はい、また記事を書きます。私のブログで群を抜いて一番評判の悪い犯罪被害者家族批判です。先日の記事より。
>2020年9月11日(金)
<熊谷6人殺害>ばかばかしい…妻子殺害された男性、無期懲役確定に悔しさ「ああ、終わっちゃったんだな」
最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は、熊谷市で2015年、小学生2人を含む住民6人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われたペルー人、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(35)の上告を棄却する決定をした。9日付。一審の死刑判決を破棄し、心神耗弱を認めて無期懲役とした二審東京高裁判決が確定する。
妻子3人を失った遺族の男性(47)が10日、埼玉新聞の取材に応じ、「悔しさしか残らない。今、聞いたばかりで整理できない。悔しい」と言葉を絞り出した。
男性は事件で、妻の加藤美和子さん(41)、長女美咲さん(10)、次女春花さん(7)=いずれも当時=を亡くした。自分以外の家族を失い、3人に対しても「死刑判決まで持っていけなかった後悔がある」とこぼす。
改めて一審さいたま地裁の死刑を破棄した二審東京高裁判決については、「信じられない。裁判官も、検察官も。まだ納得できない。ばかばかしい感情もある。検察官はなぜ上告してくれなかったのか。少しでも望みがあるなら裁判をやり直してほしかった」と訴える。
日本の司法手続きについても、「上告の権利を被害者に与えてほしい。二審も書面中心の審理ではなく、一審と同じようにやってほしかった」と指摘。さらに、「もうちょっと被害者が意見できる場をつくってほしい。判決を見て、大事なことが書いていないと思った。そういうことを裁判官に質問できるようにしてほしい」と求める。
二審判決は、事件当時のナカダ被告が心神耗弱だったと認定した。この点については、「少なからず殺人を犯す人はまともな状態ではない。そのときの精神状態は関係ないと思う」と主張。一審中には被告が「人を殺した」と口走る場面もあり、「殺人を犯した自覚はあると思う。どこがどう心神耗弱だったのか分からない。精神的な部分で争うことがおかしいのではないか」と考える。
今月で事件からちょうど5年になる。16日は家族3人の命日だ。男性は「今は何も考えられない。ああ、終わっちゃったんだなというがくぜんとした気持ちと脱力感がある。今後のことはこれから考えたい」と無念の心境を語った。
この男性が気の毒であることを認めるのはやぶさかではないし、そういいたくなる気持ちも理解はできますが、仕方ないですよね。法律で、精神に問題がある人間に対しては、不起訴なり無罪なり減刑の措置をとれることが認められているのだから。殺人でもそれはあります。その1例を。
>元入所者の男性、再び不起訴
渋谷の養護施設長刺殺疑い
2020年4月7日 19:15
東京都渋谷区の児童養護施設「若草寮」で昨年2月、施設長の大森信也さん=当時(46)=が刺殺された事件で、東京地検は7日、殺人容疑で検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けた元入所者の男性(24)を再び不起訴処分とした。処分理由を明らかにしていない。
男性は昨年2月、大森さんを刺殺しようとしたとして、殺人未遂容疑で逮捕され、殺人容疑で送検された。地検は鑑定留置で男性の当時の精神状態を調べた結果、刑事責任を問えないと判断、昨年5月に不起訴処分とした。
だが、東京第6検察審査会は昨年10月、心神喪失中の犯行だとした地検の判断は「検討が不十分」と指摘していた。
マジ論すれば、ペルー人の被告人(現受刑者)が高裁で減刑になったのは、この人物の兄がペルーでひどい大量殺人をしたことから、被告人の精神障害への斟酌が必要だという認識になったのでしょう。それを非難したくなるのは、遺族であれば当然でしょうが、しかししょうがないですよね。素人目に見ても、この人物は重度の精神障害になっているのは明らかです。もう1つ。フリーライターであった村崎百郎氏の殺人についてです。注釈の番号は削除します。
