて。たまにはこういうことをしてくれる女の子もいます。

2013年1月ブリュッセルにて

2013年7月ソウルの新沙にて。このような美女がゴロゴロしているエリアです。

2013年12月ホーチミンにて。最初に行った食堂の女の子。のっけからいい写真が撮れて縁起がいいと思ったら、やっぱりそれからもいい写真が撮れました。

同上。新年直前の時間です。写真自体は下手ですが、でも私が好きな写真です。この写真、この一家にあげたいのですが、メルアド聞かなかった・・・。

2014年1月プノンペンにて。あまりにクリアすぎてちょっと怖い気がしました。

同上。今にしてみると、この女の子たちと記念写真を撮っておけばよかったな。また彼女らにもメルアド聞いておけばよかった。

同上。このあと写真をもう1枚撮りましたが、そっちの写真のほうでは女の子がむっとした顔をしていました。2回写真を撮ったから?

2014年1月ホーチミンにて。これは気に入ったので、年賀状の写真に使いました。

2014年7月コペンハーゲンにて。やっぱりこの女の子の視線、カメラ目線ですよね?

同上。子どもたちが遊んでいる写真はいいものです。

同上。これはチボリ遊園地にて。

2014年7月ドイツのフレンスブルクにて

同上。壁紙にすると傘を持った女の子がアップになるのでいい写真になります。私が記事で紹介する写真は一切トリミングとかはしていませんが、やはりトリミングすると写真の見栄えが上がります。沢木耕太郎も、そういうことを経験して驚いたということを何かの本で書いていました。

2015年1月北京の故宮近くの某食堂にて。このオーナーの男性ガッツ石松に似ている気がします。正直写真を頼む時かなり怖かったのですが、意外と気さくに応じてくれました。この旅行は記事にしていません。

2015年6月香港の麺の店にて。香港の女性も、レベルが激高です。

2015年9月英国チェスターのパブにて

2015年9月アイルランドのゴールウェイにて。アイルランドのパブでギネスを飲むと、その雰囲気に病みつきになります。

同上。アイルランドのパブでは、夜な夜なミュージシャンが演奏したりします。ライヴチャージ? 一般のミュージシャンだから、そんなものはありません!

同上。このようにたくさんのギネスのグラスがあるとさすがに圧巻です。

2016年1月ヤンゴンにて。これも年賀状に使いました。

2016年8月台南にて。台湾は写真撮影にわりあい鷹揚なので、このような写真も撮れちゃいます、って、それは私が写真の撮影の経験が他人より豊富だから大丈夫なだけなのかもです。いずれにせよ美男美女カップルです。

2016年9月ヤンゴン。ミャンマーというか、ヤンゴンというところも、本当に絵になる街です。現在未記事です。

2016年11月上海にて。この旅行も未記事です。

この記事を書いている現在で、壁紙用フォルダーに入っている写真は、872枚です(2017年3月22日時点)。シンガポールでの写真はまだ選択していません。上に紹介した写真はごく一部ですが、旅行の後で写真を選んでいくのは楽しいことです。読者の皆様も、初期設定でなくて自分なりの壁紙を考えてみてもいいかと思います。

なお、私個人の趣味を書きますと、一番壁紙にして楽しい写真は集団で写っている写真ですね。具体的には上ではホーチミンの家族の写真とプノンペンでの写真ですかね。それでアイルランドで撮った写真で、わが写真ベスト(私がいちばん好きな写真)があります。それは記事でご紹介しますのでお楽しみに。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(82)

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それではもうちょっとキャンパスを歩きます。

非常に天気がいい日です。

話すのが遅くなりましたが、私としてはめずらしく土産を買ってしまいした。

トリニティ・カレッジのカレンダーです。2016年はこのカレンダーを自室に飾っていました。

なにか集会があるんですかね。椅子が並べられています。

大学の関係者が相談でもしているんですかね。

記念写真を撮ります。

大学を出ます。大して目的もなく街の真ん中を歩きます。

アイリッシュ・ブレックファーストというのは、イングリッシュ・ブレックファーストより豪華なんだそうです。

コカ・コーラゼロの自転車が並ぶ横を、小学生の集団が歩きます。

メアリー・ロビンソンは、アイルランドの元大統領です。トリニティ・カレッジ出身です。

 このような赤茶色というのでしょうか、建物もいいですよね。

(つづく)

マーティン・マクギネス前北アイルランド副首相を追悼する

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3月23日、このニュースを知って驚きました。

IRA元指導者が死去 マーティン・マクギネス氏 

2017/3/21 20:50

 【ロンドン=小滝麻理子】英国・北アイルランドのカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)の元指導者で、自治政府の副首相を1月まで務めたマーティン・マクギネス氏が21日、病院で死去した。66歳だった。

 北アイルランドではプロテスタント系とカトリック系の住民の武力対立が1960年代から激化し、3千人以上が犠牲になった。マクギネス氏はIRAの指導者から政治家に転じ、両派による共同自治の枠組み作りを進めた。メイ英首相は「彼の初期の人生の選択を大目に見ることはできない」としつつも「北アイルランドが衝突から平和へと転換するうえで歴史的な貢献を果たした」と追悼した。

もう1つ

>元IRA司令官、マーティン・マクギネス氏死去 66歳

2017.03.21 Tue posted at 16:24 JST

(CNN) 北アイルランドの英国からの独立闘争を展開した過激派「アイルランド共和軍(IRA)」の元司令官で、北アイルランドの副首相も務めたマーティン・マクギネス氏が20日、死去した。66歳だった。
同氏が所属していたシン・フェイン党が声明で発表した。亡くなる少し前から病を患っていたという。
同氏はシン・フェイン党の主要な交渉人として、北アイルランド和平交渉に参加した。
同党のジェリー・アダムス党首はマクギネス氏を「偉大な決断力、威厳、謙そん」を備えた人物で、「平和と和解、そして国の再統一に根気強く働きかけた情熱あふれる共和軍員だった。何より家族とデリーの人々を愛し、誇りに思っていた」と形容した。
マクギネス氏は今年1月、副首相を辞任。同月19日には体調不良を理由に政界からの引退を発表していた。

マーティン・マクギネスと聞いてすぐ誰かわかる日本人は、(北)アイルランド政治とかIRAとかにあるいていど詳しい人ということなのでしょうが、彼は世界的にはかなりっ知られている人です。

マクギネスは1950年に北アイルランドの都市(ロンドン)デリーに生まれました。15歳で学業から離れ、20くらいの時にはすでにIRAに加入し、最終的にはIRAの最高幹部(参謀長とも)になります。が、武力闘争の限界も悟り、彼はIRAの政治組織であるシン・フェイン党の活動に力を入れるようになり、シン・フェインのトップであるジェリー・アダムズの片腕格として活躍するようになります。シン・フェインが北アイルランドのカトリック政党で最強となり、北アイルランドでのシン・フェインのトップになった彼は、2007年から北アイルランドの副首相になります。まさに元テロリストが政府の最高指導者になったわけで、これまた世界中を驚かせるわけです。

実際マクギネスという人は、例えば前にもこのブログで写真をご紹介したこともありますが、英国女王とも握手しましたし、北アイルランドのプロテスタントの過激な指導者イアン・ペイズリーと一緒に政治を行うという優れた現実感覚の持ち主でもありました。エリザベス女王との握手は、シン・フェインの最高幹部との握手というよりは、北アイルランド高官との握手という意味合いだったのでしょうが、この時の握手がなければ、シン・フェインのトップであるジェリー・アダムズがチャールズ皇太子と握手した歴史的瞬間(2015年5月)も実現しなかったでしょう。

そしてアダムズとマクギネスは本当の盟友でした。北アイルランドの政治をアダムズはマクギネスに任せることができたし、マクギネスはそれをそつなくこなせたわけです。この2人が一緒に写っている写真は本当に多い。いかに双方ともどもかけがえのない存在であったかがわかるというものです。80年代から三十数年にわたり彼らは二人三脚でシン・フェインを引っ張ってきたし、ついには北アイルランドでカトリック最強の政党にしたし、アイルランドの国会議員にアダムズがなるまでになったということです。IRA時代もふくめれば、彼らは40年を軽く超える深い付き合いがあったわけです。

そう考えると、マクギネスの葬式や彼の棺を担いでいる際のアダムズの悲痛な表情は印象的です。ご当人否定していますが、アダムズもかつてはIRAでの過激な活動家でしかも最高幹部だったとされます。そういった時代から、現在のような合法運動専科の時代にいたるまで、まさに北アイルランド和平の過程を、マクギネスはアダムズとともにつきすすんでいったということでしょう。

