陰謀論というのは、いつでも一定の需要があります。日本が絡む有名な陰謀論としては、真珠湾攻撃陰謀説(フランクリン・ルーズヴェルト大統領は、それを事前に察知していたが、わざとそれをハワイに知らせず、日本の攻撃を許した)と、ロッキード陰謀論(米国は、中国ほかアジアへシフトしようとしていた田中角栄首相(当時)を追い落とそうとして、ロッキード事件をしかけたとか)ですかね。ほかにもいろいろありますが、今日は真珠湾の話を。たぶん真珠湾陰謀論は、世界的にもケネディ暗殺陰謀論と並んで人気(?)のある陰謀論ではないか。そしてケネディ暗殺より真珠湾のほうがスケールがでかいので、興味のある人が多いのかもしれません。特に日本人にとっては、いろいろ因縁深いところもある。
最初に断っておきますと、私は、真珠湾陰謀論に賛同しませんが、実際には、「仮にそうだとしたって、別になんてこともない」という立場です。つまりは、日本が攻め入ったのだから、「じゃ、戦争になっちゃうよな」という程度の話です。仮にルーズヴェルトの陰謀だったとしたって、日米の経済力の差、生産力の差ほか国力全体の差はいかんともしがたいことは最初から分かっていた話であり、日本の政治家も役人も軍人も天皇も、そんなことを理解しないほどの馬鹿でもないのだから、戦争したのは日本が悪いだけの話です。
ということを前提としたうえで以下記事を書きます。
ルーズヴェルトが日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたのではないかという話は定期的に出てきます。だいぶ以前のものですが、これは日本でもだいぶ話題になった模様。2001年発売の本です。
写真が小さいのはAmazonの写真がそうであるので乞うご容赦。
それにしても「ナントカの真実」っていう題名の本は、実にいかがわしいよね(苦笑)。私は、「・・・の真実」という題名の本で、まともな本を読んだ記憶がない。「迷惑をかけない」と言われたらだいたいにおいて迷惑なことになるし、「形式的なものだから」と言われたら形式では済まないし、「名前を貸すだけだから」なんて言われても名前を貸しただけでは話が終わらないのと同じです。この話は前にも書きました。
私に「保証人になってくれ」と頼む人間の保証人にはなりたくない過日読んだ秦郁彦氏の著書
で、秦氏は、上の本の著者スティネットについて、
>著者は空母のパイロットだったブッシュ(父)大統領の下で戦い勲章ももらった勇士との触れ込みだったが、実際は終戦時にやっと二〇歳の水兵で、戦後は地方紙のカメラマンという素性。だが米国立公文書館の資料に依拠して本文三〇八ページに五九五個の注をぎっしり細字で詰めこんだのが、目くらまし効果を発揮したらしい。
従来の類書とちがい、アメリカの読書会では「初めからお終いまで間違いだらけ」(デービッド・カーン)と冷たくあしらわれたが、わが国では熱狂的に歓迎され記者や作家を派遣してインタビューさせる雑誌まで現れた。
(中略)
スティネット本の疑問点は他にもあるが、稚拙なトリックの手口は私をふくむ数人の専門家が分担してまとめた『検証・真珠湾の謎と真実』(二〇〇一)にゆずり、深追いはしないことにする。しかし類書の中でも最低レベルのスティネット本にも功の面があるとすれば、真珠湾陰謀論は成り立たないことが立証され、長年の論争にピリオド(引用者注:原文には「ピリオド」の部分に傍点)を打ったことだろうか。(p.184~p.187)
と批判しまくっています(苦笑)。
(中略)の部分は、スティネットのインチキの種明かしの部分ですので、興味のある方は原本を読んでください。おもわず苦笑し、呆れてしまいます。また秦氏が「ピリオド」に傍点を打ったのは、このデマ本を真に受けた人の中には、
>「ぼう大な新資料の発掘によってこの論争にピリオド(引用者注:こちらも、原文には「ピリオド」の部分に傍点)を打つもの」
という評価もあったためです。(p.185)
そういうわけで調べましたところ、スティネット本の批判については、南京事件に詳しい「ゆう」さんが記事を書いておられましたね。
日米開戦1 スティネット「真珠湾の真実」をめぐって(1) ―中西輝政-秦郁彦論争を中心に