>2010年7月23日午後5時頃、村崎は読者を名乗る32歳の男性に東京都練馬区羽沢の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされ殺害された。自ら警察に通報して逮捕された容疑者は精神病により通院中で、精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となった。
殺人ではありませんが、このような事件もありました。
「捜査」のくだりを引用します。こちらも注釈の番号は削除します。
>警視庁捜査一課は杉並警察署に本件に関する特別捜査本部を設置、本格的捜査を開始。3月14日、杉並区の区立南荻窪図書館で関連本23冊を破った器物損壊容疑で当時36歳の東京都小平市の無職の男を逮捕した。同年4月4日に杉並区荻窪の中央図書館で関連本20冊を破った器物損壊容疑で再逮捕された。
捜査関係者によると、2月19日と22日に手塚治虫の写真が添えられた上で「こんにちは、手塚治虫です。アシスタントとゴーストライターは違います。佐村河内守と一緒にしないで」などと意味不明の文言が手書きされたビラを貼りつける目的で被害のあったジュンク堂書店池袋本店に立ち入った建造物侵入容疑で3月7日に逮捕した際に、男がアンネ関連の書籍を破ったことを自供したという。男は「破った本の紙片は捨てた」と供述し、供述通りの場所から紙片が見つかったことから秘密の暴露と判断され、器物損壊容疑での逮捕につながった。また、男は「アンネ自身が書いたものではないと批判したかった」と犯行動機を語っている。また、2013年の2月や5月にも同様の犯行を行っていたという。
男は「防犯カメラに映らないように位置を確認していた」「自転車で移動した」と供述している。また、男は都内38図書館での関与を認める供述をしているが、横浜市の図書館での被害については関与を否定しているという。
男は精神科への通院歴があり、逮捕時から意味不明な供述を繰り返している。刑事責任能力に問題があったため、本件の器物損壊罪での逮捕以降も男に対する匿名報道が続いた。3月19日の第186回国会・衆議院内閣委員会において、古屋圭司国家公安委員長は「(逮捕された男は)日本国籍である」と答弁している。4月16日から6月16日まで専門家による精神鑑定が実施されていた。
6月20日、東京地方検察庁は被疑者が犯行当時に心神喪失の状態にあったとして不起訴とした。東京地検は「人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」としている。
というわけで、被疑者が心神喪失の状態にあれば、検察はそれを不起訴処分にして何ら問題がないわけです。そしてこの熊谷の事件は、検察は起訴しましたが、裁判所は職権で精神病の問題があると判断したわけで、それ自体には何ら問題はありません。これは、遺族の男性が気の毒だということとは別問題です。
それでこの遺族は、記者会見も開いています。その記事を。
>2020年9月16日(水)
<熊谷6人殺害>怒りどこにぶつければ…妻子殺害された男性「検察が裏切った」 検察の不戦敗、職務放棄だ
熊谷市で2015年9月、小学生姉妹を含む男女6人が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(35)について、一審の死刑判決が破棄され無期懲役判決が確定することを受けて、妻子3人を亡くした遺族の男性(47)が15日、東京都内で記者会見した。
検察側が上告を断念したことにより最高裁で争うことなく判決が確定することになり、「(検察に)裏切られた思いが強い。これで終わらせていいのか。心の中で揺れ動いている」と不満を語った。
男性は事件で、妻の加藤美和子さん(41)、長女美咲さん(10)、次女春花さん(7)=いずれも当時=を失った。3人が殺害されてから16日で5年になる。男性は「毎年9月16日が近くなると、当時の記憶がよみがえってくる。長いようで短かった5年間だったが、悲しみは5年前と一緒」と打ち明ける。「判決への怒りや悲しみをどこにぶつけていいのか分からない」と、今も死刑が破棄されたことに納得していない。
