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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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浅田真央は、引退表明が遅かったと思う

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本日は京都の桜の記事を用意していたのですが、やはりこの件を記事にしないわけにはいきませんね。

フィギュアの浅田真央が現役引退 自身のブログで表明

産経新聞 4/10(月) 23:04配信

 フィギュアスケート女子の元世界女王で2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央(26)=中京大=が10日、自身のブログで「フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」として現役引退を表明した。

 2大会連続出場した14年ソチ五輪で6位に終わり、約1年の休養を経て昨季に復帰したが、今季は昨年12月の全日本選手権で自己最低の12位に終わるなど、かつての輝きを取り戻すことができなかった。

 ブログでは「全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。(中略)私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」などとつづっている。

 名古屋市出身の浅田は5歳からスケートを始めた。05年にジュニアの世界選手権で初出場初優勝を飾るなど、「天才少女」として注目を集めたが、翌06年のトリノ五輪には、年齢制限のため87日足りずに出場できなかった。その後は08年の世界選手権を初制覇。バンクーバー五輪は銀メダルで、ライバルのキム・ヨナ(韓国)に及ばなかった。

 11年に最愛の母、匡子さんを亡くし、悲しみを乗り越えて臨んだソチ五輪は、ショートプログラム(SP)で出遅れるも、フリーで代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させて6位。日本中に感動を呼んだ。

 同年3月の世界選手権はSPで当時の世界歴代最高得点をマークし、日本選手最多となる3度目の世界女王となった。

 ソチ五輪後、一度は引退に傾いた気持ちが「ハーフ・ハーフ(半々)」と揺らぎ、約1年の休養を経て復帰。復帰シーズンでグランプリ(GP)シリーズ中国杯で優勝するなど序盤は快調な滑り出しを見せたが、慢性的な左膝痛にも苦しんだ今季は精彩を欠いた。

彼女の引退についての記事をいくつか読んだ限りでは、予定稿めいたものも見られましたね。当方素人ですのでそのあたり詳しいことは分かりませんが、浅田真央がいつ引退してもおかしくないという認識はマスコミにもあるわけで、それなりの記事や映像資料などは用意されていたのだろうなと思います。

昨年私はこのようなことを書きました

>浅田真央が来シーズンで引退することは誰でもわかりきっていますが、しかしこれある意味「自分は2年間はなにがなんでも現役を続ける」という意味合いですよね。つまり今シーズンでどれだけ成績が悪くても現役は来年も続けるという。

それって決していい選択じゃないんじゃないのと思いますが、どうなんですかね。もちろん彼女が今シーズンいっぱいで現役を引退したところで、話が違うじゃないか、悪い、という人もいませんが、彼女の競技者としての今後にそんなに明るい未来が待っているようには思えませんね。やっぱりソチで引退した方がよかったのでしょう。たぶん今の彼女は過去のスケーターでしょうね。そんなことは予想できていましたが、やっぱりです。やはり浅田真央に明日はなさそうです。

正直、こう書きながらも「でも本当に現役続行するのかなあ」と考えていましたが、やっぱりというところです。ただ個人的に言うと、でも引退表明するのなら、昨年12月が大きな節目だろという気はします。

全日本選手権で12位では、彼女のレベルでは現役続行不可でしょう。オリンピックに2回でて銀メダルと6位入賞したアスリートが現役を続ける成績ではない。一度引退した人が、市民レベルとしてたとえば陸上の長距離に出るとかならまだしも、フィギュアスケートってそういう趣旨のスポーツじゃありませんからね。だから競技が終わった時点では「またじっくり考えたい」と話した上で、1月とか2月、あるいは3月の世界選手権が終わった時点で引退を表明すれば、そちらのほうが順序としてはよかったと思うわけです。実際には12月中に引退を表明したほうがずっといいと思いますけど。見込みがなくなったら割り切ることも必要でしょう。そういえば彼女って、現役続行も5月に発表したじゃないですか。年度がかわってから進退を表明するのが好きなんですかね。

彼女が引退を最終的に決意したのがいつかは分かりませんが、もしかしたら平昌でのフィギュアスケート日本女子の出場枠が2人になったことも最終的に彼女の背中を引退に押したのかもですね。日本人選手の3人枠に入るのも非常に大変ですが、2人枠ですと事実上可能性が非常に低くなりほとんど無理でしょう。私は実は、この件を指摘する記事を書いて発表するつもりだったのですが、今回の引退でこの記事が書かれることはなくなりました。あるいはこの件は、彼女の引退とは直接関係ないのかもですが、しかし彼女のオリンピック出場への現実味が欠けたのは事実でしょう。いずれにせよそのあたりは本日開かれるという引退記者会見で話してくれるのかもです。

そう考えると、やはりソチ五輪後の1年間の休暇とその後の現役復活は無理でしたね。1年の休養とその後の現役生活は両立できなかったし、そうなると2015~16シーズンでの引退が妥当だったのでしょう。見込みがないことが分かってしまう。安藤美姫みたいに、最後はほとんど無理であることはみな分かっていルことを前提に強行出場みたいに出場して、それで笑顔と涙の引退(安藤の場合未婚の母になったなんてこともあったので、また少し次元が違いますが)、なんてのでなくて、非常に暗―い引退ですから。これでは現役続行なんかしなければよかったというところでしょう。

そうなるとソチで引退したほうがずっと良かったよね。1年遊んじゃったのもどうかですが、やはりぎりぎり昨年末までに引退を表明すべきだったのでしょうね。そちらのほうがすっきりする。それからの3ヶ月を超える月日は不要だったのだろうと思います。

このブログで私はさんざん「浅田真央は学校に通っていない」「自分のことを名前で呼んでいて幼稚だ」「浅田真央に世間は異常に甘い」「浅田真央大っ嫌い」なんて書いてきましたが、彼女の現役最後くらいは「お疲れ様でした」と書いてこの記事を終えます。


1,500万PVを突破した

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私もPV数を確認しなかったのでちょっとご報告が遅れましたが、拙ブログが1,500万PVを突破しました。下の画面は4月11日のものです。

1,400万PVを突破したのは、下の記事によると昨年の12月20日だったようですね。

おかげさまで1,400万PVを突破しました

計算してみたところ、先週の木曜日4月6日に突破したようですね。ということは107日で100万PV稼いだということですかね。今回は、森友学園関係の記事で非常にアクセスが多かったので、その関係ではやい100万PVとなりました。1,300万~1,400万は4か月弱でした。

ブログというのも、たまに当たる記事がでます。が、どの記事が当たりかは予想できません。次なる当たり記事が出るように日々更新し続けますのでお楽しみに。

京都・大阪の桜2017年(京都編)