日米開戦2 スティネット「真珠湾の真実」をめぐって(2) ―中西輝政-秦郁彦論争を中心に
ゆうさんは、
>「相手の発言を細かく引用し、それぞれに返信をつける」という、まるでネット掲示板の議論を見ているようなスタイルですが(笑)、誰が見ても、秦氏が中西氏・西木氏を完璧にやりこめた形でしょう
と評しています。中西輝政と西木正明は、この本を絶賛した人たちです。中西などこの本に本気でほれ込んでしまい、解説まで書く始末です(呆れ)。
いや、私も別に秦氏なんか好きじゃないけどさ、でもほかはともかくこの件では、秦氏の書いていることの方が明らかに妥当じゃないんですかね。秦氏の編著はこちら。
こちらは文庫。違う会社からですね。
検証・真珠湾の謎と真実 - ルーズベルトは知っていたか (中公文庫)
ところで、スティネットの本が、単行本出版元の文藝春秋社からも文庫化されず、批判本は他社からとはいえ文庫化されたというのが、内容の評価を物語っているように思いますね。文春も、さすがに、評判の悪さから文庫化を見送らざるを得なかったのではないか。文藝春秋社が出して、文藝春秋社が主催するノンフィクション賞を受賞した本が、文春文庫にすら収録されなかった(つまり売れ行き、評価とも思わしくなかったのではないか)という話は、以前このブログでもしたことがあります。これも似たような事情じゃないですかね。
「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した文藝春秋社の本ですら、文春文庫に(他社の文庫にも)なっていないことがあるそれでスティネットの本については、bogus-simotukareさんも記事にされていました。2017年ですから、もうずいぶん前の記事です。つまりは過去の話ということですが。
ほかにもこの本に言及されている記事がありますので、興味のある方は、こちらからご確認ください。
それにしてもルーズヴェルト陰謀論の最大の難点は、仮に陰謀があったとしても、あんな大損害を受けるのはさすがに変じゃないのということでしょう。日本軍の襲撃がある前に真珠湾から艦隊を退避させればいいし、また米軍側も迎撃すればいいじゃないですか。攻めてきた方は日本なのだから開戦の大義名分に何ら問題はないし、損害も防げるし、当然日本側の損害もより大きくなる。やらない手はありません。あたりまえでしょう(苦笑)。
ていうか、そもそも真珠湾よりマレー作戦のほうが日本側の攻撃開始は早かったんですけどね。Wikipediaの「太平洋戦争」から引用するなら(注釈の番号ほか削除)、
>マレー作戦
詳細は「マレー作戦」を参照最初に、日本陸軍の上陸部隊を載せた船団が日本時間12月8日未明にイギリス領マレー半島東北端のコタ・バルに接近、日本時間午前2時15分(現地時間午前1時30分)に上陸し、海岸線で英印軍と交戦。
>真珠湾攻撃
詳細は「真珠湾攻撃」を参照 続いて、日本の航空母艦(空母)艦載機により、米領ハワイのオアフ島にあるアメリカ軍基地に対する奇襲攻撃(真珠湾攻撃)も、日本時間12月8日午前1時30分(ハワイ時間12月7日午前7時)に発進して、日本時間午前3時19分(ハワイ時間午前7時49分)から攻撃が開始された。 というわけです。開戦に関しては、英国との戦争の方が先行している。真珠湾陰謀論を唱えるのなら、ルーズヴェルトは英国首相のウィンストン・チャーチルにも黙っていたか(ってことは、チャーチルをもだましたことになります)あるいはチャーチルも共謀ということになります。それはさすがに無理じゃね? ていうか、議論するのもばかばかしいというレベルじゃないですかね。このような重大なことを黙っていては、チャーチルほか英国側も激怒の極致でしょう。また、チャーチルが共謀していたというのなら、チャーチル以外の英国社会は、チャーチルを許しますかね(苦笑、いや、笑っている場合ではない)。そもそもルーズヴェルトは、戦争が起きるのならハワイをいきなり狙うのでなく南方での戦争になるのではないかと予想していたらしい。これは、ごく常識的な推論でしょう。事実その後戦争の中心は南方だったからです。ハワイ攻撃はリスクが高い。
