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佐藤純彌監督が亡くなった

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映画監督の佐藤純彌氏がお亡くなりになりました。記事を。

>「新幹線大爆破」「人間の証明」佐藤純彌が86歳で死去、西田敏行が追悼コメント

2019年2月17日 17:09 238

映画監督の佐藤純彌が多臓器不全による衰弱のため、都内の自宅で2月9日に86歳で死去していたことが明らかになった。遺族が東映を通して発表した。

関係者によると佐藤は約3年前に消化器系疾患の診断を受けたが、手術などの治療を拒み、普通の生活を続けることを選んだ。今年の1月19日には、東映東京撮影所OBで行われた恒例の麻雀大会に参加し、元気な姿を見せていたという。2月16日に通夜、本日17日に告別式が都内の斎場で親族のみで執り行われた。喪主は長男の佐藤東弥。

1932年11月6日生まれ、東京都出身の佐藤は、東映撮影所に助監督として入社し、1963年の監督デビュー作「陸軍残虐物語」でブルーリボン新人監督賞を受賞。“やくざ映画”を中心に監督生活をスタートさせ、68年には東映を退社しフリーに。1970年代後半には「新幹線大爆破」「君よ憤怒の河を渉れ」「人間の証明」「野性の証明」など話題作を連発した。

1988年に公開された中国との合作「敦煌」では、第12回日本アカデミー賞にて最優秀作品賞、最優秀監督賞などを獲得。そのほか監督作にモントリオール世界映画祭にてグランプリを獲得した三國連太郎の出演作「未完の対局」、本田博太郎が北京原人を演じた「北京原人 Who are you?」、太平洋戦争末期を生きた男たちの姿を描出した「男たちの大和/YAMATO」がある。遺作は2010年の「桜田門外ノ変」。刑事ドラマ「Gメン」シリーズなどテレビドラマの演出でも手腕を発揮し、監督生活55年目を迎えた2018年には「映画監督 佐藤純彌 映画(シネマ)よ憤怒の河を渉れ」を発売した。

「敦煌」「植村直己物語」で主演を務めた西田敏行は、訃報を受け「佐藤純彌監督が逝去されたと聞き、1985年に撮影した『植村直己物語』のことが思い出されました。ことに、北極での撮影ではスタッフ・キャストの命を守り、作品の成功に導かねばという、pressure(プレッシャー)と戦いながら、皆の前では穏やかな表情で監督指揮をしていた姿です。人望があり、学者肌の映画監督でした。ご冥福を祈ります」とコメントを寄せている。

そうか・・・。佐藤監督もお亡くなりになったか・・・ですね。

佐藤監督が助監督になった時代は、映画界が非常に元気な時代でしたから優秀な人間が大勢助監督になりましたし、そしてその中から優れた監督、あるいは脚本家も生まれたわけです。佐藤監督は1932年生まれの56年に東映入社、大島渚監督は1932年早生まれの54年松竹入社、山田洋次監督は1931年生まれの1954年松竹入社、吉田喜重監督は1933年早生まれの55年松竹入社、といったところです。

さて上の記事で紹介されている佐藤監督の著書はこちらです。

映画監督 佐藤純彌 映画(シネマ)よ憤怒の河を渉れ

事実上佐藤監督の遺書のようになってしまいましたが、ただ彼もやはり遺言みたいな気持ちはあったのだろうと思います。私も未読ですので、これは読まないとな。ところで

>1970年代後半には「新幹線大爆破」「君よ憤怒の河を渉れ」「人間の証明」「野性の証明」など話題作を連発した。

とありますが、「新幹線大爆破」は75年、「君よ憤怒の河を渉れ」の公開は76年ですので、後半というのはちょっとまずいんじゃないのという気はします。

佐藤監督の場合、やはり97年の「北京原人 Who are you?」の作品的失敗、興行的失敗がやはりまずかったですかね。この後彼は、2作のみ監督していますが、年齢的なもんだもあったでしょうが、Wikipediaにも

>同時期に公開された『タイタニック』、『メン・イン・ブラック』などの強力な競合作の前に、興行成績も芳しいものではなく、採算割れが発生した。当初より上映日数が縮小され、当作品上映期間終了後の2月公開予定だった『極道の妻たち 決着』が1月17日公開に繰り上げになるなどの東映系の上映スケジュール変更が発生した。映画会社社員による覆面座談会形式の取材を基にするとした1999年のゴシップ誌の記事によれば、この損失は1999年の『鉄道員』のヒットによって補填できたと記されている。

とまで書かれる興行的な失敗は、この映画では脚本も執筆していない雇われ監督だったのでしょうが、やはり晩節を汚したのかもしれません。その後彼は2作品を監督して、私は、彼の遺作となった「桜田門外ノ変」は未見ですので評価はできませんが、「男たちの大和/YAMATO」も監督できたのは、彼にとってもよかったと思います。なお、記事中で紹介されている本はこちらです。

遺作が2010年の公開で、それから十年弱監督作品がなかったわけで、私もちょっと次の作品は難しいかなと思っていたのですが、やはりコンスタントに大作、世間で印象に残る映画を製作していたのは70年代ですかね。角川映画の「人間の証明」「野性の証明」は、決して作品の評価が高かったわけではありませんが、しかしいわゆる職人監督で大作もこなせるという点で彼は重宝されたのだなと思います。なお、この2本の角川映画では、佐藤氏は脚本は担当していません。

それで氏の最高傑作は、やはり「新幹線大爆破」ですかね。この映画はご存知の方も多いでしょうが、公開時は興行的に好成績を上げられませんでした。映画の内容も、パニックシーンの稚拙さや一部のミニチュアシーンの粗雑さ、無理やりのラストなど、文句を言い出せばきりはないところはありますが、しかしそういう部分もふくめてこの映画はすごいと思います。彼の名前が日本や世界の映画史に残るとするならこの映画の監督を務めたことになるかと思います。

ここで気づいたのですが、この映画の主演でほかに「ゴルゴ13」「君よ憤怒の河を渉れ」「野性の証明」などで佐藤と組んだ高倉健は、佐藤より年上だったんですね。彼は、1931年2月16日生まれです。ご存命なら、ちょうど先週の土曜日に、88歳の米寿でした。

佐藤監督のご冥福を祈ってこの記事終えます。なお上の写真は、訃報記事からいただきました。「桜田門外ノ変」の撮影現場にて。

以下余談です。「新幹線大爆破」のサウンドトラックはけっこういいので、よろしければぜひお聞きください。このブログでも何回かお名前を出した伊集加代子(伊集加代)のスキャットもなかなかです。

新幹線大爆破


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