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4月8日、9日に京都と大阪に行って、桜を見てきました。最初は1日、2日に行くつもりだったのですが、ちょっと開花と会わないので1週間ずらしたわけです。日程を変えたのは成功でしたが、天候は良いとはいえず特に8日は雨だったのであまりよく見られず、京都のほうは不十分にしか見られなかったのですが、大阪のほうは万博公園でごってり桜を楽しむことができましたので、ぜひご覧になってください。本日は京都の桜を。

所用で立ち寄った二条駅前での桜です。二条駅も昔はいい駅舎だったみたいですが’(写真と映像でしか知りまへん)、いまは実につまらん駅舎です。ところでWikipediaでのこの駅の利用者数を見ると、JR西日本,京都市営地下鉄ともに大変利用者が増えています。JR西日本にいたっては、1997年は1日平均7,704人ですが、2015年は13,028人です。2017年は、あるいは97年の倍増くらいになるかもです。地下鉄も、2007年にピークになった後ぐぐっと減りましたが、またその全盛時代に戻りつつあります。なるほど、京都がどれだけ観光客が増えているかがわかろうというものです。

山陰線に乗り、太秦駅で降ります。JRになってから開業した新しい駅です。実は、嵯峨嵐山駅で降りるはずだったのですが、1つ駅を間違えてしまいました。が、それなら歩いていけばいいやと気楽に考えて、駅前のコンビニで傘を買って歩き出します。

駅近くの桜です。

こうやって道にある桜を見るのもいいものです。

 

途中の団地にあった桜です。なかなかいい花の開き具合です。

天龍寺に行くと観光客が多くなりました。嵯峨嵐山駅の近くです。この駅も昔はいい建物だったのですが、つまらん建物になってしまいました。まったくひどいものです(と、怒り心頭)。

本日は無料で見られるところまでで帰ることにしました。また哲学の道か宇治あたりの桜を見たかったので。

嵯峨嵐山駅で、青春18きっぷを見せて改札を抜けたら、女性の駅員が「サンキュー」といいました。また私外国人観光客に見られた(苦笑)。たぶん暑がりの私が、シャツだけで上着などを着ないで、それで袖をまくっていたのが外国人観光客に見えたのでしょう。別に訂正を求めもしませんでした(笑)。

 また二条の駅から地下鉄に乗って蹴上駅に行き南禅寺へ行こうと思ましたが、このあたりから雨が強くなってきたのでやめました。それで駅近くのコメダ珈琲に入りました。これが私のコメダデビューです。単なる偏見であまり私の好みでなかったのですが、わりとよかったので、地元の店も利用しようかなという気がしました。それからコメダって、東証1部上場だったのね。知らなかった。2016年6月29日上場とのこと。以下鶴橋の焼肉店で焼肉と冷麺を食べたり、京阪で門真市に行ったのですが、桜とは関係ないし写真もないので省略します。

(大阪編につづく)

京都・大阪の桜2017年(大阪編)

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翌日、門真市のホテルから、大阪モノレールで万博記念公園に行きます。

桜に期待が高まります。

公園に入る前も、こんな感じです。

中に入ります。

花見の場所ですかね。

これだけ桜が多いと壮観です。

太陽の塔を意識してポーズをとる人もいます。

場所によっては相当花が落ちています。

これは屋台などの車ですね。九州ナンバーの車もありました。

原っぱではサッカーをしている少年たちもいました。

それにしてもこれだけたくさん桜を見ると、さすがに壮観です。

この人たちは外国人でした。外国人の数多し。昨日の京都もご同様。

手前の彼女らも外国人です。

公園を去ります。なかなかすばらしいところでした。来年も、関西のどこかで花見をしたいと思います。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(88)

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ダブリン市庁舎へ行ってみます。

市庁舎周辺の建物です。

ちょっと顔を出しただけですぐに出ます。お隣のダブリン城に行くことにします。

ここはかつて英国総督府がおかれたまさにダブリンの心臓部です。現在でも大統領の就任の儀式が行われたりします。

どうでもいい話ですが、このような短いスカートの女性がいますから、世の中油断ができません。

アイルランド独立関係の偉い人たちの肖像があります。

ここは雰囲気のいいところでした。

Wikipediaによると、アイルランドの国旗の色の意味は、

>緑はケルトの伝統を、オレンジはウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)の支持者を、白はその両者の平和を表す

のだそうです。グリーンがカトリック、オレンジがプロテスタントを象徴するということのようです。

外に出ます。

記念写真を1枚。他にも撮ってもらったのですが、あまりうまい写真でなかったので、うまそうな人に撮りなおしてもらいました。

次なる目的地に向かいます。

(つづく)

浅田真央を嫌っている日本人だって存在します

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まーた、こういう発言が出てきました。

>張本氏、電撃引退の真央は「いいときに引退した。この人を日本全国で『嫌い』という人はいない」/フィギュア

サンケイスポーツ 4/16(日) 9:32配信

 野球評論家の張本勲氏(76)が16日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「週刊・御意見番」に登場。電撃引退を表明した、2010年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子銀メダルの浅田真央(26)=中京大=について「スポーツの先輩としてね、いいときに引退したと思いますよ。この人を日本全国で『嫌い』という人はいない。かわいいし、いい子だし。乙女心で相当悩んだと思いますよ。だけど、誰もが通るスポーツマンの道ですから」とねぎらった。

(後略)

>この人を日本全国で『嫌い』という人はいない。

1億2千6百万日本には人口がいるんだから、それは「嫌い」なんて人間はいくらだっているでしょう(笑)。

つまりは、浅田真央については、顔が嫌い、声が嫌い、しゃべり方が嫌い、服装が嫌い、家族が嫌い、演技が嫌い、性格が嫌い、人気があるのが嫌い、学校に行かないのが嫌い、つまりはありとあらゆるところが大っ嫌いという人間だっているわけです、ってこれは私のことですが。

しかし張本氏は単に「こういえば受ける」という発言をしただけなのかもですが、こういう発言は少なくありません。拙ブログで取り上げた例だけでも。

世間はだいたいこう考えているよね、きっと

>ね、ほんと、日本人で浅田真央を嫌いな人っていませんよね

そういうことをよりによって私に言うかです(笑)。

ね、私の書いた話は間違いじゃないだろ(2)

>>ブランクを感じさせないその滑りに、誰もが歓声をあげ、
少し大人びた、それでも無邪気な笑顔に、誰もが魅了された。

悪いな。私は「誰もが」に入らないぞ。

そういうわけで、浅田真央大っ嫌いな日本人が、少なくとも1人はいるということは宣言してこの記事を終えます。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(89)

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こちらのバスは、英国のナンバーがついていました。北アイルランドのバスかフェリーでアイルランドに来たのかはわかりません。

ダブリンの街を歩きます。

やはり上がゲール語、下が英語です。

これがクライスト・チャーチ大聖堂です。アイルランド国教会の主教会です。あとで見学することとします。

後ろに「Jurys Inn」のホテルが見えます。アイルランドのチェーンホテルです。

こういう建物も、なんとも面白いものがあります。

それにしてもこの日は本当にいい天気だったなと思います。

さわやかな写真でしょ?

