今日は美女探求でもいいのですが、一応スポーツのタグで。
元体操選手で、64年の東京オリンピックを代表する選手だった、チェコスロヴァキア(当時)のヴェラ・チャスラフスカが亡くなりました。記事を。
>チャスラフスカさん死去=「体操の名花」、金7個―74歳
時事通信 8月31日(水)15時20分配信
【ロンドン時事】1964年東京、68年メキシコ五輪の体操女子で計7個の金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカさんが死去したことが31日、分かった。74歳。膵臓(すいぞう)がんを患って長く闘病し、チェコ・オリンピック委員会によると、30日に出身地プラハの病院で亡くなった。
チェコスロバキア(当時)代表として東京五輪では個人総合、平均台、跳馬で金メダル。メキシコ五輪では個人総合連覇を果たし、跳馬と段違い平行棒、ゆかでも優勝。その優美な演技は日本でも人気があり、「五輪の名花」「体操の名花」と称賛された。
女子の体操が技の難度を競うようになる前、美しさで観客を魅了した時代を象徴する選手だった。
68年に民主化運動「プラハの春」を支持し、メキシコ五輪後も反体制の姿勢を崩さなかったため、政府の監視下に置かれて不遇な時期も過ごした。89年の共産党政権崩壊後はチェコ・オリンピック委員会会長などを務め、同国のスポーツ発展に尽力した。
チャスラフスカの容体が悪いことは、過日の朝日新聞の記事で知っていました。
>がん患うチャスラフスカさん 「雲の上から手を振るわ」
金島淑華2016年7月24日14時53分
「五輪の名花」「東京の恋人」。1964年東京五輪の体操で三つの金メダルに輝き、日本の人々を魅了した旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさん(74)が、がんに侵され、事実上の余命宣告を受けた。24日であと4年となる東京五輪に「ぜひ行きたい」と以前は話していたが、表現が変わった。「2020年は、雲の上から、大好きな日本に向かって手を振りますね」。穏やかな笑みをたたえ、そう話す。
6月下旬、プラハのカフェでチャスラフスカさんと待ち合わせた。2年半ぶりに会った彼女は黒いリュックを背負っていた。食事はとらず、白ワインと水だけ注文。「水で半分に割って飲むの。少しのワインは健康にいいから」。リュックから伸びた細い管が、右腕につながっていた。「点滴で栄養をとっているから食べなくても大丈夫」
昨年4月、膵臓(すいぞう)にがんが見つかった。10時間に及ぶ手術の後、医師が驚くほどの回復を見せている。そう、聞いていた。
だから、次に彼女から発せられた言葉をすぐには理解できなかった。
「先週、また肝臓にがんが見つかった。もう治療はできないそう。医師から『残りの人生を味わいながら生きて』と言われた。リオデジャネイロ五輪も招待されているけど、ちょっと遠いし……。静かな部屋でテレビで見るつもり」
この記事を読んだときは、そうか、余命1年から2年くらいの宣告を受けたのだなと思ったのですが、もうお亡くなりになったのですか・・・。私は彼女の現役時代はもちろん知らないですが、オリンピックとかアスリートとかに並々ならぬ関心を持つ人間としては、やはり彼女には大変注目をし続けました。いくつか記事も書いています。
ヴェラ・チャスラフスカの(めずらしい?)写真上の記事は2011年、下の記事は2014年です。どちらも彼女の来日に合わせて書いた記事で、2011年の記事では、彼女は
>14回目の訪日になるが、今回が最後になるでしょう
と語っていたので、私は記事の中で
>チャスラフスカさん、最後なんて言わないで、また日本に来てよ。
と書きました。これは私の願望でもあったし、たぶんまた来てくれるだろうという予測でもありました。そして2014年の記事をかけたのが、とてもうれしかった記憶があります。そしてその記事で私は、
>2020年にチャスラフスカさんがお元気でしたら、ぜひ日本にきてオリンピックを楽しんでいただきたいと思います。正直日本人と比べてチェコ人は平均寿命は短いので、78歳というのは日本人以上にハードルが高いかもしれませんが、でもお体が許せばぜひきていただきたいし、またきてくださるだろうと思います。
ヴェラ・チャスラフスカさんのご健勝をお祈りして本日の記事を終えます。
と書いたのですが、残念ながらかなわぬこととなってしまいました。そういうわけで、彼女の写真をご紹介して彼女を追悼したいと思います。
「
これは産経新聞(当時は「サンケイ」か)が出した本のようですが、当時の東側の人の本を出すとは意外な気もしないではありません。彼女が冷や飯食ったためかな?
これは晩年の写真。だいぶ体が大きくなっています。
これが朝日新聞にのった写真です。今年の6月23日にプラハで撮られた写真とのこと。
ヴェラ・チャスラフスカさんのご冥福を祈って、この記事を終えます。