さらに街を歩きます。
日差しの柔らかい時間です。
愛新覚羅溥儀は天津にしばらく滞在していまして、その時に住んでいた邸宅です。
中を見物します。
中に入ります。
日本語の説明もあります。
溥儀が亡くなったのが67年10月です。生前最後の写真なんですかね。
収容所釈放時の写真。
周恩来との写真。
毛との写真もありますね。溥儀は死刑になったって文句の言える立場ではありませんでしたが、中国共産党からすれば自分たちの寛大さのアピールや民族間の調和(何をいまさらですが、溥儀は満州族)とかのためにも、溥儀ほからは利用価値のある人間でした。
溥儀の最後の奥さん李淑賢との写真。
外に出ます。
何かの撮影をしてました。私が写真を撮っていたら、困るということで消されてしまいました。これは、消されるのをまぬがれたもの。
(つづく)