こちらは聖パトリック大聖堂です。かのジョナサン・スウィフトも首席司祭だったくらいです。アイルランド最大の教会です。

それでは中を見学してみましょう。

(つづく)

最悪の事件になったかなという気がする

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一昨日、テレビで「誘拐報道」が放送されまして、拙ブログでこの映画についての記事を掲載しているためにアクセスも多くなりました。そのテレビ放送があったこととこの記事執筆が同時期になったのは単なる偶然ですが、今回はそれと関連する記事を。

千葉でのベトナム国籍の女の子の殺害事件は、いろいろな点で非常に悪い展開になりましたね。

保護者会長の男逮捕 千葉県警、死体遺棄容疑で 殺害にも関与か 我孫子女児殺害

2017年4月15日 12:19

 我孫子市北新田の排水路脇で、ベトナム国籍の松戸市立六実第二小学校3年、レェ・ティ・ニャット・リンさん(9)が遺体で見つかった殺人・死体遺棄事件で、我孫子・松戸東署合同捜査本部は14日、死体遺棄容疑で、近くに住む自称不動産賃貸業、渋谷恭正容疑者(46)を逮捕した。渋谷容疑者はリンさんが通っていた小学校の保護者会の会長を務めていた。捜査本部によると、渋谷容疑者は黙秘しているという。捜査本部は渋谷容疑者の事件当時の足取りや動機を捜査するとともに、殺人容疑についても慎重に調べる。

 逮捕容疑は3月24日午前8時5分ごろから同月26日午前6時45分ごろまでの間、我孫子市北新田の利根排水機場付近の排水路の橋の下に、リンさんの遺体を遺棄した疑い。

 捜査本部は遺体が遺棄されていた場所や、リンさんのランドセルなどが見つかった茨城県側の利根川河川敷などの現場資料の分析などを進め、渋谷容疑者を割り出した。捜査本部は渋谷容疑者が所有する車2台を押収。犯行には車が使用されたとみて、殺人容疑も視野に動機などを追及する。

 渋谷容疑者の自宅は東武野田線六実駅前のアパートで、リンさん宅からは約300メートル。捜査本部によると、渋谷容疑者は独身。近隣住民によると、渋谷容疑者はこのアパートのオーナーで、中国人女性と小学生の子ども2人の4人暮らし。保護者会の会長で、リンさんの通学路で見守り活動をしていた。事件後も活動を続けていたという。

 捜査本部によると、リンさんは修了式だった3月24日午前8時ごろ、松戸市六実5丁目の自宅を出て、直線距離で約600メートル離れた小学校に向かったが登校せず行方不明に。学校は同8時40分ごろ、リンさんが登校していないと父親に連絡。父親は同11時半ごろ、近くの交番を通じて松戸東署に捜索願を出した。県警はすぐにリンさんの行方を捜索したが見つからず、リンさんは26日午前6時45分ごろ、我孫子市北新田の排水路脇の草むらで死亡しているのが見つかった。自宅と遺棄現場は約10キロ離れていた。

 リンさんのランドセルと本人のものとみられる衣服などは、遺棄現場から約20キロ離れた茨城県坂東市の利根川河川敷で見つかった。自宅の防犯カメラに家を出る様子が写っていた以外、通学路周辺のカメラに姿は写っていなかった。

 リンさんはベトナム国籍の両親と弟の4人暮らし。2015年12月に川崎市から松戸市に転居してきた。

 捜査本部は14日、ベトナムにいるリンさんの父、レェ・アイン・ハオさんに国際電話で渋谷容疑者の逮捕を伝えた。ハオさんは声を震わせながら「ありがとう」と答えたという。

◆我孫子女児殺害事件の経過

3月24日午前8時ごろ レェ・ティ・ニャット・リンさんが登校のため松戸市の自宅を出る
    8時40分ごろ 小学校が「登校していない」と父親に連絡
     11時半ごろ 父親が松戸東署に捜索願
26日午後6時45分ごろ 我孫子市の排水路脇で遺体発見
   午後 千葉県警が殺人事件と断定、捜査本部設置
27日 死因は窒息死の可能性と判明
    茨城県坂東市の利根川河川敷でランドセル発見
4月5日 リンさんの通った小学校で始業式
 14日 死体遺棄容疑で近所に住む松戸市の渋谷恭正容疑者(46)を逮捕

現段階この人物が犯人かどうかは、当人の供述とかが得られていないようですので断言はできませんが、DNA鑑定や防犯カメラなどある程度絞られているようですので、ここでは彼が被害者を殺害したという前提で記事を書きます。そういうことでなくなったらまたあらためて対応します。

今回報じられているところでは、この人物は学校の父母会の会長であり、彼の子どもも(当然ながら)同じ学校に通っているということです。それでそんなに親しいということはないのかもですが、被害者とも顔見知りらしい。となると、これは私がこのブログで取り上げた2つの事件と共通するものがありますね。

なぜかDVD(あるいはBD)化されない映画(1)(『誘拐報道』) 最悪の誘拐殺人事件

「誘拐報道」の事件は、被害者と犯人の子どもが同級生だったし(なお映画では犯人の子どもは女児ですが、事実は男児だったとのこと)、福山の事件は、犯人と被害者の子どもはかなり親しい関係にあっただけでなく、親とも人間関係がありました。誘拐事件と性犯罪では事件は違いますが、殺人が絡むと非常に重い刑が科せられるという共通点があります。

今回の事件では、被害者と逮捕された人物とではそこまで親密な人間関係はなかったのかもですが、それにしてもまずいですね。逮捕された人物の子どもはとても学校には通い続けられないし、近隣住民、学校の怒りとショックは大きい。被害者の家族のそれはいうまでもない。裁判でも、求刑は死刑あるいは無期懲役でしょう。判決もどちらかになる可能性が高い。

