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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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編集者と旅行に行く紀行作家

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シベリア鉄道9400キロ (角川文庫 (6230))

世の中、その世界では神みたいな人(たとえば右翼とか産経新聞のような連中の間での安倍晋三とか)がいて、宮脇俊三という人も、鉄道紀行とか鉄道好きには大ファンがいまして、悪口許さんみたいな人もいるかもしれません。宮脇さんもお亡くなりになってからずいぶん時間も経ちますので(お亡くなりになったのは2003年です)、そのような人たちも前と比べると減ってきたかもしれません。

私も旅行大好き人間だし、また鉄道の旅がいちばん好きな人間ですから、そうすると宮脇さんの本もやはり避けては通れないわけです。で、ずいぶん以前宮脇さんのシベリア鉄道の旅行記を読みました。氏が旅をしたのは1982年です。

これはまだ旧ソ連の時代で、しかも自由もない時代でしたから、ウラジオストックからの入国すらできず、横浜からナホトカ(という地名を聞いて、「懐かしい」と感じる一定以上の年齢のかたもいるはず)に海で渡り(そういう時代です)、ハバロフスクまで特別列車で行き、そこからモスクワまで「ロシア号」で途中下車しないで行くという旅です。

宮脇さんの本を読んだのはたぶんこの本が最初だと思いますが、正直(どんだけ面白い旅行記だろう)とけっこう期待して読み始めたのですが、残念ながらいまひとつ面白くありませんでした。表記されているデータとかは貴重なのですが、旅行記が必要とする旅のワクワク感とかがどうも足りないように思ったわけです。

確かに、ただ鉄道に乗るだけの旅ですから、旅が単調になってしまうことは避けられません。そのような指摘は、Amazonのレビューにもあります。興味のある方は、上のリンクを参照してください。それは仕方ないのですが、この旅行記の緊張感のなさは、それ以前のように思いました。

で、その当時感じたのは、これは旅行そのものというより、著者の旅行に対する心構えなのではないかという気がしました。それがどういうものなのかは折にふれて考え続けましたが、ずいぶん後になって1つ気づいたのが、この旅行が彼が自分で金を払ったものでなく、むしろギャラをもらっている旅だということです。

そんなことは当たり前な話であって、仕事としての旅であって、観光すること自体が仕事という、世の中の旅行好きにとってはうらやましいにも程が立場であるわけですが、やはり自分で諸費用を払っていないのは(もちろんそれは、彼が執筆する雑誌記事や書籍の儲けから回収されるとはいえ)、旅に際しての緊張感が低くなるのは仕方ないことでしょう。単純に費用だけの問題ではありません。勤め人なり自営業をしていて、時間の捻出が難しい人と比べると、やはり仕事として観光をするということは時に対する緊張感も高くはならないでしょう。もっともある程度知名度の高い著述家なら、これは批判するのは酷ではあります。

それで、上の費用の問題と共通する問題として私が気づいたのが、この旅行では、宮脇氏が旅のお供として、角川書店の編集者を同行させていることです。これは、この旅行における宮脇氏の緊張感をはなはだしく低くしているように思います。

言うまでもなく、宮脇氏のようにすでにそれなりの実績のある作家と編集者とでは完全な上下関係、あまりいい言葉ではありませんが主従関係めいたものもあります。このような旅行で作家に同行する出版社社員というのは、雑用係、ボディガード、監視役、話し相手、愚痴聞き係その他、トラブルがあった場合や著者が不快な目にあった場合あるいはあいそうな場合などに、彼自身が防波堤に立つ役割です。それは当たり前な話で、それができなければ会社の金で作家に編集者を随行させるわけもありませんが、編集者をお付にしちゃえば旅の緊張感はないよね。もちろんそれは、お前の期待する旅行と宮脇氏の志向する旅が違うだけだというレベルの話ですが、同じ著者の著書でも、海外の鉄道紀行の本なら、「台湾鉄路千公里」や「韓国・サハリン鉄道紀行」などのほうが私には面白く読めました。これはひとり旅です。旧ソ連の旅では、あらかじめ完全に手配をしておかなければならず、自由な旅行が無理だったので、ソ連で台湾のような自由な旅行をするのは無理だったにしても、友人とかでなく編集者との2人旅では、他人が読んでいて面白い旅にはならないと思います。

ただしこれは、自分たちを日本人の世界を作って閉じ込めてしまうことの問題でもあります。2人いれば、日本人の世界ができてしまって、現地の人との関係が希薄になる。それは宮脇さんの興味関心とはまた違ったのでしょうが、台湾の本などで見られる現地の人たちとの気楽なふれあいが見られないのは、仕方ないのはわかりますが、やはり残念です。

宮脇氏も晩年アルコール依存症がひどくなり、近隣住民である北杜夫(編集者としての付き合いもありました)への短い文を依頼されたのにそれすら完成できず、それが氏の絶筆になったそうですが、娘さんである宮脇灯子さんがけっこうきつい本を書いています。

父・宮脇俊三への旅 (角川文庫)

氏は、灯子さんに出版社への縁故入社の口を利いてあげようとして、それが入社にいたらなかったということを激怒したことがあったそうで、それは怒ったってしょうがないだろと思いますが(娘さんのほうはそう考えたみたいです)、たぶん娘の問題より本人のプライドの問題だったのでしょう。他人の前でなくても、家族の前でもそれって態度としてどうよと思いますが、あるいはその時点では、そのような時に冷静な態度をとるのが難しくなっていたのかもしれません。そうだとしたら、それは気の毒です。

宮脇さんについては、またこのブログでも適宜記事を書いていきます。


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