Quantcast
Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

「否定という壁への挑戦」の行き過ぎが、栗城史多の死をもたらしたのだろう

$
0
0

先日地元の公立図書館で本をあさっていて、面白そうな本を見つけました。

日本人とエベレスト―植村直己から栗城史多まで

これは全くどうでもいい話ですが、この山(エベレストあるいはエヴェレスト)について、ひところは、「チョモランマ」という表記が日本でも多くなったように記憶しますが、昨今はまた「エベレスト(エヴェレスト)」という表記に回帰していますね。英国人の測量技師ジョージ・エベレスト(Sir George Everest)にちなんだ名称ですが、中国政府の名付けたというところが「チョモランマ」という呼称の忌避感にあるんですかね。なおネパールでは「サガルマータ」という名称にしているということで、双方の呼び名を一方的に採用するのは妥当ではないという認識から、一応第三の言語である英語(固有名詞ですから英国由来ということですが)の名称にしているということもあるのでしょう。

私がこの本を借りたのは、本全体に興味があるというわけでなく、副題にも登場する栗城史多氏についてです。彼について1つの章をさいています。私は、彼についてそんなに詳しいわけではありませんが、彼についていくつか記事を書いています。

「どうもなあ」と言わざるを得ない遭難死 栗城史多という人の周囲についてどれだけ書けているかが問題だ 11月末に発売になるとのことなので楽しみに読んでみたい

3番目の記事の中で私は、

>読んで面白ければ記事にしますが、つまらなければしませんので、そのあたりはご了解ください。

と書いています。つまり栗城氏について取材した本「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」(本の写真は引用省略)が「開高健ノンフィクション賞」を受賞したというので、では読んでみようと思ったわけです。これが2020年11月4日の発表です。それから2年たちましたが、現段階記事を書いていません。

で、なぜ記事を書かなかったかというと、読んだのですが、面白くなかったわけではないのですが(むしろかなり面白い本でした)、私が一番興味のあったところ

>ほかにも企業から一般ファンにいたるまでいろいろなところから金を集めたりというのも引っ込みがつかなくなった理由でしょうが、そういった部分がどれくらい受賞作では書かれているかがポイントですね。栗城氏個人の問題だったら、いまさら本にする必要もないでしょう。彼が相当話を盛ったり実態にそぐわないことを宣伝してたことはわかっている。彼自身よりも、そういった負の部分を知ってか知らずか彼を取り上げたり資金援助をしていたマスコミや企業、ファン個人にいたるまで、どのように彼を祭り上げてそして引き返せないところまで追いやったかということをどれくらい論じられているか。

というところがいまひとつ食い足りなかったからでした。それは個人の内面の問題だし、著者の河野啓氏は、テレビ局のディレクターであり、そういった内面の問題については軽々しく論じられなかったのかもしれませんが、実際彼は、指を凍傷で第二関節から9本も落としているわけで、この時点で、常識的には、彼はエベレスト登頂から撤退すべきでしょう。そのような人物に、「初志貫徹してエベレストに登ってほしい」という人もいないし、いたら非常識です。あとは、講演活動や、他の登山者への支援などをしていれば十分でしょう。事実これ以降、どうも彼を支援していた個人や、スポンサー企業なども撤退、協力を断る、離れていったケースが多くなり、彼自身も資金集めに難航したらしい。エベレスト登頂に何回もチャレンジするということに宣伝価値や魅力がなくなってきたということもあるでしょうが、さすがに指を9本落とした人物の登山に協力するわけにはいかないという判断もあったはずです。

栗多氏という人物は、奇妙な魅力があったようで、2008年1月4日には、朝日新聞に全面広告で彼の写真を掲載する広告が出ています。それは、私は、上記の山と渓谷社の本で知りました。筆者は、『山と渓谷』の編集長も務めた神長幹雄氏です。書下ろしの文章で、この本の実質メインライターでもあります。神長氏は、そういう広告があったなというあいまいな記憶があり、どうやらそれが2007年~2008年の朝日新聞の広告だったらしいという情報を入手、縮刷版をめくってなんとか見つけたと書いています。本に写真も掲載されています。