上の引用記事にもあるように、英国首相は、

>彼の初期の人生の選択を大目に見ることはできない

と彼を評しました。政治的建前としては仕方ない発言ですが、それに続けて

>北アイルランドが衝突から平和へと転換するうえで歴史的な貢献を果たした

とも語っています。まさに最高の追悼の言葉でしょう。マーティン・マクギネス氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお下の写真は、トニー・ブレア元首相と。

デヴィッド・ボウイ回顧展に行ってきた

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前にも行くなんて書いていていっこうに行くに至らなかったのですが、ついに過日(3月25日)デヴィッド・ボウイ回顧展に行ってきました。4月9日までですし、いろいろ予定も立て込んでいるので、この日に行こうと思ったわけです。

DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展

デヴィッド・ボウィの出演映画がまとめて公開される(あと回顧展も)

品川駅からバスで行きました。歩いていくと、ボウイの馬鹿でかい看板があります。

みんな写真を撮ったりします。それで中に入ります。現在時間指定の切符が売られていまして、私は12時~14時入場の切符を買いました。

中は当然写真不可ですが、山本寛斎デザインの服、自筆のメモ、彼の描いた絵画、プロモーションビデオ、実に盛りだくさんです。正直、私は彼に思い入れがあるというわけでもないのですが、率直行って圧倒されました。

 で、私の結論が何をいまさらですが、デヴィッド・ボウイってすごいなということです。私のような特に彼の熱心なファンというわけでもない人間でも、やはり彼からの様々な影響を受けているし、またその存在がとても大きなものであると感じるわけです。

また彼の描いた三島由紀夫の肖像もありました。彼は、「午後の曳航」が好きな小説だったとのこと。英国映画はご覧になったんですかね?

それで私がぜひ読者の皆様にお勧めしたいのが、もしこの回顧展を観ることができたら、こちらの映画を早急に(可能ならその日にでも)観てほしいということです。

可能なら、ぜひ回顧展をご覧になった後映画を見るほうが絶対いいと思います。おすすめです。

それでこの映画は、実際の回顧展の模様、客へのインタビュー、英国での回顧展最終日に行われたというティーチインの模様を収録しています。上にも名前を出した山本寛斎も、わかりやすい英語で話をしてくれています。なお回顧展でも、山本のインタビュー動画が流れていましたが、それは日本語で話て英語の字幕がはいっていました。 

 それで回顧展を見に行った後この映画を観ると、あらためて理解が深まります。映画を観た後回顧展に行くより絶対おすすめです。

なお回顧展のほうは、「戦場のメリークリスマス」についての展示があり、坂本龍一とたけしへのインタビューが流れていました。これはたぶん日本独自のものだと思います。で、最後にこちらの映画のライヴが大画面で流れます。

さらには「周期表」もあるみたいですが、それは私はよく確認しませんでした。ボウイに影響を与えた人、彼が与えた人のリストです。

入場料も安いわけではありませんが、しかしかなり充実しています。彼のファンでなくても、ロックとかに興味がある人なら相当満足できるはず。4月9日までですから、お急ぎご来訪を。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(83)

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アイルランド国立美術館に行きます。入口にジョージ・バーナード・ショーの像があります。

ここにはヨハネス・フェルメール の絵画『手紙を書く婦人と召使』があるので、世界中の好きものがやってきます。

ショーの言葉もあります。

撮影は原則OK、ただ一部の委託品などは不可というルールです。

レンブラントの絵画はやはりいいなと思います。昔メトロポリタン美術館に行った際、彼(というか実際には工房でしょうが)の作品をやたら夢中になってみたことが。当時の私にとって、オランダ絵画はレンブラントでした。

クロード・モネの「アルジャントゥイユの船だまりとヨット」です。

で、20世紀の現代絵画をもって絵画の展示は終了します。なおこのエリアは撮影してはいけなかったらしく注意されてしまいました。すみませんと謝ります。

え、フェルメールの絵がないじゃん。

見落としたのかな(という可能性は低いと思いましたが)と再度回ってみましたが(つまりそれくらいの展示スペースなわけです)、やっぱりない。で、係員の人に聞いてみましたら、衝撃的な事実を知りました。

大要「いま展示替えです」

フェルメールの絵くらい通年展示しろよ!!!

 やれやれ、今回の旅の大きな楽しみが、ロンドンとダブリンでフェルメールの絵を観ることだったわけです。どっかの国に貸し出されているのならまだ仕方ありませんが、展示替えねえ。それもどうかです。

ただ私は、この絵自体は前に生で見ています。

フェルメールとオランダ絵画づくし(1)

でもせっかくなんだから、可能なら収蔵している美術館で見たいよね。

数人の係員に大要「フェルメールの絵を見られなくて残念だ」と愚痴をこぼし、美術館を後にします。

気を取り直して国立自然史博物館を見学することとします。

赤い服を着た子どもたちの集団がやってきました。どうも地元出身の子どもではないようです。

中には様々な剥製があります。

自慢のヘラジカの骨格です。上の写真でもおわかりのように、もっぱら親が子どもを連れてくるという施設のようですね。あとは私のような物好き旅行者ということでしょうか。

あれ、どっかで見たことのある動物ですね。

日本のシカですね。それではいろいろ見学してみましょう。

(つづく)

午前十時の映画祭の2017年度版が発表となった

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2017年度の「午前十時の映画祭」の上映作品が2月20日に発表となりました。以下の作品群です。*がこの企画再上映の作品。Wikipediaへのリンクは略します。

2017/04/01(土)~2017/04/28(金) ライフ・イズ・ビューティフル  アメリ

2017/04/29(土)~2017/05/12(金) 裏窓*  ショーシャンクの空に*

2017/05/13(土)~2017/06/09(金) アンタッチャブル  雪之丞変化

2017/06/10(土)~2017/07/07(金) イヴの総て  突然炎のごとく

2017/07/08(土)~2017/08/04(金) グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち  セント・オブ・ウーマン/夢の香り

2017/08/05(土)~2017/08/11(金 ローマの休日*

2017/08/12(土)~2017/08/18(金) 麗しのサブリナ*

2017/08/19(土)~2017/08/25(金) 昼下りの情事*

2017/08/26(土)~2017/09/08(金) おしゃれ泥棒

2017/09/09(土)~2017/10/06(金) トリュフォーの思春期  泥の河

2017/10/07(土)~2017/11/03(金) 天国と地獄  野良犬

2017/11/04(土)~2017/12/01(金) 悪魔のような女  グロリア

2017/12/02(土)~2017/12/29(金) 夜叉  戦場のメリークリスマス

2017/12/30(土)~2018/01/26(金) アニー・ホール  ペーパー・ムーン

2018/01/27(土)~2018/02/23(金) ギルバート・グレイプ  バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版

2018/02/24(土)~2018/03/23(金) 招かれざる客  麦秋

今回は、再上映の作品は5本ですが、そのうち3本がオードリー(女優だよ、念のため)の主演作品ですか(苦笑)。彼女はよほどのドル箱なんですかね。何をいまさらながら彼女は人気があります。これは来年のオードリー関係の新作品は、「パリの恋人」かなと勝手に予想。いや、「戦争と平和」あたりのほうが面白いかな。やっぱりオードリー・ヘプバーンは日本人に人気があるのだなとあらためて思います。で、読者の方はだいたい想像がついているでしょうけど、私はあまり彼女が好きでない(笑)。嫌いとまでは言いませんが、積極的なファンではないというところですかね。たとえば「ローマの休日」なんかちょっと私には甘すぎます。だいたいあの映画は、悪い男が世間知らずな女をだます映画じゃないですか。

あとついに大島渚監督の作品が上映されますが、やはり「戦場のメリークリスマス」でしたね。前にも書いたように、大島監督の映画で日本で話題になるのは、「愛のコリーダ」か「戦場のメリークリスマス」だと思います。「戦場の…」は相当好き嫌いが分かれる映画で、だめな人は絶対だめだと思いますが、たぶん16年にデヴィッド・ボウィが亡くなったことも今回の作品選定に影響したのでしょう。「愛のコリーダ」をこの企画で上映するわけにも行かないと思うので。次に大島作品が紹介されるのなら、ATG系の映画でもと期待しておきます。

小津安二郎作品が、「麦秋」の選定となりました。Wikipediaにあるように、小津の脚本共作者野田高梧はこの作品を大変気に入っていて、

>また本作は戦後の野田・小津コンビ作品の中で野田自身が一番気に入っていた脚本であり、野田は「『東京物語』は誰にでも書けるが、これはちょっと書けないと思う」とも発言していた

とのこと。このあたりはいろいろ興味深いところがあります。ここは30歳くらいの原節子を鑑賞するのが正道の楽しみ方ですかね。この映画については指摘したいことがありますので、また上映される頃記事にします。

