1月8日に福岡市を訪れまして、その際にぜひ訪れたいところがありました。福岡空港近くにある「大井北公園」です。ここは、別名を「夢を語る公園」といいます。変わった名前ですが、以下のような経緯があるわけです。
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CA目指す娘を失った公園にベンチ寄贈…両親「夢を語り合う場に」、福岡3女性連続殺害事件から18年
2023/01/18 15:00
「 福岡3女性連続殺害事件 」の被害者の一人で航空関連会社で働いていた福島啓子さん(当時23歳)が亡くなってから、18日で18年となった。事件現場の大井北公園(福岡市博多区)には10日、両親がベンチを寄贈。「夢を語る公園」との愛称が付けられた。愛称には、客室乗務員を目指していた一人娘をしのぶ両親の「夢を語り合う場にしてもらいたい」との願いが込められている。(水木智)
北九州市在住の福島さんの父、敏広さん(66)と母の和枝さんは10日、寄贈した桜御影石製のベンチに腰掛け、啓子さんとの思い出を語っていた。その直前、啓子さんが運航に携わっていた航空会社の飛行機が公園の上空を通過していた。「偶然とは思えない」。2人はそう言って、目に涙を浮かべた。
啓子さんは2005年1月18日早朝、福岡市東区の自宅から、職場がある福岡空港に出勤中、この公園で鈴木泰徳元死刑囚(2019年に死刑執行)に包丁で刺されて亡くなった。
敏広さんによると、啓子さんは航空関連会社で運航支援の仕事をしながら、客室乗務員を目指していた。事件当日も歩いて仕事に向かう時間にCDを聞いて、英会話を勉強していた。
両親は05年秋、「啓子がさみしい思いをしないように」と、事件現場となった公園に、市の許可を得て自分たち3人家族になぞらえて3本の桜を植えた。それ以降は毎年春、桜が満開になる頃に公園を訪れ、啓子さんの元同僚らと思い出などを語り合ってきた。
敏広さんと和枝さんがベンチの寄贈を思い立ったのは昨年5月のことだ。啓子さんと面識はないものの、「啓子さんのように自分も頑張りたい。たびたび公園で手を合わせている」と話す空港関係者がいることを知ったからだった。「月日がたっても、啓子が希望を与えている」。そう感じた敏広さんは、福岡市長に「『夢を語る公園』の実現にお力添えを」と手紙を2度送り、ベンチの寄贈を申し出た。
敏広さん夫妻の思いを知った市は、町内会に掛け合い、公園に敏広さんたちが提案した愛称を付けることにした。ベンチは桜御影石製(幅150センチ、奥行き45センチ、高さ40センチ)で、桜の木のそばに設置された。「夢を語る公園」の愛称はベンチに刻まれ、公園入り口の看板にも記された。
啓子さんの元同僚で、同市南区の宮本理英子さん(43)は「事件を知らない人でも、啓子さんのことを知るきっかけになるはず。事件の記憶は風化してほしくない」と願う。元同僚たちは10年ほど前から毎年、福岡空港から公園までの約1キロの道のりを清掃し、公園で手を合わせてきた。今年も命日の18日に清掃を行う予定だ。
敏広さんと和枝さんにとってこの公園は、娘を失った悲しみと犯人への憎しみ、絶望を感じさせる場所だった。しかし、啓子さんのことを思う人たちに救われ、少しずつ気持ちの変化も生まれたという。
啓子さんは大学時代、「夢を語る会」というサークルを作り、友人らと将来の目標を語り合っていた。「ベンチに家族や恋人、友人同士で座り、お互いの夢や悩みを語り合ってもらいたい。そのことが、娘の夢をかなえることにもなるはずです」。敏広さんはこう話している。
福岡3女性連続殺害事件 2004年12月~05年1月、福岡県飯塚市や北九州市、福岡市の公園や路上などで女性3人が相次いで殺害された。福岡県警は05年3月、福島啓子さんの携帯電話を持っていたとして、鈴木泰徳元死刑囚(当時35歳)を占有離脱物横領の疑いで現行犯逮捕。その後、強盗殺人容疑などで再逮捕した。鈴木元死刑囚は強盗殺人などの罪で死刑が確定し、19年8月に刑が執行された。
下が、Wikipediaです。
動画もはりつけておきます。
CA志望の23歳が殺害“凶行”の公園にベンチ~遺族の意向で「夢を語る」場所に
それで1月7日日曜日に、この「夢を語る公園」を訪れてみようと考え、翌日の午後4時すぎに福岡空港に到着しました。行きは空港から向かうことにしたのです。
空港から公園に向かいます。
空港の近くですので、大きな看板やレンタカー屋が立ち並んでいます。
この歩道橋を渡ります。
水路も越えます。
真ん中に見えるホームセンターの横あたりに公園があるはずです。
西に位置する福岡ですが、1月初旬ですので陽も早く暮れます。
雲の形がきれいです。
いよいよ近づいてきました。
事件を想うと、このようなオブジェについても複雑な心境になります。
公園です。建物は、保育園です。保育園に隣接する公園で、このひどい殺人事件があったのです。
祝日の夕方ですので、私以外には近隣住民らしき夫婦が犬を連れているだけでした。
よくこんな何の遮蔽もないところでこのような事件が起きた(起こした)なとあらためて絶句しました。2005年1月18日の福岡市の日の出は、7時22分ごろのようですので、この事件が発生した午前5時30分ごろ(時間は、Wikipediaより)は当然真っ暗だったわけですが、それにしてもです。あまりに異常な犯行と言わざるを得ない。
それにしても保育園の隣の公園での殺害ですか・・・。保育園の保育士さんたち、保護者の方々のショックもちょっとやそっとのものではなかったのではないか。
正式名称が「大井北公園」、愛称が「夢を語る公園」です。
といいつつ、まだベンチを見つけていないことに気づきます。どこでしょうか。
パンダや、動物の遊具もあります。
こちらがご両親が寄贈されたベンチです。紙飛行機が描かれているのがポイントです。看板にも紙飛行機の絵があります。啓子様のお父様の講演の際は、参加者の方々ともども紙飛行機を飛ばすそうです。下に、お父様のブログ記事をはりつけます。
飯塚講演私のカバンです。写真は掲載しませんが、私もベンチに座らせていただき、セルフィ―を撮りました。
本日は祝日なので、保育園も静かです。
帰りはバスを利用します。時間が近づいたので、本日はこれでお暇します。
最後にベンチを眺めました。あらためて犠牲者の方のご冥福をお祈りしました。
バスで博多駅に向かいました。
引用記事にもありますように、この公園には、ご両親により3本の桜の木が植樹されています。また今年も来年も、美しい花を咲かしてくれることでしょう。来年は、事件が起きて20年となります。
なおこの記事において、犠牲者の福島啓子様とご遺族であられるご両親の福島敏広(敏廣)様と和枝様、および死刑執行済みの鈴木泰徳元死刑囚につきましては、引用記事にも実名がしるされておりますので、拙記事におきましても原文通り実名を記させていただきました。またこの記事を書くにあたりまして、敏廣様のブログにコメントを投稿させていただき、この公園を拙ブログの記事に取り上げることのお許しをいただきましたこともあわせてご報告いたします。
成人式なお福島敏廣様のブログはこちらです。