で、今回の場合、私が関心があるのが、逮捕された人物が幼児の性犯罪の前科があるかどうかです。「興味があった」みたいな報道はされていますが、興味があるということと性犯罪を実行するというのはまったく次元が違う話です。たとえばこれも死刑が執行されましたが、奈良で小学生を殺害した小林薫は幼児性犯罪の前歴がありました。40代半ばという逮捕された人物の年齢からして、前歴がなければ突然突発的な衝動でも起きたのかどうなのか。このあたりは求刑・判決にも大いに影響すると思われますので、かなり重大な問題です。

それでこれはまた違う問題ですが、このような事件は防ぐということはできませんね。逮捕は防犯カメラなどの設置でしやすくなっているのかもですが、「防ぐ」というのはまったく次元の違うことです。犯罪者は、逮捕されることによっての刑罰や自分の身の破滅などよりはるかにその瞬間の行動を優先させているのですからお話になりません。今回の事件の犯人が(今回逮捕された人物かどうかというのは別問題)どのような過程で犯罪をしようと考えたかは不明だし、衝動的、瞬間的なものなのかもですが、いずれにせよどうやったってそれを防ぐというのも難しいですね。犯罪の悪質さの次元は違いますが、福岡ソフトバンクスホークスの捕手だった堂上隼人という人物が、性犯罪を複数行い逮捕、球団を解雇、実刑判決を受けたことがありました。私も複数回記事を書いています。一部をご紹介。

某野球選手の不祥事で思ったこと 某元野球選手の不祥事で思ったこと、また内柴某の裁判についての簡単な感想(ほか、関係ない話) あるスポーツ選手による性犯罪事件の判決について

彼は社会人野球時代に性犯罪をしてそれで会社を追い出され(解雇か形式的には自主退社かは知りません)、ドラフト会議でも忌避され、興味を持ってくれた米国球団にもこの前歴がたたってしまいオファーがなくなりました。その後独立リーグで努力して更生したと認められてNPBに入れたのに、まさに自分の人生をぶち壊し家族や他人にも甚大な迷惑をかける犯罪をしてしまいました。彼に「なんでそんな犯罪した?」と聞いてもたぶんまともな答えはないでしょうね。犯罪をする間は、理性とか常識とかが完全に遮断されるのでしょう。つまりは病気だということです。今回の逮捕された人物が、この堂上のような性関係の衝動を抑えられないなどの何らかの病気かどうかは詳らかでありませんが、こういった犯罪をする人間は人口の一定の割合で存在するし、その犠牲者も必ず出てきます。そして今回の逮捕された人物がこの事件の犯人だとするなら、不動産賃貸業でそれなりの収入を得ているとか、学校の父母会の会長をしていてそれなりの社会的責任がある、といったことも彼の犯罪を抑制することにはならなかったわけです。殺人とかの最悪の事態になることは多くはないでしょうが、それにしてもです。

本当に、このような人間の闇の部分がまともに出てくる事件は万人が怒り不快になるし、どんな重罰が課せられても遺族その他にとってはしょせんどうにもならないし、本当に救いがないですね。性犯罪は同情の余地がない。ましてや子どもへの性犯罪では、悪質、論外、絶対許せないだし、殺人だと最悪にもほどがあります。そして今回の事件はその最悪のものになってしまいました。

お亡くなりになったベトナム国籍の少女のご冥福を祈ってこの記事を終えます。


どうもなあと思うニュース

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あ、すみません。もう少しましなニュースを取り上げろとおっしゃるかもしれませんが・・・。

「ANRI」坂口杏里容疑者を恐喝未遂で逮捕

スポーツ報知 4/19(水) 21:35配信

 知人の30代のホストから現金を脅し取ろうとしたとして、警視庁新宿署が恐喝未遂容疑でタレントの坂口杏里容疑者(26)を逮捕していたことが19日、同署への取材で分かった。

 逮捕容疑は18日、ホストに金を借りようとしたが断られたため、SNSを通じて「ホテルで撮影した写真をばらまく」とのメッセージを送信し、現金3万円を脅し取ろうとした疑い。

 ホストは同日夜に新宿区内の路上で待ちあわせ、「さっきのメッセージは恐喝にあたる」と坂口容疑者を取り押さえると、「逮捕しています。来てください」と110番。駆け付けた新宿署員に引き渡したという。

 坂口容疑者は、2013年に亡くなった女優の故・坂口良子さんの長女。バラエティー番組などで活動していたが、16年10月に「ANRI」の名でAV女優に転身。4作に出演している。来月13日に新作のリリースを控えていた。

どうもなあですよね。

いや、わかりませんよ。この件の真相なんて。ホストが被害者なのか、坂口杏里がはめられたのか。不起訴処分、処分保留で釈放程度で済むかどうかですが、そんなに重大な事態にはならないという気が個人的にはしますが、はてどうなることか。

最初、彼女が逮捕されたという見出しだけ読んだ際、私は「ドラッグ?」と思いました。そのあとわいせつ物なんとかかもとかつまらんことを考えましたが、恐喝未遂ねえ。昨年の某有名芸能人の息子である某俳優の不祥事同様、かなりファジーな罪ですから、警察なり検察なりがどう判断するかはわかりませんが、でも恐喝未遂の相手がホストってのもどうかですよね。彼女がAVに転向したのって、ホストにはまって借金こさえて、それの返済のためだっていう話じゃないですか。まあこれだって実際のところは不明ですが、やっぱり彼女は、ホストから精神的にも肉体的にも離れられないんですかね。ホスト依存症? そんな言葉があるかは知りませんが、いずれにせよそれもどうかです。

あまり大ごとにならないことを祈って、この記事を終えます。

トランプ大統領の就任演説で英語の勉強をする(言行不一致も甚だしい)

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2016年最後の記事(12月31日付)で、私はこんな記事を書きました。

外国人が好きな米国と、「イージー・ライダー」の主人公たちを殺す米国

その記事で私は、こんなことを書きました。

>たとえば、それはお前の偏見といわれれば「ごもっとも」ですが、トランプやブッシュの子どもの演説なんかで英語の勉強なんかしたくないよねえ(笑)。(中略)

ヒラリーさんが当選していたら、彼女の大統領就任演説なんかを繰り返し聞いて勉強したいと思いますが、トランプの英語で勉強する気にはなりません。

そんなことを書いていて、こんなものを買ってしまいました。

トランプ就任演説 

ほかにも同じようなものはいくつか発売されていますが、これがたまたま寄った書店にあったので買いました。ほかは消費税込みで1,080円だったりするのですが、これは1,000円なので、そう考えるとお得ではあるかもしれません。

てめえ、書いていることと現実の行動が違うじゃないかよ!