この企画のいいところは、食わず嫌いの映画でも見てみようと(私は)決心できるところです。「戦場にかける橋」などは、見る前と見た後ではだいぶ印象が異なりました。このあたりについては、下で記事を書いているので興味のある方はご参照ください。

 「戦場にかける橋」を見て感じた他人からすればどうでもいい話

今回私が見るののが楽しみなのが、「トリュフォーの思春期」あたりですかね。もっともこの映画に出演する少年少女は、厳密に言うと思春期前だと思います。読者の皆様もいろいろな好みがあるのでしょうから、注目したい映画がありましたらぜひご覧になってください。

こんなコストのかかるカレー見たことない(労働とは何か、ということを考えさせられた)

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過日「カレーライスを一からつくる」という映画を見ました。

プロデューサーの大島新氏は、元フジテレビディレクターで、大島渚監督の息子です。大島監督は、せっかく就職したのにすぐ会社をやめた自分の息子(新氏の兄貴の武氏―彼も、協力者としてエンドクレジットに名前がありました―も、NTTに勤務したのに、まもなく退職してしまいました)をひどく嘆いたそうですが、自分も監督になったばかりの身分で松竹から離れてしまいその後いろいろ苦労したということも、念頭にあったのでしょう。

それはともかくこの映画では、武蔵野美術大学のゼミで、カレーライスをいちからつくるという実習が行われて、それを記録したものです。指導教員は関野吉晴で、私はよく知らないのですが、冒険家で医者でもある(一橋大学卒業後、冒険をし、その後思うところあって医者になったというなかなか特異な経歴の持ち主です)人です。彼が学生を指導するわけです。2015年の4月からスタートします。

社会学とか文化人類学とかを専攻する学生でなく、美大の学生ですから、絵や彫刻その他を専攻しているあるいは専攻する(1年生も参加しています)わけです。美大だから、就職もなかなか自分の勉強したものを活かせるというわけでもない(ということは、映画の中でも語られています)。つまりは大学の(昔ながらの言葉で言えば)教養の授業で、ある意味ここで自分の未体験の、そして今後体験することのない世界を経験する、と言っていいかもしれません。それはもちろん他大学の他学部の学生も同じでしょうが、芸術をするというある意味とても世間離れした学生たちが、食材、野菜、肉その他を作るという人間の根源を突き詰めるというのもなかなか面白いかもです。

カレーですが、米を作り(無農薬です)、ジャガイモその他を栽培し、肉として最初にダチョウを飼育します。豚や牛は、屠場でないと処理できないという話がされます。ダチョウは3羽購入しますが、すぐ死んでしまいます。飼いきれないと判断したのか、ホロホロ鳥と烏骨鶏を飼います。飼育場所は大学の構内です(よく大学も許可したよね)。

正直、ダチョウとかホロホロ鳥というのは少し撮影を意識しすぎじゃないのという気がしないでもないのですが、なんとかこれはそれなりに成長します。そしてスパイスも自分で栽培します。

で、ここまでは想定の範囲内ですが、私が驚いたのは、塩も海から採取したということです。海水を煮詰めて塩をつくります。これを見ていて、そこまでするかと思いました。なかなかすごい。

それで、カレーを盛る器と食べる道具まで自作です。器はわざわざ同じ大学の陶器製作を専攻する人に指導を受けて(美大だから、そういう人もいるわけです)焼き上げて、映画には出てきませんでしたが、スプーンなども竹で作った模様。

うーん、そこまでしますかね(苦笑)。どんな原始の民だって、器と食べる道具くらいは一からつくらなくったって用意はしてあると思いますけど。でもそこまでやるということです。

さて映画のクライマックスは、やはり飼っていた食肉用の鳥(ホロホロ鳥と烏骨鶏)をどうするかということです。もちろん食材にする際は、誰かに頼むのでなく、自分たちが絞めて血を抜き、羽をむしるという作業をしなければいけません。それで芝浦で食肉処理の作業をする方々に来てもらい、講演をしてもらいます。

それで屠場の労働組合の委員長氏は、自分もペットのネコが死んだ時は動揺したという内容の話をします。当たり前ですが、動物を殺さなければ人間生きていけません。これは植物(野菜、果物)だって最終的にはご同様。

さらに研究室で、いろいろ学生たちも議論をします。けっきょく(当然といえば当然ですが)やっぱり肉にしようということになります。

ついに調理と試食の当日、1月の雪がべったり残る日、鳥を絞めます。まず教授が自分でホロホロ鳥の首の骨をおります。首を切り落として放血します。烏骨鶏は、学生たちが骨をおって処理を進めます。

私もこのような経験をしたことはありませんが、でもこれもよい経験ですね。一生忘れられないでしょうし、また忘れてはならないでしょう。

それでついに食べるのですが・・・見ていて(たぶん私以外の人も)考えたことが。

これ、いくら金がかかっているのよ(苦笑)。

協力者(田んぼや畑を貸してくれた人、器などの製作を指導してくれた人その他)ヘの謝礼、食材の購入費、学生たちの日当、その他。学生たちが労働した価値を金銭換算しただけでも、莫大じゃないですか。もちろん学生たちは授業の一環だし、協力者も、実費あるいはそれを下回る価格で協力してくれたのかもですが、商売として考えたら、たぶんこんな高価なカレーライスないんじゃないんですかね(苦笑)。天皇がカレーを食べるかどうか知りませんが、天皇の食べるカレーだって、ここまで手はかかっていないんじゃないのかな。いやよくわかりませんけど。

前に何かのテレビ番組(たしか経済関係の番組だったかと思いますが、確信はありません)で、仕事とは究極のところ「代行」なのです、と経済評論家だかの男性(誰かはわかりません)が語っていました。家事代行なんてのはまさにそうでしょうが、たしかに「代行」をしてもらわないで最大限自力でやろうとすればこの映画のようになります。そう考えると、「代行」とか「仕事」というのは、やはり偉大ですね(笑)。動物は、たとえば肉食動物は最初の段階餌を子どもにあげて、成長したら自分で食っていけるように狩りのやり方を伝授するのでしょうが(この点、食べる草があればいい草食動物より面倒でしょう)、それからはあらゆることを自分でやらなければいけませんし、餌を捕まえられなければ死んでしまいます。人間は、サルからホモサピエンスに分化する過程で、たとえば狩猟や農耕や漁労、採集などさまざまな方面で専門のジャンルができまして、文字の発達などにより役人のような仕事をする人間も出てきたし、また暦などを考えていつごろ農耕をするのがいいかとか、狩りをするのに適した季節とかを考える人もでてきたわけです。あるいは収穫物をどう保存するか、それを物々交換から始まり、貨幣(に類するもの)のようなものを交換媒体として活用するようにもなったし、あるいは衣食住なども、服を売買するようになったり、食堂もできたり、家も賃貸などさまざまなやり方で提供するようになったし、労働(それこそ売春のようなものも入ります)を賃金を対価として提供するようにもなるわけです。そうなるとマルクスの剰余価値説なども出てきます。

そういえば、昔はミシンで服を作るというのが、わりといろんな家庭であったのかもですが、最近はそうでもありません。安価に服を購入できればそれはかまわない。食事その他もしかりです。カレーライスだって、店で食べてもいいし、自作するにしたって食材をスーパー他で購入してカレールーも自作するにしても店でスパイスを購入して、米屋などで買った米を炊飯器や釜で炊いたほうがいいし、あるいは出来合いのご飯、洗ってある(研いである)米でやったほうが面倒もない。そういうことをすることにより、人間は快適な暮らしと豊かさを享受してきたわけです。そう考えると、この映画はそれへの大きなアンチテーゼなのかも。そう考えると、ある種これは、レヴィ=ストロースじゃありませんが、構造主義的な思考へのかっこうの道しるべにすらなったのかもしれません。

やや話が大げさになりましたが、まさにこの学生たちは、そこまで大きなものを学んだということなのでしょう。これもすごい経験だと思います。


題名と内容がそぐわないじゃないか

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最近見た映画で、題名と内容がちょっとそぐわなすぎるといわざるを得ない映画をご紹介します。

最初は「92歳のパリジェンヌ」です。

読者の方々は、この題名でどのような映画を想像しますかね。パリ在住の老人が、さまざまな困難がありながらも独力で人生がんばる、みたいな映画を想像しませんかね。

実際はこの映画はぜんぜんそんな映画ではありません(苦笑)。つまりリオネル・ジョスパン元フランス首相の母親をモデルにした話で、彼の母親は長きにわたって助産婦(助産師)をしていましたが、老齢となり生きていくうえで不自由なことが増えたので、家族に向かって自殺すると宣言するという映画です。