それ、ネットで情報なかったのかと思ったら、ありました(苦笑)。こちらです。広告の写真も掲載されています。

で、どうやってこれを私が調べたかというと、栗城氏のWikipediaにリンクされている注釈から見つけたのです。一番基本的なサイトじゃないですか。注釈に

>2019年6月1日閲覧。

とありまして、神長氏が縮刷版を調査したのは、たぶんこの日以降だったのではないかと思いますが、そうすると神長氏は、しなくていい苦労をしたんですかね。なお上の写真は、個人様のブログに掲載されていたものであり、この記事に引用することにあるいは問題があるのかもしれませんが、ウェブアーカイヴからのものですし、カラー写真でもあり非常に貴重なので、あえて引用させていただく次第です。ご当人の私生活ほかの写真ではないということもあります。筆者の竹内洋岳は、

>ガッカリ…

と題してこの広告を批判しています。なお竹内氏は、Wikipediaから引用すれば

>世界で29人目で、日本人唯一の8000メートル峰全14座の登頂者

というスーパーアルピニストです。

これはこの記事の内容とは直接関係ないことですが、全国紙の全面に大きく顔を出す広告が出たあたりに、栗城氏という人物の特異な個性が出ているように思いますね。栗城氏より有名な人間はいくらでもいますが、新聞の全面広告にこのように大きな顔が掲載される人物は、そうはいないはず。昔と比べれば新聞広告も、価値も逓減しているのは事実ですが、それにしたってこれはそうそうあることではありません。

さてさて、栗多氏は、エベレスト登山について失敗・敗退を繰り返したにもかかわらず、だんだん難易度の高いコースを選択するようになりました。経験を積めば、自分の能力や限界はわかるわけで、その上で自分の実力にそぐわないことにチャレンジするというはいささか無謀です。栗城氏の死の直後に書かれた記事で、本の中にも登場するライター森山憲一氏は、

> まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

書いています

ではなぜ栗城氏は、そんな自殺行為と言われても仕方ない(そして事実亡くなってしまった)無謀なチャレンジを繰り返したか。本を読んでいて腑に落ちるところがありました。ちょっと引用します。

>栗城にはエンターテイナーとしての言葉のセンスがあったと思うが、時に「言葉遊び」が過ぎて上滑りしているように感じることがある。しかし「否定という壁への挑戦」というフレーズは、妙にひっかかるものがあった。彼の深層から発せられた表現のような気がしたからだ(p.403)。

なるほどね、と私も思いました。私は、栗城氏のドキュメントもろくすっぽ見ていないし(2010年に放送されたバース・デイ は観ましたが、大して記憶に残っていません)、著書も読んでいませんが、彼について書かれた本やその他さまざまなネットの文章などを読んでいて、ああ、そういうことなら、彼の行動をよく表しているなと思ったわけです。

>前記の「否定という壁への挑戦」は、二〇一二年、凍傷のため指を失ってから書かれた言葉だという。周囲の友人、知人はもちろん、だれからもエベレストは無理と言われ、ネットでの批判、誹謗中傷もさらに増えて、「否定」されることがよりいっそう強くなった時期と一致する。

「本人は指を失い、『否定』批判を受けて、どん底を味わったと思います。そうしたなかから考え、出てきた言葉が、『否定の壁を超える』、『否定という壁への挑戦』だったと思います。(マネージャーの小林幸子)(p.405)

たしかに世の中、否定されるということ自体を否定したら、怖いものはありませんよね。世の中絶対自分の誤りを認めたくない人というのがいて、たとえば稲田朋美など、防衛相在任時、東京都議会選挙の応援演説で

>「防衛省・自衛隊としてもお願いしたい」と投票を呼びかけた

までやらかしたにもかかわらず、「誤解」「誤解」と称して逃げようとしましたからね。こんなの逃げられるようなものじゃないじゃんですが、ご当人の脳みその中ではそうでもないのでしょう。