 と、私を非難する人もそんなに多くはないかもしれませんが、しかし私もこの辺りは適当な人間です。別に他人に迷惑をかけるわけでもないからいいけど。

で、聞いた限りで言うと、内容はともかくトランプの英語はわかりやすいですね。私のように聞き取りの苦手な人間でもかなり簡単に聞き取れる。これからもトランプの英語を聞いていって、リスニングの勉強に役立てるといいかもです。

ただ私は、発言の採録テキストがないとリスニングの勉強は厳しいところがあります。このあたりもう少し力をつけていかねばならんなと考えます。

というわけで、英語を勉強したい方に少し便宜を図ります。1997年における中国への香港返還式典での際の、英国チャールズ皇太子の演説のテキストをアップロードしますので、興味のある方は聞き取ってください。右にいるのはトニー・ブレアですね。この直前の選挙でしばらくぶりに労働党が勝利したので、彼は香港返還式典に立ち会う首相になったわけです。動画とともに聞き取りをどうぞ。

Hong Kong Handover 1997 Part 3 - Prince Charles' Speech

President Jiang Zemin, Premier Li Peng, Distinguished Guests, Ladies and Gentlemen. This important and special ceremony marks a moment of both change and continuity in Hong Kong's history. It marks, first of all, the restoration of Hong Kong to the People's Republic of China, under the terms of the Sino-British Joint Declaration of 1984, after more than 150 years of British administration. 

This ceremony also celebrates continuity because, by that same treaty and the many subsequent agreements which have been made to implement its provisions, the Hong Kong Special Administrative Region will have its own government, and retain its own society, its own economy and its own way of life. I should like to pay tribute this evening to those who turned to the concept "one country, two systems" into the Joint Declaration, and to the dedication and commitment of those who have worked so hard over the last thirteen years to negotiate the details of the Joint Declaration's implementation. But most of all I should like to pay tribute to the people of Hong Kong themselves for all that they have achieved in the last century and a half. The triumphant success of Hong Kong demands- and deserves - to be maintained. Hong Kong has shown the world how dynamism and stability can be defining characteristics of a successful society. These have together created a great economy which is the envy of the world. 

Hong Kong has shown the world how East and West can live and work together. As a flourishing commercial and cultural cross~roads, it has brought us together and enriched all our lives. Thirteen years ago the Governments of the United Kingdom and the People's Republic of China recognised in the Joint Declaration that these special elements which had created the crucial conditions for Hong Kong's success should continue. They agreed that, in order to maintain that success, Hong Kong should have its own separate trading and financial systems, should enjoy autonomy and an elected legislature, should maintain its laws and liberties, and should be run by the people of Hong Kong and be accountable to them. 

Those special elements have served Hong Kong well over the past two decades. Hong Kong has coped with the challenges of great economic, social and political transition with almost none of the disturbance and dislocation which in other parts of the world have so often accompanied change on such a scale. 

The United Kingdom has been proud and privileged to have had responsibility for the people of Hong Kong, to have provided a framework of opportunity in which Hong Kong has so conspicuously succeeded, and to have been part of the success which the people of Hong Kong have made of their opportunities. 

 In a few moments, The United Kingdom's responsibilities will pass to the People's Republic of China. Hong Kong will thereby be restored to China and within the framework of "one country, two systems", it will continue to have a strong identity of its own and be an important international partner for many countries in the world. Ladies and Gentlemen, China will tonight take responsibility for a place and a people which matter greatly to us all. 

The solemn pledges made before the world in the 1984 Joint Declaration guarantee the continuity of Hong Kong's way of life. For its part the United Kingdom will maintain its unwavering support for the Joint Declaration. Our commitment and our strong links to Hong Kong will continue, and will I am confident, flourish, as Hong Kong and its people themselves continue to flourish. 

Distinguished guests, Ladies and Gentlemen, I should like behalf of Her Majesty The Queen and of the entire British people to express our thanks, admiration, affection, and good wishes to all the people of Hong Kong, who have been such staunch and special friends over so many generations. We shall not forget you, and we shall watch with the closest interest as you embark on this new era of your remarkable history.

ヒラリー・クリントンの大統領選挙敗北宣言で英語の勉強をしよう

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昨日ドナルド・トランプの演説の話を書きましたが、やはりヒラリーさんに英語の勉強でお世話になった私としては、彼女の演説も紹介しないわけにはいきません。ヒラリー・クリントンの大統領選挙の際の敗北宣言で、英語の勉強をしましょう。テキストの典拠はこちら。もちろん動画もはりつけます。

 Watch Hillary Clinton's full concession speech in U.S. presidential election

>Last night, I congratulated Donald Trump and offered to work with him on behalf of our country. I hope that he will be a successful president for all Americans.

This is not the outcome we wanted or we worked so hard for, and I’m sorry we did not win this election for the values we share and the vision we hold for our country.

But I feel pride and gratitude for this wonderful campaign that we built together—this vast, diverse, creative, unruly, energized campaign. You represent the best of America, and being your candidate has been one of the greatest honors of my life.

I know how disappointed you feel, because I feel it too. And so do tens of millions of Americans who invested their hopes and dreams in this effort. This is painful, and it will be for a long time. But I want you to remember this: Our campaign was never about one person or even one election. It was about the country we love—and about building an America that’s hopeful, inclusive, and big-hearted.

We have seen that our nation is more deeply divided than we thought. But I still believe in America—and I always will. And if you do, too, then we must accept this result—and then look to the future.

Donald Trump is going to be our president. We owe him an open mind and the chance to lead.

Our constitutional democracy enshrines the peaceful transfer of power, and we don’t just respect that, we cherish it. It also enshrines other things—the rule of law, the principle that we’re all equal in rights and dignity, and the freedom of worship and expression. We respect and cherish these things too—and we must defend them.

And let me add: Our constitutional democracy demands our participation, not just every four years, but all the time. So let’s do all we can to keep advancing the causes and values we all hold dear: making our economy work for everyone, not just those at the top; protecting our country and protecting our planet; and breaking down all the barriers that hold anyone back from achieving their dreams.

We’ve spent a year and a half bringing together millions of people from every corner of our country to say with one voice that we believe that the American Dream is big enough for everyone—for people of all races and religions, for men and women, for immigrants, for LGBT people, and people with disabilities. Our responsibility as citizens is to keep doing our part to build that better, stronger, fairer America we seek. And I know you will. I am so grateful to stand with all of you.

I want to thank Tim Kaine and Anne Holton for being our partners on this journey. It gives me great hope and comfort to know that Tim will remain on the front-lines of our democracy, representing Virginia in the Senate.