映画の題名は、たしかに主人公(厳密には、この映画の主人公は、サンドリーヌ・ボネールの演じる彼女の娘でしょうが)のことを表現していますが、映画の内容にそぐうものとは全く思えません。

私は予告編を見ていましたから、映画の内容はわかっていましたが、あんまり確認しないで見たら、だいぶ困惑するんじゃないのという気はします。ちょっとこれは、題名を考えてくれなければ困ります。上の題名は、コメディ、あるいは明白なハッピーエンド系の映画の題名でしょう。

もう1本が「未来を花束にして」です。これは第一次世界大戦直前の時代における英国での女性参政権問題を扱った映画ですが・・・。

これも、とてもこんな甘い題名で済む映画ではありません(苦笑)。この映画に出てくる参政権運動家たちは、ショーウィンドーを石で割り気勢を上げ、さらに警官隊によって容赦なく殴られます。男ならもっとひどくやられるのでしょうが、女だからといって暴力を振るわないでくれるようなものではありません。

主人公は洗濯工場で働いていますが、労働条件も悪い。運動に参加しますが、夫から家を追い出され、子どもは夫が養子に出す始末。また自分をクビにした雇用主に復讐したりします。

主人公は逮捕されたり警察からスパイになれといわれたりします。それで仲間たちとポストを爆破したり電話線を切断します。さらには、ロイド・ジョージの空いている別荘を爆破します。

それ完全なテロじゃんと思うし、実際そうなんですが、逮捕された主人公は監獄でハンストをして、むりやり栄養を取らされます。それで仲間と英国王にダービーの会場で直訴しようということとなり、直訴できなかった仲間は馬に身を投げて、自分の意思を知らしめようとします。

メリル・ストリープ(この映画にも出演しています)はこの映画について

>すべての娘たちはこの歴史を知るべきであり、すべての息子たちはこの歴史を心に刻むべきである

とのコメントをしたとのことですが、彼女の言う

>この歴史

というのは、上のような行動のことです。ちょっとやそっとの行動ではないわけです。そういう行動を描いた映画が

>未来を花束にして

というのでは、これも全く題名とそぐわないですよね。「未来」と言っても、彼女ら活動家たちは、まさに自分たちの未来を犠牲にしてでも未来へ向かおうとしたわけで、まさに捨て身、肉を切らせて骨を断つということを文字通りにしたわけです。革命(あるいはそれに類するもの)というものはそういうことでしょうが、いずれにせよ彼女らの行動は、とても花束なんていえたものではありません。仮に花束だとしたら、それは血まみれ、泥だらけのものです。

それで私は、この映画の内容は知っていましたが、実際の映画を見ていてその予想の落差に驚きました。それで「これは題名に問題がある」と思いました。あまりに題名が甘すぎる。この題名では、女性参政権活動家の活動は、きわめて平和的で平穏なものだと思えるでしょう。映画の中では、そのような活動では限界が生じたので過激な活動に転化したと言うことが語られますが、いずれにせよ映画の内容にそぐいません。

私個人にしても、「92歳・・・」のほうは、内容は承知の上で見ることができましたが、「未来・・・」のほうは、内容との齟齬を知らないで見ました(女性参政権の映画だということは知っていましたが)。このあたりちょっと配給会社その他も注意してほしいと考えて記事にしました。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(84)(今日からコメント欄復活)

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中には、哺乳類から爬虫類、魚類、鳥類、昆虫までさまざまな剥製、標本があります。見学します。

マンボウですかね。

鳥類も様々なものがあります。

サメもありました。

エイです。

昆虫も、蝶から甲虫までいろいろです。

やはり哺乳類のはく製は生々しいですね。写真の子どもたちに、君たちどこの国の人、聞いたらスペインとのことでした。アラブ系かなという気もしたのですが、たぶん赤い服なのは、スペインのナショナルカラーということもあるのでしょう。

この2人手をつないでいて仲がよさそうでした。いかがわしそうな視線をぶつけられてしまいます。

なかなか面白いところです。

(つづく)

読者のかたへのお知らせ:だいぶ落ち着いたので、コメント欄を本日より復活します。ただしヘイト系のコメントは不可です(当たり前)。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(85)

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博物館を出ます。

社会勉強をするにはいいところだと思うので、ダブリンに行かれて時間があったら(ない人にはすすめません)ぜひどうぞ。

観光用馬車も走っています。個人的な意見では、ダブリンてあまり馬車の似合う街ではないと思いますが。

木も動物の形に剪定されています。

街を歩きます。昨日も歩いた官庁街です。

逆光ですみません。

このような観光用の車両がちょいちょい走ります。でも乗客たちは、なぜ角のある帽子をかぶっているんですかね。手を振ったりします。

昨日も見た絵が飾られている公園ですね。今日のほうがやはり多いようです。

このような建物も私は好きです。

ダブリンというところも銅像の多い街です。

グリーンのポストです。

国立博物館を見学します。

(つづく)

死ぬまでたぶんものすごく苦しむのだろう

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過日の雪崩は、たいへん痛ましい事故でした。お亡くなりになった7人の高校生、1人の教員の方のご冥福をお祈りいたします。最初に記事の引用を。

>那須雪崩
「大丈夫だろうと思った」…記者会見・一問一答

毎日新聞2017年3月29日 21時57分(最終更新 3月29日 21時57分)

栃木県高体連登山専門部の猪瀬修一委員長の記者会見での一問一答は次の通り。
 -登山を中止し、ラッセルの実施を判断したのはなぜか。

 私は(旅館にある)本部にいた。現場に確認したところ「茶臼岳を目指すのは無理だが、スキー場でラッセルはできる」という提案を受けた。雪がさほど降っておらず、風もほとんどない。新雪が30センチぐらい。歩行訓練には非常に向いていると判断した。

 -雪崩の危険性の認識は。

 前日、テレビなどを通じて雪崩が発生するかもしれないと認知した。雪崩が起きやすい地点を知っていたので大丈夫だろうと思った。当時は絶対安全と思ったが、こういう事態になり今となっては反省しないといけない。

 -なぜ雪崩が来ないと判断したのか。

 何年前か分からないが、そこで訓練したこともある。地形的なものや、雪の量は膝くらいだったと聞いている。雪崩が起きた場所は、危険ではないと思った。

 -ほかの教諭や生徒から危険という意見は一切なかったか。

 なかった。

 -ラッセル実施を判断したのは誰の責任か。

 私が委員長を任されているが、(現場にいた)教諭2人と相談して、話し合って決めた。

 -知識やキャリアへの慢心があったのでは。

 安心とか慣れ、経験則で判断したのは間違いない。

 -ラッセル訓練の必要はあったのか。

 生徒に雪にたくさん触れさせるため、講習会を開く。生徒に歩かせたいという思いがある。

 -現場から無線機で雪崩の連絡はあったか。

 荷物の運び出しや精算で、無線機を車に置き、本部に戻った時間帯がある。その時間に呼び掛けがあったか認識できない。不用意だった。片時も目を離せないような危険な場所に行っているという認識がなかった。

 -ビーコン(電波受発信器)を持たなかった理由は。

 雪崩の危険性が高い冬山登山では必須だが、高校生の春山講習ではそういう所に行かない。全国的にもビーコン所持の講習会は行われていない。

 -亡くなった生徒と親には。

 昨日の保護者会で、こういうことになって、いたたまれない、申し訳ないと言った。私ができることは、うそをつかずに誠実に答えることだ。(共同)

さて今回の事件でやはり考えさせられるのは、今回の事故が臨時の訓練によるものだということです。つまりその場の教員の判断で今回の訓練が行われ、そして事故が起きてしまったということです。これらがどれくらいの責任となりうるかというのは当然損害賠償、あるいは刑事事件としても問題になります。それは当然ですが、しかし仮にこれが全く何の落ち度も教員にはないとしても(この件ではその可能性は低そうです)、たぶんこの訓練を決めた教員、あるいはこの訓練に立ち会った教員たちは、本当に苦しむのだろうなと思います。

2011年3月11日の大川小学校の件では、校庭・校内にいた教員11名と児童78人中、教員10人、児童が74人、計84人が死亡あるいは行方不明という大惨事になってしまいました。そしてこのとき1人の教員が生還しています。

この件では、早く児童を避難させればいいものを教員たちが無益な議論に時間を費やし、そして最終的にほとんどの教員と児童が犠牲になってしまうという最悪の事態になってしまいました。それで、たぶんと私は思うわけです。