事件を巡って、裁判員裁判の一審さいたま地裁はナカダ被告の完全責任能力を認め、求刑通り死刑判決を下した。二審東京高裁は被告が心神耗弱状態で責任能力は限定的として無期懲役を言い渡した。被告側は判決を不服として上告したものの、東京高検は上告を断念。最高裁は9日付で被告側の上告を棄却した。
同席した被害者代理人の高橋正人弁護士は、「検察の不戦敗であり、職務放棄。司法に裏切られた被害者は誰にすがればいいのか」と批判。その上で、控訴審の裁判員裁判制度導入や被害者への上訴権付与を主張している。
男性は今後について、「自分のため、家族のため、何か手だてがないか考えていきたい」と複雑な心境を吐露。「諦めたくない。前例がなくてもいい。まだ戦いたい」と気持ちを奮い立たせるように話した。
上の記事中私がいちばん引っかかるのが、
>同席した被害者代理人の高橋正人弁護士は、「検察の不戦敗であり、職務放棄。司法に裏切られた被害者は誰にすがればいいのか」と批判。その上で、控訴審の裁判員裁判制度導入や被害者への上訴権付与を主張している。
というところです。いや、不戦敗、職務放棄、裏切りじゃないでしょう。上告というのは、刑事訴訟法によれば
>刑事訴訟の場合(刑事訴訟法405条)
判決に憲法の違反があること又は憲法の解釈に誤りがあること(1号)
最高裁判所の判例と相反する判断をしたこと(2号)
最高裁判所の判例がない場合に、大審院若しくは上告裁判所たる高等裁判所の判例又は刑事訴訟法施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたこと(3号)
であり、この件は1号~3号のどれにも引っかからないので検察は上告をしなかったわけです。実際には、永山事件ほか、検察は実際には量刑不当で上告することもありますが、この件ではそこまではしなかったわけで、それは法の通りに執行したことであって、別に非難されるいわれはない。これは、被害者遺族がどう考えるかといったこととは別次元の話。
余談ですが、検察だってやみくもに厳刑判決を要求するわけでもないでしょう。不起訴処分、控訴上告見送りにするのも様々な理由があるわけで、そういう措置をとったら「不戦敗であり、職務放棄。司法」への裏切とか言われたって、それはお門違いというものです。
それにしても
>控訴審の裁判員裁判制度導入や被害者への上訴権付与を主張している。
ってねえ。これ最初の記事で遺族の人も主張していましたが、つまりはこの弁護士の入れ知恵なわけです。無理いうなです。裁判員裁判制度は、別に重刑を前提とするために導入されたものではないし(だいたい裁判員裁判で無期、高裁で死刑になったら、この人はこういうことを言うんですかね?)、被害者への上訴権付与なんて、だれが検察官役やるんだです。高橋弁護士のような人ですかね? そういう事態はぜひご遠慮願います。さすがにこんな意見は、最高裁も相手にはしないでしょうが。それでこちらは、別の記事より。
>「裁判員裁判で死刑判決がくだされながら、控訴審では3名の裁判官だけで、原判決を破棄して良いのか。このような杜撰な対応が続くなら、死刑相当事件では控訴審もフランスと同じように裁判員裁判にするべき。しないなら(今回の事件のように)被告人は上訴しても、検察官が上訴しないときは、被害者参加人に上訴権を与えてほしい」(被害者参加弁護士の高橋正人弁護士)
原判決を破棄して良いのかって、そういうのを悪いといっていたら、控訴審なんか成立しないじゃないですか。上でも書きましたけど、別に裁判員裁判の趣旨はいたずらに厳刑を課すだけが能じゃないし、別にこの判決はずさんな対応じゃないでしょう。何がどうずさんなんですかね? 自分たちの希望した判決が出ないからずさんだって、それ単なる感情論じゃないですか。だいたい裁判員裁判が正しいなんて、単なるドグマでしかない。繰り返しますけど、高橋弁護士は、裁判員裁判で無期だった事件が控訴審で死刑になったら、控訴審判決を支持するんだろ? そういうのって単なる無責任でデタラメな態度じゃないですか。
ほんと、こういうのもいつもながらの空しい光景です。