To Barack and Michelle Obama: Our country owes you an enormous debt of gratitude for your graceful, determined leadership, and so do I.

To Bill, Chelsea, Marc, Charlotte, Aidan, our brothers, and our entire family, my love for you means more than I can ever express.
You crisscrossed this country on my behalf and lifted me up when I needed it most—even 4-month-old Aidan traveling with his mom.

I will always be grateful to the creative, talented, dedicated men and women at our headquarters in Brooklyn and across our country who poured their hearts into this campaign. For you veterans, this was a campaign after a campaign — for some of you, this was your first campaign ever. I want each of you to know that you were the best campaign anyone has had.

To all the volunteers, community leaders, activists, and union organizers who knocked on doors, talked to neighbors, posted on Facebook—even in secret or in private: Thank you.

To everyone who sent in contributions as small as $5 and kept us going, thank you.

And to all the young people in particular, I want you to hear this. I’ve spent my entire adult life fighting for what I believe in. I’ve had successes and I’ve had setbacks—sometimes really painful ones. Many of you are at the beginning of your careers. You will have successes and setbacks, too.

This loss hurts. But please, please never stop believing that fighting for what’s right is worth it. It’s always worth it. And we need you keep up these fights now and for the rest of your lives.

To all the women, and especially the young women, who put their faith in this campaign and in me, I want you to know that nothing has made me prouder than to be your champion.

I know that we still have not shattered that highest glass ceiling. But some day someone will—hopefully sooner than we might think right now.

And to all the little girls watching right now, never doubt that you are valuable and powerful and deserving of every chance and opportunity in the world.

Finally, I am grateful to our country for all it has given me.
I count my blessings every day that I am an American. And I still believe, as deeply as I ever have, that if we stand together and work together, with respect for our differences, strength in our convictions, and love for this nation—our best days are still ahead of us.

You know I believe we are stronger together and will go forward together. And you should never be sorry that you fought for that.
Scripture tells us: “Let us not grow weary in doing good, for in due season, we shall reap, if we do not lose heart.”

My friends, let us have faith in each other. Let us not grow weary. Let us not lose heart. For there are more seasons to come and there is more work to do.

I am incredibly honored and grateful to have had this chance to represent all of you in this consequential election. May God bless you and God bless the United States of America. 

浅田真央絶賛報道にそれなりに懐疑的な人は、ある程度はいるようだ

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当ブログ常連コメンテイターであられるRawanさんより、面白い記事の介をいただきました。というわけで本日は、その記事をご紹介。

>浅田真央は「グダグダで辞めていった」 ハライチ岩井発言に「よく言った」
J-CASTニュース 4/20(木) 19:18配信

浅田真央は「グダグダで辞めていった」 ハライチ岩井発言に「よく言った」
国民的アイドルなのか?(2017年4月撮影)
 お笑いコンビ「ハライチ」の岩井勇気さん(30)がラジオ番組で、フィギュアスケート選手からの現役引退を発表した浅田真央さん(26)について、「グダグダ辞めていったんだね」と感想を漏らした。「国民のアイドル」と言われていることについても「何、国民のアイドルって?」と否定したことが大きな話題になっている。

 発言への批判はあるものの、意外にも「皆が思ってることを言っただけ」という賛同の声の方が大きいようだ。メディアの異常ともいえる浅田さんの持ち上げ方にウンザリしている人も多いことが浮き彫りになった。

■「浅田を批判したり、笑うのがタブーっていう空気の方が怖い」

 この発言は、2017年4月14日未明のTBSラジオ番組「ハライチのターン!」で飛び出した。相方の澤部佑さんが、浅田さんの引退について話を振ると、岩井さんは、

  「1回辞めるみたいなことを言ってなかった?グダグダ辞めていったんだね、じゃぁね」

と返した。あわてた澤部さんが「グダグダ辞めた」事を否定し、「国民のアイドルだよ!」と返すと、

  「何、国民のアイドルって?」

と気のない返事をした。さらにあわてた澤部さんは、そんなことを言うと「炎上」する、と注意したところ、

  「しねぇよ、しねぇから言ってんだよ。察してくれよ」

と語った。しかしこの発言は様々なメディアで取り上げられる事になり、大きな話題に発展した。

 浅田さんは13年4月、翌年のソチオリンピック出場を最後にして引退の意向を表明。同五輪では、金メダルが期待されたが6位に終わった。その後、14年3月に日本で行われた世界選手権で4年ぶり3度目の優勝を果たした。進退についての結論は出ず、14年5月から1年間の休養に入った。そして15年5月、18年2月に行われる平昌オリンピックを目指すと現役復帰したが国内、海外での結果は出せず、16年12月に行われた全日本選手権で12位に終わり、これが引退を決定付けた。

 今回の岩井さんの発言に対し、浅田さんのファンは怒りを露わにし、岩井さんのツイッターへの攻撃が始まり、

  「浅田真央はあなたみたいな三流芸人とは比べ物にならないくらいの努力や実績を残してきた方ですよ。早く謝罪してください」
  「お前みたいな無能なゴミが、アスリートをけなすとかありえんわ。お前は浅田の糞以下の価値しかねーんだよ」

などといったリプライが寄せられ「炎上」するかに思われたが、

  「誰しもが思ってることを言っただけ。気にするなよ」

といった擁護や応援も書き込まれている。そして、ツイッターや掲示板を見ると、「よくぞ言ってくれた!」という賛同がかなり多いのだ。



  「もやもや感じていたことを公に言ってくれた。浅田を批判したり、笑うのがタブーっていう空気の方が怖い」

「潔さがなかった」
その他にも、

  「正論だと思うよ。岩井の事見なおした。岩井ありがとね」
  「少なくとも浅田をアイドルだと思ったことも、オリンピックで勝てない悲劇のヒロインだと思ったこともない」
  「いかに浅田真央にヘイトが集まっていたのかを表している」

などといったことが書き込まれている。そして、岩井さんの発言は浅田さんに向けたものではなく、異常に浅田さんを持ち上げるメディアや関係者に対する皮肉だと考えている人もいる。というのも、4月10日の引退発表から12日の記者会見以降にかけネット上で急上昇したワードは「しつこい」「うんざり」だった。

 どの局のニュースや情報番組を見ても「電波ジャックかと思われるくらいの横並びっぷり」の放送ばかりだったからだ。特にNHKが槍玉に挙がっていた。その割に、テレビ朝日系緊急特別番組「ありがとう!真央ちゃん」(4月11日放送)の平均視聴率が5・7%。フジテレビ系ドキュメント番組「浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~」の平均視聴率は7・3%で、ネット上では「視聴率が核爆死」などと取り沙汰された。