稲田なんかどうでもいいですが、こうなると様々な人間の説得などもききませんね。稲田はその後防衛相を辞任しましたが、公職についているわけでもない栗城氏は、ご当人が「やろう」と思えばできてしまいます。彼は、本気でやろうと考えていたのだから強いわけです。人間、本気の人間が一番強い(そして怖いし危険です)。栗城氏が本気で自分が無酸素・単独登頂、バリエーション・ルートでのエベレスト登頂を実現できると考えていたとは思いませんが、

>『否定という壁への挑戦』を一貫して言い続けてきた以上、「登頂できなかった」とは言えなかったのだろう。(p.406)

ということであったし、また前出の栗城氏のマネージャーであった小林さんが指摘するように

>『登頂できない』と言ってしまうと、自分の人生そのものを否定することになってしまいます。登れる可能性を強く信じて進むしか、道はなかったのだと思います。(p.406)

ということでしょう。彼も、引き返すタイミングはいろいろあったのでしょうが、もちろん指を落としたこともそうだし、それ以外にもいろいろあったのでしょうが、ある時点で彼は、突き進む以外の道が見えなくなったのでしょう。そして次の指摘も「ごもっとも」かと思います。

>「否定という壁への挑戦」には、栗城の深層を探るうえで、もうひとつ手がかりがあるように思える。それは、「目的の在りか」だ。「登頂できる」でも「登頂できない」でもなく、「否定という壁への挑戦」そのものに目的があった、という見方である。

不可能だ、無謀だという批判に対しても挑戦する精神の大切さを掲げ、「否定という壁への挑戦」そのものを目的化してしまう。そうすれば「どう登るのか」という可能性を探る必要もなく、登れても登れなくてもどうでもよくなる。(p.406~407)

ということだったのでしょう。たぶん「否定という壁への挑戦」が、栗城氏の最後のよりどころだったのでしょう。そして彼は、ある段階から自分の命よりもこちらのよりどころの方を優先させたということなのでしょう。前出森山氏が指摘する

>支離滅裂

>アンコントロール

とはそういうことでしょう。

「引っ込みがつかなくなった」「名前(虚名かもしれませんが)があまりに大きくなりすぎた」という側面もあるでしょうし、また彼がかなり強く持っていたと考えられる特異なパーソナリティ(たぶん発達障害かことによったら精神障害もあったのではないか)の故というところもあったかと思います。

おそらく彼でなければ、あそこまで行く前に何らかの形で撤退をできたのでしょう。講演家としても活躍できたでしょうし、たとえばさまざまなパフォーマンスやイベントのコーディネート、コンサルティングみたいな事業を営む会社を経営することもできたのではないか。しかし彼は、少なくとも死の直前まで、そういう人生をまだ送る気はなかったということなのでしょう。登山界も、彼のようにややパフォーマンスが激しく、大言壮語が著しい人物とかかわることを嫌がり、見て見ぬふりを続けました。そういったことが、彼の暴走をさらにひどくしたことは否めません。どっちみち大人の行動ですから、他人が制止できるものではありませんが、世間に「栗城氏のやっていることは、かなりやばいんだよ」と教えることは、それ相応の意味はあるでしょう。一応世間が栗城氏の行動は危険であり無謀であるということを認識すれば、栗城氏は駄目だったかもしれませんが、あまりに無謀なことをするのをやめる人もいるかもしれない。そうなれば、無駄な死が1つでも減るというものです。

栗城氏の存在は、ヒマラヤ登山ならびにエベレスト登山の大衆化、テクノロジーの発達による通信や映像機器の小型化、世界中継も可能とする通信状況の発達、ほかにもいろいろでしょうが、そこに栗城氏というきわめて特異な個性がピタリとはまってしまったということなのでしょう。こういうことが、後世の警鐘になるのか、あまりに事例が特異すぎるし、またおそらく対象者がとても他人の意見などに耳を貸すとは考えにくいなど、いろいろな考えはあるかと思いますが、やはりいうべきことはいうことも必要かと思います。言わないで後悔するのなら、結果的には言った甲斐はなくてもやはり何らかの人間としてのやるべきことを果たしたということになろうかと思います。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>