「生き残った教員、本当に生きた心地がしないだろうな」

この教員が、逃げるという選択をせずに無意味に貴重な時間を犠牲にしたという件で、どれくらい責任があるのかは私は知りません。教務主任ですからかなり責任があるのかもですが、それはこの人しか教員の生存者がいない以上、そしてその議論を詳細に聞いていた児童もたぶんいないでしょうから、たぶん世界で誰も正確なところは知りません。この教員の話を全面的に信用はできないし、またこの人が自分に都合のいいように話をしたとしても(しているかどうかは知りません。こちらの記事によれば、相当都合のいいようにしているようですが、それが正しいかどうかは私は判断できません)、それは非難するには値しないでしょう。仮にこの人が全面的に責任がある立場だとしても、「そうだ」と認めさせるのもできない相談だと思います。なおこちらの記事によると、ご当人休職した模様です。

地震における津波の予想と冬山における雪崩の予想というのはまた違う種類のことですし、たぶん地震の津波のほうが予想は困難というか的確な行動は難しいでしょうが、冬山の雪崩というのも、今回は雪崩予報があったといいますし、たぶん不可抗力では話はすまないでしょう。だから何らかの責任をこの教員は(刑事上や行政上や道徳上の)何らかの非難はまぬがれないと思います。しかしそういった話はともかく、完全な不可効力であっても、やはりこの件では何らかの重荷を背負うのだろうなと思います。

ただこういうのも、冬山とかならまだしも、いきなり地震とか突然精神を病んだ人物が学校に押し入ったりしたら、それはどうにもなりませんからね。地震と津波タイムラグについては教員側の落ち度が問題となりえても、学校に刃物を持った男が押し入ったら対応のしようがない。子どもたちは大変気の毒ですが、やはりどうにもなにもできません。責任はなくても精神の重荷は背負い込む。子どもが不慮の事故で死んだりしたら、親は「なぜ・・・」といろいろなことを後悔するそうですが(たとえばなぜ出かける子どもを引き留めなかったのかとか)、それらは気持ちとしてはわかるが現実問題として何かができるということではない。

 そう考えると、雪崩についてはそのような話でもないでしょうが、もしあなたが大人だったら、自分がこの時大川小学校の教員だったら、どのように行動しただろうかということをシミュレーションしてみるといいかもしれません。あなたが教員だったら子どもを最大限高いところに避難させようと主張できるか、できると考えたら、それはどのような根拠でそうできると考えるか。この話はにも書きました。

いずれにせよ悪い判断で、8人もの貴重な命が亡くなってしまったのです。関係者のご冥福を改めて祈ってこの記事を終えます。

 

B級1組に降級した将棋棋士森内俊之9段がフリークラス転出

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過日記事にした将棋棋士の森内俊之9段が、今後名人戦・順位戦に参加しないフリークラスへ転出することを宣言しました。

思ったより早くその日が来た

森内九段、名人戦引退 フリークラスに転出

毎日新聞2017年4月1日 東京朝刊

 日本将棋連盟は31日、名人を通算8期獲得し、十八世名人の資格を持つ森内俊之九段(46)が4月1日付でフリークラスの棋士に転出すると発表した。自身が届けを提出した。他の棋戦には出場できるが、名人戦の挑戦者を決める順位戦には参加できないため、名人復帰の可能性はなくなった。森内九段は第75期名人戦順位戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)で、22期(名人在位を含む)保った最高位のA級からB級1組への降級が決まったばかりだった。

 森内九段は2002年の第60期に名人になると、第62期以降4連覇。通算5期獲得となり、実力制名人戦になって以来5人目の永世名人資格者となった。第69期以降も3連覇し、通算8期獲得は史上4位のタイ記録。第60期以降は、昨年に佐藤天彦名人(29)が誕生するまで羽生善治王位(十九世名人資格者)と名人位を分け合った。タイトルは他に王将1期、竜王2期、棋王1期の計12期。【山村英樹】

>「棋士の美学か」…森内九段フリークラス転出に

毎日新聞2017年3月31日 20時43分(最終更新 3月31日 21時35分)

決断に、さまざまな思いが交錯
 森内俊之九段の名人戦は、もう見られない--。羽生善治王位(46)と長年にわたり、棋界最高の舞台で名勝負を繰り広げてきた永世名人資格者のフリークラス転出の発表は、ライバル棋士や将棋ファンに衝撃を与えた。「もっと順位戦を戦ってほしかった」「棋士の美学では」。その決断に、さまざまな思いが交錯した。

 森内九段は1988年、名人戦順位戦に初参加。以来、勝ち越しを続けたが、名人を失冠した直後の第73期(2014年度)に初めて4勝5敗と負け越した。その後も第74、第75期を負け越し、不振が続いていた。

 森内九段のA級陥落が決まった2月の第75期最終戦で対局した稲葉陽(あきら)八段(28)は「終局直後、『また新たな気持ちでやっていきたい』などと話されていて、指し続けると思っていた」と驚きを隠せない様子。稲葉八段は、佐藤天彦名人(29)に続き2期連続で20代の挑戦者となった。森内九段の転出は世代交代をはっきり示す形になった。

 同世代の1人、佐藤康光・日本将棋連盟会長(九段)は「大変驚きましたが、森内さん一流の流儀かなと感じました」とライバルの決断を受け止めた。

 フリークラス制度は、順位戦を指さなくても現役棋士としての活動を認める制度。連盟の公務や普及に力を入れる棋士もいる。過去には、故米長邦雄永世棋聖がA級陥落後すぐの1998年に、中原誠十六世名人がA級陥落後にB級1組で2期対局した後の2002年に、フリークラスに転出した。ともに当時54歳だった。

 46歳の若さで大きな決断をした森内九段は、「A級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です。名人戦、順位戦では思い出深い経験をたくさんさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。【山村英樹、新土居仁昌】

 同世代の先崎学九段の話 ただただびっくりしております。同年齢の仲間として潔い決断に敬意を表します。

前回の記事での談話では、森内は

>今期だけでなく、ここ2、3期、内容も結果もあまりよくなかったので、結果は仕方がないのかと。(B級1組では)また新たな気持ちでやっていきたい

という談話をだしていたので、上の引用記事の例でいえば、A級降級後すぐフリークラスに転出した米長パターンでなく、中原あるいは谷川パターンで、少なくともB級1組で1年は指すのだろうと考えていました。が、実際にはフリークラス転出ですか。このフリークラスというのは、建前としてはともかく実際には、「第一線でタイトルをねらうことを放棄する」というニュアンスがあります。つまり森内なりに、今後自分がタイトルを目指すのは難しいという判断をしたのでしょう。そして3月の終わりにそれを申し出たというのも、逡巡していたたのか腹は決まっていたが出すタイミングを考えていたのかはわかりませんが、あっさり「フリークラスに転出します」と述べることはできなかったということでしょう。それはご当人のとっても非常に悔しいことでしょうから。

それにしても中原や米長と比べても、46歳(1970年生まれですから今年47歳)という年齢でのフリークラス転出というのは若いですね。中原誠の言葉

>大山康晴先生も私も、50歳を過ぎるととたんに苦しくなりました。

よりも数年早いですから。米長邦雄は50歳で名人になりましたが、森内はそのような可能性を自分に求めることはできなかったのでしょう。米長も、翌年の51歳で、羽生善治に名人位を奪取され、上の記事にもあるように54歳でフリークラスになりました。

森内の現役引退はまだ(ずっと? 現規定では、65歳までは現役を続けられます)先ですが、ともかくお疲れ様でしたという言葉を送ってことの記事を終えます。

じゃあ今日から食べてみようか(マクドナルドの新商品)、あと最後に(ダブル)クオーターパウンダー・チーズを食べた

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記事を。

>マクドナルド、“8年ぶり”新商品「グラン」発表

TBS系(JNN) 4/3(月) 16:54配信
 日本マクドナルドは3日、ハンバーガーの新メニューを発表しました。レギュラー商品としては8年ぶりの新作ということですが、その狙いは?

 3日、日本マクドナルドが発表した新商品。ボリューム満点の「グラン」シリーズです。通常のハンバーガーの1.7倍という肉厚のビーフをふわふわのバンズで挟みました。ハンバーガーのレギュラーメニューとしては、8年ぶりの新商品です。

 「日本の客に向けた、日本だけで販売する商品です」(日本マクドナルド サラ・カサノバ社長)

 注目はその値段です。一番高い「グラン クラブハウス」は490円。8年前に発売し、販売の終了が決定した「クオーターパウンダー・チーズ」と比べても90円高い“攻め”の価格設定です。勝算はあるのでしょうか?