 スポーツジャーナリストの菅谷齊さんは4月20日、J-CASTニュースの取材に対し、人気選手は引退を決意したとき、時期とその明快な理由を提示することが重要なのに、

  「潔さがなかった」

と指摘した。それは浅田さんにではなくメディアや関係者に向けたもので、ターニングポイントは3年前のソチオリンピックだったという。普通に取材しているスポーツ記者ならばあの時点で浅田さんは限界であることを知っていた。金メダルを獲ると臨んだのに結果は6位。

  「負けは負け。期待に応えられない惨敗だった。それをメディアは『悲劇のヒロイン』『感動の演技』にすり替えた。浅田はそのシナリオに乗せられたわけだが、ファンは疑問を抱くようになり気持ちを冷やすこととなった。それは、スポーツは結果が全てだからです」

と菅谷さんは説明した。その後、平昌オリンピックを目指すとしたが惨敗が続き、結局は引退を発表。引退会見も選手が行うようなものではなく、タレントがやるような会見だった。

  「国民的アイドルというのは、全国民に夢を見せたり、与えることができる存在を指すのです。いまの浅田がアイドルだというのなら、アイドルというものの価値はどれだけのものなのか、という気がします。もちろん浅田の実力、人気、功績というのは誰もが認めるものですが、もう周りが作り上げたアイドル状態になっているため、芸人が言ったような話に賛同する人が増えるのも無理はない話だと思います」

と菅谷さんは話していた。

前の記事でコメント欄にて尼子重久さんから

>浅田真央の引退会見の翌日のスポーツ紙は、軒並み1面が浅田真央特集で、しかも礼賛の嵐で、正直気持ち悪い思いをしました。私的には、浅田は引退時期を完全に誤って晩節を思いっきり汚したと思うんですが、潔い引退だのなんだのと、あんたらいったいどこに目がついてるんだと言いたくなるような記事ばかりで・・・(苦笑)

というご指摘をいただきました。どう評価するかはともかく、常識的に考えて、浅田真央はかなり無理に現役を続けたと思いますが、そんな明々白々なことまでマスコミはごまかそうとしていましたからね。それもどうかです。記事中スポーツライターの方がご指摘になっているように、スポーツ専門誌が

>そして、人生は結果が全てではないことを
教えてくれた、浅田真央の涙。

もなにもないでしょう(苦笑)。何を馬鹿なことを書いたんだか。

いずれにせよ、建前の世界はともかく、あれはどうもなあと考えてい人はそれなりの数いるようですね。このブログの大きなテーマの一つである拉致問題も、さすがに巣食う会、家族会の態度は変なんじゃないのと考えている人たちは少なくないと思います。当ブログも、そういう声をそれなりに代弁する場所であり得ればいいなと考えます。

なお、記事をご紹介いただいたRawanさん、コメントを引用させていただいた尼子重久さん、ほかいろいろなコメンテイターの方からこの記事のヒントをいただいています。お礼を申し上げます。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(90)

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聖パトリック大聖堂を見学します。アイルランド最大の教会です。聖パトリックに捧げられた教会です。

カトリックでなくアイルランド国教会の教会です。

いろいろな人の胸像があります。

写真では色が褪せていますが、ステンドグラスもきれいです。

ユニオンジャックをみました。さすが国教会の教会だ、というべきかどうか。アイルランドでユニオンジャックを見たのは、この時だけです。あと写真で、バスにユニオンジャックが描かれているのは見ましたが、旅行中は気づきませんでした。

私は全く宗教心のない人間ですが、それでも教会に行くと多少なりとも荘厳な気持ちになります。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(91)

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クライストチャーチ大聖堂に行きます。ここがアイルランド国教会の主教会ということになっています。

いやはや、本当に天気のいい日です。

ベンチに座っているには最適な日かもです。

中に入ります。

地下に行きます。地下礼拝堂があるのです。

暗くてよくわかりませんが、これがミイラ化したネコとネズミです。この教会の名物(?)です。

外に出ます。

(つづく)

桜が咲く上野公園にある東京都美術館で、ティツィアーノを観る。

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あんまり「展覧会」のカテゴリーも記事を書くに至っていないのですが(ただし旅行の記事には、美術館に行った話は適宜入れています)、下の記事では、2016年3月26日に3か所(東京都美術館、国立博物館、新国立美術館)に行った際のことを書いています。

1日に3つの絵画の展覧会をはしごした

本日は、4月1日の展覧会鑑賞の話を書きます。

朝、映画を1本(この日は1日ですので、映画が安い日だったのです)見た後、新宿の万世のラーメン屋でラーメンを食べます。

前の記事でもこちらでラーメンを食べています。1年ぶりということですかね。

チケットショップで展覧会のチケットを買います。なんと350円で買えました。やったぜと思わず喜びます。ただし、安くチケットが出回っているということは、いまいち人気がない展覧会ということでもあります。

上野駅へ行き、公園へ行きます。スカイツリーにも行かなければな。

上野公園で桜をちょびっと見学します。やはり外国人がめだちます。

都美術館です。中は写真なしです。すみません。

 

個人的には、ややインパクトが足りない展覧会だったかなという気がします。明日が最終日だというのに、そんなに込んでいるわけでもない。そう考えるとやはり大幅なダンピングありの展覧会だったのかもです。

また桜の写真を撮ります。

帰りは、秋葉原駅名物(?)のステーキカレーをいただきます。安い日は690円ですのでお得です。

この後映画を2本見ましたが、やはり展覧会も外せない楽しみです。読者の皆様もいろいろいい展覧会に行ってください。そしておすすめがありましたら、コメント欄からででも私に教えてください。


社会勉強の意味合いで、「フーターズ」に行ってみたい

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人は私のことを遊んでばかりいる人間で、仕事もろくにしていないんじゃないかくらいに考えているのかもですが、そんなこともありませんよ。ちゃんと私だって、週5日は働いているし、有給休暇をそんなに取っているわけでもないし、仕事の関係で他人から理不尽な目にあうことだってあるわけです。

それはともかく、関西に花見に行くので、それならついでに「フーターズ」でも行ってみようかという気になりました。だったら都内の店に行けばいいじゃんと思いますが、都内より都内でない店舗に行きたいとつい思ってしまうわけです。

それでこの記事を書いている時点で、都内以外にフーターズは、大阪と名古屋に店舗があります。名古屋も機会があればいくつもりですが、とりあえずフーターズデビューとして、大阪の店舗でと考えるわけです。