しかし陰謀論を唱える連中は、そうだ、ルーズヴェルトは幾千の米国兵士らを犠牲にして日本への敵愾心をあおったのだとか、チャーチルをも裏切ったのだとか、そういうことを言いだすんでしょうねえ。前者の主張については、次の記事で実例をお見せします。そんなことだったら、ルーズヴェルトは古今東西に例を見ない超冷酷・冷徹戦略家ということになるでしょうが、ルーズヴェルトだってそんなにめちゃくちゃな(かつ天才的な)人間ではない。米国社会だってそこまでひどい国ではないでしょう。だいたいルーズヴェルトは、海軍次官だったくらいで、海軍に対してきわめて強い愛情のあった人間です。
ところで、これはマジでルーズヴェルトの陰謀ではないかと指摘されている事例があります。なんだというと、開戦直前の12月5日、ルーズヴェルトは、ベトナムやフィリピンあたりで米海軍将校を乗せて星条旗を掲げた複数の船を出しているのです。これがどうも、目的が不明瞭なので、あるいはあわよくば日本軍の攻撃を誘発するつもりではなかったかというのです。詳細は、たとえばこちらの記事を参照してください。そしてこれらの船舶は、日本側から発見されますが、日本側の真意は不明ですが、攻撃するに値せずという判断が下されたようで、攻撃はされず、出動した2隻とも無事帰港しています。なお実はもう1隻出動しそうだったのですが、出航するにいたりませんでした。
そもそもこれらの船を日本側が攻撃したかも疑わしいし(事実攻撃しなかった)、またほとんど急ごしらえの海軍船にすぎなかったこれらの船舶が仮に撃沈されたとしても、そんなに米国民が騒いだかも怪しいものです。つまりは、ルーズヴェルトが陰謀を考えていたとしても、この程度のものだったと思われます。またこれが、南方で仕掛けられた作戦というのも興味深いものがあります。つまりルーズヴェルトは、既述したように南方海域での開戦の可能性が高いと考えていた。以上の分析は、前掲秦編著以外に、その本の筆者の1人である須藤眞志氏の著書であるこちらの本にも収録されている論文で論じられています。
あるいは、これはずっと後の話ですが、トンキン湾事件はどうか。トンキン湾事件は、1964年8月2日と4日に起きており、米国のでっち上げなのは4日の方ですが、この事件では、Wikipediaによれば米軍側がその損害として
>駆逐艦1隻小破、
航空機1機小破
北ベトナム側が
>魚雷艇1隻大破、
魚雷艇2隻中破、
4名死亡、
6名負傷
というものでした。これらは2日の戦闘によるものであり、4日の戦闘では、これといった米軍側の戦果が確認できませんでした。
これも非常に興味深いですね。つまり「陰謀」ったって、真珠湾の損害などとは桁も次元も違うでしょう。そしてもう1つこれが決定的なのが、これについてはのちにでっち上げであることが暴露されていることです。
>1971年6月『ニューヨーク・タイムズ』が、いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」を入手、事件の一部はアメリカ合衆国が仕組んだものだったことを暴露した。
というわけです。だったら真珠湾が、今日に至るまでそのような決定的な暴露がないというのもきわめて不審です。ルーズヴェルト以外にもそれ相応の数の政府や軍の高官がかかわり、さらに一般兵士その他にも知っている人間がいるわけで、それらの人たちは全員死ぬまで黙っていたんですかね? 世の中そういうものでもないと思いますが。年金だ脅しだで黙らせるって、そんなことが何十年も通用するというのは、あまり現実的な仮定ではないと思います。いわゆる日米密約だって、外務省の幹部だった複数の役人がその存在を認めているわけであり(こちらの記事参照)、真珠湾の陰謀が実際にあったのなら、すべての人間の口をふさぐというのもありえないことです。
が、でも陰謀論をこじらせた人たちは、こういう常識的な解釈をせず、オッカムの剃刀じゃないですが、やたら珍妙な仮定や解釈をおりまぜて、自分の考えが正しいという前提からすべてを解釈し直して、荒唐無稽な話をほざきまくるのでまったく始末に負えないですね。明日は、そういう人たちの一例をご紹介しますので、乞うご期待。