 「おいしいので、また注文しようかなと思う」(男性)
 「価格は他の商品とは少し違うが、おいしいとご満足いただけるのでは」(日本マクドナルドPR部 長谷川崇さん)

 ハンバーガー業界をめぐっては、海外の高級バーガーチェーンが相次いで日本に上陸。開店時には行列ができるなど人気を集めていて、競争が激化しています。

 マクドナルドの新商品は、5日から全国で発売されます。(03日16:02)
最終更新:4/4(火) 5:41

そんなにマクドナルド好きというわけでもないのですが(ただし最近は一部店舗で電源を提供しているのでそれを利用したりしています)、それでも最近このブログでいくつか記事を書いています。

マクドナルドのリバイバル商品と季節商品をいただく マクドナルドの公約実現のトリプルチーズバーガー(?)を食べてみた

やはりボリュームのある系統のものが私の好みなのかもしれませんね。しれませんでなくて、まったくもってビーフの量が多いものが好きなのです。

それで、「クオーターパウンダー・チーズ」は食べた記憶がないので(食べなかったかどうかは不明)、3月25日食べてみました。私が食べたのは、ダブルです。

量にはまずまず満足しました。私のような大食漢には大変いいメニューだったのかもですが、これが(ことによったら)私の最初で最後の注文、賞味だったのかもです。この数日後にまた食べてみようかと思ったのですが、すでに販売終了になっていました。いちおう昨日(4月4日)で発売終了という発表ですが、現実にはもっと早い時点で発売はされていなかったと思います。

いずれにせよ次なる新製品にはそれなりに期待したいと思います。食べたらまた記事を書きますのでお楽しみにというほどでもありませんが、読者の方もご興味があったらお召し上がりください。

海外旅行の旅先に関する人気先の盛衰も興味深い

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過日読んだこの記事が興味深いですね。

サイパンとグアム、日本人が消えた楽園の今 (2ページ目)(魚拓魚拓
東洋経済オンライン 3/12(日) 6:00配信

>(前略)

米国のグアム、サイパンなど、日本人に身近なリゾート地に異変が起きている。日本からの旅行者数は1997年のサイパン(テニアン、ロタを含む)45万人、グアム111万人をピークに、2016年にはそれぞれ6.0万人、74万人まで激減した。

■忘れられた旅行地となったサイパン

 特にグアムの約3割減に対して、サイパンは約9割減と減少は著しい。マリアナ政府観光局日本事務所の一倉隆代表は「サイパンは忘れられたデスティネーション(旅行先)になってしまった」と嘆く。

 その理由をJTBのある幹部は「ツアーで3万~5万円の価格で安売りしすぎた。航空会社の取り分が少なく、便数を減らす結果になった」と話す。出張需要が安定的に見込めるエリアと違い、リゾート路線は需要の変動が激しい。

 実際にJAL(日本航空)やデルタ航空、ユナイテッド航空が直行便を多く飛ばしていたが、2000年以降に徐々に路線を削減。例えばJALは2005年にサイパン路線から撤退。グアム路線も、中部国際空港や関西国際空港から撤退している。

 現在、成田ーグアム路線はJALの1日1便に加えてデルタが1~2便、ユナイテッドが3~4便を運行。成田ーサイパンに至ってはデルタの1日1便だけだ。

(後略)

サイパンが最近旅先として話題になっているとも思いませんでしたが、いくら何でも年間6万人というのはひどいですねえ。単純に1日あたりで割り返せば、2016年は1日200人をはるかに下回る旅行者しかいないわけです。あまりに客が少なすぎて、これでは現地での日本人向けサービスも先細る一方でしょう。

それで上の記事の続きです。

> 安売り合戦の果てに、航空会社が路線を撤退・縮小、ツアーの値段が上がり、露出が減ったことで、日本からの旅行者数が減り続ける…。グアム、サイパンはこうした“負の循環”に陥っている。

■日本人が減って、韓国と中国人が増えた

 だが、現地には悲壮感は見られない。日本人の観光客は激減したが、韓国のLCC(低価格航空会社)や中国の航空会社が路線を開設し、地域全体の観光客数としては増加傾向にある。2016年のサイパンを含むマリアナ3島では53万人、グアムは153万人が訪れ、いずれも過去最高を記録した。

 サイパンでは、2013年までは日本人がトップだったが、2014年は中国と韓国に首位を明け渡し、その差は開くばかり。グアムの場合、2016年に日本人の旅行者数は74万人とトップだったが、韓国人の旅行者数は毎年2ケタ増が続き、54万人まで増えた。数年以内はついに日本を上回る可能性が高い。

 実際、グアムでホテルを運営する、ケン不動産リースの長嶋央典営業本部長は「日本と韓国人の観光客、米国軍人をうまく取り込み、2009~2010年以降、ホテルビジネスは右肩上がりの成長が続いている」と話す。

 同社は日本の不動産賃貸会社ケン・コーポレーションのグループ会社。グアムでニッコーやハイアットリージェンシー、ヒルトンブランドなど有名ブランドのホテル5軒を所有・運営し、現地でのシェアは3割強と最大手だ。

 事業が好調なことから、同社は100億円以上の資金を投じ、340室のホテルを建設中だ。ブランド名は未定だが、結婚式場やレストランを備えた高級ホテルを2019年までにオープンさせる計画を立てる。

それじゃ別に日本人が来なくても大丈夫ってことですかね(苦笑)。もちろん日本人が来てくれることは重要でしょうが、率直にって今のグアムもサイパンも、期待するのは韓国人、特に中国人でしょうね。伸びしろがある。日本人の旅行者数は、そんなに劇的回復をすることは見込めないでしょう。

ただこういうのを見ていると、私があらためて痛感するのが、拙ブログでも記事にしたこの件です。

経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ

最近は、日本の津々浦々に中国人の観光客がいます。彼(女)らは、日本の地方都市のホテルや旅館のいいお客です。彼(女)らなくして、これらの営業は厳しいんじゃないですかね。inti-solさんも、

>前述のとおり、都心の公園で笛の練習をしていると、相変わらず中国人の観光客は多いのですが、いわゆる旗の下の団体旅行はめっきり減ったように感じます(皆無ではありませんが)。毎年1月に水上温泉に行っていますが、今や1日に5往復しか旅客列車が走っていない超ローカル線の上越線水上-長岡間に中国人観光客(もちろん個人旅行)が乗っていたりするのです。ありきたりの定番コースでは飽き足らなくなった、ということでしょう。

(中略)

もし、局地的な動向ではなく、日本全体で中国人観光客が急減してしまったら、日本経済に与える影響はかなり深刻なものになるでしょう。

お書きになっています。またこちらの記事も参照してください。

営業の自由を不当に侵害するどうしようもない新聞

で、これはもう否定のできないことです。上の私の記事に言いがかりをつけた人間はいても、いや、政治のほうが経済より現実に正直だと主張する人間は、私の知る限りいないわけです。

それで他のリゾートはと見てみますと・・・。

>バリ島も、ピークの2002年に60万人いた日本人の訪問者はいったん18万人まで減少したが、現在は23万人とやや回復傾向にある。「競合のリゾートが増えたうえ、直行便も減っている。むしろ健闘しているほうだ」(インドネシア観光局日本事務所)。

バリも激減していることがわかります。たぶんバリの観光客激減の大きな理由は、2002年と2005年に起きた爆弾テロ事件があったと思います(こちらこちら)。規模は2002年のほうが大きかったので、2002年がピークだったのでしょう。2005年は、テロの規模は小さかったのですが、日本人が死亡したのは文字通り致命的にまずかったのだと思います。バリはオージーやヨーロピアンが好きなリゾート地で、アジア系が主流のグアムやサイパンとはずいぶん違いますが(そもそもインドネシアと米国領ではぜんぜん違うしね)、日本人は両方のリゾート地の上客ですが、なかなかいろいろ難しいところもあります。2016年の日本人の出国者数は、こちらのサイトによると1711万6200人(推計値)だそうで、これは前年比5.6%増だそうです。グラフは引用自由だそうですので、引用します。

こうやって見ると、2016年は前年と比べてほぼ毎月旅行者数の数は順調に増えているようですね。いろいろな理由はあるでしょうが、ビジネス渡航もふくめていろいろ海外に出る条件が昨年は好転していたのでしょう。

それで同じサイトに、こんな表もありました。この記事のテーマと重なるものです。

こうしてみると、グアムは過去10年で前年より旅行者が増えた年が2年しかありませんね。やはり相当な不人気であることは否めません。私は個人的にグアムやサイパンに積極的に行きたいとも思いませんが(苦笑)、でもやっぱり日本人は理由はともあれ海外には積極的に行ってもらいたいと考えているので、グアムやサイパンにももっと日本人が行けばいいなあと考えていると書いて、この記事を終えます。