それで実際に大阪に花見で行ったのですが、だめでした。いろいろ忙しかったので疲れてしまい、とてもフーターズに行く元気がなかったのです。すぐ門真市のホテルに、京橋から京阪に乗って向かってしまいました。

しかしまあ、都内でもいいし、大阪でも名古屋でも、気が向いたらフーターズへ行ってみます。こういうところに行くのも一種の社会勉強の意味合いもあるでしょうし、そうすれば、このような写真も撮ってこれるかもしれないわけです。最初の並んでいる写真は、店のパブ写真だから、これは撮るのが難しいかもです。

なお写真は、「食べログ フーターズ 大阪店」からいただきました。

香港に2年ぶりに行くつもり

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昨年10月に香港に行くつもりだったのですが、飛行機が欠航するという最悪の事態になってしまい、さらに今年1月にも今度は関空からのLCCで香港に行くつもりだったのですが、これも体調が悪く行くにいたりませんでした。これではよくありませんので、また6月に渡航するための航空券を買いました。2年前の7月以来です。LCCのバニラエアで、安い成田⇔香港のチケットが売られていたので、すかさず購入しました。クレジットカードで決裁すればもっと安いのですが、コンビニ支払にしたので、往復で計1,200円割高ですが、17,000円台で週末に成田と香港を往復できるのならとてもお得でしょう。厳密には17,410円です。

確認してみると、15年の前回の香港旅行でも、7月1日日本出発の便を3月23日に購入していて、やはり17,000円台でした。つまり安い航空券をバニラはそれくらいの価格で提供しているということでしょう。

また今回もマカオ、あるいは深センに行くつもりですし、マカオに泊まる気はありませんが、深センには何年ぶりかに泊まろうかなと思います。香港より深センのほうが宿代が安いわけです。もう1泊は、例によって重慶大廈の宿ですかね。

またマカオに行ってポルトガル料理とマカオ料理を食したいし、香港でロースト系の食事、麺、飲茶などもいただきたいわけです。ほかにも・・・なんて書いているととても2泊3日の旅では物足りませんね。あ、高級ホテルでのお茶もしなければね。

記事にするのはいつか分かりませんが、楽しい旅行にしたいと思いますのでお楽しみに。

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(92)

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外に出ます。

やはり教会というのは独特ですね。

街を歩きます。だいぶ日も落ちてきました。

ホテルに向かいます。

このようなカップルをすかさず写真に撮るのも旅の楽しみです。

このSPARにも何回か行きました。

左側の男性から、ちょっと怖い顔で睨まれました。もっともこれくらいで怖がっていたら、私の旅は成り立ちません。

映画の上映があったみたいですね。一瞬日本映画嘉元もいましたが、こちらの韓国映画ですね。

(つづく)

アイルランド・英国紀行(2015年9月)(93)

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ホテルに向かって歩きます。

アムネスティの事務所もあります。家賃高いだろうな。

そうこうしているうちに、ようやく本日の宿にたどり着きます。

米国旗はあっても、英国旗はないことにご注目。

ホテルに入りスムーズにチェックインします。夜10時以降はお静かにというのが、この周囲の雰囲気を物語っています。 

中庭があります。

ホテルの部屋です。私が泊まるホテルにしてはかなりいいほうです。値段も安くはありません。

少し休んで英気を養い、ではまた夜の街に繰り出します。

昨日予約したアイリッシュ・ダンスの会場に行くのです。

夕暮れのリフィ川もいいですね。

オコンネル通りを歩きます。

(つづく)

「幸福の黄色いハンカチ」の設定は、40年前のゴールデンウィーク

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見ていればわかりますが、「幸福の黄色いハンカチ」は、5月の連休中の話です。つまり武田鉄矢が北海道に着くと、街でメーデーのデモが行われています。当時(撮影は1977年)は5月1日のその当日に行われたでしょうから、つまりはこの映画は、そのちょっと前(武田が失恋して会社を辞めてから)~ゴールデンウィーク間の数日の話だということです。実際には回想シーンが入るので、映画に描かれている期間はわりと長いのですが、映画自体は数日の話です。

それで今年は2017年で、ただ今ゴールデンウィーク中ですから、まさに40年前の今が、この映画の舞台だったわけです。私もこの映画は好きですから、ちょっと調べてみました。

こちらのサイトさんによると、このゴールデンウィーク時のロケは、まさに1977年5月1日に釧路ではじまったとのことです。つまり本日の40年前の今日です。

それで撮影は、釧路、陸別、阿寒、帯広、清水、富良野・・・と続き、5月22日から27日まで夕張で最後の撮影をし、最終日の27日に高倉健と倍賞千恵子が再会するシーンを撮影してこの時のロケは終了しています。

実際には3月に冬のシーンで北海道ロケがされていますし、こちらのサイトさんによると

>8月より第三次ロケ(主に夕張での回想シーンの撮影)及びセット撮影を開始、8月末にクランクアップした。

とあります。8月20日までに撮影は終了、その後編集作業が行われ、公開は10月1日です。

それにしても40年ですか・・・。それでは高倉健渥美清といった人たちがこの世の人でなくなるのも当然です。武田鉄矢(1949年生まれ)と桃井かおり(1951年生まれ)もすでに70歳近いし、映画に出てくる子役、無名のエキストラの子どもたちだって50台とかそれに近い年齢のわけですね。

そういえば高倉健が亡くなったとき、この映画がテレビで追悼放送されました。後のイメージはともかく、これは高倉の最初の松竹の出演作品でしたし、当時の映画ファンのイメージでは、高倉が山田監督の映画に出演するなんて信じらないようなものだったのかもです。しかしこの映画なくしてその後の高倉健はありませんでした。彼が文化勲章を受章するくらいの俳優になったのも、この映画に出演したが故です。そう考えれば、この作品は、高倉健にとってばかりでなく、日本映画のその後についも大きな影響を与えたということでしょう。山田監督自身も、この映画なくして現在のような立場にあったかどうか。

そう考えると、山田洋次という映画監督は、何をいまさらながら化け物のような人間ですね。彼は1931年生まれで80代半ばの現在でも、毎年新作を撮り続け、そしてそれが話題になり続ける。黒澤明などは晩年は映画は発表しても正直評価するのが苦しいところがありましたが(なお黒澤の遺作は、彼が83歳の際の発表です。山田はすでにその年齢を超えています)、山田はそうでもない。ここは新藤兼人のように100歳くらいまで(彼は1912年生まれで、遺作は2011年発表です)映画を作ってくれればという気もします。100歳はともかく、体が動くまで山田は映画を撮り続けてくれるでしょう。山田監督のご健勝を祈ってこの記事を終えます。 

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