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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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酒の飲み方というのは、まさに人生をどう生きるかということと不可分であることを痛感させられる(『しくじらない飲み方』を読んで)

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前にこのような本を読みました。2020年の本です。

しくじらない飲み方 酒に逃げずに生きるには

表紙は、見る人が見ればわかりますように、我妻ひでおのイラストです。我妻氏は、この本が出版される直前の2019年10月に亡くなっていまして(本の出版は20年2月)、遺族の許可を得て使ったとのこと(p.219 )。我妻氏自身アルコール依存症となり、その件の本を出しています。なお我妻氏の死因は食道がんとのこと。過度の飲酒の影響もありましたかね?

失踪日記2 アル中病棟

それで、「あとがきにかえて」というところに次のようにありまして、「そうだよなあ」と思いました。

>依存症の当事者たちから学ぶことはたくさんあって、彼らは病気が進行してくとどんどん孤独になっていき、周囲との関係を断っていきます。最後は自ら死を選んでしまうような人もいます。一方で、回復する人は、依存症という病気で失った人間関係、つながりを少しずつ取り戻していきます。(p.216)。

これ、典型的なサンプルが、このブログにしょっちゅう登場する元予備校講師の故佐藤忠志氏ですね。彼が死んだ直後の記事によると、

>プライドと見栄の塊だった佐藤さんは、実入りが減って人に奢ることができなくなってからは、次第に友人たちとも没交渉になっていったという。きっと、「みっともない姿は見せられない」と思っていたのだろう。

とのこと。おそらくもはや佐藤氏と付き合っても得るところがないとして去っていった人もいたでしょうし、まさに依存症がひどくなったために関係を絶ったという側面もあったはずです。そして自宅を売った金で1億円の高級車を買い、本当に愛想をつかされて、奥さんも家を出てしまう。それは佐藤氏の不徳のいたすところというもので仕方ないことですが、佐藤氏の行動は、上の本にあることをそのまま具現しているといっていいのではないか。

>単身高齢者のアルコール問題は、食事をせずに酒ばかり飲んでしまう傾向にあるので、体調を崩しやすく、子どもがいても別に暮らしている場合、誰にも気づかれず、自分で助けを求めることもできず、孤独死に至るケースも多いです。単身男性のアルコール依存症者は、妻のいるアルコール依存症の人に比べて寿命が短い例が多く見受けられます。(p.34~p.35)

などというくだりは、まさに佐藤氏そのものですね。佐藤氏は、こちらによれば、

>いま口にするのは焼酎とタバコくらい。アルコール度数が20度の焼酎が好みで朝も夜もこれを飲んでいます。タバコはケントの1ミリ。食事? ほとんど食べません

という状況でした。まさに彼は、ほとんど食事も取っていなかったのでしょう。その結果が、何回もご紹介する講談社の取材時に撮影されたこちらの写真のわけです。この写真を撮影してからたぶん2~3週間後くらいに彼はなくなっています(正確な死亡日は不詳)。

以下、彼の最盛期(1988年)の写真、亡くなる1年前の「スポーツ報知」取材時の写真です。

1年前はそれでも笑顔を出したり、強がりのコメントを出すこともできたのですが、それから間もなく本格的に困窮、ご当人の弁によると19年5月から生活保護受給となり、その数か月後の9月中頃~下旬頃に孤独死したわけです。

私がこの本を読んだのがいつごろかちょっと正確な記憶があるわけでもありませんが、佐藤氏の死を知った後に読んだわけで、ほんといろいろ考えさせられました。まさに佐藤氏のことを書いているのではないかと思うくらいです。佐藤氏は子どもがいなかったので、奥さんが去った後はまさに本当の孤独になってしまいました。生活保護受給者でしたから、だれからも気づかれなかったことはありませんでしたが、自分で改めて断酒なりなんなりの助けを求めることができませんでした。そして奥さんが去った後は、まさに死へまっしぐら、死への一本道にはまってしまったわけです。

この本の著者(斉藤章佳氏)は、たぶん佐藤氏が亡くなったことは知っているでしょうが、いずれにせよ佐藤氏に限らず、アルコール依存で亡くなる人間の典型的なコースを佐藤氏は歩んでしまったということです。非常に残念ですが、しかし人生のあらゆる分岐点で彼は、「そうくるか」「それはまずい」というコースを選択してしまったわけです。

それで、これは佐藤氏のような強い発達障害を持っていると考えられる人物にいうのは酷なのでしょうが、佐藤氏は、最悪でも生活保護受給者になった時点で、「これではいかんな」と考えるべきでしたね。そしてケースワーカーなりなんなりに相談して、断酒と禁煙をするべきだったでしょう。が、彼はますます酒と煙草への依存がひどくなるばかりで、それで死んでしまいました。酒に依存するばかりでそれで自分の命を捨ててしまうというのは、よく見る光景ではありますが、しかしやっぱり人間「そのような死は遂げるべきではない」というものでしょう。緩慢なる自殺とでもいうものでしょう。おそらく佐藤氏は、ある段階からは精神疾患もあったと思われますので、それが取返しのつかない段階に来た時点でどうにもならなくなったのでしょうが、やはりそういう姿は、あまり見ていて気持ちのいいものではない。

前にも書きましたように、私は佐藤氏が、なぜ予備校講師の職に復帰しなかったのかがとても不審なのですが(そうすれば少なくとも1人の生活の生計がたつくらいの給料はもらえたのではないか)、体調が悪いとか往年のギャラと比較したらそんな仕事できるかというような心境もあったのかもですが(これは私の勝手な推測です)、けっきょく彼は、自分の収入に見合った生活をするということができなかったのでしょう。たぶん病的にそれができなくて、それをなんとかするために他の支援を求める、なんてことすらできなかったわけです。

佐藤氏も一時期は断酒をしたようですが、彼の酒の飲み方は、まさに彼の人生の軌跡だったように思いますね。彼の人生のあり方とまさに不可分のものでした。彼が死の1年前の取材で語っていたという

>隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。

>(引用者注:健康について)心配していません。早く死にゃあいいと思っていますから。

というのを、あるいはこの取材をして記事を書いた記者や読者は、「自虐ギャグだ」「大げさに言っている」と考えたのかもしれませんが(報知の佐々木良機記者は、佐藤氏追悼記事のなかで

>無気力で自暴自棄なコメントを何度も繰り返した。

と書いていますので、たぶん「相当まずいな」と思っていたのではないか)、少なくとも結果としては、まさに文字通りの事態というわけです。

前に書いたことを繰り返しますと、佐藤氏が遺したものでもっとも他人が参考にできるのは、彼の著した英語の受験参考書でなく、彼の人生の軌跡、生き様ではないか。多分彼の生き様を見ていれば、「これはまずいな」「こうはなりたくない」「いくらなんでも佐藤氏はやりすぎだった」といった感想が生まれるはず。さすがに彼の人生を本気で肯定する人はいないでしょう。いてもそんなに多くの人が肯定するとは思えない。「もうちょっとなんとかならなかったのかなあ」とは思っても、たぶんどうにもならなかったのが、佐藤忠志氏の人生だったのでしょう。

なお斉藤氏の本はどれも面白いので、読者の皆様にも推薦します。ぜひどうぞ。


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