「てるみくらぶ」の倒産でちょっと考えたこと

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旧聞ですが、このニュースは私には聞き逃せないものです。

>てるみくらぶ」破産申請 負債151億円

日本テレビ系(NNN) 3/27(月) 12:38配信
 主催する海外ツアーで航空券が発券できなくなるなどのトラブルが相次いでいる旅行代理店「てるみくらぶ」が東京地裁に破産を申請した。

 この問題は、東京の旅行代理店「てるみくらぶ」が主催するツアーで、航空券が発券できなくなるなどのトラブルが相次いでいるもの。東京商工リサーチによると「てるみくらぶ」は資金繰りが悪化して、営業の継続が難しくなったとして27日、東京地裁に破産を申請した。旅行業の破産では歴代4位の規模になる。関係者によると負債総額は約151億円で旅行者に返済が必要な債権額は100億円に上るという。

 一方、観光庁は26日、「てるみくらぶ」へ立ち入り検査を行い社長へのヒアリングや資料の提供を受けたという。

 「てるみくらぶ」を通じて海外旅行を申し込み、現在、渡航中の旅行者は多ければ数千人にのぼるとみられ、観光庁は正確な人数や宿泊先への支払い状況などの確認を進めている。

私は「てるみくらぶ」は使ったことはありませんが、私の知人が私がシンガポールに行った時と前後して、ベトナム(ホーチミン)にHISの団体旅行(航空券とホテルがついたスケルトン系のもの)に行っていたのですが、その時同じ便でホーチミンに着いた日本人男性が、その知人に言ったそうです。

「てるみくらぶ」はいいですよ、と。

その男性はビジネスクラスだったそうですが、かなり安くて良かったというのです。それっていつの話よと思ったら、3月13日夜の話だとのこと。つまり「てるみくらぶ」はそれから2週間くらいで破産を申請したわけです。

実際にその男性がいつくらいに金を払い込んだのかはわかりませんが、けっこうやばい話だったのだろうなと思います。もうちょっと遅くなっていたら、金が無駄になったか、最悪海外で航空券やホテル代を払いなおす始末になっていたこともあり得ます。

当方は、あるいていど旅慣れていますから、最悪そのようなことになってもなんとか日本に戻ることはそんなに難しくはないですが、しかしそういったことに慣れていない人はけっこう大変な目にあったのだろうなと思います。海外旅行好きの私としても、同情の言葉もありません。

それで、上の男性が語った「いいですよ」というのはどういう意味かというと、つまり安いということでしょう。HISより割がいいですよと。

それで私は考えます。てるみくらぶって、ずいぶん無理をしていたんだろうなと。こんな報道もあります。

>てるみくらぶ、粉飾決算の可能性 遅くとも3年前から

2017年3月30日19時24分

 破産手続きに入った格安旅行会社「てるみくらぶ」が、遅くとも3年前から粉飾決算を続けていた可能性のあることが30日、分かった。本業のもうけを示す営業損益を黒字に見せかけるため、経費を少なく計上し、社内で複数の決算書も作っていたという。

てるみくらぶ破産、渡航中止を呼びかけ 9万人に影響も
 てるみくらぶが27日に東京地裁に提出した破産手続開始申立書によると、同社は航空会社や宿泊施設への支払いにかかった費用や人件費などを決算書に実際より少なく記載。遅くとも2014年9月期から営業赤字が続いていたのに、こうした行為で黒字に見せかけていたという。

 例えば、16年9月期は決算書上、約1億2千万円の営業黒字としていたが、実際は15億円以上の営業赤字だった可能性がある。約4億6千万円のプラスとしていた純資産も、実際には約75億円の債務超過に陥っていたという。

 また、決算をよく見せるために複数の決算書を作成していたことも判明。社外への説明向けのものと、税務署に提出するためのものがあったという。

(後略)

もちろん粉飾決算なんて論外ですが、相当むりやり営業していたんだろうなということはわかります。さらに上の記事の続きを。

>てるみくらぶは27日に東京地裁に破産を申請。申立書によると、直前の23日まで1日あたり1千~2千件の新規予約があった。旅行代金を一括で支払うことで割引が受けられるキャンペーンなどで、23日時点までで積み上がった旅行代金の前受け金は約100億円。だが、前受け金は、航空会社や宿泊施設への支払いに回ることなく過去の債務の支払いに充てられたとみられ、手元の現預金は約2億円にまで減っていた。てるみくらぶの代理人弁護士は「申立書に記載の通りで、今後は破産管財人の調査を待ちたい」としている。

つまり完全な自転車操業だったということですね。この会社の規模で150億円を超える負債というのもすさまじいですね。

それでやっぱり私としては、中小旅行会社というのは信頼に欠けるなと思いますね(苦笑)。いや、私もいつだって航空会社や大手旅行会社から航空券を買っているわけでもないですが。過日行ったシンガポール行きは、HISのキャンペーンで、33,000円ほどの安い航空券でしたが、私も(当然ながら)すごい金持ちではありませんから、安い航空券を見つければそちらに流れます。だいたい航空会社からチケットを買うのだって、けっこうやばいことはあります。昨年のこの件は、私たちのような旅行好きには記憶に新しいものです。

>台湾・復興航空が破綻 墜落相次ぎ客離れ 

2016/11/23 0:27

 【台北=伊原健作】台湾の復興(トランスアジア)航空は22日、同日の臨時取締役会で解散を決議したと発表した。墜落事故が相次ぎ、客足が離れて資金繰りに行き詰まった。日台路線への影響も懸念される。格安航空会社(LCC)との競争激化や燃料価格の反転上昇で、航空業界の経営環境が厳しくなりつつある兆しも読み取れる。

 「昨日の午後まで投資家を回って支援を仰いだが、応じてもらえなかった」。林明昇董事長は22日午後、台北市内で開いた記者会見で悔しさをにじませた。「今後は燃料価格の高騰や米ドル高が進み、経営環境が厳しくなる」とも述べた。機材や設備調達での支払いでドル高は負担増につながるという。

 29日には新株予約権付社債(転換社債=CB)の償還が迫っており、資金繰りがつかなくなったことが破綻の引き金となった。来年1月に開く臨時株主総会を経て会社を解散する。機材などの資産は今後株主や債権者に分配される見通し。従業員約1700人は全員解雇する方向という。

 2014年に48人、15年に43人が死亡する墜落事故が発生。安全性への信頼が揺らぎ搭乗率は6割程度に低迷していた。16年7~9月期まで7四半期連続の最終赤字が続き、直近では「1日営業するごとに1千万台湾ドル(約3400万円)の赤字が積み重なる状態」(林董事長)に追い込まれた。ブランドの悪化で事業の買い手もつかず、1951年設立の台湾初の民間航空会社は歴史を閉じることになった。

 (後略)

この続きには、LCCに参入したもののうまくいかなかったという趣旨のことが書いてあります。それにしても飛行機会社ってのも、けっこうつぶれるよねえ。だいたい我らが日本のナショナルフラッグである日本航空だって倒産したしね。もっとも日本の国鉄は分割民営化されたし(これは労働組合つぶしの側面が大きいのですが)米国のアムトラックは大赤字だし、グレイハウンドも(実質的に)倒産しているしね。航空会社だって、パンアメリカン航空など倒産した航空会社は枚挙にいとまはありません。いまTBSのCSで再放送をしている『兼高かおる世界の旅』にこの航空会社が協賛していて美しい客室乗務員の姿が(PRフィルムですけどね)写っていますが、「米国系のエアでも昔はあんな美人が客室乗務員していたんだなあ」(PRフィルムを真に受けちゃいかんか)とかつまらんことを考えないでもありません。いずれにせよ運送業界やその周辺もけっこうやばい世界だなという気はします。鉄道会社はそれでも(特に都市部なら)膨大な資産がありますが、航空会社はそれもろくにないしね。

そういうわけで、やはり旅は、寄らば大樹の陰がいいのかなとかいう気もします。が、最終的には運でしょうね。地雷を踏むか踏まないかです。このブログの読者の方は旅好きの人が多いでしょうが、みなさん無事に旅ができることをお互い祈りましょう。ではよい旅を!

以下どうでもいい話です。4月5日の拙ブログの人気記事のランキングです。

森友学園(塚本幼稚園)関係の記事のアクセスが1位でなくなったのは、2か月ぶりくらいです。だいぶ落ち着いたのかもですが、もちろんまだまだ森友学園はおしまいにしていい問題ではありません。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(86)

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国立考古学・歴史学博物館を見学します。入場無料ですから、気楽に見学ができます。

1880年代の建物とのことで、なかなか重厚な建物です。

外に出ます。

イェーツが、この国でどれだけすごい地位にいるのかあらためて思い知らされます。

第一次世界大戦に関係する展示があるんですかね。これをきっかけにアイルランドは独立を成し遂げたわけです。

 

休日ですから皆ラフな格好です。

怖い表情で睨まれます。

またトリニティ・カレッジの前に来ます。

昼飯を食べることにします。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(87)

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ガイドブックで目星をつけておいたタイ料理の店に行くことにします。

仏像らしきものもありましたが、白人が働いていました。

昨日の夜に続いてアジア系の料理をいただくというのは、やはりアイルランドとか英国の料理というのはおいしくないということなのですかね。

このように仏像があるわけです。

テンプル・バーを歩きます。かつてはガラの悪い地区だったそうですが、再開発で生まれ変わりました。

なかなかいい雰囲気でしょ。

テンプル・バーにはいろいろなホテルもあります。こちらは「地球の歩き方」にも紹介されていました。バー、ナイトクラブも併設されています。「Fitz」とは、アイルランドのノルマン系の名前で、「なになにの息子」という意味です。オニールとかのO'とかMcCrearyさんの「Mc」あるいはマクドナルドの「Mac」も同じです。アイルランドとかスコットランドなどに見られます。たとえばケネディ大統領のミドルネームは「フィッツフェラルド」だし、米国のトラック労働者組合のチームスターで、行方不明になったジミー・ホッファの次の委員長(会長)の名前は、フランク・フィッツシモンズという人物で、彼もアイルランド系米国人です。映画「ホッファ」にも出てきます。

ダブリンの空には、頻繁に飛行機雲が現れます。この日は非常にいい天気でしたので、飛行機雲もきれいでした。

ビートルズのメンバーが、いかにもサイケデリックとドラッグをほうふつとさせるイラストで描かれていました。

(つづく)

関西から帰ってきました

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関西から帰ってきました。

桜の写真を後日お見せしますのでお楽しみに。

同じ役を演じた俳優2人のあまりの落差にちょっと驚く

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遠藤周作の「沈黙」の話ではなく、今回は実在の人物を演じた2人の俳優について。演じた役は、カンボジアでポル・ポト派(クメール・ルージュ。フランス語で「赤いクメール」の意味)に殺害されたカメラマン一ノ瀬泰造についてです。

一ノ瀬は1947年佐賀県出身、野球に熱中し甲子園球児でした。日大芸術学部写真学科を卒業、プロのカメラマンをめざします。UPIなどで仕事をした後フリーとなってカンボジアに行きそこで消息を絶ちます。

カンボジアのゲリラというのは、ベトナムなどと違い非常に凶暴かつ無慈悲でしたので、一ノ瀬も1973年に逮捕されてまもなく殺害された模様です。シチュエーションはいろいろですが、沢田教一や俳優エロール・フリンの息子のショーン・フリンなど日本人をふくむたくさんの報道関係者がカンボジアで殉職したり行方不明になっています。ベトナムなどと比べてもはるかにカンボジアは危険な場所でした。

それでポル・ポト政権崩壊後の82年に一ノ瀬のご両親が一ノ瀬の遺体を確認、作も発表されて彼の知名度も高くなります。その流れで85年に「泰造」という映画が発表されて、さらに1999年に「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画が公開される運びとなりました。このときはあらためて一ノ瀬が注目されたようです。

それで前者で一ノ瀬を演じているのが岡本早生という俳優で、後者では浅野忠信が演じています。率直なところ、映画の評判も浅野版のほうがはるかに上で、容姿も浅野のほうがはるかに一ノ瀬に似ていますが、ここでは前者の「泰造」という映画と岡本早生という俳優について考えます。

岡本は、もっぱら1980年代に若干の活動をした俳優のようですが、あまり活動がよくつかめません。どうも作曲家でこの映画のプロデューサーである木下忠司が彼を気に入ったようで、87年に木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」に出演(たぶん兄貴の恵介監督に推薦したのでしょう)、NHK大河ドラマに端役で出演したりあと時代劇などへの出演(こちら参照)が散見されます。95年の新藤兼人監督の「午後の遺言状」にタクシー運転手役で出演したのが、私が確認している彼の最後の役者としての活動です。

 

なおこちらに彼の名前を見つけることができます。「無名塾」の出身のようですね。

>パルコ・仲代プロジェクト提携公演

マクベス
公演日程1982年11月13日 (土) ~1982年11月30日 (火) 会場PARCO西武劇場出演
仲代達矢、山本圭、神崎愛、隆大介、役所広司、森一、益岡徹、大橋吾郎、大川ひろし、古田将士、及川以造、岡本早生、友居達彦、野崎海太郎、吉村和敏、鈴木功、松野秀子、吉井元美、何末美、小宮久美子、岡本真実、仲代奈都、佐藤正文、五條貴士、小川真司
スタッフ
作:シェイクスピア
訳:小田島雄志
演出:隆巴
音楽:池辺晋一郎
照明:清水俊彦
振付:西田尭
衣裳:河盛成夫
舞台監督:林清人

いわゆる独立プロの映画とはいえ、最初の本格的映画出演が主演というのは大きいし、また当時「(新人)」と紹介されていました。普通(新人)と併記されるのは、相当期待された人材ということでしょう。

が、やっぱり華がなかったんですかね。実はこの映画はソフト化もされていないし、フィルムセンターにて(木下忠司の作品特集)昨年ニュープリントで上映されたそうですが、あいにく私は見ることができませんでした。だからスチール写真ほかで論じるのも気がすすまないのですが、ひげ面の彼の写真を見ても、ちょっと一ノ瀬とイメージ違うなあです。いや、いいんですよ。イメージが違ったって。デヴ・パテルは天才数学者ラマヌジャンとは顔も体型も似ても似つかぬ人間ですが、しかし映画「奇蹟がくれた数式」ではラマヌジャンを見事に演じきっていました。この映画についてはまた記事を書きます。しかし岡本の一ノ瀬はどうだったんですかね。たぶんあまり観客の心をとらえるにいたらなかったんじゃないんですかね。とらえていれば、たぶん岡本は役者としてもっと活動できたし良い仕事もまわってきたでしょう。

なお「泰造」を監督したのは渡辺範雄という監督です。ぜんぜん私の知らない人で、この映画が彼の唯一の監督作品の模様です。「翼は心につけて」や「翔べイカロスの翼」などの助監督をしていて、このあとはプロデューサーなどをしていたようですが、たぶん監督としての能力もあんまり高くなかったのかもですね。見ていなくてここまで書いてはいけませんが。で、彼は「ナンバーテンブルース さらばサイゴン」という映画にも助監督として係っていたので、あるいはインドシナとかベトナム戦争関係に詳しかったということで起用されるに至ったのなのかもです。いや、「泰造」の制作会社が制作協力した(らしい)「恋の浮島」にも渡辺氏は助監督をしているので、その関係かな? 最近の作品では、こちらで氏の名前を見つけることができました。たぶん同じ人でしょう。「ラインプロデューサー」とは、こちらによると

>制作における制作デスクがさらに昇格した職種です。制作面でのプロデューサーとなり、メーカーやクライアントとの打ち合わせなどを行います。予算面と現場面のスーパーバイザー。

とのこと。

木下忠司自身はこの映画が気に入っていたようで、昨年の上映の際も上記のようにわざわざニュープリントをしてもらったそうですし、脇のキャストは小林桂樹なども出演しているのですが、未見の映画についてこんなことを書いていても仕方ないので、見たらまた記事を書きます。

そして浅野忠信です。これは、一ノ瀬を演じた際はすでに俳優として大きな地歩を固めていたし、いわば俳優で映画を売れる状況でしたから比較しても酷ですが、やはり浅野のほうが一ノ瀬をたくみに演じたということでしょう。岡本がこの映画を見たかどうか私はもちろん知りませんが、未見だとしても岡本はものすごく悔しかったでしょうね。いかんせん自分と先方とのあまりの違いに。それは仕方ない部分もありますが、でもある意味残酷だなという気もします。地味な映画と高い興行収入を目指せる映画の違いはさておき、なんだか人生のネガとポジ、陰と陽を感じます。岡本早生を現在記憶し顔と名前が思い浮かぶ人はあまり多くない。浅野忠信は、好き嫌いは別として誰からも顔も名前も知られています。海外の映画でも活躍している。大きな差があります。

そういえば上でちょっと触れた「沈黙」で、浅野はスコッセッシ版で通訳を演じていました。篠田版では戸浦六宏です。主演ではないですが、どちらもなかなか巧みな演技でした。

岡本早生氏の95年より後の活動、現況については現在当方の知るところではありませんが、たぶんこの「泰造」への出演は彼の役者人生の最大のハイライトだったし、そして最大の挫折でもあったのでしょう。いつの日かこの映画を見て、また感想その他を記事にしたいと思います。

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